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Re: 儒学のこと(附・菅茶山と天王星)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年11月20日(日)07時39分10秒
返信・引用
  > No.227[元記事へ]

ご指摘ありがとうございました。

ああ、記憶力の衰えが著しいですねえ。。。
菅茶山の名前に既視感があったのは、佐藤氏の文中にあったからなのですね。
自分でキーボードを叩きながら、すっかり失念していました。
(忘れないうちに自分のために書いておくと、「WEBだより」第8号、pp.15-16参照)

儒学者の態度は、まちがいなく「大人の態度」ですよね。
それはそれで立派であり、ある特定の場面では、最も合理的な態度とさえ言えるかもしれません。
でも、変革はたいてい大人ではなく若者が成し遂げるものであり、大人は得てして新しい事態に適応するのが下手だ…というのが、近世知識人の弱みであり、限界でもあったのでしょう。

まあ、逆もまた真なりで、西洋の近代科学的手法・態度が、かえって不適切な結果を招く場面もきっとあるのでしょうが…。
 
 

Re: 儒学のこと(附・管茶山と天王星)

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年11月19日(土)20時15分8秒
返信・引用
  管理人様、

 今、高校や大学で勉強せねばならない科目が何十あるのか知りませんが、江戸時代は、儒学さえ修めれば、それで倫理、社会科学から自然科学、宇宙論までカバーされていたのですから、実学や技術は別にして、実にオールマイティの学問だったわけです。私も、こんな便利な知識が乏しいことではいかんと、慌てて勉強を始めました。でも、12世紀の学問ですから、古代ギリシアやルネサンス期ならともかく、ハーシェルの時代の科学に遠く及ぶものではないことも事実です。

 天王星の発見を瑣末とするご指摘をありがとうございます。これは中国の宋学以来の伝統的な態度らしいですね。良いところをついていただきました。(この情報自体については、以前に佐藤明達氏からのコメントでいただいたように思います。) 儒学は自然の学であるとともに、経世・人倫の学ですので、人間の「生活」に訴えない問題は、取り上げるに値しないものとされたのでしょう。

 しかし少し考えてみますと、ある自然現象を勝手に瑣末と判断して、それ以上の考察を放棄するような態度からは、宇宙や自然の真に重要で普遍的な法則は決して発見できないことは明白です。おそらく、古代ギリシアの哲学者や仏教や神道の関係者も、自然の些細な現象をゆるがせにするような態度はとらなかったのではないかと思います。どんなつまらないところにも神や仏の力が存在するというのが彼等の見方だったと思います。中世、近世の東洋の知識人達が、儒学の一見合理的にみえる考えに親しんで、このことに気がつかなくなったことは大きな陥穽であったと思います。そして、18世紀になって、三浦梅園や志筑忠雄が、儒学の徒でありながら、「瑣末なこと、当たり前のことを説明することこそ真理への道である」ということにはっきりと気づいたことは、日本の哲学界において傑出した偉業であったと考えます。

 東洋哲学においては、このほかに「不測論」(しょせん人間にはどうにも分からない自然の理がある)という考え方もあり、管茶山の論点はこちらにも属しているようにも思えますが、話が発散しそうなので、これについては、また機会を改めて議論できるとよいと思います。
 

儒学のこと(附・菅茶山と天王星)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年11月19日(土)10時22分40秒
返信・引用 編集済
  >「日本近世物質科学史」
おお、壮大なテーマですね。

実は私は今回の上原さんのお話を伺い、微妙に話題を追いきれてない自分に気づき、なぜなんだろうと、ずっと考えていました。そして、そのことを考えながら中山茂氏の『日本の天文学』を再読していて「はっ!」と気づきました。

私が上原さんの論点を十分理解できないわけ、それは江戸時代の思想史の根本、具体的には朱子学の知識がないからなのでした。私のその方面の知識は、端的に言って高校の日本史の教科書で見た3行ぐらいの情報に集約されています。

私は昔から仏臭いものが好きで、その手の本は好んで読んでいたので、なんとなく昔の人の考えが分かっているような気になっていたのですが、儒学については赤子のような知識しかないことに、今やっと気づきました。まあ、言い訳をするわけではありませんが、このことは日本の平均的読書人に共通する弱点ではないでしょうか。きっと明治以降、公教育の場から儒教的なものが一切排除されてきた帰結なのでしょう。

これでは近世の話が分からないのは当然なので、まずは手始めに、岩波新書の『朱子学と陽明学』あたりから読んでみることにします。


 ★  ☆  ★


ところで、『日本の天文学』の第5章「西洋宇宙観に対する仏・儒・神の反応」に以下の一節があります。

「菅茶山(1748-1827)も『筆のすさび』で天王星発見の報に触れて、それを評して、「天文は授時の外は何事に用あらん。無用の弁、不急の察、いづれかこれにしかんや」という。」(朝日文庫版、p.157)

これは以前話題にしたかどうか忘れてしまったのですが、今改めて話題にすると、当時(少なくとも1820年代には)、非専門家である儒者にも天王星発見の報が伝わっていたこと、そしてそれが非常に瑣末な知識だと受け止められていたことを示すものとして、たいへん興味深く思いました。

探してみると、菅茶山顕彰会のサイト(http://www8.ocn.ne.jp/~chazan/index.html)に『筆のすさび』の全文が載っていて、件の一節は「巻之一」の「六惑星の説」という文章に含まれています(http://www8.ocn.ne.jp/~chazan/fudeno-genpon.htm#1-26rokuwakusei)。

以下がその全文。

「六惑星の説

 ちか頃六惑星の説あり、この世界さへ渺々(びょうびょう)としてかぎりなく、またあらたにいかなる国を見出さんもはかりがたきに、空中世界もまた奇見なり。天文は授時の外は何事に用あらん、無用の弁不急の察いづれかこれにしかんや。聖人も死をしらずかとのたまへば、又それより遠きは論じ給はず。隠(かくれ)たるを索(もと)むとのたまへるは、北溟(ほくめい)の大鵬(たいほう)十万億土の仏の類、みな惑星の説などなるべし。余常陸に遊びし時、青塚といふ所より東洋の浜を過るに、はてなき海を望みて河伯亡羊(かはくぼうよう)の嘆のみならず一詩を賦す。
 空中世界惑星光 自古談天総渺茫 此去同倫知幾国 滄波万里大東洋」

これを読む限り、新惑星の発見に全く動じた風がないですね。
儒者としては「怪力乱神を語らず」と同レベルのこととして、この件を突き放して考えていたのでしょうか。

(日本におけるハーシェルと天王星の話題の続きとして載せましたが、この件、既出でしたらご容赦ください。)
 

(無題)

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年11月13日(日)12時46分6秒
返信・引用
  管理人様、貴重なコメントをありがとうございます。

 なるほど。この3種の光は、光の種別ではなく、光に対する物体の作用と見るのですね。確かに、反射光、透過光といっても、再び空気中に出てくれば、普通の光ですね。そう見るべきなのかもしれません。

 でも、『暦象新書』の引用にある「光の線路を様々に屈曲して、体中に於て終に其速力を奪なり」から、エネルギーを失いつつヘロヘロになった光子が目に浮かぶので、これを「聾光」と呼ぶ見方も捨てがたいです。現代から見た細かい知識は別にして、これは赤外線にかなり似ています。

『暦象新書』の活字版は、私は「文明源流叢書第二巻」しか知りません。が、この本は、誤字や文の脱落で意味が通らないことがしばしばあるので、「早稲田本」で補われることをおすすめします。一方、「早稲田本」は写筆者の補筆があるのかもしれません。Keillの原著(実際は Lulofs のオランダ語訳)も、グーグルブックで読めます。こちらは手強そうなので、私はまだ本文には手をつけていません。志筑さんはよく読んだものです。彼は数式と文章の両方をフォローして、自説にうまく組み入れていますが、当時の西洋の知識に劣るような解釈の間違いはほとんど見当たりません。中山茂氏は、ある意味で資質としてはKeillを上回るものがあったのではないか、と言う意味のことを評されていますが、私も彼がオランダに留学していたらどうなっただろうと、考えることがあります。

 光の本性についてのニュートン説にお触れ下さりありがとうございました。私は、近代西洋科学史の発展の詳細をよく理解していないのですが、おっしゃるように、志筑説とニュートン説は「光は物質的な粒子で、真空中を進む」、「物質中も条件が許せば分け入って進む」、「エーテル(極めて精なる気)が真空中や物質中に存在するが、エーテルの波が光であるわけではない」という点で共通しています。志筑が、東洋の五行説の「気」を微細な粒子であると部分的に改変した結果、彼の説と当時のニュートン派の説はほとんど同じになってしまったということでしょう。そもそも、朱子学の物質観と原子論が実証される以前の西洋説とは、それ以上にたいした違いはなかったのかもしれません。熱についても、西洋の「熱素(カロリック)」は、火の「気」と共通する考えのように思います。

 私は、以前から、日本近世天文学史の延長として、「日本近世物質科学史」に進みたいと思っていました。ここでいう物質科学は、鉱物学とか冶金術などとは少し違っていて、素粒子、原子、分子、結晶など(原子論でなく連続体でもよろしいのですが)の分類や構造の研究分野を指します。江戸時代以前の日本に、そこまで考える人はほとんどいなかったようで、志筑忠雄ほかの例外を除いて、だいたい朱子学の陰陽五行説の「気の伸縮」で止まっていたみたいです。でも、今、はからずも、「ハーシェル」のおかげで、その分野に多少なりとも踏み込むことができて、とてもうれしく思っています。
 

Re: 光と熱の正体に関する東西の説

 投稿者:管理人  投稿日:2011年11月12日(土)18時39分59秒
返信・引用
  おお、聾光と聞けば、確かに赤外線ぽく感じられますね。

文意が今一つ定かでないですが、この聾光というのは、光の一種というよりも、なんだか「光を聾する(遮る)性質・現象」という風にも受け取れますね。つまり、光と物体との関係は、反射、吸収(即ち聾光)、透過の3区分があって、それは物を形づくる分子の粗密によって異なるのだ…という趣旨かな?と思いましたが、前後の文脈が分からないので、あまり自信はありません。

「暦象新書」は、早稲田や慶応の蔵書がネットで公開されているようですが(後者はGoogle ブック)、崩し字でないのは幸いとしても、縦書きの本は頻繁に画面をスクロールしないといけないので、途中で目と頭が痛くなるのが難点ですね。どこかに翻刻(文字化)したサイトはないんでしょうかね。

光と熱の関係は、本当に古人を悩ませたようですね。
「暦象新書」が文字通り、John Keill の著作の翻訳だとすれば、その光と熱に関する理論は、師匠であるニュートンの説の敷き写しだと想像するのですが、だとすると気体も入り込めない稠密な金属「分子」の間隙にもエーテルが満ちており、その振動によって熱は媒介されるものの、光自体は微粒子なので、あまりにも稠密な空隙は透過できない、という考えが下敷きになっていて、志筑の文章も(この個所も文意が甚だ取りにくいですが)、何となくそういうことを言わんとしているのかなあ…と、これまた判じ物めいた感想を持ちました。


上原さんにとっては、先刻ご承知のことかと思いましたが、他の方からレスがないようなので、一応感想まで。。。
 

光と熱の正体に関する東西の説

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年11月 6日(日)18時40分14秒
返信・引用
  管理人様、「ラランデ暦書管見」に関する拙稿を「デジタルアーカイブ」にアップして下さり、ありがとうございます。

 その中で、志筑忠雄の『暦象新書』の「光明有体」の節の一部を引用しましたが、実は、その引用部分の少しあとにハーシェルに多少関係するのではないかという記述があります。光行差とは関係ないのですが、それをご紹介したいので、まずその部分を以下に引用します。

-----

『暦象新書』 中編下巻 「光明有体」より

物体の光明に於るに、三種の異あり、曰、反光、曰、聾光、(聾光は義訳なり、)曰、透光是也、反光は、青赤黄及び白をなし、影をなす、聾光は、光の線路を様々に屈曲して、体中に於て終に其速力を奪なり、聾光最多は、固有の黒色をなすと云り、今金と游気と、其実殆ど相同き時は、金も能透光すること、殆ど游気と相同かるべきに、然らざるは、体の駁雑によりて、聾光多が故なるべし、

[附]金の分子間隙にして、游気を容れず、水気を容れず、唯暖気精にして能入れども、而も猶入て、小分子相粘の力強く、其間隙微にして、暖気をも熱気をも(熱気は、火の精の暖気よりも多きなり、)容ざるに遇ては、如何ともすること能はず、唯光明は火の純精なり、(太陽の光の暑きは、人の体気に交て熱気となれば也)既に聾せるが故に、人得て見ざるのみ、光明既に斯の如し、況んや又天上至薄の気、(光明相反の通に在て、而も光明の行くに障碍するに足らざる者、光明に比するに精微なること甚き者は、常に能く金石土水の体中に貫通充満す、(以下略)

-----

 このように書くと、「聾光」=ハーシェルが発見した赤外線か、と思われるかもしれませんが、『暦象新書』中編が完成したのは1800年で、ハーシェルの赤外線発見とほとんど同時期ですから、志筑がそれを知っていたとは考えられません。ハーシェルに先行するなんらかの仮説(予言?)を西洋書に見つけたものではないか思います。

また、[附]の部分の光と熱の説が、西洋説なのか、東洋説なのか、それとも志筑の独自の説なのかが問題になります。「火の精」とあるのは五行説を前提としていますから、この部分は西洋説ではありません。では、伝統的な東洋説かと思って調べているのですが、今のところ、明文的に触れた文献は見つけていません。朱子学ほかの東洋哲学では、経世・民生の用をなさず、論争にもならない知識は敢えて議論されなかったということのようですので、光と熱が火の精であることはわざわざ書かずとも当然のことだったのかもしれません。なお、東洋の五行説は「原子説」ではないので、分子間隙の議論は西洋説です。

 以上、志筑の説は東西自説折衷であることは間違いなさそうすが、ルーツとなりそうな東西の説をご存じの方は、またご教授いただけましたらありがたいです。
 

英国WHSのロバートソンさんからの「WEBだより」第11号へのコメント(補足)補足

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年10月14日(金)07時18分36秒
返信・引用
  先ほどの書き込みでちょっととんちんかんなことを書いてしまったので補足させていただきます。
 ロバートソンさんのメールにある太陽黒点と気候の関係についてハーシェルが最初に指摘したことは、「WEBだより」の別記事で管理人さんが指摘された点でした。ちゃんと読まずに、見逃してしまったようなので補足させていただきます。ロバートソンさんはちゃんと読んでいらっしゃいました。

 ついでに宣伝をさせていただきます。太陽黒点の気候との関係については、私どもがやっている天文同好会の会誌に、天文学史の研究ではありませんが書いたものを掲載していますので、紹介させていただきます。

(西中筋天文同好会会誌「銀河鉄道」の一部)
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt32/solaract.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt33/solaract2.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt34/solaract3.htm
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt35/solaract4.htm



 

英国WHSのロバートソンさんからの「WEBだより」第11号へのコメント

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年10月13日(木)21時34分10秒
返信・引用
  管理人様、「WEBだより」第11号の編集と配布をどうもありがとうございます。
協会の皆様、「WEBだより」に掲載されている興味深い記事やコメントなどをありがとうございます。

そこに載せていただいた拙稿「ハーシェル協会『英国だより』」でも報告させていただきましたが、私たちは、「WEBだより」を英国のウィリアム・ハーシェル協会(WHS)にも電子ファイルのかたちで送っております。このたび、第11号を送りましたところ、WHSの会議録秘書の Brian Robertsonさんからご返事をいただきました。その内容のほとんどは、WEBだよりの内容に関わることのようですので、以下に全文そのままを引用させていただきます(全文そのままなら「引用」と言ってはいけなくて「転載」というべきでしょうか)

Dear Sadaharu,
thank you for your very useful information.
Emily Dickensen is well known here.
While Herschel's linking of sunspots to weather was ridiculed at the time, it it well recognised now, and very recently it is discoverd that the frequency of sunspots is linked to high upper atmosphere temperatures caused by ultra violet radiation from the Sun. This change in temperature changes world weather.
We in Bath are anticipating the 11th year of winter astronomy lectures by member Dr Rodney Hillier, on alternate Saturday mornings, always well attended and always intriguing subjects.
regards Brian R.

 ハーシェルの「太陽黒点と気候の関係の説」についての指摘がありました。私はこの説については知らなかったので、これがWEBだよりで渡辺さんと管理人さんが紹介下さっているディキンスンの詩もしくはハーシェルの太陽の固有運動説とさらなる関係があるものかどうか私にはわかりませんが、ここにもハーシェルの、一見突飛に見えても実は先駆的、という考えがあったということで面白いと思いました。後半は「英国だより」で紹介しました「連続講義」の詳細の紹介だと思いますが、11年目というのはすごいですね。

 WHSには、日本語が良く読める、という方は、あまりいらっしゃらないようなのですが、このような内容に関わる返事をもらってたいへんうれしく思いました。
 

佐藤明達氏からのコメントへのお礼と私のコメント(後半)

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年 6月12日(日)10時28分54秒
返信・引用
  一つ前の投稿の続きです(長くなったので2件に分けさせていただきました)

(3)ゲルテルの『一般地理誌』は、ご指摘の書かもしれませんが、景保蔵書本は1808年刊になっていますので、印刷された年代は、挙げていらっしゃる物とかなり違うようです。

http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/large/17_002_l.html

再版等についてはわかりません。帆足万里の『窮理通』に利用されたのはいつ頃かわかりませんが、自序を書いた1836年にまだ執筆中であったとすれば、1831年以降でもよいかもしれません。なお、私はこれを誤って『一般地理誌』と引用してしまいましたが、野村氏は『一般地誌』とされています。天文学に触れているという点で、日本語の意味としては「地誌」よりも「地理誌」あるいは「地学誌」とするほうが近いように思いますので、これでもよしとしてください。

(4)ハーシェルの「アステロイド」ですが、ハーシェル自身も発見した土星や天王星の衛星がアステロイドに含まれていなかったとすると、彼の提案の対象はケレスとパラスだけになりますので、佐藤さんがおっしゃるように、見た目のみならず、本質としての惑星の分類や生成理由にまで踏み込み始めていたということかもしれません。それは、ボーデの法則との整合をどのように考えたか、という点で、彼のものごとの見方や研究姿勢につながるものと思いますが、どのように結びつけたら良いものか私にはすぐにはわかりません。ハーシェル研究の上で、重要な点のご指摘だと思います。

 佐藤明達さんには、重ねてお礼を申し上げます。また、佐藤さん以外のお方であっても、以上の事項に関連するさらなる情報やご意見をご教示いただけますればありがたく存じます。
 

佐藤明達氏からのコメントへのお礼と私のコメント(前半)

 投稿者:上原 貞治  投稿日:2011年 6月12日(日)10時17分34秒
返信・引用
  管理人様、WEBだよりNo.10の編集、ご発送ありがとうございます。

 この場をお借りして、私が書いた記事に対して、佐藤明達さんからいただいていたご感想、コメントについて、お礼を兼ねてコメントのご返事をさせてください。

 はじめに、佐藤さんに深い感謝を述べさせていただきます。どうもありがとうございます。貴重なご見解、豊富なご知識に助けられるところが大きいです。

さて、今回は計4件についてコメントをいただきました。以下は、私からの感想と関連コメントです。


(1)山片蟠桃の『夢の代』に引用されている「ウイストン」=William Whistonは、けっこう有名な学者のようですが、「太陽明界説」がどこから引用されたのか、いまだに私はわかりません。これは、宇宙空間は恒星の一定近辺だけ明るく(太陽系で言えば大惑星の最外層の軌道(当時は土星、今は海王星)くらいまで)、他の広い空間は暗いという「宇宙明界暗界説」というべき説をふまえています。これは日本の何人かの学者が注目した西洋説であるにもかかわらず、どの西洋書から入ってきたのか、「明界暗界説」の原語は何なのかもわかりません。ご存じの方はご教授下さい。

高橋至時の「贈麻田翁」は、至時と司馬江漢が情報交換していたということ、それから、至時が「恒星の配置」という「大宇宙論」の問題を地球から見える太陽や惑星の運動と関連づけるというすばらしい達見にたどり着いた、ということを示す重要文献だと思います。

 関連して、トーマス・ライトの説は、「明界暗界説」とはやや異なり、ご指摘のように「銀河系説」に対応するもので、恒星が球殻状に分布していると天の川が円環状に見えることが説明できる、という意味のものと私は理解しています。ハーシェルの先駆者といえますが、説の内容は違うということです。ご紹介のベレンゼンの本は見ていませんが機会があれば確認したいと思います。高橋至時や山片蟠桃は、このような西洋書の趣旨を正確に把握することは出来なかったでしょうが、自身の洞察力でそれから感じるところを「自説」として認識したのだと思います。


(2)ハーシェルより先に赤外線を発見した人がいるという件ですが、これは、ご紹介の渡辺氏の論文を見るに James Hutton のことです。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007148705

ハットンは、実験結果を総合的に考察して見えない光があるという指摘をしましたが、赤外線の成分の所在を具体的に測定結果に示さず、推定しているだけなので、これは今日でいうところの「新物質の発見」とは認められないでしょう。「提唱」、「予言」には十分なると思います。それでも立派な成果であり、もしハーシェルの時代にノーベル賞があったなら、ハットンとハーシェルは同一テーマでの同時受賞になったかもしれません。

長くなりましたので、ここで切ります。続きは後半として投稿します。
 

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