香港旅行記
4日目(2003年1月19日)
やっと飲茶
日曜日だったが、ダンナ氏はお仕事だったので、子供たちを引き連れて「レパルス・ベイ」に行くことになった。
「あそこは夕日鑑賞スポット」
とのことだったので、昼食をセントラル付近で食べてから、昼過ぎにレパルスに到着して砂遊びして夕日を鑑賞し、それから夕方仕事が終わるダンナ氏と合流して、スタンレー(赤柱)で夕食という計画である。
連れていってもらったのは、セントラルにある「陸羽茶室」という超有名店。
昨年、ここで香港の実業家が殺し屋に射殺されたという事件でも一躍有名になった。(
私の中では、その殺し屋はレオン・ライがキャスティングされている。「天使の涙」参照)「観光客もよく訪れる店」とそのときのニュースでも報道されていたが、たしかに健全な繁華街のまっただ中にあるお店である。健全すぎて、すぐ側には「ケンタッキー・フライドチキン」もあって、子供らは、
「今日は何食べるの〜?」
「飲茶だよ」
「えーーーー!? ケンタッキーにしようよー」
などとほざくので、
「ちょっとー、のんちゃんはねー(きょうみさんがそう呼ぶのでお子様もダンナも「のんちゃん」呼ばわり。誰も私のフルネームを知らないとみた)、香港に来てから、まだ一度も飲茶してないんだよ。君たちはいつでもケンタに行けるではないか!わたしなんて、香港初めてだし、ちょっとしかいないんだから、少しは私のことも考えてよ!」
と、また説得しつつ、店内に入る。1時過ぎだったが、店内はほぼ満席。日本人はあまりいない様子だった。
ガイドブックを読むと「以前は敷居が高かったが、経営者が代わってから旅行者にも入りやすくなった」という店らしいし、「店員は無愛想で香港っぽい」とも書いてあったが、白い制服をビシっと着た老給仕たちはなぜか子供には愛想がよく、6歳の次男坊のほっぺたをツンツンとつついていた。
子供にとっては、どうてもいいだろうけど、さすが名店で、内装も「チャイニーズ・アールデコ」という風情である。ここで殺人事件が起こっても、他の客は「映画の撮影かな?」と思うであろう。料理もどれも美味しかった。お子様たちが気に入ったのはホテルのフレンチで出るようなステーキだったけど。
「これをもっと食べる〜〜〜〜」とゴネるので、「じゃあ、海にケンタッキーを買って持っていくから」と説得して、セントラルのバス・ターミナルから「X」がつく「ノン・ストップ・バス」で、あっという間(15分くらい)で浜辺に到着。
レパルス・ベイで土木社業
レパルスはほんとに小さな浜辺だったが、私はこういう「鎌倉の片瀬海岸みたいなショボいビーチ」がけっこう好きである。それに、物売りもマッサージ屋も寄って来ないので気がラクだ。(東南アジアのリゾート・ビーチは観光客を放っておいてくれないところも多い)
海の家みたいな売店でビールが15香港$というのも好ましい。日本円にして約250円。ご長男がお小遣いで買ったスプライトが12ドルだった。
グアムでは、プールサイドのバーがやたら高くて、カクテルを頼むと8US$もしやがってムカついたのだが、ここは良心的だ。酒が安いというだけで「ここは、いいところだ」と思うのもなんだけど。
つーわけで、浜辺でビール片手に御機嫌だったのである。(安上がり)
しかし、ジーンスの裾をまくったときに、ご長男が私の豊満なふくらはぎをまじまじと観察し、「鶏肉みたい」と呟いたことは、一生忘れないだろう。君には表現者としての素質があるよ、フン!(「ケンタッキーの胸肉みたいに、かぶりつきたいような、おいしそうな足」ということにしておきます)
お子様たちは、すでに砂遊びに余念がない。
私も「砂遊びするぞ」と意気込んでいたので、缶ビールを飲み干すとすぐさま作業開始。
千葉県育ちの私は、毎年夏には海水浴に行っていたので、砂浜での土木作業では誰にも負けない自信があったのだが、ここの砂は、キメが粗く、千葉の海岸のような細かい造形には向かないらしいことがわかった。
それでも、頑張って「砂の城」(一条ゆかりの名作漫画を思い出す)を作ろうとしていたのだが、途中で断念して、急遽、「古墳作り」をすることにした。
子供らが「それ、なに?」と寄ってくるので「前方後円墳だ!」と言うが「なにそれ〜」「変なかたち〜」と評判悪い。
「ジャパニーズ・エンペラーの墓だ!」
と説明するが、ご長男は「日本の歴史、勉強してないも〜〜〜ん」
そのご長男が作成したのが、「富士山もどき」である。
やはり遠く離れた祖国への望郷の念が無意識にこんなものを作らせるのだろうか?
浜辺についたときには、30℃が表示されていたが、だんだん温度が下がってきた。しかし、湿度が低いし、日差しもそれほど強烈ではないので「砂浜遊び」には快適であった。
日曜日なので、沢山の家族連れが浜辺でくつろいでいる。どこの国の子供も、ビーチを前にしてやること同じで、とにかく元気に走り回っている様子が微笑ましい。
ご長男の作った「なんちゃって富士山」に「カルデラ湖」を作ってみては?と提案したら、「前方後円墳」には興味を示さなかったくせに「カルデラ湖」にはすぐに反応していた。(母上の行動範囲がよくわかる)
しかし、ここにシャベルですくった海水を入れても、すぐに染みてしまい、「カルデラ湖」にはならないので、計画を変更した。
「前方後円墳の横に、貯水池を作るのだ!」(現場監督の指令)
満ち潮であったので、すでに私が作った「前方後円墳」の間際まで波打ち際が迫っていた。ご長男は「波打ち際に穴を掘ると池ができる」という大自然の法則を即座に理解したようで、せっせと穴を掘った。
「私の古墳が波に洗われないように、防波堤も作ってね」
と、砂浜での修羅場を数多く経験している現場監督の要求は高い。
しかし、さすが11歳のご長男は、スコップを懸命にふるって、まんまと大穴を作成。少し多きな波が押し寄せると、貯水池に海水が溜まって、いいかんじになった。
しかし、その作業に没頭している間にも、先に作った富士山は敵国兵に無残にも破壊されていたのであった。
観察していると、各国のお子様方は、なぜか山を見ると「そこを登ってみたくなる」ようで、破壊された富士山の残骸も次々と踏みしだかれて行く。
「なぜ、山に登るのですか?」
「そこに山があるらさ」
という、有名登山家の名セリフが、人間の持つ本能を言い表しているのだということを痛感した。西洋人の子も、東洋人の子も、みんな富士山もどきの残骸に果敢にチャレンジしていた。そして、その目はランランと輝いていた。
貯水池に専心していたご長男も、自分の作った山が無残な姿になっていたのに気が付いたが、子供は前向きだ。
「オラオラ。せっせと掘って、私の古墳を守らんかい!」
という、現場監督の怒号に煽られて、「でも、これ(前方後円墳)、壊してもいい?」「ダメー!ぜったいダメー」「いいじゃん、壊しても」「ダメー!!!!!」と現場監督と駆け引きする余裕があるようだ。(遊ばれているわたし)
だんだん波が近づいてきて、大自然の脅威に負けた私の古墳・・・・・
人生は、砂の城のようなものだ・・・・・・
懲りずにもう一つ、砂の城を作成したのであった。
いやー、こんなに真剣に砂遊びしたのは、20数年ぶりではないでしょうか?
お子様たちにも「砂の城作りは、単なる子供の遊びではない」ということを学習していただいたのではないかと・・・・・・
ちなみに、ご長男が本気出して砂を掘ったので、プラスティクのシャベルが折れました。香港に来て2個目らしい。
「今度は、プラスティックじゃなくて、鉄製の本格的なのを買ってもらえばぁ」
そうこうしているうちに、だいぶ日も傾いてきました。
すると、いきなりこんな集団が出現しました。
写真撮影に来た、新郎新婦です。
台湾や韓国でもそうですが「観光スポット」と「婚礼写真」の縄張りはここでもダブるみたいです。
砂浜を歩く花嫁は、ちゃんとスパッツをはいていて、ドレスの裾をたくし上げても大丈夫なようになっていました。
スタンレー(赤柱)
日も傾いてきたので、足を乾かして砂を落とし、靴を履いてからバスでスタンレーに向かいます。この辺も、高級住宅街のようで、故テレサ・テンの住まいもこの近くにあったようです。
ご長男のスニーカーが破れてボロボロになっていたので、ここのアメ横みたいなマーケットで新しいスニーカーを買いました。その後、マーケットを冷やかしましたが、洋品店やみやげ物屋が並んでいました。大人用の洋服はイマイチ垢抜けませんでしたが、ことも服は種類も豊富で値段も安かった。
しばらくうろうろしていると、ダンナ氏が到着したので、バス停まで迎えに行って、マーケットから2百メートルくらい先にあるレストランが何軒か入っている建物に向かいました。途中の道には、オープンカフェというか、酒場が並んでいて、ぷちアムステルダムな雰囲気でした。西洋人の酔っ払い多し。
私たちの行ったのは「ドイツ・パブ」
サービスも西洋風で、お子様がフォークを落としたら、スーツ来た女性スタッフが飛んできて、すぐに取り替えてくれました。美味しいドイツ・ビールを半リットル飲んで満足。客は日曜日を楽しむ香港家族連れやデートする若者でにぎわってました。たしかにこの周辺は西洋人も多いのでオシャレっぽい。
行きは、セントラルから「香港島縦断コース」で来ましたが、帰りは海沿いをグルっと回るバスでしたが、それでも30分かからずにアパート着。
さっそく、シャワーを浴びて、「海の塩気」を落として、お子様にはとっとと寝ていただきましたが、私もすぐに寝てしまいました。
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