私は誰?ここはどこ?

ゴールデンウィーク 自由研究の顛末を報告する


 2000年5月10日
 今日は体調不良のために会社を休んでしまいました。午後になって少し良くなってきたけど、やはりなんだかだるい。
 こういうコンディションの悪いときに書くような内容ではないのですが、逆に言えば体調と文章の内容がばっちり合っているということでもあるので、自分を鍛えるためにもがんばってみましょう。
 

長年の計画をついに実行するときが来た

 最近、私のパソコンにもようやく「グラフィック系ソフト」が搭載されました。写真画像が加工できるのです。しかし、デジカメなど持っていないので、ちょっと持ち腐れていますが、それでも友人が撮影してくれた写真などを加工して遊びながら、だんだんと機能がわかってきました。
 さて、「写真を加工できる」ということで、真っ先に私がやりたいと思ったことがあります。
 それをいつから考えていたのかは憶えていないのですが、かなり前からだと思います。

 「顔の右側だけで構成した顔と左側だけで構成した顔を比べてみる」

 と、文章で書くとわかりづらいのですが、「人の顔というものは左右対称ではない」ということことで、左右で分けると顔の印象そのものが違ってくるし、写真を合成して右側だけの顔を作ると左側の顔との印象の違いが明白になる、ということを実証してみたいと思ったのです。
 たまにいますが、右目が二重で左目が一重の人なんかは、手で片方の顔を隠すだけでその印象の違いが明らかです。たいてい、一重まぶたの顔の方が「悪いかんじ」になったりします。そこで、「悪人顔」の方だけくっつけて合成したら、相当悪い顔付きになりそうなので、面白そうだなあ、なんて思っていましたが、やっとそういう加工ができる環境が整い、自分の単純な好奇心が満たされるときが来たのだと多いに期待していました。

まず自分で実験してみよう

 この実験計画は自分ではかなり面白いと思っていたのですが、他人に話してもたいてい「ふーん」と流されてしまうので、自分の中では興味深々でも、一般的にはどうでもいいことらしいには気が付いていました。私の好奇心というものはたいてい世間一般の興味とはやや外れる傾向にあることは重々承知しています。
 それに友人たちにしても、自分の顔写真を他人に勝手に加工されるのなんて嫌でしょう。
 そこで当然、最初に実行するのは「自分の顔」になります。
 ただ、少し問題だったのは、私の顔はそれほど劇的に左右が違っていないようだということです。ですから実験としては、あまり面白い結果にならないのではという懸念がありましたが、それでも人間の顔なんて全く左右対称ということはありえませんから、それなりに面白いものが出来上がるのではないかとも思いました。

 先週の休日にデジカメを所有している友人宅に遊びに行った際に「自分の顔を加工して遊ぶから写真撮ってね」と、友人に説明して、なるべく正面から均等になるように撮影してもらいました。友人はさっそく画像をメールで送ってくれたので、いよいよ実験開始です。なにやら夏休の自由研究をやっている小学生のようにわくわくしてきました。

楽しい実験に潜む罠

 さて連休中の真夜中、私は一人パソコンに向かい、自分の顔写真を加工しはじめました。
 まず、写真を水平180度回転させます。いわゆる「裏焼き」にします。

 「あ!これが私の顔だ」
 
 そうです。いつも鏡で見ているのはこちらの顔なんです。写真に写った顔というのは、「写真でしか見られない」のです。いつも写真を見るたびに「写真写り悪いなあ」と思いますが、当たり前です。自分では馴染みのない顔なのですから。同じような現象に「録音された自分の声に納得がいかない」というものがあります。
 
 そういう仕方の無いことに対しては今まであまり深く考えたことがなかったのですが、改めて「他人が見ている私」と「自分が見ている私」とを並べてみると、だんだんと悲しくなってきました。
 「他人が見ている私」については、私自身も写真などで確認することができます。私がもしも人気女優だったら、常にその自分を目にすることになるでしょう。しかし、もう片方の「自分が見ている私」というのは、まず他人の目に触れることはありません。私以外の人が見たことのないものを私は「自分の顔」だと信じて、毎日それを元に化粧したりしているわけです。そして、自分が納得した「画像」の常に「裏焼き」なものを他人に見せているのです。
 そう考えると「自分が鏡で見ている自分の顔」というものの存在がとても不憫に思えてしかたがありません。
 自分ではそれこそが「自分の顔」なのに、自分でしかそれは見ることができない。なんと儚い存在なのでしょう。
 そして、自分ではなかなか見ることができない、馴染みのないほうの「自分の顔」で、毎日勝負(?)しなくてはならないというジレンマを感じます。

 そんな今更な「自分とは何か?」な思考の深みに期せずしてはまってしまいましたが、この実験の目的はそんなしょうもないこと考えることではないのだと気を取り直して、先に進むことにしました。

さらに襲いかかる深い罠

 さて、元の写真と反転させた写真を真ん中で切り取って、まず右側だけの顔を作ってみました。ふむふむ、たしかになんか変な顔ですが、かといって「こんなの絶対に人に見られたくない!」というほど、納得できないようなシロモノでもありません。そりゃ、もともと自分の顔なんですから、それ以上でもそれ以下でもないわけです。
 次に、左側もやってみました。ほおー。さっきのとはやっぱりちょっと感じが違う。それほど左右が異なる顔ではなくても、やはり左右はこれだけ印象が違うのだと感心します。

 そして、完成した2つを並べてみました。
 どちらも元は自分の顔です。でもその2つは全然似ていないのです。似てはいないけれど、自分としては両方とも遠いものではなくて、なんとなく親しみはあるのですが、でも違う顔なのです。
 左顔の方が、やや女性的で従順そうで優しい感じ。右顔は、やや男顔になり、多少意志の強さが出ている感じです。
 どちらが好きかというとけっこう悩みそうです。微妙です。

 なるほど。こういうふうになるのか。と、ぼんやり2つの写真を見比べていたら、だんだんと気分が悪くなってきました。手ブレした映像を見ているときの不快感に似ています。多分、三半規管に似たような働きをするものが働いているのだと思います。「自分だけど、ちょっと違うもの」を頭の中でそのブレを必死に修正しているようなのです。
 その心の仕組みには同情しますが(すいません、持ち主が変なことやるから・・・)、それでも、自分の顔写真を眺めて「生理的不快感」をもよおしているという事実に対して不快になりました。

 もっと、それが「うわあ!ぶっさいく!」とか健康的に笑い飛ばせるようなものであればよかったんですけど、そこまでのものでもなくて、なんか微妙なのがなんともいえないわけです。
 
 そして、さらに元の写真と反転した写真と右顔と左顔の4枚を並べたら・・・・

 どれが本当の自分の顔なのか分からなくなってきそうで怖い!

 そして、また最初感じた恐怖に戻ります

 そもそも、「本当の自分の顔」って何?
 

結論

 以上のように、私のささやかな「連休中の自由研究」は惨澹たる結果に終わりました。
 
 当初の目論見では自分の顔で最初はやってみて、その成果を餌に他人にも勧めてみて、大勢の人の顔写真を加工してみたら面白いのではないかと漠然とした計画があったのですが、その順番は間違っていたようです。最初に他人の顔をやっていたらこれほど落ち込まなかったでしょう。そういう意味では自分の図太さを過信していたようです。

 私って、自分で思っていたよりも繊細だったのね・・・

 ということにしておこうと思います。
 ちょっと違うかもしれませんが、そういうことにしておけば、なんとなく落ち着きますので、私がこれ以上このことを考えて「病気」になるのを防ぐためにも、これを読んだ方も「そうか、ミヤノさんは意外と繊細だったんだ」と無理矢理納得しておいて下さい。

 自分の顔を科学的(?)な目的のために使ってはいけません。
 今後は芸術への貢献のために使用する道を模索したいと決意しました。美しく加工して自己満足に浸ろうと思います。私の腕前が上達したら、他人の写真も加工させてもらえることでしょう。がんばります。

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