ハーシェル関連史料
カロライン・ハーシェルの彗星捜索望遠鏡(4)


望遠鏡の行方

 1797年8月4日、いつものように捜索を始めようと夕空を見上げたとき、4等級の彗星を肉眼で発見しました。これがカロラインの発見した最後の彗星です。この後の捜索記録は急に少なくなり、他者の発見した彗星の位置を確認したり、時折彗星の捜索方法を幼いジョンに教えたりしています。ウィリアムが落ちつき、それまでの観測記録から論文を発表することが多くなったので、カロラインはその清書に取り組み始めたと推測しますが、熱が冷めたように彗星がカロラインから離れていきました。

 1817年の8月と9月に観測した記録に「台付きの小さな望遠銃は今はなくなっていて、大きな彗星捜索望遠鏡を使っています」と書かれていることから、107mm(2フィート)望遠鏡がもう解体されていることが分かります。そして光学系と数本のロープがハノーバーの歴史博物館に保存されています。カロラインは1822年にウィリアムが生涯を終えるとハノーバーへ帰りますから、光学系(鏡筒部分?)を持っていったのでしょう。

 5フィートの望遠鏡は1833年11月にジョンが南アフリカのケープタウンに行くとき、叔母カロラインから借りて持って行きました。20フィート大望遠鏡をはじめ多数の機材と家族たち20名近いケープタウン行きで、4年間南天の天体を観測しましたが、到着した1834年1月、機材の荷ほどきの初めにこの5フィート望遠鏡を取り出しています。この様子は2月にドイツの天文学術誌の創刊者H. C. シューマッハ (1780-1850) へ手紙を書いていることから分かります。

 叔母から借りた小さくてとても扱い易い口径9インチ、焦点距離5フィートの反射望遠鏡を、到着してすぐに我が家の庭に設置しました。南天の星と親しんでいます。

 また2月12日の目記にも「5フィートのニュートン式にフラウンフォーファー製プリズムアダプターを使い光量損失を軽減したため、光をたくさん集め、素晴らしい性能である」と記載されています。ちょっと気になる点はフラウンフォーファーが39歳で病没したのが1826年で、1822年にジョンはフラウンフォーファーを訪ねていますから、この前後に入手したプリズムを使っているということです。これは金属斜鏡の前に取りつけられるようなプリズム斜鏡のアダプターと推測します。ガラスの内面反射は全反射で(研磨面の精度にもよりますが)ほぼ100%です。内部吸収や空気界面の損失を考慮しても90%以上ですから、1.5倍も明るくなります。

 また叔母に借りた望遠鏡ですが、ケープタウンで使っているものの中に、2フィートを思わせる特異な形状の望遠鏡が見当たらないため、架台も相当に改造していることがうかがえます。あるいは前ページでの推測のようにありふれた形状なのでしょうか。もっとも、カロラインが使っていたオリジナルが分からないので、予備の主鏡を借りて斜鏡や架台は見慣れた形に作り直した可能性もあります。この5フィート望遠鏡はケープタウンから帰ると叔母に返しましたが、1840年にカロラインはD. J. F. ハウスマンに譲ってしまいます。その後の行方は分からなくなりました。

 その後、1844年にW. H. スミスが「天体の運行」を書くに当たってカロラインの使った彗星捜索望遠鏡についてジョンに手紙を送っています。このときの図がジョンの知っている望遠鏡と違うため、ジョンは図と返事を送りましたが、その図は2フィート(27インチとも表記されている)の小さな彗星捜索望遠鏡です。ジョンが幼いころにはすでに5フィートの望遠鏡を使っていましたし、ジョンもケープタウンに持って行っています。その5フィート望遠鏡で叔母が彗星を発見していたことを知らないわけはないのですが、使われなくなっていた小さな望遠鏡を思い出して説明しています。スミスの質問が2フィートの彗星捜索望遠鏡についてだけだったので、5フィートには答えなかったのかもしれません。(5フィートの架台は通常のものだった印象を受けます)。

 このため、現在残っているのは「ハーシェル嬢の最初の彗星捜索機、27インチの焦点距離」もしくは、「ハーシェル嬢が1785年にハノーバーで彗星捜索に利用した」というスミスの記載を使っています。ホスキン博士とウォーナー博士は、スミスの「天体の運行」以後の本に記載されている「カロラインの望遠鏡」のオリジナルの図がジョンのスケッチによるものであり、その裏側の構造をも新たに発見しました。((1)に載せた図です)。

あとがき

 原文にだいぶ手を加えてしまいましたので、ホスキン博士、ウォーナー博士の趣旨とは離れてしまいました。原文では「27インチとされている望遠鏡は、実は5フィートではないか」とされていますが、スケールを入れるとやはり27インチの図です。

 いろいろと私の推測を交えていますが、5フィートの望遠鏡の本当の形状はどんなものだったのでしょう。カロラインが彗星捜索をしていたころハーシェル一家が忙しかった件は、私が調べた加筆です。兄があまりにもパワフルで強烈に輝いているため、従順で控え目に見えてしまいますが、カロラインは歌手として、また観測家としても充分大成した人です。それにしてもカロラインは何という強運の持ち主なのでしょう。

 私も星空を眺めながら、彼女の生きていた時間と空間に想いを馳せています。

日本ハーシェル協会ニューズレター第103号より転載


デジタルアーカイブのトップにもどる

日本ハーシェル協会ホームページ