初日からそこは紛れもないインドだった!


 インド航空でニューデリーの空港に着いたのは夕方7時くらいだった。
 ガイドブックには「空港タクシーなどは、客を自分がマージンを貰えるホテルに連れていこうとする」と書いてあったし、市内まではバスも出ているので迷わずバスに乗ることにした。チケットを買ってほのかにマサラの香りが漂うバス亭で、荷物の上に腰を降ろし待つこと30分くらいでやっとバスが来た。

 40分くらいで市街地に入るが、インドの街は首都とはいっても夜は暗い。
 そのバスはニューデリーの商業中心地であるコンノート・プレイスを通り、ニューデリー駅にも停まるはずであった。東京で言えば、「銀座を通って東京駅」だと思っていたのだが、夜9時近い「インドの銀座」は着いたばかりの私には真っ暗に見えた。夜の早い田舎の商店街のようだ。しかも、建物はみんなボロっちい。それでもそこがかろうじてコンノート・プレイスだとわかったのは、イギリス風のサークル状の道路で、閉店しているとはいえ商店の看板は建ち並んでいたからである。

 「てゆうことは、もうすぐ駅なんだな」

 と、思っていたら、バスが停まり、運転手が「ここで降りろ」と言う。
 私が行きたかったのは、ニューデリー駅にほど近い、「パハル・ガンジー」という安宿街である。乗るときにそう言ったので、どうやらここの方が最寄の停車場らしいと思ったら、運転手は「ここからリクシャーに乗れ」と言う。

 「え?駅も通るならそっちの方が近いんじゃないの?」

 と思ったのだが、運転手がそう言うから駅のバス亭は駅の向こう側なので、こっちのほうが近いのかなあ?と勝手に解釈し、しかも他の見るからに「地球の歩き方な旅行者」も次々と降りていたので、素直にそこで降りてしまった。それで後で死ぬほど後悔することになった。以下、その詳細である。

 さて、慣れない旅行者であり、しかも女性一人の私は、まだ10時前とはいえ1人でリクシャー(オート三輪のタクシー。タイではほとんど同じものが「トゥクトゥク」と呼ばれている)に乗るのも心細い。丁度、大学生風の男の子二人組も私と同じように呆然としていたので、声をかけて一緒に乗ることにした。

 しかし、いったいどっちがパハル・ガンジーなのかもよくわからない。そこにたむろしているリクシャーはいかにも悪そうな雰囲気だった。別に悪さをするわけではないが、きっと旅行者を自分が契約しているホテルに連れて行こうとするだろう。

 ある程度、方角を把握して、そっち方面に歩いてから流しのリクシャーを拾ったほうが賢明だと思い、付近で立ち話をしていた女性に道を尋ねてみたのだが、すぐ横に何台が待機しているリクシャーを指差す。他の人にも聞いてみたが、やはりリクシャーを指差すだけ。
 道も方向もわからずに乗るのも不安だったが、現地人の普通っぽい人たちがそう指示するので、仕方なく1台と値段交渉したら「20ルピーだ」と言う。ずいぶん安いなと思ったが、地図で見てもそれほどの距離でもないし、そんなもんだろうと思って、3人で詰めあって乗り込んだ。

 「銀座」が真っ暗だったので、少し走ると日本の田舎の郊外のような暗さである。男の子たちを誘ってよかったと思いつつ乗っていたが、広い道をかなり走ったあと、リクシャーは狭い路地に入ろうとした。
 すると、路地の脇から、乞食のような痩せた老人がやってきて、スピードを落としたリクシャーに近づいてきた。運転手が驚いてリクシャーを止めると、その老人は運転手のことをいきなり殴り、びっくりする私たちににも襲い掛かり、男の子たちを殴るというよりも「ハタく」というかんじで、バシッバシッと音がした。そしてなにやら叫ぶとまた路地へと消えていった。

 私には手を触れなかったが、私が膝に抱えていた荷物は殴られた。
 何が起こったのか頭の整理がつかなくて、きょとんとする私たちの前に、今度は身なりの普通な、ちゃんとズボンを履いて、シャツを着ているという意味で普通な印象の男性二人組みが 近づいてきて英語でこう言った。

 「あなた方は、ニューデリー駅へ行こうとしているのか?」
 「ええ、パハル・ガンジーに行きたいのですけど」
 「今、駅の周辺は宗教的な暴動が起きていて、大変危険だ」
 「は?」
 「○○教徒が暴動を起こしているのだ。だから、私たちが安全なところへ案内してあげよう」

 私はポカンとしてしまった。なぜならすぐに「安全なところ」=「マージンの出るホテル」だということがわかったからである。そういう手口はすぐに想像ついたのだが、笑う余裕はなかった。なにせ、長時間のフライトの後だから疲れきっていたのである。

 それにしても、こんなどーしようーもないことをマジでやっているのかと、びっくりすると同時に強い脱力感を覚えた。ホテルのマージンなんて、それほど高額なものではないだろう。だが、さっきの老人にリクシャーマンに親切そうな2人とあとバスの運転手で分け前を分け合っているのだろうか?ずいぶんと人件費がかかっているではないか!
 などと、ついつい考えてしまい、おかげで飛行機疲れが倍増してグッタリしてしまった。

 しかし、グッタりしてもいられない。こいつらをなんとかしないと、どこだかよくわからない人通りも少ない通りだし、怖いといえば怖い。 私は、無い気力を振り絞って抵抗した。

 「でも、私はパハル・ガンジに行きたいんです!」
 「道路が封鎖されてるから無理だ」
 「でも、見たところ大丈夫そうだから、せめて閉鎖されているところまで連れていってください。もし、ほんとに閉鎖されてたら歩いていきます」
 「だめだ。危険だ」
 「どーしても行ってくれないのですか?」
 「ノー。ベリー デンジャラス」 
 「こんなにお願いしてもダメですか?」
 「ノー。ベリー デンジャラス」

 そんな押し問答が続き、大きな声を出すと涙目になってしまう私は、その性質を生かして精一杯ウルウルしながら訴えたが、向こうは落ち着いた様子で頑として「行けない」を繰り返す。とうとう我慢できなくなって、

 「じゃあ、私たちはここで降ります。パハル・ガンジーに行ってくれないなら、お金も払いません。それでもいいの?」

と、言ってみたのだが、彼らは、気の毒そうに私を無言で見詰めるばかり。

 「ほんとにノーマネーだからね!」

 と言っても黙るばかりで拉致が開かないので、男の子たちに

 「パハル・ガンジーにはどうしても行ってくれないらしいから、ここで降りよう」

 と言うと彼らもうなずいてくれたので、3人で荷物をまた降ろして、そそくさと彼らの姿が見えなくなるところまで歩いた。

 「もう、着いたとたんにこれなんだから!まったくほんとにインドってサイテー!でも、1人じゃなくてほんとに良かったよ!」

 とまくしたてる私に向かって、彼らが言った。
 
 

 「ところで、あの人たちと何を話してたの?」
 

 ・・・・・お前らもサイテー・・・・という言葉は飲み込んだ。

 どうりで私がギャースカ言っているときに黙ってたわけだ。固唾を飲んで見守っていたのではなくて、「どうしたんだろ?」と思っていたらしい。そんな英語力で大丈夫なのか?でも、私だってこのザマなんだから英語が多少できようができまいが同じか・・・・とりあえず、1人でこんな夜道を彷徨いたくないから仲良くしておこうと、丁寧に状況を説明してあげたのだった。

 さて、そんなこんなで時刻はもう11時近かった。とりあえず、来た道を戻ってみて、車の通る大通りに出たが、歩道には転々とホームレスというか路上生活者たちが横たわっている。彼らは多分英語も話せないだろうし、そもそも話し掛けるのもちょっと怖い。
 しばらく歩くと、守衛のいる大きな建物が見つかったので、道を聞いてみたが、首を傾げるばかり。「パハル・ガンジー」とだけ連呼しても、まともに反応してくれない。「なんだこいつら?」な目つきなので、諦めてさらに歩く。その付近は病院などが並んでいて夜は人があまり通らないようなのだ。

 さらに重い荷物を背負って歩くと、ホテルが見つかった。中級クラスらしいわりと大きな建物である。階段を上がって2階がフロントだった。フロントにいた従業員に「すいません、ここのゲストではないんですけど・・・」と申し訳なさそうに道を聞くと、ちゃんと親切に教えてくれて、私がメモ帳を差し出すと簡単な地図も書いてくれた。インドに着いてやっとまともな人に会えたと感激しつつ、メモを頼りに道を歩いた。

 しかし、地図の通りに歩いても歩いても、それらしき通りに出ない。
 荷物が肩に食い込んできた。3人で「まったくいい思い出になっちゃうよね」とか「このまま朝まで歩いていたらどーしよー」となるべく楽しく喋りながら歩いていたのだが、行けども行けども暗い道が続くばかり。だんだん不安になってきたので、「ちょっと休もう」と荷物を降ろして作戦会議。

 「地図の通りに歩いてるよねえ」
 「でも、すぐに信号があるからわかるって言われたのに、ないよねえ」
 「でも、地図にはちゃんとあのホテルの場所も書いてもらったし、方向は間違ってないけど・・・」
 「でも、あのフロントの人が地図を書き間違ったということもありうる」

 結局、またあのホテルのあったところまで戻るしかないという結論になり、気力を振り絞ってまた歩きだす。そうなると、「あのフロントもわざと嘘を教えたのでは?」と擬人暗鬼になってくる。

 そうやってトボトボ歩いていると、たまに通りがかるリクシャーマンが声をかけてくるのだが、もうリクシャーなんて信じられないので乗る気もしなくて無視していたのだが、人間不信が最高潮に達したそのときになって、若いリクシャーマンが声をかけてきた。
 私たちが振り向きもしないと、あきらめて走り去ったが、しばらくするとまた戻ってきた。

 「なんで乗らないんだ?どこに行きたいんだ?」
 と話し掛けてくる。

 無視。しかし、向こうはしつこつ着いてくる。
 日本人旅行者3人組なんて絶好のカモなんだろう。としか考えられなくなっていた私は思わず叫んでしまった。

 「リクシャーなんて信じられないの!」

 すると向こうは

 「僕のことは信じてくれ。僕は悪いやつじゃない。いい人間だ!」
 「そう思ってたリクシャーに騙されて今こうやって歩いてるの!」
 「だから、僕はそうじゃない!」
 「でも、インド人なんて誰も信じられないの!」

 しばらく「ビリーブ ミー」「アイキャントビリーブ」の応酬が続いたが、そのうち彼も諦めて行ってしまった。

 男の子たちが「あ、とうとう行っちゃったあ」と呟いた。私のこと怖いおねーさんだと思っているに違いない。

 そうこうしているうちに、時刻は12時近かった。もうほんとにヘトヘトだった。
 もう、どうしていいのかわからなくなっていたときに、前方に開いている店を発見した。田舎の雑貨屋のような小さなお店だ。道を聞く前に、思わずコーラを買って飲み干した。いったい何時間歩いていたのやら、ものすごく喉が渇いていた。
 一気に飲み終わってほっとしてから、店の主人に道を聞くと、そこから100メートルほどの信号を左に曲がって真っ直ぐだと言う。

 もう誰も信じられなくなっていたが、コーラを飲んですこしエネルギーも充填されたので、気力も戻ってきたので、素直に言葉通りに歩くと確かに信号があったが、そこから路地に入ると、ぬかるんだ暗い道が続き、まただんだんと不安になってきた。

 「どうしよう」と思案する気力もなくただひたすら歩いていたら、いきなり小さな宿が出現した。

 「あ、ここっぽいよ」

 と言う間もなく、ゲストハウスの看板が次々と目に飛び込んできた。

 「やった!朝までに着いたね!」

 残念ながら時刻は12時を回っており「今日中に着けるといいのになあ」という希望は叶えられなかったが、すぐに空室のある宿を見つけ「私はとにかく疲れたから、今日はもうここでいいや。君達は他もあたってみる?」と彼らに言うと、「じゃあ、俺たちもここでいいや」と一緒に中に入った。

 部屋は汚かったが、荷物を降ろしてベッドに横たわると、疲れがどっと噴出してきた。
 まあ、長い旅になるから慌てることはないんだ。でも、これからずっとこんな調子なのかな、と少し心細くなった。

 それにしても、あの男の子たちは、あの後ちゃんと旅行できたのであろうか? 2週間滞在予定の善良な大学生たちだった。


 ちなみに、その後会った「デリーからインドに入った」旅行者たちと話をしたら、みんな同じような経験をしてました。誰1人として、すんなりパハル・ガンジーにたどりつけていませんでした。夜中着いた旅行者の中には「朝まで歩いた」という人も多いそうです。インドの達人の話では「デリーはそれがあるので有名だから、知ってる人は他の都市から入る。他ではそんなひどいことは無い」

 それにしても荒っぽい洗礼でした。でも、それに懲りて夜にリクシャーに乗って宿探しをすることの無いように予定を組みましたし、どうしても乗らないといけない場合には先にリクシャーマンと宿代の交渉をして、「最初から客引きだと思えば、それほど腹もたたない」ということにして諦めました。

 デリーでも後から考えれば、もっと手前の高級ホテルなどにはバスはきちんと立ち寄るので、そこで降りてからタクシーを拾って「駅まで」と言えばよかったんですよね。でも、同じバスに乗っていた旅行者が途中のホテルで降ろしてもらおうとしていたら、「あそこは高いぞ」と言われていて、彼らは「でも予約しているんだ」と言っていたので、運転手は渋々立ち寄っていました。そもそも高級ホテルに宿泊する客はバスなんかには乗らないはずなので、そのバスに乗った日本人は「全員カモ」だとカウントされていたのではないでしょうか?

  貧乏旅行者がこぞってパハル・ガンジーを目指してしまうので、ちょっと離れた宿は客引きに必死でマージンを惜しまないので、そういうことになってしまうのでしょう。

 バスの乗務員とリクシャーが結託しているのは間違いがないと思います。わざとリクシャーが溜まっているところで降ろしてたし。リクシャーが停溜まっていたあたりにいた普通の人たちは怪しい。だって、後でわかったのですが、コンノート・プレイスからパハル・ガンジまでは歩いても20分くらいの距離なので道を聞いたら方向くらい教えてくれそうなものです。
 地図を書き間違えたホテルマンは単に方向音痴だったと思います。それに、あそこで勤めていて、パハル・ガンジーまでの道を説明することもあまりないでしょう。

 ところで、私たちがさまよい歩いた暗い通りは、昼間通ってみると、交通量も人通りも多い大通りでした。こういう個人旅行をする際の鉄則として「初めて行く土地は、昼間に到着する」というのは、どこの国に行っても同じですが、インドでは特に気をつけないといけません。


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