It's just love





「平次、あんた和葉ちゃんがおらんようになったらどないすんの?」

土曜日の昼下がり。
平次は家で遅い昼食を取っていた。
空腹を満たすことに意識が向いていたためか、目の前に座った母親からの言葉は
思わず耳から通り抜けて行きそうだった。

「今、何か言うた?」
「せやからあんた、和葉ちゃんがおらんようになったらどないすんの、と聞いたんや」
「どないしたん? 和葉、どっかにでも行くんか?」
「そんなんとちゃうわ」
「それやったら何で?」
「最近和葉ちゃん、うちに遊びに来ぇへんやろ? あんたに愛想尽きたんとちゃうやろか?」
「はぁ?」
「平次、あんた何か和葉ちゃんのこと怒らせたんやないの?」

神妙な面持ちでこっちを見つめる母親を、訝しそうに見返した。

「別にいつもと変わらへんけど。和葉かて忙しいんやろ。ガキの頃とちゃうねんから、
しゃーないやんけ」
「そらまあそうやけど・・・。和葉ちゃん、あんたみたいな子にはもったいないエエ子やろ?
いつ愛想尽かしてしまうかわからへんしなァ・・・」
「・・・オカン、どっちの親やねん」

思わず箸を止めてしまった。

「そんなんあんたの親や。せやけど和葉ちゃんは娘と同じや。あんなカワイイ子はそうおらへん
っていうのに、いつかこのうちに来ぇへんようになってしもたら、そんなんイヤやわ」

そんなこと、考えてもみなかった。
自分の傍に和葉がいる。
それはとても自然なことだった。
振り返ればそこにいる。
そんな存在だった。

「・・・何ぬかしとんねん。和葉がおらんようになるわけないやろ?
あいつのことや、そんな心配せえへんでもそのうち遊びに来るて」
「まあどこかにお嫁に行くまでは来てくれるかもしれへんけど・・・。
お嫁に行ってしもたら、その先はわからへんしなァ・・・」
「・・・ご馳走さん」
「なんや、もうエエの?」
「腹いっぱいや」
「お茶は?」
「いらん」

投げやりな言い方で席を立ち、少し乱暴に襖を閉めると、自分の部屋へ足を向けた。
そんなふてくされたような態度を、母は静かに眺めていた。

「和葉ちゃんのこと、気にはなってるみたいやね」

テーブルに残された食事もまたそれを物語っていた。
いつもの半分しか食べなかった息子。

「和葉ちゃん、うちにお嫁に来てくれたらエエのになァ・・・」

自分用に注いだお茶には、茶柱が立っていた。





部屋に戻ると、ベッドに横たわりながら母親の言葉を思い起こした。

―自分の傍から和葉がいなくなる―

そんなこと、特に深く考えたりはしなかった。
どんなことがあっても和葉はいつも自分の傍にいた。
あたりまえのように隣にいた。
その和葉がいなくなるなんて、そんなこと考えられなかった。

(・・・けど、ホンマにそうやろか?)

絶対に離れない、そんな保証はどこにもないのだ。
夢中になったらどこまでも突っ走って行ってしまう自分。
後先など考えない。
とにかく思いのままに動いてしまう。
そんな自分の帰りを「しゃーないなァ・・・」という顔をしながら、いつも和葉は待っていた。
どんな時でも待っていた。
それどころか自分の後を追いかけてくることもしばしばだった。
だからその和葉がいなくなるなんて考えられなかった。
考えようともしなかった。

(せやけど美國島の件もあったしな・・・)

走馬灯のように、次々と和葉の顔が浮かんでくる。
他愛もなく話す顔。
じーっと見つめる顔。
呆れた顔。
困ったように眉根を寄せる顔。
少しムキになって怒る顔。
慌てふためいた顔。
ビックリした顔。
安心した顔。
キョトンとした顔。
穏やかに眠る顔。
照れるとうつむきがちになる顔。
その瞳にいっぱいの涙を溜めた顔。
そして――

――嬉しそうに笑う顔





―和葉はただの幼なじみ―

そう思っていた。
実際そうだった。
和葉が自分にとって特別な存在なのは今も昔も変わらない。
ただその“特別”の意味がいつのまにか変わっていた。
和葉のことを直視しづらくなったのもそれからだ。
あの大きな瞳で見つめられると、自分の気持ちが見透かされているような感じがする。
それを隠すかのように、最近はついジトーッとした目で見返してしまう。

(あないな態度、今時小学生でもせえへんわな・・・)

笑顔ではもう隠しきれないこの気持ち。
誰よりも大切なその存在。
けど今はまだこう答えてしまう。

「和葉はただの幼なじみや」。

――自分に嘘をついた。










(和葉がおらんようになる・・・ねぇ)










――ピリリ・・・ピリリ・・・

静まり返った部屋に、機械音が響く。

――ピリリ・・・ピリリ・・・

携帯のディスプレイに、メール受信の知らせが映る。
友達からのメール。

「ヒマだったら遊びに来い」。

ほんの一瞬だけ迷い、平次は部屋を後にした。










「アタシやったら今すぐにでも会いたいんやけどなァ・・・」

蘭との電話を切った後、自分の口からこぼれた言葉につい苦笑してしまう。

「毎日会っててこれやもんな」

蘭はどうして平気なんだろうか?
いや、平気なはずがない。
平気じゃないけど我慢している。
愛しい人はどこにいるのかわからない。
どうやったら連絡を取れるのかも教えてくれない。
今日も元気でいるのかどうか、そんなことすらわからない。
たまに掛かってくる彼からの電話。
それが無事を知らせてくれる、ただ一つの証だった。

「連絡先を教えようとしないのが新一の意思だったら、私は待つしかないもの。
どんな事情があるのかわからないけど、新一が話したくないんだったらしょうがないじゃない?
だからね、今はただ無事に帰って来て欲しいなぁって思うよ」

電話の向こうで少し無理をして笑っている蘭の顔が浮かんだ。
穏やかに話すその声が、微かに震えていた。

「無事に帰ってきて欲しい」。

その気持ちが痛いほど伝わってくる。
それは自分も同じだから・・・。

できるものなら毎日会いたい。
一瞬でもいいから会いたい。
それがダメならせめてその声を聴かせて欲しい・・・。
でも電話の向こうの友達は、それすらもかなわない。
自分からは動けない。
そんな状態に疲れてしまわないのか、和葉は心配で仕方がなかった。

「アタシで良かったらなんぼでも頼ってや」
「和葉ちゃん・・・ありがとう」





「ほなまたね」

そう電話を切ってからどれくらいの時間が経っただろう。
電話をしていた時はまだ傾き始めたばかりだった太陽が、いつのまにかすっかりと沈んでいた。
明かりもつけないままの部屋で、ひとり、素直になれずにいた・・・。

「平次に会いたいなァ・・・」

そう言えたらどんなにいいだろう。
いつも言いたいことを言えるのに、肝心な自分の気持ちは伝えられない。
そこには、ただ意気地なしな自分がいた。

「会いたいから会いに来たなんてゆうたら、平次、どないな反応するやろう?」

驚くだろうか。
笑うだろうか。
それとも戸惑うだろうか・・・。
会いに行くのに理由をつけなければならない、そんな今の関係が嫌だった。





「本当にどこに行ってるのかしらね? あの探偵さんは・・・」

蘭の声が頭の中でよみがえる。
いつも突然どこかに行ってしまう幼なじみ。
事件となるとすぐにいなくなる。
会いたくても会えない。
それがいつ永遠になってしまうかわからない。
もう会えないかもしれない。
あの笑顔が見れないかもしれない。
そう考えただけで戦慄が走った。

「会いたいんやから、会いに行こう」

暗い部屋の中で、携帯の小さなボタンを押した。





「何で出ェへんの・・・?!」

携帯はコール音が鳴らずに留守番電話に転送される。
何度か掛け直しても一向につながらない。
念のため家の方にも電話をしてみたが、こちらも誰も出ない。
出ないとなると余計に悔しく、だったら家まで行ってみようと思った。

「それでもおらんのやったらしゃーないもんな」

自分に言い聞かせるようにそう呟いた。






外は雨が降り出していた。
昼間は気持ちのいいほど澄み渡った空だったが、秋の天気は変わりやすい。
雨雲が月を覆っていた。
しとしとと静かに降り注ぐ秋雨になんとなく濡れてみたくなり、そっと傘をおろした。
花のように開いていた赤い傘が、きれいな弧を描いて細くなった。
雨でぼんやりと光る街灯が、そっと長い影を作り出していた。



・・・会える、会えない、会える、会えない・・・

いつもだったら軽い足取りも、今日は一歩一歩踏みしめる。
数え切れないほど通ったこの道を・・・。
幸いにも雨は激しくならず、平次の家に着く頃には月明かりが零れかけていた。





そっと呼び鈴を押してみるが誰も出ない。
もう一度、もう一度だけと押してみるものの、返事はない。
広い家に虚しくその音が響く。

「ただちょっと会いたいだけやのに・・・」

視界がうっすらとぼやけ、雨で濡れた頬に温かな滴が伝わりだす。
なぜこんなに不安になるのかわからない。
たまたま留守にしているだけなのに、もう二度と会えなくなるのではないかと考えてしまう。

「蘭ちゃんはいつもこんな気持ちと闘っとるのやろか・・・?」

気丈に振る舞う彼女を思い出す。
不安にならないわけがない。
辛くないわけがない。
なのにいつもあんなに明るくしてて・・・。
それが却って切なかった。



壁にそっともたれながら、暗闇に落ちる雨をぼうっと眺める。
上がらない雨はない、なんて言葉を思い出してみる。

(平次も工藤君も、早よ帰って来てや・・・)



「あれ、和葉?」

懐かしい声がした。
聴きたくてたまらなかったその声。
視線を上げると、その声の主は不思議そうにこちらを見つめていた。

「どないしたんや、そないに濡れて。傘、無かったんか・・・って持っとるやん。何かあったんか?」

会いたかった。
会いたくてたまらなかった。
不安でいっぱいだった涙が、安堵の色に変わって頬を伝う。

「何泣いとるんや? 腹でも痛いんか?」
「・・・そんなんちゃうわ」
「ほんならどないしたん?」
「・・・雨にな、雨に濡れてみとうなったんや・・・」
「あん?」
「・・・クシュン!」
「アホやなァ。秋雨は体冷やすから風邪引きやすいんやで? 
それやのに雨に濡れてみとうなったやなんて・・・ほら早よ来い。うちで乾かしてけや」

空いているほうの手で白く冷えきった細い指を引っ張る。

「何や、めっちゃ冷たいやん! 早よ上がれ!」

いつもの怒鳴り口調が、今日は嬉しかった。





「で、どないしたんや? 何や用あったんとちゃうか?」
「・・・・・・」
「和葉?」
「・・・平次がな、おらんようになってしもた気がしたんや・・・」
「はぁ? 何ゆうてんねん」
「さっき蘭ちゃんと電話しててな、何や急に不安になってしもうて・・・」
「ああ、工藤のことか。そんなに心配せえへんでもええんちゃうか?
生きてるんやし、ちゃんと姉ちゃんに連絡しとるんやろ?」
「せやけど蘭ちゃんのこと考えると・・・」
「工藤も工藤でちゃんと考えてることあるはずやで?
それにこればっかりは当人同士の問題やからな。
おまえもオレも、黙って見とるしかない。冷たいかもしれんけど、そやろ?」
「・・・・・・」
「和葉は姉ちゃんの力になったればエエやんか」
「平次・・・」
「ったく、おまえがそないに落ち込んでどないすんねん」
「そんなんゆうても工藤君がおらんようになってしもたんは探偵やっとるせいやろ?
そしたら平次かて・・・そう思ったら・・・」
「それやったらオレらも同じや」

平次の真っ直ぐで、でもどこか苦しそうな瞳・・・。
今まで見たことのない表情だった。

「えっ・・・?」
「・・・確かにおらんようになってしもたんは工藤の方や。
けど姉ちゃんがいつまで自分のこと待っててくれるんか、あいつかて不安なはずやで?」
「それやったら何で帰って来ェへんの?」
「工藤には工藤の事情があるんやろ」
「自分の大事な人泣かせてまで帰れへん事情って何なん?」

ゆっくりと、視線が外されていった。

「・・・さあな。ただ信じて待っとったれや。必ず帰って来るってなァ」
「信じて待ってる・・・?」
「そうや」
「平次は? 平次はどうなん?」
「オレはおらんようになったりはせえへん」
「ホンマ?」
「ホンマや」
「ホンマにホンマ?」
「ホンマにホンマや。そうゆうおまえの方がどっかに行きそうやな」
「何ゆうてるの。平次やあるまいし、アタシがおらんようになるわけあらへんやろ?」
「・・・それ、ホンマか?」
「ホンマや」

こっちを見てニコニコと微笑んでいる。
さっきまで今にも泣き出しそうな顔をしていたのに・・・。
だがその笑顔にホッとした。
母親の言葉を深く考えるのは止めた。

(まあええか。今はまだ・・・な)

本当の気持ちはもう少しだけ、自分の中に隠しておこうと思った。




雨はすっかり上がっていた。
縁側に腰掛けながら夜空を見上げる。
先ほどの雨が上空をきれいにしていったのだろう。
星がきらきらと瞬いている。

「そや和葉。おまえ最近うちに来ぇへんかったけど、忙しかったんか?」
「ベツにそうでもないけど。何で?」
「オカンがな、最近和葉が来ないから淋しい言うてたで」
「そうなん? 嬉しいわ」
「せやから時間あったら顔出しに来いや」
「うん」

和葉が嫁に行く話までしていたことは、なんとなく言えなかった。

「なあ平次」
「何や」
「さっきは何で携帯出ェへんかったの?」
「携帯?」
「そうや。何べんも電話したんやで?」
「おう、それやったら充電切れてしもたんや」
「あ、そう・・・」
「何べんも掛けたやなんて、そんなにオレの声が聴きたかったんか?」
「何ゆうてんの。自惚れんのもええ加減にしとき」
「誰が自惚れてるやと?」
「平次がや」
「何やと?」
「・・・なぁ平次」
「あん?」
「もうすぐ満月やな」
「ハーン、満月になったらおまえの顔みたいやな」
「へっ?」
「真ん丸ってことや」
「へーいーじィーーー!」


星が静かに流れて行った―――












かなり加筆しております。
特に前半はかなり加えてあります。
前のをご存知の方、ゴメンなさい。
これも元々はあるお方とあるお方にお贈りしたものです。
お気づきの方はお気づきかもしれませんが、
これはMI○IAのある曲を聴きながら作りました。
イメージには程遠い、結局は海月の拙い文の羅列です。










>>> novel

>>>> Detective CONAN






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