[2] 2番目はハーシェル・リゴレー周期彗星
第2図 1788IIの経路
小さいニュートン式反射望遠鏡で彗星を探していたとき、1788年12月21日の夜、こと座のベータ星の近くに星雲状の天体を発見した。ウィリアムもすぐに大きい望遠鏡で観測し、「かなり明るい星雲状で、不規則形であるが丸い形をしていて、中心部が明るい。コマ直径は5′か6′。M57より大きい」と記している。彼はさらに倍率を大きくして観測しようとしたが、彗星は北西の地平線に近くなったので観測できなくなった。ウィリアムは翌日も観測して、北東方向に動いていることを確認した。12月26日にマスケリンが観測し、1月3日にこの発見を知ったメシエも観測している。彗星は暗く、また月も明るくなってきた(1月13日が満月)ので 観測は困難となった。1月15日と18日にメシェンが、マスケリンは2月5日まで観測した。
放物線軌道をメシェンが計算したが、1922年にアメリカのパーマー (Margaretta Palmer) が双曲線や楕円など4種類の軌道を計算した。しかし位置観測の精度が良くなかったし、地球との位置関係も良くなかったためもあって、正確な周期を求めることはできなかった。しかし彼女はこの彗星は周期彗星の可能性があると考えていた。
彼女の予想はやがて正しいことがわかった。1939年7月28日にフランスのリゴレー (Roger Rigollet) が、おうし座に尾のない8等級の彗星を発見した。その翌日ヤーキス天文台でバンビース・ブルックが観測したときには、長さ3′ばかりの扇形の尾が見えていたという。そして8月初めに軌道を計算したカニンガム (L. E. Cunningham、カリフォルニア大学)は、この彗星はカロラインが見つけたものと同じであることに気がついた。8月9日にこの彗星は近日点を通り、その後は遠ざかって行った。
この彗星は今では35P/Herschel-Rigolletと呼ばれていて、第2表の軌道要素が計算されている。
近日点通過 |
近日点距離 |
軌道半長径 |
周期 |
軌道傾斜角 |
1788年11月20.6日 |
0.74902 |
29.76 |
162年 |
63.8° |
1939年8月9.5日 |
0.74849 |
28.84 |
155年 |
64.2° |
2092年3月16.4日 |
0.74988 |
29.22 |
158年 |
64.1° |
第2表 ハーシェル・リゴレー周期彗星の軌道概要
1788年と1939年はB. G. Marsden (1974) による。2092年は中野主一氏の計算である。
公転周期は約155年であるが、次回の近日点通過は中野主一氏の計算によると2092年と予想されている。この彗星の周期はハレー彗星の倍ほどあって、今までに2回以上近日点を通ったことが確認されている周期彗星の中で最も周期が長いものである。これは今から200年以上も前にカロラインが発見してくれていたおかげである。
なお、リゴレー氏はパリの天体物理学研究所に勤めていて、主に流星の観測をしていた人である。そして、流星のほか彗星や変光星の観測者むけの回報を編集し発行していた。1965年のイケヤ・セキ彗星が発見されたときには、いち早くこの彗星がクロイツの太陽をかすめる彗星群に属するものであることを指摘した(鹿瀬・関共著「彗星とその観測」恒星社厚生閣 1968 p. 111)。私は一度もお目にかかったことはなかったが、流星や彗星について度々文通した。そして彗星に関連する流星輻射点の予報を出版してもらったことがある。
日本ハーシェル協会ニューズレター第101号より転載
カロライン・ハーシェルが発見した彗星(3)
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