You go your way




     ――私は泣かない。

     あの子が幸せなら、それでいい。
     笑顔でいてくれるなら、それでいい。


     だから――
     幸せになりなさい。












「何や、和葉。こないなトコで寝とったら、風邪引くで。ちゃんと自分の部屋で寝ぇや」

リビングでウトウトしていた娘を、帰ってきた父が優しく揺り起こす。

「・・・うんー? ・・・ああ、お父ちゃん・・・お帰んなさい」
「ああ」
「・・・お父ちゃん、ご飯食べた?」
「まだや。何かあるか?」
「うーん・・・ご飯なー・・・」

夢半ば、というように、娘は目を擦りながら身を起こした。
父親は、脱いだコートやマフラーを自分の腕にかけながら、もう一方の手でネクタイを外す。

「何や、何もないんか?」
「やってなー、お父ちゃん、今日帰ってくるかわからへんかったからなァ・・・」
「そうか、何もないんやな・・・?」
「んーん。わからへんかったから、おでん作っといた。おでんやったら明日でも食べれるし」
「おでんか。外寒かったし、ちょうどエエわ」
「でもご飯はないよ?」
「おでんがあるんやろ?」
「うん。せやから、おでんはあるけど、白いご飯はないねん」

まだ眠気から覚めていないような、ボーっとした声を出しながら、娘はおでんを温め出した。





鍋の中で、ひしめき合っている様々な具たち。
出汁色に染まったたまごの表面が、艶やかに光っている。
大根にはちゃんと隠し包丁が入れられ、こんにゃくは白と黒、どちらも入っている。
昆布、げそ巻、ばくだんにはんぺん・・・他にも沢山の具が煮込まれている。
どれも父親の好きな具ばかりだった。

「ええ匂いやな」

背広から着物へと着替えた父親は、嬉しそうにキッチンへとやってきた。

「もう用意できるから、座っててや」

娘は、一瞬父親を振り返ると、開けていた冷蔵庫へと視線を戻した。
白い手が、オレンジの明かりを放つ中から、何やら取り出している。
おとなしく自分の席に腰掛けようと、踵を返した父親は
カウンターに上がっている雑誌が目に入った。
真白なドレスを着た外国の女性が、伏せ目がちにしているアップの表紙。
その脇に、大きなゴシック文字で書かれた言葉は・・・

   あなたは、結婚しますか? それともしませんか?

雑誌の持ち主は、お皿におでんを盛り付けていた。





遅い夕飯にありつけるまでニュースでも見ていようと、父親はリモコンへ手を伸ばした。
だが、中途半端な時間のせいか、ニュースはやっていなかった。
特に見たい番組もないので、たまたま選んだスポーツ番組を点けておいた。
元阪神の選手が、大リーグでのエピソードを話している。
何となしに画面を眺めている父親の前に、温かなお皿が差し出された。

「はい。具、とりあえず、こんなんでええ?」
「ああ。うまそうやな」
「あとは漬物と、おひたし」
「おひたしまであるんか? こんだけあれば十分やで」
「そう? 足らんかったら言うてや」

もうすっかり目が覚めたらしい娘は、父親の正面に腰を下ろした。
父親は「いただきます」としっかり手を合わせたあと、長い箸を動かす。
そんな父親の様子を眺めていた娘は、急に視線をTVへと向けた。

「あ、このCM・・・」
「ん?」
「アタシ、このCM、好きやねん」
「ほう?」
「このCMなー、お父ちゃん役しとる人が、ええ味出してんねん」
「お父ちゃん役?」
「そう。あ、ほら、この人!」

娘が指を向ける先に、恰幅がよく、屈強そうだが優しそうな男性が映っていた。

「ふーむ・・・あれやな、大滝に似とるな」
「えー? 大滝さーん? 全然似てへんて!」
「いやいや、よー似とるわ。大滝の親戚かなんかとちゃうか?」
「大滝さんの親戚ィ? 似てへんよー」
「似とるて」
「えー、お父ちゃん、目ェ悪なったんとちゃう?」
「そやろか? 最近、和葉が一段と可愛く見えるのは、そのせいやろか?」
「あ、さっきのナシ。お父ちゃんの目、ようなったわ」
「現金やなァ」
「・・・お茶、入れるわ」

席を立ち、キッチンの方へと向かう娘に苦笑しながら、大根へと箸を入れた。
おでんの出汁が、よく染みている。
下ごしらえが、しっかりされているのがよくわかる。
カウンターで急須にお茶の葉を入れている娘が、何だか急に眩しく見えた。




「さっきのCMなー、保険会社のCMなんやけど、特に保険の話はしないねん」

急須と湯のみ茶碗を載せたお盆を持って、娘が戻ってきた。
自分の席に座ると、急須をゆっくりと持ち上げた。
コポコポと、静かな音を立てて、お茶が注がれていく。
ほうじ茶の香ばしい匂いが、ふわっと辺りに漂った。

「さっき、父親役とか言うてたけど、ストーリー仕立てなんか?」
「そうなんよ。両親と娘2人の4人家族のお話なん」

お茶を注ぎ終わると、娘は一旦口をつむいだ。
はい、と、片方の湯のみ茶碗を父親に差し出し、自分の湯のみ茶碗を両手で包んだ。
ふーふーと息を吹きかけながら、娘はゆっくりとお茶を飲む。
半分ほど飲んだ所で、再び口を開いた。

「でな、今は父親から長女への視点バージョンのお話やねん」
「今は?」
「うん。この前は、母親から父親へのメッセージみたいなお話やってん。
ほんで今回は、長女がデートしてる所を、父親が見かけるトコから始まる話なん」
「何や、続くんか?」
「そうそう。最初は街でデートしてる所を見かけて、うちに帰るお父ちゃん編やってん。
そんで、さっきやってたのはその続きで、彼氏がお父ちゃんにご挨拶編。
それから、彼氏と将棋を指しながら、娘をよろしく編ってのがあって
たぶん次ので、父親から長女バージョンは終わりやろなーって感じ」
「そら確かに、保険の話はしてへんな」
「そうなんよ。でもな、ちゃーんと最後には保険と絡んでくるねん。それがうまいねんけど
アタシがこのCM好きなんは、父親役もそうやけど、みーんないい味出してるからやねん。
みんな口には出さへんのやけど、家族のこと大事に思ってるいうのは、ええよね」

娘は嬉しそうに微笑えむと、点けっ放しになっているTVへと、体ごと向けた。
そんな彼女の横顔を、父親はじっと見つめていた。
どこかしら凛とした雰囲気を持つ横顔。
当人はただTVを見ているだけなのだが、父親は何だか不思議な戸惑いが心に浮かんだ。

「・・・なぁ、和葉」
「うん?」
「あの雑誌やけどな・・・」
「雑誌?」
「ああ。カウンターに上がっとる・・・」
「あ、お父ちゃん、これこれ、これが最初! 早よ見て!」

父親の言葉を遮るように、娘の声が大きくなった。
おいでおいでをするように右手を動かしながら、早くTVを見るように催促する。
つられるように画面を見ると、先ほど話していたCMが流れていた。


帰宅途中の父親が、通りの向こうに長女を見かける。
声をかけようと車道の方へ近寄ると、娘の隣には知らない男がいる。
2人は手を繋ぎながら、楽しそうに歩いている。
父親は、何ともいえない表情をしている。
帰宅すると、玄関先の電話で話している母親の姿がある。
じゃあお姉ちゃん、お夕飯はいらないのね、という声が聞こえる。
マコトさんによろしくね、と言いながら電話を切る母親。
帰ってきた父親に気づくと、笑顔でお帰りなさいと言う。
父親の顔は、やはり微妙であった。


そんな話の後、会社の名前が表示される。
確かに、生命保険とは関連性が薄い導入である。

「お父ちゃん、ラッキーやねー。今のは最初やから、最近はあんまり流れてへんのよ」
「そうなんか? せやけどあの父親役、ホンマにうまい表情するなァ」
「そうなんよー! あの複雑そうな顔をするトコなんか、ええ感じやろ?」
「そやなァ。けど、やっぱり大滝に似とるで」
「似てへんて! あ・・・そう言えばさっき、雑誌がどうこう言うてへんかった?」
「雑誌? ・・・ああ、そやそや。カウンターに上がっとる雑誌やけどな・・・」
「ああ、あれ? あれな、占いがよう当たるんよ」
「占い?」
「そうやねん。毎週、服とか雑貨とか、テーマを決めた特集をやっとる雑誌なんやけど。
そういえば今週の特集、結婚がどうとか書いてあったけど、まだよう見てへんわ。
合間合間にあったウェディングドレスの写真とか、キレイやったけど」
「何や、占いか・・・」
「あ、お父ちゃん、占い信じるなんてアホやと思うとる?」
「どやろなー? 当たるも八卦、当たらぬも八卦やしな」
「そらそうやけど・・・」

少し不服そうな顔をした娘は、席を立ってカウンターにある雑誌を手に取った。
ペロンペロンと音を立てながら、ページをめくっている。
「お父ちゃんは何座になるんやったっけ・・・」とぶつぶつ呟いているあたり
どうやら占いのページを探しているようだ。
そんな娘の様子に、父親は少し目を細めた。

「お父ちゃん、ええ? 今からお父ちゃんの運勢、読むよ?
まず、全般は『あなたにとって、驚くべき発見があります。
今まで見過ごしていたことに気が付いたり、思いも拠らないことに出くわしたり。
あまりに意外な発見だったりすると、戸惑ったりするかもしれませんが
きっとあなたの役に立つものでしょう』やって。どう? 当たってる?」
「せやなぁ・・・」
「外れたん? でも、まだ何日かあるしなー」
「いや、よう当たるな、それ」
「なんや、当たってるんなら、当たった言うてや。で、何があったん?」
「まぁイロイロやな」
「イロイロー?」
「お父ちゃんとしては複雑なトコや」
「複雑ー?」

それは何なのかと聞きたそうな娘の口を封じるように、おでんの皿を軽くあげた。

「あ、おかわり? 何がええ?」
「いや、ええよ。自分で盛るわ」
「そう? でもアタシの方が近いし、するよ?」
「そらスマンなァ」
「ううん」

軽く持ち上げていた皿を、カウンターにいる娘へと渡す。
何を盛ったらええ? という声にかぶさるように、チャイムが鳴った。

「誰やろ、こんな時間に?」
「ワシが出るから、和葉はそこにおるんや」
「うん」

ピンポーンと、もう1度チャイムが鳴った。
立ち上がった父親は、インターホンのモニターを押して、訪問者が誰かを見た。
すると、そこには一人の少年の姿が映し出された。

「何や、平次くんやないか」
「えっ、平次?」

娘が、一瞬嬉しそうな、でも複雑そうな顔をしたのを、父は見逃さなかった。
3たび、チャイムが鳴る。
父親はインターホンの応答ボタンを押して、訪問者に応えた。

“・・・はい、遠山ですが”
“あっ・・・オッチャン! オレ、です。平次ですけど・・・”
“どないしたんや?”
“ちょっと・・・和葉に用ありまして・・・”
“こんな時間にかい?”
“すんません・・・”
“まァ、ちょう、待っててや”

再び音声ボタンを押して外と遮断すると、改めて娘の方を見た。
娘は不安そうな顔で、父親を見ている。

「平次くん、和葉に用あるそうや」
「うん・・・」
「まァ、こんな時間やから、普通やったらアカンけど」
「うん・・・」
「平次くんやからなァ」
「・・・・・・」
「外は寒いから、上がってもらいなさい」
「うん。 お父ちゃん、ありがとう」

さっきまでの不安そうな顔が払拭され、晴れやかな笑顔が娘に浮かんだ。
嬉しさのあまりか、おでんを盛る菜箸を持ったまま、玄関へと向かって行った。
仕方がないので他の菜箸でおでんを盛って席に着くと、TVはスポーツ番組が
ちょうど終わり、先ほど話していたCMの3番目にあたる話が流れていた。


娘の彼氏と将棋を指す父親の姿。
父親が、指し手をゆっくり考えていると、相手が真剣に父親を見て
「手加減は、しないでください。僕も全力でやりますから」と言う。
父親は返事をする代わりに、小気味いい音を立てて駒を進める。
縁側で、パチン、パチンと打つ音だけが響く様子を、遠くから長女がのぞいている。
心配そうな顔をする長女に、お茶を持ってやって来た母親が微笑みかける。
盤上に駒を置きかけ、父親は一瞬だけ相手を見た。
「・・・娘を、よろしく」
そう言うと、決めの一手を指した。


会社名が浮き上ったのでそれで終わりかと思ったら、また父親役が出て来た。
どうやら、この続きらしい。


夕方、縁側で爪を切っている父親に、長女がお茶を持って来る。
「お父さん・・・」と話し掛けるが、父親は返事をしない。
もう1度声をかけるが、やはり返事をせず、爪を切りつづけている。
諦めて立ち去る長女に、「幸せにしてもらうんだぞ」とだけ声を掛けた。
長女は頷き、笑顔を浮べつつも目が潤んでいた。
長女が立ち去った後、入れ替わりに母親がやって来た。
父親は爪を切りながら、「母さん、アレはどこだっけ?」と尋ねると
母親は二つ返事でパンフレットを取り出した。
それは保険会社のパンフレット。
「マコト君には、仕事も将棋も、頑張ってもらいたいからな」と言う父親に
母親は優しく頷いている。
再びパンフレットがアップになると、ポタッと水滴が落ちる。
「・・・あら、お父さん、涙は早いですよ」「これは夕陽が目に沁みただけだ」
などと話している2人の背中が映り、会社名が浮き上った。





「あ、オッチャン、こんばんは。遅くにすんません」

CMを見終わった後、父親はおでんに箸をつけるわけでもなく、考えていた。
しばらくすると、聞きなれた少年の声が思考を中断させた。

「おう、平次くん、いらっしゃい」
「ホンマ、こんな時間にすんません」
「せやなァ。あんまり感心せえへんけど、急ぎやったんやろ?」
「まぁ・・・」
「いつもこんなんやったら困るけど、ちゃうしな」
「はい」
「まァ、せっかく来たんやし、おでんでも食うて行きや」
「おでん? 外、めっちゃ寒かってん、頂きます」

そう言いながら、少年は彼女の指定席に腰を掛けた。
腰掛けたのち改めて正面を見ると、目前に座っている彼女の父親と
少年の後に続いて戻ってきた彼女が、おかしそうに笑い出した。

「和葉、何笑てんねや?」
「やって平次、お父ちゃんと同じコト言うてるんやもん」
「あん?」
「お父ちゃんもな、おでんや言うたら、外寒かったからちょうどええって」
「そうなん?」

少年は、「ふーん」と何やら噛み締めるように頷くと
「そやオッチャン、こないだの鶴橋での事件やけど・・・」と、全く違う話を始めた。





少年が帰った後、親子2人はゆっくりとお茶を飲んでいた。

「お父ちゃん、先にお風呂入ってや」
「そうか?」
「うん」
「ほんなら、先、入らして貰おか」

コトッと湯のみ茶碗をテーブルに置き、立ち上がろうと腰を浮かせると
TVから今日は何度も聴いた曲が流れてきた。

「あっ! お父ちゃん、新しいバージョンが流れてる!」

娘の声にチラリとTVを見たら、やはり先ほど見たCMが映し出されていた。
「幸せにしてもらうんだぞ」と、部下に少し似た父親役が呟いている。
その言葉に頷く長女の姿を見て、ふと目の前の娘を眺めた。
自分もいつか、あの父親役のような日を迎えることがあるのだろうかと思ったら
一抹の淋しさが胸に訪れた。
TVでは、涙のワケを「夕陽が目に沁みて」と答えている。

「・・・はぁ・・・やっぱりええCMやったなぁ。お父ちゃんも、そう思わへん?」
「・・・・・・」
「お父ちゃん・・・?」
「うん・・・? ああ、そうやな」
「どうかしたん?」
「いや、ワシやったら、ああは言わへんと思てな」
「そうなん? どこが?」

娘の言葉に返答することなく、父親は軽く目を閉じた。
暫くそのままでいたあと、ゆっくりと目を開けて娘を見た。

「・・・なぁ、和葉」
「うん?」
「お前も、幸せになるんやぞ」
「・・・うん」
「お前が大事やと想う相手と、一緒に築いていくんやで」
「うん」
「相手にして貰うんやのォて、一緒に幸せを築いてけや」
「・・・はい」
「さて、そしたら入ってくるかな」








     ――ワシは泣かへん。

     和葉、オマエが幸せなら、それでええ。
     笑顔でいてくれるんやったら、それでええんや。


     だから――
     幸せになりなさい。

     オマエが一番愛する人と一緒にな。








これは、大阪から帰る途中、遠山親子のお話を書きたいわ、と思ったのが始まりです。
で、どんな話にしようかなー、ってイロイロ考えていたのでゴザイマスが
気づけばこんな話ができあがりました。
実際、和葉ちゃんが結婚するときは、どんななんでしょうねー?
そして、お相手はどなたなんでしょうねー?
ふふふv








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>>>> Detective CONAN






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