カエルの歌が聴こえる


2000/3/24
 学校もいよいよ本格的に春休みに突入したみたいで、桜の咲くのが待ち遠しい今日このごろですが、さっき買い物帰りに家に向かってとぼとぼ歩いていたら、この時期に私の心を捉えてしまうものの存在を急に思い出しました。

 春先になると私を惑わすもの・・・それはカエルです。

 家の近所は住宅が密集する地区なんですが、いったい彼らはどこから這い出してくるのでしょうか?カエルってもともとオタマジャクシのはずですよね。いかにも庭なんてなさそうな家ばかりなのに、どうやってあんな立派なカエルが現れるのかとても不思議なのですが、それはいいとしても、今日みたいな湿度の高い春先になると、夜道の街灯の光で微かに照らされたカエルが道をのろのろ横切っていてぎょっとさせられます。
 いくら閑静な住宅街といっても、車はけっこう通るので、轢かれてしまうんじゃないかと心配で・・・
 実際、「轢かれてしまった無残な姿」もよく見かけ、とても悲しい気分になるのですが、どうして彼らはこんな危険に満ちた道(ダジャレになってしまった!)を果敢にも横断しようとするのでしょう。しかも、果敢というよりは、明らかに冬眠ボケのその重い足取りや、はらはらと見守っている人間の気持ちなんて全く思慮してくれていない悠長な足取りに、ついつい苛立って、靴先でつついて応援するのですが、私の気持ちが通じないのか、ちっとも急ごうとしてくれません。だいたい、あいつらけっこうガタイがよくて重いので、あまり無理して靴先で突つくと、力の加減によっては憎むべき車ではなくて、私が潰してしまいそうな嫌な予感もするので、あんまりムキにもなれないし、かといって人目が恥ずかしいので手で掴んで安全そうなところに運んであげることもやりづらいし(真夜中だと、そういう救援活動もしたことがある)、なかなか自称カエルの守護神としては活動しにくいのです。

 それに、もし私が通りすがりの人に「さっき、でかいカエルを持って歩いている女の人を見たよ」「あらあ、春先は変な人が出るわねえ」などと、夕食時の話題を提供するのを厭わずに、「横断カエル」の救助のために日夜努力したとしても、この世の中には私の目に触れないところで無数のカエルたちが道を渡っているわけで、その全てを救助するのは不可能なのです。
 運良く私の手で付近の鬱蒼とした庭を持つ日当たりの悪そうな邸宅内にカエルを避難させても、あいつら絶対にまた「やっぱあっち側に行ってみようかなあ」なんて、翌日には道を横切ろうとするにちがいありません。

 というわけで、毎年この時期になると、干ばつや内戦に見舞われたアフリカの国々で、一人の子供の命を救っても、毎日たくさんの子供たちが亡くなっていくという状況に立ち向かてっいるのであろうボランティアの方々のような気持ちに陥ってしまうわけです。

 世田谷の住宅街の真ん中で、カエルを見下ろし呆然としている妙齢の女性を見かけたら、暖かく「見て見ぬふり」をしてくださいますようお願いします。もしくは、ドライバーの皆様には、スピードを落として下さいますようくれぐれもお願いいたします。カエルじゃなくて私が車に轢かれないように・・・

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