江藤淳って誰?


2000年12月24日
 20世紀末の自分は踊ったり、唄ったり、飲んだり、食べたり、そんでまた踊ったり、飲んだり、裁縫したり、長電話したりと、とても充実した「世紀末」を過ごしておりましたので、ここんとこ日記以外の文章を書いていませんでした。

 実は隠れてこそこそ書いてはいたのですが、あまりこれといったものが書けなかったので3つほど中途のまま放置してあります。こんなとき「文筆業じゃなくてほんとによかった。締め切りもないし、誰も催促してこないもんね〜」と負け惜しみでしかないことを呟いてしまいますが、やっとなんだか落ち着いた週末がやってきましたので、しかもクリスマス・イヴだし、全然関係ないこと書いて憂さを晴らそうと思います。

 さて、これは半年も前の話ではあるのですが、当時はこれを公表するのが恥ずかしくてためらっていましたが、世紀も変わることだし、来世紀になったら「前世紀のお馬鹿な想い出」として残しておいてもいいかもしれないと思ったので、書いておきます。別にクリスマスだからヤケクソになっているわけではありません。

 2000年の個人的に印象深い出来事といえば、やはりなぜか急にこのページを立ち上げたことでしょう。2000年初旬の私はかなり荒んでおりました。それを友達ひとりひとりに語っていたのですが、なにせ私の話は細かい上に長いので、聞いている人も大変だし、自分でもかなり消耗しますし、電話代はかさむ一方なので「こうなったらWebに載せちゃえ」と思ったのが始まりでした。友達も妹もすでにやっていたので「彼らができるんだから、あたしにもできるだろう」と気軽にやってみたら、ずっぽりはまってしまいました。

 そういう思惑で始めたのに、友達はあまり読んでくれませんでした。
 その理由は「なんか見たけど、字がどわわわ〜と書いてあって読むのが大変」ということのようです。「もっとグラフィック入れればいいのに」とか「トップ・ページのデザインとか考えれば?」とかいうありがたいアドヴァイスを多数いただきましたが、それに対する私の返事は「カッコいいページがいいんなら自分でやってくれ。あたしのはあれでいいの。」というかわいくないものでした。
 ともかく周囲には不評でしたが、なぜか見知らぬ人が読んでいるようで、ときどきメールなども頂きましたので、「はあ、こういうの読む物好きもいるんだなあ。がんばろ」と励まされたものです。

 その当時、私が想像していた読者数は「数人」でした。正確なアクセスを調べるすべもないし、やる気もないのでトップ・ページのカウンターの増え方でそう思っていました。もともと「友達に電話でグチグチ垂れ流している話」をそのまま書いて載せているだけだったので、それを「見知らぬ方相手に一方的に垂れ流す」にシフトしただけです。

 そのようにチマチマ書いていて自己満足に浸りつつ、「誰もど〜せこんなもんは読まないだろう」と思って思い付きで書いた「超ひも理論と私」をアップした直後に「山形浩生勝手に広報部」に発見されてしまいました。「広報部」が出来たときから「やばい。ここに発見されてしまうかもしれない。でも発見されてもいいのかもしれない・・・・どうしよう」と、ちょっと考えたのですが、なにせ鈍くさいものですから、あまり手だてもしないまま「なりゆきにまかせよう」と呑気に構えていたのでした。

 ある程度想定してはいたものの、現実に起こったときにはかなり驚いて、一瞬パニック状態に陥りましたが、「まあでも、これで新たな読者が増えるわけだし、勝手に宣伝してもらって感謝しなくては」と前向きに考えることにしましたが、「超ひも理論と私」がなぜかクローズアップされてしまったことには頭が真っ白になりました。

 私の日記等にお付き合いいただいている方はご承知でしょうが、私は「己の馬鹿さかげん及びに変人自慢」を書くのが大好きです。そういう自己開示で精神のバランスをとっているので、「自分の恥を晒すことを許さない」タイプの友人とはいつも意見が食い違うのですが、「超ひも理論」に関しては「どうせふつうの人もろくに知らないだろうから、こんなもんにまた妙に入れ込んでいるということ事体が笑い話だろう」くらいに思っていたので、「みやのさん、また変なこと言ってる〜」と反応されれば「だって、あたし変なんだも〜ん」と返せば自己満足するであろうという思惑だったので、不特定多数に読まれるということは全く想定していませんでした。

 「頭のいい奴らに小馬鹿にされた」
 と、友人なら怒るような事態でしょう。実は私もちょこっとそう思いました。でも、立場が逆なら私はきっと友人に、
 「それは考えすぎだよ。みんなきっとほんとに面白いって思ってくれているんだよ。それに元々そんな専門知識がないのがわかっているんだから、そういう人が自分なりに理解しようと思って一生懸命考えているということは評価されるよ。」
 などと、またくどくど説教するでしょう。

 さて、長々と恨み言(笑)を綴りましたが、今までのは単なる前おきです。やっと本題の「また、自分の馬鹿を開示」いたしますが、その「超ひも理論と私」について「江藤淳みたい」と書かれたことに対して、当時の日記には書けませんでしたが、私が「ぎょええええ」と思った理由の60%くらいは「江藤淳みたいって・・・・江藤淳って誰だっけ?」というトホホなものでした。

 さすがにその名前には見覚えがあったのですが、すぐには思い出せなかったのです。でも、それを書くと「恥の上塗り」だということは本能的に察知したので、知らん顔して、さっそく私が自分より一般常識があると信じている友達Mちゃんにすがりました。
 以上のような経緯でホームページへのアクセスが一瞬増えてしまったことをくどくど説明すると、

M 「よかったじゃん」

 と、そっけないご意見をいただきました。

私 「でね、それは確かにいいんだけど、江藤淳みたいって書かれたんだけど、江藤淳って誰?」
M 「江藤淳って、この間自殺した人でしょ?評論家っていうのかな・・・」
私 「そっか!思い出した、あの人か!でも私、江藤淳の本なんて読んだことないよ」
M 「私も読んだことないなあ・・・・」
私 「え?そうなの?じゃあ、私がよく知らなくてもいいんだ!よかった安心したよ」

 いい友達を持ってよかったと胸をなで下ろしました。

M 「私が江藤淳で憶えていることといえば、彼は年末だか正月にいつも人を自宅に集めて宴会をするらしいんだけど、その会に招待されるのは文壇とか出版関係の大物ばかりで、江藤淳の忘年会だか新年会に呼ばれることは大変な名誉だったらしいということくらいかなあ?」
私 「ほおお。なるほど・・・・でも、それだけじゃあ、江藤淳みたいって書かれたことが、自慢してもいいことなのか、ムっとすべきことなのか判断つかないなあ(笑)」
M 「まあねえ。うちらの世代はあまり読んでないような気もするが・・・・そういう話はあまりしたことないなあ」
私 「たしかに、亡くなったときはそれなりに大騒ぎだったから、ふ〜んと思ったけど・・・・だいたいまだ生きている人だとも思ってなかったしね。小林秀雄みたいにとっくに死んでるのかと思ってた」
M 「そうだよね。死亡記事見て、まだご健在だったのかと思ったよね。騒がれ方から察するに上の世代の記者とかにはかなり思い入れのある人だったんだろうね」
私 「そもそも、小林秀雄だって大学入試の問題にあれほど頻出してなかったら、うちらの世代は誰も読まなかったよね」
M 「小林秀雄には皆苦しめられてたよねえ」
私 「あいつはなんでわざと解りにくく書くんだってボロクソに言われてたからねえ。本人の意図とは関係ないところで受験生に憎まれて、しかも中原中也の女をとったやつ呼ばわりされたり気の毒だなと思って、私はけっこう好意的だったので小林秀雄の本は何冊か読んだような気がするが、一応受験勉強のつもりで・・・・もう全部忘れたけど」

 話はなぜか「小林秀雄」になってしまいました。

私 「でも、江藤淳は受験生に全然マークされてなかったような気がするが・・・だって、それなら読んだはずだもん」
M 「う〜ん、私も記憶にないなあ。予備校とか行ってないからわかんないけど」
私 「生きてる人だったからかなあ?受験生がご自宅に石とか投げないように配慮しているとか(笑)」
M 「だったら朝日新聞なんてボコボコ(笑) まあ単純に、問題向きの文章ではなかったのかもね」
私 「小林秀雄なんかに比べると、わかりやすすぎてだめっだった?な〜んて言っても読んでないからわからないや」

 というわけで、頼みの友達にまたお相手してもらいましたが、その後、ちゃんと調べたら(友達に聞く前に調べればいいじゃんと自ら突っ込みしたくなりますが、世間よりもMちゃんの意見を信頼していることの証なのでしょう)、江藤淳に「・・・・と私」という著作が何冊かあることがわかったので「な〜んだ、そういうことか」とわかりました。

 話は飛びますが、昨日、高校3年生の真面目そうな女の子(推薦入学が決まった短大の児童福祉科で勉強して将来は子供に関わるお仕事をしたいそうだ)とお喋りしたので、試しに(つうか酔っ払っていたので絡んでいた。高校生とまともに話す機会もめったにないもので)

 「小林秀雄って知ってる?」
 
 と、聞いてみたら、

 「知らない・・・・」
 「え?知らないんだ・・・・今の高校生には流行らないのかなあ・・・・おねーさんの時代には花形だったのに・・・・じゃあ、中原中也は?」
 「え?」
 「知らない・・・・そうか・・・・汚れちまった悲しみに・・・・な〜んて今時流行らないよね〜ハハハ。テレビドラマにもなったんだけどなあ。」
 「・・・・はあ」

 というわけで、今更ですが、この短い会話のおかげで、「私が江藤淳をとっさに思い出せなくても、一冊も読んでなくても、世間的にはそれほどのことでもないらしい」と納得したので、だらだらと書いてみたまでです。

 女子高生との別れ際に、「大学に行ったらがんばってと勉強してね」と声をかけたら、彼女はニッコリ笑ってくれましたが、おね〜さんがその後飲み込んだ「でないと私みたいになっちゃうからね」という言葉は伝わらなかったでありましょう。

 「お酒は飲みすぎないようにしよう」

 と彼女の心に刻み込まれれば、それでいいんですけどね。天使の格好した酔っ払いのおねーさんに「小林秀雄が〜」とからまれたことが楽しいクリスマスの想い出になってくれればいいのですが・・・・


 これを書いているうちに「クリスマスにあまりにもふさわしくない内容だ」とちょっと暗澹たる気分になってきましたので、フォントを赤緑にしてクリスマス気分を盛り上げることにしました。


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