餅投げについて夜明けまで語ろう


 2000年10月7日
 私はよく人と話していると「いろいろなこと知ってるねえ」と感心されます。「知っている」と「理解している」はまた別であるということはわかっておりますが、なんにでも興味を持てばそれなりに首を突っ込む性格故に、普通の人と比べれば守備範囲は広いかもしれません。
 でも、それは所詮、飲み会でおじさんたちの会話にもそこそこついていけるという程度の威力しか発揮しないことも事実です。

例:江川卓は作新学院出身である。作新といえば、船田元は落選しちゃいましたね。「空白の一日」の江川がまさか今みたいにタレントになるとは思ってなかった。そういや、江川が投げてたころの巨人のセカンドにはシピンっていましたよね。

 この程度は一般常識だと思っているのですが、「変なことに詳しいね」と、あまり釈然としない評価を戴いてきましたので、自分でもなんとなく「私って雑学が豊富なのね」と思い込んでいました。なので、自分の知らないことは一般的にとるに足らないものであるか、もしくはレベルの高いものや、マニアックなもので「一般常識」の範疇ではないだろうという、漠然とした基準を作っているようです。

 そのような傲慢さが、今回のやりとりを生みました。

 和歌山県出身の友人Aは、最近望郷の念にとらわれているのかなんななのか、酔っ払うとよく「餅まき」の話を始めます。
 Aは幼少の頃から、その行事に情熱を傾けていたようで、成人して故郷を出てからも帰省した際に近所で餅まきがあると聞けば、必ず駆けつけるそうです。
 Aによれば、餅まきとは、棟上げのときに行われるそうですが、その近辺では例えばアミューズメント施設のオープンイベントなどでも行われるようです。餅まきをするとなれば、近隣の方々が駆けつけて賑やかな催しになるのでしょう。Aに餅まき必勝法などを語らせるといつまでも話しています。

 私は「餅まき」というのを見たことも聞いたこともなかったので、その話が始まるとただ「へえ〜」と聞いているしかないのですが、私の突き放したような受け答えがシャクに障るのか、Aはよく

「なんで、東京では餅を投げないのよ!」

 と、からんできます。
 そう言われても、私は代表的な東京人ではありませんし、私が育ったのは千葉県のベッドタウンなので、伝統的な行事というものが存在しえない地域でしたし、それに高校は佐倉市にあり、それなりに歴史のある(西の長崎、東の佐倉とうたわれたらしい)城下町で、生徒はその周辺の農村部出身者も多かったのですが(専業農家の子もちらほらいました)そういう行事についての話題になったことが記憶になかったので、

「東京は別としても、千葉でも聞いたことがない。その行事はきっと、和歌山ローカルなのか、関西ローカルなんじゃないの?」

 と、言い返しました。
  
 それに対するAの反論

 たしかに元々は関西の習慣だと思う。でも、かなり古くからあるはずなので、関東や全国に移住した人たちが、その習慣を広めなかったはずはない。他にだって関西発生の行事で今でも全国で行われているものは多々あるではないか。棟上げを祝うということ事体は廃れていないのに、なんで関東では餅を投げるという棟上げのハイライトを割愛してしまうのだ。あんな楽しいものをやらないなんて信じられない。
私 「う〜ん・・・・お説ごもっともだけど、それは私じゃなくて、和歌山出身の人が関東で家を建てたときにやってるかどうか問い詰めてみたほうが・・・・少なくとも、私は餅まきは知らないから、もし今住んでいるところ(世田谷区)でやっていたとしても、参加しないだろうねえ」

A 「なんで?なんで拾いに行かないの?」

私 「だって、まず自分がここの人間ではないとい気持ちもあるし、いきなり他人のお祝い事に飛び入りするっていう習慣がないし・・・・」

A 「え?でも、餅投げてくれてんだよ?拾うでしょ、拾ったほうが楽しいでしょ!」

 なんだか論点がずれてきました。まあ、酒飲みながらの話だったので、こうなってしまったのです。
 
 「お祝い事には飛び入り参加してはいけない」というイメージは、たまたま通りがかった教会から新郎新婦が出て来たとしたら、「わー結婚式だ!ピューピュー!」と野次を飛ばして盛り上げるのはかまわないが、そこで通り掛かりの人が花嫁の投げたブーケを受け取ることは反則であるということからです。

 なので、いきなり餅がまかれていても、それを拾っていいとはわからないし、もし拾って「誰、この人」と思われるよりも、知らん振りして通りすぎてしまうと思いました。

A 「拾いたければ、拾えばいいじゃん?なんでそこで人目を気にするわけ?」

 「餅まき」と幼少のころから親しんできたAと、そういう感覚がない私では、話しは平行線になってしまいます。素直に「うんうん、餅まきって楽しそうだね、やってみたいな」と言っておけばいいのでしょうが、素直じゃない私は、へ理屈を言って自分を正当化しようとしていました。何に対して「正当」なのかわかっていないのに・・・

 ともかく私は、私なりに「新興住宅地で餅をまかない理由」を考えました。
 

 家を建てる人は、そりゃあ故郷でやっている行事をやりたかっただろう。でも、東京郊外に一戸建てを建てる人たちの多くはその土地では新参者である場合が多い。いきなり見知らぬ土地で餅を投げるのは勇気がいることと思われる。それに地域の情報ネットワークに参加していないので、いつ棟上げをするかということも伝わらないので、参加者を募りにくい。
 それに、そこに住む人達が餅まきという習慣を知らない場合も想定できるので、そういうことを考えると、やらないほうがいいのではと考えるだろう。家の建築を受け持つ工務店などでも神官の手配はやってくれるだろうが、「このあたりじゃあ、餅は投げませんねえ」とか言いそうである。
 A 「そんな・・・やりたい人はやればいいんだよ!そいう周囲に合わせようって感覚は理解不能!」

 と、Aは「横並び感覚」を日ごろから異常に嫌うので、からんできますが、私もそうなると引っ込みがつかなくなり、口からでまかせを続けます。
 

 だいたい、私の育った地域では、「故郷の伝統行事」というものがほとんど見られなかった。もちろん、それぞれ出身地はバラバラだったし、それに地方から直接移住してきた人もいたけれども、私の家のように、その前の世代が戦前の農村から東京に出て来たという人々は、そもそも「風習」を引きずってきていない。

 そして、これは私の勝手な憶測だが、なんかみんな「地方色」を消すことを良しとしていたような気がする。消すというか、もっと消極的に「出さない」という感じ。数十坪の土地を所有しても、気分は「間借り人」なのだ。

 京都のように、間借り人たちがその土地の風習に取り込まれるくらいの確固たる文化が存在している土地ならそんなことは起こらないんだろうけど、「ニュータウン」に関しては、元々の住民の数も少なく、多くが小さな農家でそっちはそっちで流入者に馬鹿にされないように土地を売った金で豪邸建てて外車を買って息子らを東京の大学に入れて(もう耕す土地は無いのだ)「小金持ち」への道を歩んでしまい、新参者に土地の風習を伝える作業はしていなかった。

 そんな環境の中で「私の出身地ではこういう風習があったんです」と、例えばいきなり餅をまくというのは、とても勇気のいる行動なので、たいていの人はやらないだろう。
 

A 「つまり、恥ずかしいっていうこと?」
私 「そうとも言えるかなあ・・・なんか田舎じみたことは嫌うんだよなあ・・・」

 別に餅まきのことを否定したつもりではなかったのですが、Aは愛する餅まきを「恥」とまで言われたことに、かなり気分を害された様子でした。

 ニュータウンの話はいいとしても、私が気になったのは「江戸時代」の江戸では餅は投げられていたのかどうかです。これについては私もAも江戸文化についてあまり詳しくなかったのですが、仮に江戸で行われていたとしたら、東京で「餅を投げる」という風習がもう少し残っているのではないか。と、勝手に仮定してみました。(田舎の風習はかっこ悪くても、多くの人は江戸の風習には無条件降伏しますから)

 だとすると、なぜこの風習が江戸では行われなかったのか?(行われていたのならスイマセンです)
 というところに話題が変わりました。(繰り返しますが、酔っ払い同士の話であります)

私 「これは今思い付いたんだけど、さっきも話したように、近所で餅がまかれていても、通り掛かりの私は多分拾わないというのは、なんか拾うということに疾しさがあるんだよなあ」
A 「どういうこと?」
私 「なんかねえ。土のついたものを嫌うんだよね、多分。相撲から来てるのかなあ?地面に手を着くのがあまりいいことではないっていうキモチは深層にあるような気がする」
A 「なにそれ?全然、意味がわからない・・・・」
 

 これも、東京ローカルなのかもしれませんが、道端や駅のホームなどに落ちている10円玉や1円玉が誰にも拾われることなく放置されている光景はよく目にします。たぶん、100円玉だと拾うのでしょうが、「落ちているお金を拾う」という行為はけっこう勇気が必要なはずです。それは単に「さもしいから」ということだと思っていましたが、もしかすると「拾う」という行為そのものになにかタブーがあるのではないかと思い付いてしまいました。

 それと江戸話が結びついて、縁起かつぎが大好きだった江戸っ子は「拾う」ということが好きではなかったのではないかと思ったのです。地面に屈むという体勢がなにかいけないような感覚です。それはひょっとしたら「農作業」に対する反発のキモチだったのではないか?と、かなり思考がぶっとんでしまいました。

 それは行き過ぎですが、やはり江戸の住宅事情を考えますと、町民の多くは「長屋住まい」だったわけで、「持ち家」に住んでいた人は少なかったのだと想像できます。落語の知識くらいしかないけど・・・
 そして、大家さんと店子の間にはあまり上下関係はなかった印象もあります。

 そうなると江戸の一般市民としては、家を新築するということはかなりの贅沢です。そして、もし仮に商人として成功した越後屋さんが、母屋を立て替えたとして、その屋根に登って餅をまき、近隣の町民に拾わせるという行為は、「平等原則」に反する行為となってしまうのではないでしょうか?
 せいぜいやっていいのは、お祝いに訪れた方々にお酒を振る舞う、しかも杯をちゃんと手渡して、というくらいでしょう。

 餅をまくというと「鯉にエサやるわけじゃないし、そもそも食べ物はあんまり投げてはいかんのではないか」というへ理屈を言いたくなります。(本当に素直じゃないですね)

 ニュータウンの話に戻りますと、そこでもやはり同じことが言えると思います。家を新築するという行為はあまりひけらかしてはいけないという気分が存在すると思います。なので内々で祝うのはいいとして、近隣の住民まで巻き込むことには疾しさがあるような気もします。長年培ったヒエラルキーが存在しないので、逆にそういうものには敏感なような気がします。

 さて、話を元に戻しましょう。
 「餅まき」なんか知らなかった私は、私の育った地域で行われない理由について、こうして勝手にでっちあげて語っていました。
 そして、これを考えていた時点では「ローカルな行事」だと信じて疑ってなかったので、別にわざわざ首都圏でやるほどのもんではないんでしょうというようなニュアンスで話すので、それがAの神経を逆なでしたようです。それでも、

A「都市部やともかく、ぜったいに全国的に分布しているはず。だってあれは楽しいんだもん。楽しい行事は残るはず」

 というAのとてもシンプルな反論は、それなりに説得力があったので、「どの程度、広まっているのかなあ?」と思い、私のページを御愛読してくださっている奇特な方々に情報提供を呼びかけたところ・・・・

 びっくりしました。かなりメジャーな行事だったんですね。もしかして、知らないのは私だけなのか?
 育ってきた環境が環境ですから、仕方ないといえば仕方ないのですが、今回の出来事で私が今まで抱いていた、自分に対する評価が変わらざるを得なくなりました。

 「どうやら、今まで自分は普通の住宅街で育った、一般的な育ちの人間だと思ったけど、もしかして、私のようなお育ちのほうがマイナーだったのか?特殊な環境で育っていたのか?」

 今後はLOUD MINORITY(United Future Organization 通称UFOの出世曲)をBGMに謙虚な気持ちで発言したいと思います。

 そして、「自分が知らないから皆も知らないはず」という傲慢な考えを粛々と反省することにいたしました。 

 反省の意味をこめて、餅まき/餅投げにはいずれ一度参加してみたいと思っております。



 これを書くにあたっては、大勢の方から掲示板の書き込みや、メールをいただきましたが、そのわりにはあまり反映されてませんね(笑)
 「東京ではなんでやらないのか?」という問に対して「それは家の敷地が狭いからだろう」というお答えをいただき、目からウロコが落ちました。それで全てを説明したことにもなりませんが、その答えを私がしていれば、朝まで語り合わずに済んだと思いま
す。今度はそう答えようと思いました。

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