上流階級はどこに隠れているの?  


2000/3/10
 これは私が酒を飲むとよくぶちまける話題なのですが、他の話題と同様に、周囲の反応はとても冷たい・・・
 よって、ここにぶちまけます。

 日本はよく「貧富の差のない平等な社会」といわれますが、たしかにそんなかんじがします。
 そういうと、よく「でも、金持ちはいるじゃないか!」と反論されますが、たしかにその事実は否定できませんが、日本の場合金持ちと呼ばれる人々は皆「成り金」のような気がします。しかも、一般の「あんまり金のない」皆さんの指摘する金持ちってせいぜい大手銀行の支店長」だったりしませんか?もしくは近所の歯医者さんとか・・・そういう人達って、たしかにそこそこお金というか収入が良くて、年収何千万とかもらっているのだろうけど、会社員として最低レベルの私が年収300万くらいで、お金持ちが年収3000万くらいでしょうか?それってあんまり「格差」とも思えないのですが・・・というか現代社会では女性の賃金はまだまだ低いのですが、もし私が男性で順当に出世していけば、「何千万」という賃金を手にするのはそれほど夢物語ではないですよね。実際に大企業にお勤めの私と同じ世代の方々は「年収1千万」が射程距離に入っている人が多いと思うんですけど、違いますか?
 もし、平凡なサラリーマンでも、ゆくゆくは年収1千万になれるのだとしたら、一億稼いでる人はそれほど雲の上でもないですよね。
 日本の「格差」ってせいぜい「数倍」もしくは「数十倍」なんですよね。それって事実だと思います。(この話を友人としたいたら、ある経済誌でとりあげられていたようで、日本企業の平均的な大卒新入社員の年収と社長の年収の格差はだいたい20倍くらいらしいです。300万と6000万ってところですよね。ところが、これがアメリカだと200倍くらいになるみたいです。300万と6億・・・・これくらい差がつくと生活レベルはかなり違ってきますよね。)

 インドに行ったときに実感したんですが、あそこは本当に「貧富の差」が歴然とあるとろで、庶民(公務員や私の父のような普通のサラリーマン)の月収ってだいたい2、3万円程度みたいです。1万円くらいで生活している人達も多いことでしょう。(ちゃんと聞いたわけではありませんが、物価から逆算しています。労働者のおっさん達が毎日食べているような昼食が50円くらいでした。貧乏旅行者はだいたい月に2万円くらいの予算で生活していましたし、それって宿代と交通費含めてです。)
 でも、一度、デリーのこじゃれた「ウエスタン風居酒屋」に行ったのですが、客のインド人はみな中流以上というかんじで、お会計は4人で2000円くらいしました。インドの庶民にとっては日本人が「超高級フレンチレストラン」に行くようなものでしょう。
 さらに、試しに高級ホテルに足を運ぶと、コーヒーとケーキだけで、400円くらいしました。日本とほとんど変わりません。まあ、高級ホテルというものはどこに行っても同じような料金なのですが、驚いたのはそこにも沢山インド人がいたのです。彼らは街にあふれる「普通のインド庶民」とはあきらかに人種が違いました。まず、着てるのもが高級。見る目のない私でも、仕立ての良いスーツや、吊るしではないドレスの見分けがつきます。サリーを着ている女性もいましたが、街で見かけるものよりも明らかに生地がいい。はっきりいって、日本の庶民である私より彼らはあきらかに金持ちでした。なんかそこにいるのが「場違い」な気がして、あんなに縮こまったのは生まれてはじめての体験でした。
 労働者階級と彼ら上流階級の格差は少なく見積もっても数千倍はあるでしょう。

 日本でそれほどの格差を感じることって、まずないですよね。帝国ホテルのロビーには観劇後のおばさま達がお茶を飲んでいて、たしかに私よりは余分なお金がありそうですが、自分の母親とそうは変わらないでしょう。たまには、一張羅で着飾って出かけているだけです。高級レストランを覗いても、庶民ばかりです。ただ、食事に数万円払えるだけで、「成り金」とか「エリート」かもしれないけど、上流ではないでしょう。だいたい、私だってその気になればそういう所にいけるのだと思えること自体が、日本における階級制度のなさを物語っています。
 「わたしなんかが入ってはいけないところ」
って、日本には存在していないのではないでしょうか?
 
  一時期、日本人の「中流意識」が取りざたされましたが、日本では年収数百万で、ローン組んで一戸建て買えるくらいの人達は自らを「中流」と称するみたいですが、国際的レベルからしたら、そもそも「サラリーマン」なんて立派な「労働者階級」だと思います。日本人が「上流」だと勘違いしている「支店長」「医者」「弁護士」の面々がやっとこさ「中流」でしょう。
 なぜ、みんなが「自分は中流」だと勘違いしたかというと、日本には「上流階級」が存在しないので、自動的に繰り上がってしまったのだと思うのです。

 こう話すと、「いや、上流階級は存在する!」と言い張る人が続出しますが、よくよく聞いてみると彼らの言う「上流」ってみんな単なる「成り金」なんですよね。「芦屋に行くと、コンビニに全身クレージュで固めた奥様が買い物したりしている」とか反論されても、じゃあ渋谷では何万円もするプラダのバッグ抱えたギャルが闊歩しているわけで、彼女らが従えている彼氏はでっかいヴィトンのバッグひきずってたりして、でもあいつらみんな所詮「貧乏人」の子女達でしょう?
 
 皇太子のお嫁さん探しのときに候補と騒がれた「名家のお嬢さま」リストを週刊誌で観ても、旧財閥の末裔はほとんどサラリーマンになっちゃているしで、かなりがっかりしました。けっきょく雅子さまにしても紀子さまにしても「上流」ってかんじではないですよねえ。皇室でこの調子なんですから、元華族とかいう人達ってどこにいっちゃたんだろう?
 「皇室」というものが残っていながら、その周辺にあるべきものが表に出てこないのが不思議です。だから「皇室」ってなんだか、ぽつねんと孤立した非現実的な存在に感じるのです。
 
 私が通った高校は元藩校で、それなりに歴史があったのですが、藩主の末裔の話ってきいたことがないんですよ。土着民の友人に尋ねたところ「そういえば、知らないなあ。今現在、地元の有力者といわれているのは、庄屋だったり、富裕な商人の末裔だしねえ・・・」
 江戸時代や明治時代の支配階級はどこに消えてしまったのでしょうか?すごい疑問です。
 その昔は華族の子弟を教育するための学校だった学習院も今や「おとなりの女の子」が厳しい受験を潜り抜けて入学するような「単なる難関」になっているし、上流階級の方々は隠れないで出て来てください!でないと、某国の元大統領夫人とかいいう肩書きの元銀座のホステス(実名でいうと起訴されそうで怖いのであえてこういう書き)方なんかが「上流階級の心得」をこれ見よがしに語るという、とんでもない事態に陥るわけだ。あれを誰も止められないとなると、本当に日本には上流階級が存在していないのかもしれないと不安になるんですけど・・・・。

 まあ本当にいないのだったら仕方ないのですが、この状況って「労働者階級」としては非常にやりづらいと思うのです。「憧れ」と「憎しみ」の対象がいないわけですから・・・。それを政治家にぶつけても、なんかいまひとつ勢いがつかないし、だいたい彼らは落選したらおしまいではないですか。それに、自分が成り上がりたいと努力しても、最終到達点が見えませんよね。せいぜい皇室主催の「園遊会」に招かれるくらいで、あれだけじゃなんか弱い。成り上がりを渋々迎え入れるもしくは毅然と拒絶する「社交界」というものは、どこにあるのでしょうか?

 この話をするとたいての人は「いや、見えないだけで、どこかで存在しているはずだ。ただテレビなんかには出てこないだけだ」と言いますがそんな「ツチノコ」みたいなもんなんでしょうか?いるんならちゃんとその存在をミステリアスにアピールするのが上流階級の勤めだと思います。「犯罪組織」なんかはその勤めをちゃんと果たしているではないですか!だから馳星周の小説が成り立つのだと思います。

 というわけで、あくまでもこれは関東育ちの私の印象なので、古都のあった関西ではまた違うのかもしれません。
 とにかく、幻の上流階級の皆さん!恥ずかしがらずに出て来てください!
 もしくは上流階級の世界を目撃したことのある方、情報をお待ちしております。 
 
 

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