お見合い放浪記


2000/3/10
 うっかりばらしたら、友人がどうなってんのか聞いてくるので
 いちいち説明するのも面倒だから、発表しますけど
 長いので覚悟して読むように
 長いけど、たいした内容ではないので期待しないように
 
 始まりは親族の新年会でした。

 私の母方の親類は毎年2日に都内某所に住む祖父母宅に集合します。
 祖父母や祖父母と同居している叔父には時々会うのですが、もう一人の叔父の一家にはその時にしか会うことはありません。 母は3人兄弟の真ん中で、兄はバツイチの独身。弟の子供は私の兄弟の一番下よりもちょっと若くて、要するに孫の中で私が一番年長なわけです。

 その私がまだ独身で、私の弟妹も独身で、従兄弟たちはまだ結婚しそうな年齢ではないわけで、祖父母 はまだ曾孫を望める状況ではないわけです。そういうわけで年長の私に期待がかかるのは仕方ないのですがこればかりはどうにもなりません。どうにもならないが、毎年その話題を振られるのも仕方ないと諦めていましたし、たいてい笑ってごまかしてました。

 そういうわけで、今年もそういう話題にはなっていたんだろうけど、私はどうも聞き流していたようです。
 しかし、数日後、母から電話がありました。
 「Tおじさんが言ってた話、どうする?」
 Tおじさんは、母の弟で埼玉で中学校教師をしています。私はそう言われても、なんのことか思い出せず「はあ?」とか言っていたら、「ほら、教え子を紹介するって、言ってたじゃない」と母。

 それでちょっと思い出したのですが、おじさんが酔った勢いで「教え子にミヤノに合いそうなのがいるんだ」 とか言っていたような・・・でも、あんまり真剣に受け止めていませんでした。しかし、母はその話に乗り気になったようで(補足すると、ここ数年母の最大の懸案は私の結婚で、あんまりそのことばかり言うので、私はすっかり実家に寄り付かない親不孝娘になっていました。)勝手な憶測ですが、おじに電話して詰め寄ったのではないでしょうか?

 うわあ、どうしよう、と正直言って思いましたが、ここで「そんなのやだ」と言ったら最後、またお説教が始まるのが恐ろしかったので、「まあ、別に会うのはかまわないよ」と返事しました。しかし、恐ろしいことに(結局、恐ろしいことになったわけだ)、その30分後に、叔父からも電話が入りました「会ってくれるって?」「うん、いいよ」そんなカンジであっさり引き受けたのですが、またすぐに母から電話「どうだった?」って言われても・・・・まだ何もしてませんって・・・・・

 とにかくこんな調子で事ははじまりました。
 叔父はあまり世慣れた人ではないので、私に「お相手」の説明をする際にも、延々と「これまでのいきさつ」を語るのですが、その内容といったら

「N君のクラスはなんだか知らないけど、クラス内結婚が2組もでて、それで僕は担任だから呼ばれて、そのたびにN君とも会ったんだけど・・・
云々・・・長い・・・)」
私 「まあ、そういうのはどうでもいいけど、その人はお勤め先はどこなの?会社名じゃなくて場所はどこ?」
叔父「彼は、すごい真面目なやつで、お父さんが公認会計士で、本人も昔から公認会計士一筋で、大学入って、ええと大学はどこだったかなあ?うう、忘れたけど、どっかの大学入って、それですぐ会計士の資格取ったんだよ」
私 「うん、うん、大卒で公認会計士なのね。それはいいんだけど、今はどこで働いているの?」
叔父「だから、公認会計士・・・」
私 「そうじゃなくてね、お見合いするのはいいけれど、家が遠いとそのあと続かないだろうなと思ったの。おじさん埼玉だし。でも職場が都内ならかまわないかなって思ったから、場所を聞いてるの!
叔父「場所はわかんないけど、K市に住んでるらしい」(K市は都下で世田谷とはそれほど離れていない)
私 「それを聞きたかっただけ・・・」

 とりあえず、私のお相手は公認会計士であること、真面目で朴とつな性格であること、雰囲気が私の父に似ている等の情報を得ましたが、父に似てるっていわれてもねえ・・・たしかに私の父は無口でぼんやりしているし、熱が出ても会社に行くくらいまじめだし、いかにも「いい人」なんですが、あまり恋人にしたいタイプではないです。
 それに、私はそういう温和な部分、悪くいえば周囲に無関心なところがとても父に似ていると自覚しているので、その性格が憎めないのではありますが、同時に文字どおり近親憎悪の感情も持っているわけで、複雑な心境でありました。しかし、叔父はあくまでも教師という立場の人間ですから、彼に対する評価を鵜呑みにしていいのかも疑問です。

 それからしばらくして、我が家に謎の電話がありました。受話器をとると「ピーーーヒャラ〜〜」FAXです。うちにはFAXないのに、誰だァ、もしかすると叔父かなあと思っていたら、その夜一通のメールが入りました。従兄弟からでした。正月に会ったときにお互いにポストペットをやっているということで「ペットのスキルアップのためになる」とアドレスを交換したのです。一回ペットをやり取りしましたが、年に一回しか会わない従兄弟同士ではあまり書くこともなく、それっきりになっていたのに・・・・・と、やな予感がしましたが、思った通り内容は叔父が
書いたものでした。

 多分FAXしようと思ったのだけれども、送れなかったので、息子のメール環境を使ったようなのです。(そのあたりの向こうの家族のやり取りも想像すると怖い)内容は、叔父の教え子であるNさんが、私と会うことを承諾した経緯が綴られていました。Nさんが書いたメールの内容がそのまま転記されてました。

 叔父はどうも彼に、私を紹介する手紙を書いたようで、その手紙もそのまま転記されていました。そして、その中には衝撃的なことが!どうやら私の写真を送ろうとしたらしいのですが、何せあまり親しい付き合いをしていないものですから、私の最近の写真なんて手元になかったようなんですね。しかし、叔父の手紙の中には
「一応、ミヤノの写真を添えておきます。最近のものがなくて申し訳ないのですが、この写真は多分、ミヤノが小学校6年か中学1年のときのものだと思います」・・・・・って、一体何送ったのオジサン!
 私はあんまり自分の容貌には執着しないほうですが、それでもさすがに、そんなハナタレのころの写真を見合い相手に流されたとなると、目眩がしました。
 まあ、それでも、そんな世間知らずの叔父が私のために苦心してくれているのだからと、必死に自分を押さえました。
 Nさんが叔父に書いた手紙は、「元生徒が恩師に書く手紙」の見本にしてもいいくらいの完璧な内容でした。文章もしっかりしていました。彼が真面目で頭の良い人物だということが伺いしれましたが、なんかご立派すぎてちょっとしり込みがしました。

 その後、叔父からスケジュール確認の電話が入ったので、都合のいい日を知らせると、
 「場所はどこにしたらいいんだろうなあ」
と、聞くので、もう適当にやってくれい!と思いましたが、中学教師の叔父に、気の利いたところくらい知らないのかと責めても気の毒です。
 「普通は、ホテルのティールームとかじゃない?」
と優しくアドバイスしてあげましたが、
 「ええ?ホテル?それじゃなんか緊張しないか?」
と、素直に言うことを聞いてくれません。それどころか、「実は居酒屋とかにしようかと思っていたんだけど、家族が猛反対するんだよ。変かなあ?」

 変です。叔母や従姉妹が反対するのが正しい。でも、私はそれを説明するのも面倒なので「それで、いいなら私は別にかまわないよ」と、投げやりな返事をしておきました。ただ一つ不安材料として、正月親族が集まったときにA市(やはり都下だが世田谷からはやや遠い)に昨年オープンした父が勤める会社の経営するホテルの話題が出ていました。埼玉の叔父の家からは、それほど遠くはないので、叔父も「そのうち見学に行ってみるよ」などと言っておりました。私が「ホテル」と言ったので、多分叔父はあのホテルを思い浮かべるのではないかと思い、
「A市のホテルは遠いから嫌だからね。新宿あたりにしてよね。新宿だったら、ホテルもいっぱいあるし、居酒屋でもなんでもいいから」
と、念を押しておきました。

 数日後、また母から電話があり
「おじさんに、場所をどこにしようかって相談されたわ」
とのこと。
私「ホテルのティールームでいいのにって言ったんだけどなあ」
母「ホテルだとフランス料理になるのかなあって心配してたわよ」

見合いでフランス料理?いったいどうしたらそういう発想になるのでしょうか?

母 「私はお父さんのところのホテルがいいんじゃない?って思うんだけど」
私 「私が遠いからイヤ!相手は中央線沿線らしいし、おじさん西武線だから新宿かもしくは吉祥寺にしてくれって言ったの。そうすれば私も楽だし・・・」
私 「あら、その人中央線なの?だったら、うち(国分寺)にすればいいじゃない!」

お母さん、旧家の跡取りの一人娘ならともかく、現代社会のサラリーマン家庭で、だれが家に見合い相手を呼び付けたりしますか?だいたい、相手だって、いきなり両親立ち会いでお見合いなんて嫌でしょう?

 と、絶叫しそうになりましたが、とりあえず
「そんなの絶対にイヤ!」
 と言うのが精一杯でした。母は、「あら、そう?」と、あまり気にしていないようでした。

 そんなこんなで、日取りは1月末に決まり、場所も結局叔父がA市のホテルに決めてしまいました。あれだけ、言っても無駄だったのです。日曜日でしたので、私はせめてもの反抗心から「時間は午後2時以降にしてください。午前中は寝ています」とメールを書きました。「遠くて面倒なのに、そのために早起きなんかできないよーん」という気持ちを込めたつもりです。 
 希望通りに2時にしてくれました。

 当日、中途半端な時間なんで、とちゅうで軽く昼ご飯食べようと思って早目に家を出たのに、吉祥寺に着いたら「国分寺で人身事故発生のため中央線は停止しております」とのこと。なんと不吉な・・・・もう、帰ろうかとも思いました。結局、電車が動くのを待って、なんとか2時10分くらいにホテルのロビーにたどり着きました。
 どの店に入ろうかということになって、私は正直に「何も食べてないので、軽食ができるところがいい」と言うと、叔父もNさんも昼食は食べていないということでしたので、まだランチサービスをしていたイタリアンレストランに入りました。

 Nさんの印象ですが、あとから考えると「説明のしようの無い人」というかんじでした。中肉中背眼鏡有普通顔普通服装。
 まあでも、「こんな人ぜったいイヤ!」という印象は皆無でしたので、これはお見合いの出発点としてはかなり上々らしいです。(あとから友人にそういわれた)話ぶりも、きちんとしていて、あまり積極的に喋るのではないが人見知りでもないという、不気味なほど無難な雰囲気です。
 相手はともかく、私は緊張すると余計に喋る方なので、何を話したかよく憶えていませんが、けっこう飛ばしていたような気もします。しかし、ここで書かねばならないのは、叔父と私とのやりとりでしょう。

 仲人役になっている叔父はいろいろと話題を振ってくるのですが、それらがいちいち的確に「外して」いました。
 例えば、急に「ミヤノはさあ、雅子様に似てるよな」(そのとき雅子妃は妊娠報道で騒がれた直後でした)
 ?????どこが?何が?顔も全然似てないし、学歴も職歴も全く及ばないし、「え?どこが?」
叔父「雅子さまも昔、ソフトボールやってたんだって。ミヤノもやってたんだよなあ」
 おいおい、それだけかあ?

叔父「ミヤノのチームは強かったんだよなあ」
私 「おじさーん、確かにそうだけど、私あんまりソフトボール好きじゃなかったんだよねえ。強かったけど、その分練習もきつくて大変だったんだよ。あれで私はすっかり運動嫌いになっちゃって、未だにスポーツの趣味はないんだよ」
叔父「運動といえば、(Nさんに向かって)ミヤノのいた小学校は運動が盛んで全国的にも有名だったんだよ」

 この時点で私が認識したことは、叔父は私に関する最近の情報をよく知らないらしいということです。だって30歳を過ぎた娘について語るときにどうして、中学校の部活動や、さらに溯って小学校の話題になるのでしょうか?
 
 ちなみに小学校の話題は地雷でした。私の通った小学校はたしかに「体育教育モデル校」でしたが、なかなか問題のある学校でした。悔しいのはその当時私がその事実に気がつかなかったことです。だって他を知らなかったのですから、比較のしようがなかったのです。その怒りはたまに爆発しますが、まさかこんな初対面の人の前で、そんな危険な話持ち出さなくても・・・知らないってコワイ。
 というわけで、ミヤノは暴発しました

 「おじさん、悪いんだけど、私あんまり小学校の話はしたくないんだ。あそこで学んだのはまさに軍事教練だったね。毎日勉強しないで体育ばっかり、運動会の前は行進の練習一日中やってるんだよ。転校生は逆上がりができなくて登校拒否続出だったし、先生はみんな体育教師で馬鹿ばっかりだったし、それでもみんあ、こんなもんなのかなあってがまんしてたんだよ。今にして思えば、あそこにいて良かったなあと思えるのは、現在の北朝鮮とかの鎖国国家を考えるときに国民は外を知らないから上から押しつけられてもそれになんの疑問も抱かないし抱けないっていう閉鎖社会の状況がかなりリアルに理解できるということかなあ。ナチス時代の感覚も私には理解できるよ。だってあのころの私は、運動音痴のやつは人間じゃないって思ってたもん。あの場で、逆上がりができない人間は殺しましょうっていわれたら、殺ってたかもね。ハハハハハ(ヤケクソの笑い)」

 我ながらお見合いの席にふさわしくない話題でしたが、叔父もさすがにやばいと思ったらしく話題を変えてきました。
「そういえば、N君にミヤノの写真を送っただろう?」
 この件についても、私は黙ってられませんでした。さらに暴走します。
「おじさんのためを思って一言言っておくけど、子供のころの写真をこういうときに送ってはいけないよ。私は姪だから笑って許すけど、自分の娘(私には従姉妹。大学生)にこんなとこしたら、下手すりゃ3年は口きいてもらえないよ!」
 叔父はきょとんとしてました。しかし敵もさるもの、Nさんに向かって、
「でもさあ、あの写真見たでしょう?それで、実際今のミヤノを見ても、そんなに変わってないっていうか、雰囲気はあるでしょ?」

 おいおいおい!おじさん・・・私にケンカ売ってどうする!
 私は思わずNさんがどういう答えをするのか注目しました。多分、やや睨んだのだと思います。
 恩師のいうことに、良き生徒であったNさんは、一瞬「そうですね」と言いかけたようにも見えましたが、私の剣幕を恐れてか、一呼吸置いてから「まあ、でも・・・やっぱり変わってますよ・・・」と言ったので、とりあえず合格。なかなかそつがない。

 そんなこんなで、Nさんがどんな話をしたのかあまり記憶になくて、叔父の天然ボケばかりが印象に残っています。
 まあ、それでもお見合いとしては間違った方向でも「話ははずんだ」部類になるのではないでしょうか?
 さて、夕方になったので、その店は出ることにしました。そのあとどうするのかなあ、と漠然考えつつ2人の後をついて歩くと、真っ直ぐ出口に向かっていきます。ホテルのロビーを抜け、自動ドアが開いたところで叔父が
「こういう場合、今後のことはどうすればいいのかなあ」と何やらつぶやき始めました。外は寒いし、そういうのは中で言えばいいのにと思いましたが、叔父も慣れないというか初めてなので仕方がない。3人で立ち止まりました。

 私はチラリとNさんの様子を伺いましたが、特に何か発言しそうにもない。外は寒いし、私は帰るならとっとと帰りたかたったので
「じゃあ、こうしましょう。Nさんも私もメールアドレスは持っていますから、今後の連絡はメールで取合うというのはどうですか?」
それならと、Nさんはそこでやっと名刺を下さいました。私はアドレス入りの名刺を持っていなかったので、「では、すぐにこちらにメールを書きますから、それで私のアドレスをお知らせします」ということで収まりました。
 叔父は「そうかあ、インターネットでねえ」とかなんとかぶつぶつ言ってました。
 おいおい、なんで私が仕切ってるんじゃ。

 ホテルから最寄りの駅までは徒歩5分強なのですが、Nさんは車で来ているので送ると言い出したので、駐車場に向かいました。そこには燦然と輝くベンツのワゴン車が!ちょっと心が揺れた。「もしこの人と結婚することになったら免許とろう」「おだてれば、ポルシェとか買ってくれるのかなあ?」
 そんなよこしまな妄想にふける私を知ってか知らずか、Nさんは叔父に「家まで送りますよ」としきりと説得していますが、叔父は頑なに拒んで、最寄り駅で降りて二人で電車に乗って帰りました。叔父は下り方面。私は上り。一人でぽつねんと電車に乗って家路につきました。

 その夜また母から電話
「どうだった?」
「よくわかんないけど、もう一回くらい会ってみるつもり」
「そうなのー。ところで、近所の奥さんが、知合いのお嬢さんの結婚相手を探してるって話をするから、S(私の弟)の話をしたらねえ、その奥さんの娘さんが去年見合いして静岡に嫁いだらしいんだけど、こんないいお話があったならその時にまとまってくれれば、あんな遠くに嫁にやらなくても済んだのにっていうのよー。だから、これはうかうかしてられないと、Sの写真も配ろうかと思ってるんだけど、あの子の写真もあんまりなくて正月来たときに取った半纏着ている写真でもいいかしら?」
「やめたほうがいいと思うよ」

だって、弟は年末Y2K対応で会社詰めのあと帰省(っつても都内から都内ですが)してきて、みるからに疲れきっていたし、そんな状態でだらけている姿の写真みせても、やる気のなさが伝わってしまうだけではないですか。

 「でも、あんたもあんなに見合いは嫌がっていたけど、ちゃんとセッティングすればなんとかなるのがわかったから、がんばらなくちゃ」
 がんばってくれるのはありがたいけど、なんか犬猫の貰い手探しているみたいで、ちょっと悲しくなる。もしくは奴隷商人につかまったアフリカ原住民の気持ち満喫といったところか・・・

 それでも翌日Nさんには早速メールを書いた。
 「あまりじっくりお話もできませんでしたので、せっかく叔父が慣れないことなのにセッティングしてくれたわけですし、もう一回お会いしたいですね」といった内容。
 返事も来た。まあ無難な内容。また日にちを調整しようということになったが、私は暇だが、先方は本業以外にも副業(大学の講師)もやっているので、なかなか忙しそうで、2月後半になるとのこと。まあいいやってカンジだったが、その後電話があり、「あんまり間が開くのもなんですので、2月中旬に時間が取れそうだからどうでしょう?」ということなので承諾。さて、場所はどこにしようという話になる。お互いの中間地点だと吉祥寺あたりだが「どこか、お店はご存知ですか?」吉祥寺のクラブに一時は狂ったように通いつめたが、最近はほとんど行ってないし、だいたい食事っていってもデニーズくらいしか行かなかった。結局、彼がその日は新宿から来るということなので下北沢にする。お店の選択も私に任された。

 当日は予報では雪だったので心配したが、まんまと予報は外れた。
 下北沢はこれといった待ち合わせ場所がないし、相手は不案内なので駅前広場にした。日曜日にしては空いているかんじだったが、それでも人は多いので顔を憶えているかが不安だったが、相手はちょこんと立っていた。好き嫌いのないのを確認して、最近ひいきにしている、というか、下北で食事するといったらそこしかない「アフリカ料理屋」に直行。駅から離れているし、あまり知られていないので小さい店ながらいつも程よく空いていて、友達とゆっくり語り合いながら食事をするのにはいい店なのだ。
 ところが、その日に限って混んでいた。2人座れる席はあったのだが、隣のグループの話し声がややうるさい。
 まあ、それでどうしたかというと、まあ普通に話しをした。旅行の話とか・・・。で、9時くらいになったら彼が
「なんか眠たくなってきたんで帰ります」
というので、さっくりと帰った。
 そんだけ。
 
 なんかいまいち盛り上がらないなあ。
 たしかに頭良くて、ちゃんとした仕事をしていて収入もありそうだし、変な人ではないんだけど、何か足りないなあ。
 叔父が私たちを会わせようとした理由の一つに「二人が似ている」というのがあったけど、たしかにその通りだと思った。
 淡白なカンジなんだ。
 私にしても彼にしても「どうしても結婚したい」という意志が欠けている。でも、相手がどうしてもというのなら多分、しかたないと思ってある程度は引き摺られるのだろう。でもお互いに他人のペースを乱してまで相手に介入しようという気力がない。そういう2人が何度会ってもあまり話は進まないと思う。

 そう思ったんだけど、まあ別に嫌なわけではないし、このまま立ち消えになったらまた母に何言われるかわからないので、とりあえず翌日メールは書いたけど、何を書いたらいいのかさっぱり思い付かなかったので、「私がお見合いしたのをうっかり言ったら、友人がみな探りを入れてくるので、その対応が大変です」と本当のことを書いたら、返事来ないや。何か気に障ったかしらん?

 というわけで、現在の状況はこんなところ。
 私がひたすら脅えているのは母がこんなんで納得するかということだ。それだけが、マジにコワイ。
 Nさんに一筆書いてもらいたいなあ「お嬢さんとはもうお会いしたくありません」とかなんとか。

  (2000年3月1日現在)
 


 

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