フジロック‘04
フジロックには、過去2回参加しています。
3年前の2001年には、「ニューオーダーが来る!」ってことで、今は1児の母となったA嬢と車を持ってるM氏を誘って、テントで一泊の一日だけの参加でした。「初めてのフジロック」にその記録が残っています。
2度目は去年。その昔、マッシブ・アタックをグラストンベリーで見逃したのが、なんとなく遺恨として残っていたので、「エルビス・コステロも出るし、ふらっと行っちゃえ〜」と、一人で宿泊もせず、昼過ぎに現地入りして、現地で夜明かしして、早朝に帰ってきたのでありました。
あまりにもあっさりとお気ラクに行って帰ってきたので、そのときの記録は日記に書いただけでした。一人でふらりとクラブに行ったみたいなもんだった。
さて、今年は早いうちに発表された出演者はケミブラやベースメント・ジャックス、ピクシーズとそれなりに豪華でしたが、なにしろ初の「一日券は発売しません。三日間通し券 3万6千円のみ」でしたので、ブラリと行くわけにも行きません。それでも、かなり心が動いていたのですが(なにしろ、最近仕事が暇なので、休みはとりやすいし、なんか夏休みっぽいことしたかった)、友人らにそれとなく「フジロックどうよ?」声をかけてみても、「3日間はきついし、高い」というつれない返事でした。
さすがの私も1日だったら一人でも平気ですけど、3日間一人ちゅうのもなんだし、ずっとテントというのもキツいし、宿をとっても相部屋というのもシンドイし、シングルで宿をとるとバカ高くつくし・・・・と思ってあきらめていました。
そうこうしているうちに、ゴールデンウィークのころ、出演者に「ルースターズ再結成」というのが加わったので、タイ・フード・フェスティバルに一緒に行った友人T嬢に「ルースターズだってさ・・・」と話したところ、「うーん、でもねえ、一日券あれば行くんだけど」とあまり気乗りがしない様子だったのですが、それから数日経ったら突然、T嬢からメールが来て「やっぱり行くことにした。ルースターズの出る金曜だけの超大人参加!」
「だったら私も行く!」というわけで、当初はTさんがとった宿に金曜日は二人で泊まり、土曜日は私一人でテントで寝て、日曜日の夜にこれといった出演者が出なければ、夜の新幹線で帰ってしまおうと思っていました。
そしたら、Tさんが「よくよく考えてみれば、どーせ金曜は休まないといけないが、土日は休みなんだから、土曜日も宿泊して日曜の様子みて、日曜は帰る」と、言うので「じゃあ、そうしよう。私はどうせ、月曜まで休みとるから、日曜夜になんかいいのがあったらテントに泊まるから」
そんなやりとりをしていたら、急に最終日のトリが「モリッシー」に決まり、ヤケクソ気味のTさんは「日曜も泊まることにした。月曜日はそのまま出勤する」
T嬢は雑誌編集者なので、勤務時間が不規則らしく 、いつも午後出社なので、月曜日の昼ごろ湯沢を出ればいいのです。
そんなわけで、なし崩し的に「3日間しっかり参加」が決定したのでした。
チケット代3万6千円、テントサイト券2千5百円、宿代3泊で3万円強、往復新幹線代1万2千円、で、それだけで8万円超えるという「ちょっとした海外ツアー」並の料金ですが、クラシック・ファンの人は、海外から有名オペラがやってくると平気で10万円くらいのチケット買って「でも、ウィーンに行くより安いから」と言いますし、うちの会社でも先日、ベルリン・フィルの5万円のチケット買った部長が「夫婦で10万円だけど、ベルリンに行くより安いよね」と言って自分を納得させていたので、私も「そうですよ〜、ヨーロッパに行ったら往復だけで30万ですよ〜」とフォローしてあげましたが、私も自分にこう言って納得したい。
グラストンベリーに行くより、絶対に安い!
また例によって前置きが長くなりましたが、例によってカメラも持っていきませんでしたので、記憶がまだ鮮明な今、文章でアルバムを作っているようなつもりで書きますので、かなりダラダラと長くなるような予感がします。
初日 7月30日(金)
●出発
4時のルースターズに間に合えばいいだけなのだが、テントの場所を確保したかったので、なんとか早めに現地入りしたかった。同行のT嬢は、どうせギリギリに来るだろうから、「3時にグリーンステージの柵の右側で集合。それで会えなかったらルースターズ終了後、柵の右側の出口で」と、「現地集合」にしました。(ちなみに「柵」とは、ステージ前に客が押し寄せないように四角く囲って、人気アーチストのときだとその中は入場規制される)
なにせ、T嬢は前日にレアル・マドリッドの試合を観にいっているのです(笑)。早起きするわけがない。
私は張り切って早朝に出発するつもりでしたが、前日夜も蒸し暑かったし、遠足前の子供みたいに興奮状態になっていたようで、なかなか寝付けず、結局、目覚ましをセットした7時に起きて、素早く支度して、8時前には家を出ました。
バッグとテントはカートに括り付けましたが、カートもこの日のためにわざわざ買ったので(テントも結局、ドンキで4千円くらいの安物を購入)うまく操れず、ちんたらと駅に向かっていると、それだけで汗が吹き出てきます。
しかも、平日の朝8時といえば、ラッシュアワーです。渋谷まで2駅なのですが、その昔、海外旅行に行くときに、当時は無職だったものですから、うっかり平日だということを忘れ、大きなカバンを持って満員電車に乗り込むハメになり、荷物が床につかないわ、周囲の人は思いっきり迷惑そうだわで、「タクシーにすればよかった」と、かなり後悔しました。
今回も「タクシーにしようか」と直前まで悩んだのですが、ふと「先に渋谷行きのバス停に行ってみて、バスが混んでそうだったら、そっからタクシーにしよう」と思いつきました。渋谷までは頻繁にバスが出ているのです。
目論見通りにバスはそれほど混雑していなかったし、地下鉄に乗るために階段を下りる必要がないし、最近のバスは車高も低くなっているので、かなりラクでした。
「そうか、バリアフリーな社会って、大荷物を引きずっている人にも優しいのだな。いいことだ」と急にバリアフリーに目覚めました。渋谷駅もエレベータがついているので、助かります。山手線の渋谷−東京駅間がその時間でもラッシュにならないのは知っていたので、なんとか無事に東京駅につくことができました。
東京駅で新幹線ホームに行くと、もう発車寸前の新幹線がありましたので、思わず飛び乗ってしまいました。
あまり頻繁に新幹線に乗らないので、いつも自由席車両を確認もせずに乗ってしまい、延々と車内を移動することになりますが、「去年は荷物もほとんどなかったので、それでもよかったけど・・・・」という重大な事実に気がつきました。
今年の私は、すいすいと車両を移動できるような体ではないのです。
しかも、飛び乗ってしまったのが「2階建て新幹線」
バリアフリーな社会、破れたり・・・・・っていうシロモノです。1階席も2階席も、階段を上がらないと行けないのです。うんしょ、うんしょと荷物を持ち上げて、上に上がると、けっこう空いてました。
「うーん、さすがにこの時間だと、空いているのか?それとも、もしかしてこれ、各駅の新幹線?」
東海道新幹線の「のぞみ」「ひかり」「こだま」の停車駅はなんとなくわかりますが、上越新幹線のどれが速いやつなのかよくわかってないのでした。
でも、速いといっても10分くらいしか時間は変わらないので、「まあ、これでいいや。座れるし」と思ってのんびり座っていたら、アナウンスが流れ、どうやら私が乗った車両は高崎で切り離されてしまうようなのです。
「ひいいい、どうりで空いてるはずだ」
夏の小田急線で、同じような体験をしたことがあります。丹沢に向かう時でしたが、ちゃんと時刻表も調べて急行に乗ったのに、なぜか周囲が皆「これから海に行きます」という装備。「おかしい。ちゃんと山のほうに行く電車を選んだはずなのに」と思っていたら、途中のアナウンスで、前の方と後ろの方が途中の相模大野で切り離されるとのこと。私は思いきり湘南方面に行く車両に乗ってしまったのでした。あたふたと車両を移動すると、やっと「これから山に行きます」という装備の人ばかりの車両にたどりつき、ホっとしたのでした。
とりあえず、高崎まではしばらくあるので、車内で「お粥弁当」を買って、やっと朝ご飯。でも「お粥弁当」は冷え切っていた。しかし、そこに至るまでに大量に汗をかいていたので、塩を全部振って、お漬物も全部たいらげた。冷たいお粥だったけど「これからまだまだ歩くのよ」と、頑張って全部食べました。
熊谷あたりで、意を決して車両移動開始。しかし、いちいち階段を下りたり上ったり、狭い通路を通ったりで、異常に消耗する。4両くらい通過したら、なんと行き止まりだった。そりゃそうだ。そこで車両を分けるんだもの、新幹線の顔がそこで向き合っているわけだ。
しばらくその接続部分で、ボーっと立っていたが、立っててもしょうがないので、また荷物をよたよたと持って、階段を下りて座席に座っていた。
いよいよ、高崎が近づいていたら、また驚愕の事実が判明!(てゆーか、散々アナウンスしていたのに、私が車両移動に夢中でちゃんと聴いてなかっただけだと思うけど)
高崎で後から来た「特急な新幹線」に追い抜かれるのだ。そっちのほうが、当然のことながら越後湯沢に先に着く。
しばらく「でも、たぶん、そっちは混んでるんだろうな。座っていけるだけ、こっちのほうがいいかも」と悩んだが、でも、あと少しだろうから、速いほうで行っちゃえ。と、そこで新幹線を乗り換えた。
失敗した。
また、やってしまったのである。
乗ったところが、指定席車両だった。
また、3両くらい通過しないと、自由席車両にならない。
でも、自由席が空いているのなら座りたいなあ、と思って、頑張って移動してみた。でも、指定席もほぼ満席状態で、通路を移動するときも、他人の足を引っ掛けてしまったりして、移動しずらい上に、その新幹線も「2階建て」だったのだ。
教訓「2階建ては、荷物が大きくて重い人には悪夢である」
車両を一つだけ移動してから、ふと冷静になり「いいや、通路に立ってたほうが消耗が少なそう」と気がつき、それから30分ばかし立っていました。
もっと大事な教訓「新幹線は余裕を持って、駅のホームでちゃんと自分の乗るべき車両を選んでから乗ろう」
「あー、あたしって、バカバカバカ。ちゃんと調べて乗らないから、余計な体力使っちゃったじゃないのよ〜。女性平均より、やや鉄ちゃん度が高いと思っていたけど、これじゃあシロート以下じゃん」
というわけで「こんなんで、この先、大丈夫かしら?」
と、心配しているうちに、越後湯沢に到着しました。
●なんとか会場入り
越後湯沢駅は、「ほくほく線」という「儲かって儲かってしょうがない」ような景気のいい名前の路線に接続していますが、私はぼんやりしていたので、乗り換え出口から出てしまったらしく、切符を自動改札機に通し、「さあて、シャトルバス乗り場はどっちかなあ」とカートを引きずりながら歩いていると、有人の改札があり、「あれ?さっきの改札で切符入れましたが?」と言うと、駅員さんが「あれは乗り換えなんですよ」と言ったので、茫然と立ち尽くしてしまいました。
結局、通してもらったけど、でも、案内に立ってたお姉さんたちは「お持ちの乗車券は全部一緒に入れてください」と熱心に案内してましたけど、「降りる人はこっち、乗り換えはこっち」という案内してくれなかったんだもーん。
まあ、自分がちゃんと確認しなかったのがいけなかったのですけど・・・・・
それに、こういう慣れない場所に来ると、「二つ以上のことが同時にできない」という性格が災いして「よし、切符は重ねて入れるんだな。よっし」ということに集中してしまうので、他のことに気が回らなくなってしまいます。
それに加えて、くたびれているとテンションあがっているために、注意力が散漫になるので、その後もそんな目に何回か遭ってしまいました。
シャトルバス乗り場は思ったよりも行列ができてなくて、すぐ来たバスに乗れたのだが、やはりぼんやりと案内されるまま乗り込んだら「げ、座席が空いてねーじゃん」
去年だと、「立っててもいい方は先にお乗りください。座りたい方は次のバスを待ってください」と誘導していたはずだが、やられた。
後から考えると、何も言わずに「立ち乗り」だったのはそのときだけで、行きのその時間は全員まだ「立ってバスに乗る体力ある」と想定されていたので、どんどん詰め込んでいたようだ。その後は、そんなことなかった。
というわけで、やはりぼんやりしていたために、行きのバス40分(帰りは山を下るのでもう少し早い)をずっと立っていた。けっこう疲れる。
会場までのシャトルバスは、近隣のバス会社から寄り集められており、私の乗った路線バスなバス(?)は「越後交通」のものだった。「これって、たしか、マキコさんの会社なのでは・・・・」などと考えて、気を紛らわした。
気のせいか、苗場までの道路が拡張され、きれいになっていると思ったのだが、やはり後でTさんと話していたら、やっぱりそう思ったらしく、「ああ、やっぱ田中角栄の地盤なんだなあ」と勝手に納得していた。だって、苗場を仕切る西武グループにはもはやそんな体力なさそうじゃん。
体力無いといえば、Tさんから聞いて「なるほど」と思ったのだが、フジロックのスポンサーは何社かあるが(ポカリスエットとハイネケンは場内のドリンクコーナーを独占状態)、去年までは「三菱自動車」がけっこう幅を利かせていたようだ。今年はもはや、そんなことやっている場合ではなく、姿を消していた。
でも、苗場プリンスのミニバスが三菱自動車なのが、哀しさ倍増である。
さて、やっと苗場に到着。いつものことだが、シャトルバス乗り場から、ゲートまで、だらだらと歩いていると20分近くかかる。今年はゲートの仕組みを少し変えて、テントサイト入り口の前にある、当日券売り場の横でリストバンドを交換していた。
そこでチケットとリストバンド(今年からICチップ入り)を交換して、「テントサイトのリストバンドは向こうですかね?」と言うと、「そうです」と言うので、なにも考えずにテントサイトの入り口まで移動して、そこで「リストバンドは?」と聞いたら「会場のリストバンドと同じところです」
がーーーーん
「でも、向こうで聞いたら、こっちだって・・・・・」と、ゴネてもしょうがないので、「じゃあ、ここで荷物を置いておいていいですか?」って聞いたら「通る方の邪魔になるので」と断られてしまった。
そこからリストバンド交換所までは数十メートルなのだが、その間に公式Tシャツ売り場があって、いつも長蛇の列なので横切れないのだよ。
結局、少し行ったところに荷物を置いて、Tシャツの列をグルっと迂回してリストバンド交換所に戻ったら、ほんとにそこでテントサイトのバンドも交換していた。さっきの係員はなんだったんだろう?
あとで冷静に考えてみると、向かって左側が「会場のみ」で右側が「会場&テントサイト」だったのだ。だから、さっきの係員が「あっちです」と言ったのは、すぐ隣の意味だったのだが、以前はテントサイト入り口だったというのが頭にこびりついていた私はちゃんと「あっちですね」と指差して確認したのだが、私の指した「あっち」が、すぐ隣を差しているわけでないことに係員が気がつかなかったのも無理はない。
こういう「イベント」では、係員も皆、慣れていないのは客と同じなのだ。そして、常設のイベント会場と違って、誘導の仕方も確立していないので、そういうところで「あっち」とか「そっち」などと言い合っていると大変危険なのである。
後で、掲示板に書かれた苦情の書き込みなどを読んで思ったのだが、ああいうイベント会場を「ディズニーランド」と同じように考えてはいけないのだ。マニュアルも確立され、係員も入念な事前研修を受けている遊園地と違い、バイトの係員だって不案内だし、説明の仕方が上手ではないことが多い。
だから、本人達に悪気はないのだが、結果的にあちこちたらい回しにされるスペインとかインドの旅行みたいになってしまうことがある。
というわけで、こっちも疲れているし、暑いしで、頭がボンヤリしているが「係員も同じなんだ。特に初日だし、まだ慣れていないんだ」と気を引き締めて、ってゆーか、気を緩めて、テントサイトに戻った。
なんだかんだ言っても、けっこうスムーズに到着できたので、時刻はまだ昼前であった。暑い。
でも、越後湯沢駅周辺はピーカンだったけど、苗場はかなり雲が出ているので、ときおり日陰になるので、「ずっとこのくらいの晴れ間だといいなあ」と思った。日陰だと涼しいし。それに、やや風が強かったが、「強風」と「気持ちいいそよ風」の間の「やや強風より」という程度で(わかりにくい説明)、前日まで雨が降っていたせいで、砂埃が舞い上がらず、ちょうどいい天候であった。
●テントサイト
テントサイトは前日から入場できるので、入り口に近くて平らな場所は、すでに占領されていた。少しでもいい場所を確保したかったので、早めに来たのだが、びっしり立ち並んだテントを眺めると、がっくり来る。
それでも、今年から「レディース・エリア」が導入されていて、そこは出入り口から一番近い場所だったので、「なんとか、空いている場所ないかなあ」と探したが、平らな場所は、ほんとにキチキチに埋まっていた。
奥の方のナナメになっている場所は、まだ空いていたので「どうせ、ここでちゃんと宿泊するわけじゃないし、荷物置きと雨が降ったときの避難所だから、いっか」と、ナナメになっているところにテントを設営した。
汗だくになりながら、なんとかテントを建てて、中で横になってみると、「やっぱし、ナナメだ」
風も強いので、テントがバタバタと揺れるので、四隅に荷物を置きたいところだが、あまりにも傾斜しているので、重いものは全部一番下のヘリに落ちてきてしまう。
「これじゃ、ゆっくり仮眠もとれんな」
と思ったが、4時のルースターズまではたっぷり時間があるので、少し昼寝しようと思って、がんばって横になった。
自分自身も当然のことながら、下のほうに滑ってしまうので、柔らかい荷物をテントの一番下になる辺に均等に置いて、その上にしな垂れかかるように横になった。
テントの中にも風が入るが、それよりも、かなりテントが風で歪むので、無人のときに風で飛ばされないかと心配になる。
昼は、テントサイトに出店していたプリンスの屋台でカレーを食べた。紙皿に盛られたカレーだが、やはりプリンスの意地というか、「ホテルのカレー」の味がした。あと、当然のことながらビールも一気飲み。今年は暑そうだから、ビール売れるだろうなあ。
テントの中は暑かったが、それでも「週末のエアコン無し(無いわけではないが)の自分の部屋」に比べれば、かなり過ごし易い。山の上はやはり湿度が違う。
フジロックの楽しみの一つというか、もしかしたら最大の楽しみかもしれないのが「高原での昼寝」である。
それが楽しめる人は、たとえ目当てのバンドがキャンセルしようが、好きなバンドが出てなかろうが、かなり楽しめること請け合い。
●ルースターズ
テントで少し休んでから、2時半ごろ会場に出発。
テントサイト口から、ゲートまでが徒歩5分くらいで、そこからさらに5分くらい歩くと、一番大きなメーン・ステージである「グリーン・ステージ」
丁度「HEAVEN」という、UKギターバンドが演奏していた。
ステージ右側のドリンク屋台があるあたりに、木陰があったので、そこでまたビールを飲みつつ、敷物を敷いてゴロンと横になっていた。
3時になったので、Tさんと待ち合わせた「柵の右側」に行ってみたが、Tさんを発見できない。「やっぱ、きゃつはきっとギリギリだな」と思ったので、一旦トイレに行って、また戻ってみたが、やはりいないので、しばらく木陰で「HEAVEN」の演奏を聴きながら昼寝。
「HEAVEN」が3時半くらいに終了したので、柵中に入り、しばらく柵の外を見渡すが、Tさんの姿はない。
しかし、驚いたことに、柵の中にじゃんじゃん人が入ってくる。しかも、ほとんど20代前半の若者だ。
「子連れファミリー」の姿も多いフジロックだが、やはり8割近くを締めるのが「夏休み中の学生さん」だ。彼らがなんでルースターズに興味があるのか、ちょっと不思議である。
「伝説のバンド」であることはわかるのだが、でも大江慎也がリタイア(精神的な、なんちゃらで)しちゃったのが20年前。大江慎也が在籍してたころのルースターズなんて、私ですら観たことがない。それに、そんなに集客力のあるバンドでもなかった。
私が「追っかけに片足をつっこんでいたころ」というのは、大江脱退後の、花田裕之をフロントマンにした「下山淳の」ルースターズである。
まあ、でも、後でTさんから聞いたのだが、ドラムの池畑はUAのバックとかやってるみたいだし(花田さんもやってたんだって)、ベースの井上富雄は、一時期はオリジナル・ラブにも参加していたし、大江慎也がインディーズからソロ活動していた、ってことも、伝説をさらに重くしていたりするのだろう。
とにかく、なんだか知らんが、みんな会場で買ったらしき「CMC」のTシャツとか着てるわけで、「な〜んか妙に人気あるなあ〜」と不思議だったわけでございます。
(あとで、別の友人にその話したら「ケーブルテレビ(WOWOWか?)で、かなり紹介してたよ」とのことでした)
さて、4時を少し回ったところで、メンバー登場。
「おおえ〜〜〜〜〜〜」
という、歓声が飛び交う。「おーえー」って言い易いらしく、この掛け声は定番なのである。なんか妙に懐かしい。
大江慎也は、「そのまんま老けました」という風情だった。池畑は相変わらずインパクトのある「不良中年」だし、花田さんも「一時は心配したけど、数年前から老化が止まった」(Tさん談)というかんじだし、井上富雄が一番「おしゃれな中年」かもしれない。あいつ絶対に、直前に美容院に行ってるな。だって、風でなびく髪の毛のかんじが絶妙だったもん。美容師に「野外でやるから、かなりシャギー入れてね」とリクエストしたに違いない。
ルースターズ再結成こそ、今回、私とTさんが、うっかり参加してしまったメーン・イベントなのだが、私は事前に全く何も想像してなくて、予習もせず(CDは全部持っているのだが、最近は全然聞いてない)、いったいどんな曲構成なのか、予想してなかったのだが、「ドゥ・ザ・ブギ」とかが始まると、「そっか、ロージーとかCMCをやるんだろうなあ」と茫然としていた。
大江の歌は、相変わらず「下手くそ」である。
あれを「いい」と思う人と、「なんじゃこりゃ?」と思う人の間には、日本海溝よりも深い溝が横たわっている。
でも、上手くもないし、「一生懸命」ともなんか違う・・・・・言葉は悪いが、電車の中で時々出会う「本物のキ●ガイ」が叫んでいる「何か」を「プライスレス」と思える人には、なんかグっとくるものがあるのだ。
そういう意味では「本物の味わい」があるのである。
似たような芸風だったイアン・カーティスは、さっさと首を吊ってしまったが、大江は何度かヤバイ状態になりながらも、しぶとく生きている。時折、イアン風な手足をバタつかせる踊りを踊るが、さすがこれだけの大舞台というか、野外のステージになると・・・・・ええと、なんて表現すればいいのだろう。たぶん、大江慎也という繊細な人は、舞台に上がると、客と自分の区別がつかなくなって、その曖昧な息苦しさを表現する才能に恵まれた人だと思うのだが、あの野外ステージの上でも時折そんな様子は見せたけど、でも、あのとき彼が「どこまでが自分だかよくわからない」と戸惑った対象は「緑の森、寝転がっている後ろの方の客、ときおり吹き抜ける風」であったはずで、そういうものにシンクロしている自分を楽しんでいるようだった。
それでも、さすが「本物」で、概ね「狭くてギューギューなライブハウス」でやっているときのような表情を維持していたが、時折、子供のような笑顔を見せ、(2ちゃんの邦楽板では賛否両論の笑顔であった。コアなファンにとっては観たくない笑顔だったのかもしれない)、「あ、やっぱ野外の魔力ってあるな」と思った。
あたしがミュージシャンだったら、一度はあんなところでライブやってみたいと思うもの。
それはいいとしても、「テキーラ」なんてやられても、私はついつい恥かしくなって「テキーラ!」と叫べませんでした。(「そう?あたしは言えたよ?」(Tさん談))
テキーラとかロージーとかCMCなどの「ヒット曲」(????????)になると、柵内の客はいっせいにモッシュ状態になり、「オレはリアルタイムだった」という年配の客と「伝説体験中」な若い客が一緒くたになった、もみ合う様子を観て、泣きそうになりました。
あ〜〜〜〜、あたしも、10年ちょっと前までは、ああいうとき、周りの頑丈そうな男の子をビシバシ殴る蹴るして、ストレス解消したっけな。
そんなこんなで「これから新たな伝説になるかもしれないライブ」は、ワタクシ的には目の前を淡々と通り過ぎていったのでした。
でも、ルースターズが若者の心を掴むのも、なんとなく理解できる。今じゃ、ああいうストレートなバンド少ないもん。Tさんは「まあ、あえて今どきので似てるようなの探すなら、ミッシュル(ガン)かな?」と言っていたが、たしかに、ミシェルのあの不器用なかんじが一番近いのかもしれない。
「おれは、ただお前と、やりたいだけ!」
なんていう「そのまんま」な歌詞のロックバンドは意外に少ないのだ。ミシェルやギターウルフが、あの曲を演奏したら、死人が出るかもしれない。
ルースターズが終了して、柵から出ようとすると、柵の外にやっとTさん発見。
ほんとに開始ギリギリに到着したらしい。
「さて、次はピクシーズだし、それまで腹ごしらえしよう」ということになり、オアシスという、屋台が建ち並ぶ場所に移動して、ご飯にハンバーグと目玉焼きがぶっ掛けられた「ロコモコ」を食して、木陰で横になっていると、グリーン・ステージでは「PJハーヴェイ」が始まっていた。
私もTさんも、こういう硬派な女性ボーカルは苦手。
それでも、「なまくらテクノ」な私より、Tさんのほうが「イマドキのロック」をよく知っており、「これからの日程で何が観たいか?」なんて喋っていると、
Tさん 「ああ、今日も一番奥で(オレンジ・コート。グリーン・ステージから徒歩20分強の距離)バケット・ヘッドとかやってて、ちょっと観たいなあ」
みやの 「なにそれ?」
Tさん 「ガンズンにもギターで参加してたんだけど、いつもバケツをかぶってて、ケンタッキーのバケツとかかぶってんの」
みやの 「ぎゃははは、なにそれ?観て〜〜〜〜〜」
Tさん 「でも、ギターは超ウマなんで、顔隠しているけど、実は著名なギタリストなのでは?っていう噂がとんでるんだよ」
Tさんは、「今日はルースターズしか立って観ないことにした。立って観るのは1日1個まで。っていうのが大人」と言っていて、それは正しいと思った。
日が影ってきたので「じゃあ、グリーンで昼寝しよう」ということになり、まだPJハーヴェイやっていたが、真中後ろに敷物を敷いて、二人でゴロゴロしながら「ピクシーズ」が始まるのを待った。
●ピクシーズ
7時20分開始。日も暮れて、あたりは涼しくなっている。時折、小雨も降るが、それほどのものでもない。
私とTさんは、中央付近の草原に敷物を敷いて、見物していた。
しかし、「ピクシーズ」ってバンド名も、よくぞ付けたものだ。ステージに現れたフロントマンの「フランク・ブラック」ことブラック・フランシスは、こんな遠くから眺めても、はっきりくっきりわかる「巨体」
ポップス界でも有名な「ハゲ・デブ」である。似たような風貌のアーチストには「ファットボーイ・スリム」という自虐的なリングネームを持つノーマン・クック君(どうしても「君」で呼びたい。ようこそここへ、クック君、私の青い鳥♪)という人もいるが、ブラックのほうが比重が重そうな気がする。なんとなく。
「わー、やっぱしデカいね」
「ギターが小さく見えるし」
などとヤジをボヤキながら聴いていたのだが、結論から言うと、「超すばらしかった」
私と同世代の友達には、今回のフジロックのラインナップを見て「いいなあ、ピクシーズ」という人が一番多かったが、来なかった皆さん、思いっきり後悔してください。
「会社辞めて来ても、後悔しなかっただろう」とまで言うつもりはないが、「返った翌日から、会社で三日間泊り込みで残業」くらいのことなら「でも、行ってよかった」と思えたでしょう。
あの他に似たものが見つからない、変だけど、でもなぜか胸に染み入る哀愁の変態コードが大音量で展開され、それに絡む女性ボーカル、また、そのベーシストが「その昔、ウーマンリブ運動で活躍していたレズ女(もちろんタチ)」をマウンテン・デュー(って、まだあるのかしら?)で希釈したかのような、適度な「いそうで、いなさそう」な風貌。でも、変態ポップス・メロディをガナるフランシスを優しく絶妙にアシストする様子に感動する。
あの、「ハードだけど、優しい」という音楽って、目指していたものがマイブラに近いし、女性ボーカルが、そっけないようでいて、実はガッチリと底を支えているっていうのが、ほんとにマイブラっぽいことに今更ながら気がついた。
たしかに、どっちも「あのころ」、初めて聴いたときに「なんだこりゃ?」と思ったけど、じわじわとクセになっていったような気がする。
ジザメリ系のノイズを多用して、ああいう音響ノイズ系の道を極めてしまったマイブラに比べると、ピクシーズはドライブ感が売りというか、「ほんとはフツーのハードロックをやるつもりだったが、生まれつき音感が変で、フツーのコードやメロディが弾けなかったが、あれこれやっているうちに、こーなっちゃいまいした」というかんじで、「変態」であるにも関わらず、なぜかキャッチーで一般受けするような錯覚を受けてしまう。不思議なバンドだ。
まあ、あまりこういう言葉を使いたくないが、やはり「フランク・ブラックは天才なんだろう」、としか言いようがない。
ちゅーわけで、しばらく座って観ていたが、しんぼうたまらなくなって、「ちょっと、前の方に行ってみるわさ」と、スススと前進。人もギュウギュウに立っているわけでもないので、少しづつ前に進んでいたら、いつのまにか、前のほうの下がコンクリのところまで到達できた。
ステージに寄りたかったわけでもなく、ただ「もっと大きな音で聴きたい」と思っただけだが、たしかに、音は堪能できたけど、同時にステージ左右にある巨大モニターも近くなってしまった。
「うう、フランク君の顔がこえ〜よ」
ただでさえ怖い顔なのに、アップにするとほんと極悪である。エレベータのドアが開いて、フランク君が一人で乗っていたら、「あ、忘れ物した」と言って、乗るのやめそうなくらい怖い。
それなのに、カメラ目線で「うふん」とウィンクしたりするんですよ。
アメリカの荒野の真中でヒッチハイクしていたら、トラックがやっと停まってくれたのはいいが、運転席で「へい、べいべー、どこまで行くんだい?」ってウィンクしている顔が、あれだったら、そのまま荒野で干からびるほうを選ぶと思います。
そんな強面なのに、奏でる音楽はなんであんなに残酷なまでに美しいのでしょう。
というわけで、30分ばかし、轟音と強面のミスマッチを楽しんでいましたが、やはり立っていると疲れるので、また後ろの陣地に戻って、エンディングを迎えました。
ああ、よかった。これでチケット代は消化したぜ。(減価償却1日。残存価格1割で、3600円くらい)
●ルーリードはやはり「暗黒大王」だった
ピクシーズに満足したので、Tさんは後はどうでもいい様子だった。
私がいたから、残ってくれたのかもしれない。
始まる前に彼女は「もし、私一人だったら、ベースメント・ジャックスに行っちゃったかも」と笑っていた。ルー・リードが9時半から。ベースメントは10時20分からなのである。
彼女はとうとう3日間の間、グリーンステージより奥に行こうとしなかったので、「ベースメント云々」はわかりにくい冗談である。
天気は時折、小雨がパラついていたが、時々星が見えるような、「いかにもな山の天気」である。一瞬、月も見えたが、すぐに雲の中に隠れてしまった。
ルー・リードの演奏が「アッパー」なものではないのは百も承知なので、「せめて、雨が降らなければ、けっこう気持ちよく寝転んで聞けそうなのになあ」と祈っていたが、ルー様が登場した瞬間、雨がパラパラ。
みやの 「ルー様、やっぱし雨男だったか・・・・」
Tさん 「まあ、そうだろうね(笑)」
客はけっこう集まっていたが、ルー様、登場するなり、どよ〜〜〜んとした曲を演奏。
昼とか夕暮れだったらいいかもしれんが、みんな疲れが出ている夜の9時。立って観ている人たちが「己のカラ元気」を発見してしまうような重い曲である。
こりゃ〜、かなりのルー・リード ファンじゃないとついていけないだろう。
たてつづけに「元気の無い曲」をマイペースに演奏するルー様。
憎たらしいのは、「若者が集まるロック・フェスのヘッド・ライナー」であることを十分にわかっていながら、あえて、イケイケの曲(なんて無いんだけど、まあ、比較的っちゅうか)をやらない「くそじじい」だからである。
「うわ〜、キツいなこりゃ」と思っていたら、いきなり聞き覚えのあるイントロ・ギター・フレーズが・・・・
そして、歌が始まった。
♪ しゃいに〜 しゃいに〜
横にいたTさんが爆笑しはじめ「わー、ここになるまで、わかんなかったよ〜〜〜」
ロック偏差値が45以上の人だったら、誰でも知っている名曲であるが、しかし、なんじゃこの極限まで緩くしたアレンジは!
いや、ほんと、ルー・リードは凄いと思ったよ。
Tさん「ニール・ヤングもこの時間にやったけど、ニールの曲はキャッチーだからねえ」
うん、キャッチーの「キ」の字も今のところ無いルー様。さすが、元祖ラッパーだよ。
私 「なーんか、こういう時間にこういうところで聴くなら、バックがもうちょっと派手じゃないと・・・・・リップ・スライムと共演とかしてほしかった」
(自分で想像して、笑いのツボにはまる)
それでも、天気がよければしばらく聴いていたかったが、雨がけっこう激しくなってきて、それであの音楽だから、だんだん体も冷えてきたので「まだ初日だし、今だとバスが空いているかも」「そうだね、温泉に入りたくなってきた」というわけで、30分くらいで退散してしまいました。
一旦、テントサイトに寄って、私の荷物をピックアップ。すでに風でドンキで買った安物テントのピックが2箇所外れていて、テントが歪んでいた。明日の朝まで無事だかわからないが、今一度、ピックを指してから、荷物を持ってバス乗り場までテクテク歩き、30分くらいで湯沢駅について、それから途中のコンビニで「風呂上りのエチゴ・ビール」を買って、坂道を登って宿につき、温泉に入った。
湯沢東映ホテルという宿だったのだが、湯沢でも数少ない「露天風呂」のある宿で、露天風呂に漬かると、雨がけっこう降っていた。
お風呂から出ると、部屋でビールを飲んで、「明日の計画」などを話しているうちに2時近くなったので就寝。
二日目 7月31日(土)
「温泉宿だから、ぜったいに朝起こしにくるよね」
と言っていたのだが、まあ、その気になれば「起こさないでください」という札をかけたり、フロントに「昼間で寝てるから」と言っておけばいいだけなのだが、一応、朝食は入っていたので「起こされて起きたら、朝ご飯を食べよう」という気持ちであった。
やはり、8時ごろに「コンコン」と客室係りがやってきた。
「はだけた」というよりも、「とりあえず体になんとか張り付いている浴衣」姿の私がドアを開けると、なぜか「今日のテレビ番組表です」を渡される。
Tさんもそれで意識が戻ったようで、「じゃあ、朝飯に行くか」と、着替えて8時半ごろ朝食バイキングのレストランに入る。朝食は〜8時40分なのだ。
たいして美味しそうなメニューもなかったが「野菜が不足しているし」とサラダをバリバリ食べ、コーヒーを飲むと、けっこう目が覚めてきた。
10時までは風呂も開いているので、部屋に戻ると手短に朝風呂も済ませ、部屋でゴロゴロしていると、掃除係りがやってきたが「あと、30分で出ます」と告げてから支度(日焼け止めを塗りたくる)をして、出動。
さて、初日に「重要な任務」を済ませてしまった私らは、今日はわりと緩い計画なのである。
Tさん「今日は、BEN KWELLERだけだから、あたしは」
みやの「それ、何時からなの?」
Tさん「16:30〜」
みやの「ははは、それまではOFFか〜。で、あたしは、これが開始なの」
みやのさんの今日の開始は「ケミカル・ブラザース 21:30〜」であった。
みやの「でも、一応、今日のうちにベルセバ観ておきたいから、それがヘブンで17:40〜だから、TさんがBENなんちゃら始まることろに、奥地に向かうよ」
12時前には会場入り。
せっかくの「別にこれといって観たいものもない昼間」である。
これを逃したら、いつ乗れるのかわからない!
●ドラゴンドラ
結論から言うと、実は、今回のフジロックで一番見応えのあった出し物はこれだったかもしれない。
2ちゃんを事前にチェックしたいたTさんは「かなり評判よかったよ」と言っていた。
「ドラゴンドラ」とは、テントサイトの一番奥から出ている、全長5キロを超える、世界一長いゴンドラである。その到着点でも、DJや紙芝居などのイベントが行われており、Tさん情報によると、それらをプロデュースしているのが、かつてルースターズにも在籍していた安藤君(九州でイベント屋をやっているらしい)。
さて、昨日、私が会場についたときには、リストバンド交換所の近くで、ダフ屋みたいだけど、でもダフ屋のようなギラリラ感の無いオジサンがポツネンと「ドラゴンドラのチケットあります〜」と気弱そうにチケットを売っていた。
しかし、今日は本当にダフ屋しか見かけず、「ダフ屋みたいだったドラゴンドラのオジサンはどこに行ったのだ?」と思いつつ、テントサイトの入り口で訪ねると、また「あっちです」とリストバンド交換所や当日券売り場のほうを指す。
そこで、当日券売り場に行くと、また「あっちです」
「あっちって、どこですか?」と具体的に聴くと、やっと身を乗り出してくれて、「あの黄色いノボリです」
最初から、そう言え〜〜〜〜〜〜〜〜
その黄色いノボリは、よくよく見ると「ドラゴンドラ」のノボリで風ではためいているため、ドラゴンのイラストが見えなかった。そして、それが立っているのは、プリンス直営の屋台で、ちゃんと近づいてみれば、カレーやビールを売っている横に「ドラゴンドラ チケット」という看板もあったのだが、気がつかずに通りすぎてました。
チケットを売っていた兄さんは、すぐにニコニコとチケットを売ってくれた。
通常は大人1600円なのだが、フジロックの客割引で1000円。
乗り場までは距離があるので、テントサイトを入ったすぐのところでバスに乗る。
バス乗り場は、かなり長い列ができていた。やはり噂が噂を呼ぶのか、好評らしい。
そして、そこで目印のノボリを高校野球の応援団みたいに掲げているオジサンこそ、昨日はダフ屋に混じってチケットを売っていた人である。
今日の彼は、旗を持って誇らしげに立っていた。
すぐにプリンスの三菱自動車製ミニバスが来て、それに乗り込んだ。座れなかったけど、どうせ1キロ弱の距離。
フジロックのテントサイトに入った人はわかると思うけど、プリンスに宿泊している出演者やスタッフは、車でテントサイトの中を抜けて会場入りする。だから、その道はスタッフ用の裏道なわけだ。
すぐに、レッドマーキーの脇を通り、その裏では出演者らしき人たちがテレビの取材を受けている。「誰だろ〜」と思っているうちに、グリーンステージの真裏を通過。思わず「わ〜、バックステージだあ」と歓声を上げてしまう私に、Tさんが「うちら、ゴンドラ乗る前から盛り上がってんじゃん」
これから行く人がいたら、ドラゴンドラは、あの時点でもすでに「お勧め」です。「裏フジロック見学」ができるのです。いつも、ちんたらと歩いている距離が、裏道で車だと「悔しいほどあっという間」で、私がもしバンド野郎だったら、「くっそー、いつかこの道を目隠しされたワゴン車で駆け抜けてやる」と闘志を新たにすると思います。
「ドラゴンドラ」は、グリーン・ステージなどからも、少しだけ動いている姿が見えますが、最大8人乗りの、スキーをしない私にとっては、「横に動く観覧車みたいなもん」でした。
どんどん動いているので、二人だけで乗り込んでGO。
フジロックの会場が見渡せるので、会場の広さがよ〜〜〜〜〜〜くわかります。
その時点では、まだグリーン・ステージにしか行ってなかったので「ホワイト・ステージ、遠いよ〜〜〜〜」と絶叫してしまいました。Tさんも、あれを見て「絶対にあんなとこには大人は行ってはいけない」と決意を堅くしたようです。
ホワイトの奥のヘブンにオレンジ・コート、遠い・・・・・
さらに、その奥に、サッカー場のようなものがあり、「なるほど、この辺りから、不法入場するやつがいるのだな」とわかりました。
その遠方に見えた小さなダムのような湖が濃いエメラルド色で美しかったのです。
そのあたりで、すでに「1000円で、この風景はけっこうお買い得」と思っていたのですが、「世界最長のゴンドラ」の本領はその後だったのです。
その日は、まだ風が強くて、ゴンドラはやや速度を落として運行しているようで、頂上まで訳20分ちょっとの旅でした。ずっとそのまま、山の上をちんたら走行しているのかと思いきや、いきなり真下が谷底。
私が今までの人生で一度だけ乗った「名のあるジェットコースター」である「フジヤマ」(厳密に言えば「花やしき」のジャットコースターもそれなりにというか「ある意味」で「名のある」であるが・・・・・)の、あの最初の坂を登りつめて、「え?これを急降下すんの?まじ?」という「谷」をリアルに再現したというか、あれよりも数倍恐ろしい谷底をガクーンと降りたのでありました。
スピードはそりゃ、あくまでも「ゴンドラ」であって「ジェットコースター」でありますから、緩いのですけど、高所恐怖症の人にはかなりのスリルです。てゆーか、ときどきニュースで「ゴンドラが途中停止」なんてあるじゃないですか?
あの谷の途中で止まられたら、いったいどうやって救助してくれるのでしょうか?それを想像するだけで涼しくなります。
そんな世にも恐ろしい谷を何個も越えていくのですよ。すごかったです。
Tさんと「これを作った人って、もうプロジェクトXで紹介されたんだろうか?」って話していたくらい。大変だったと思いますよ、作るの。もう、ゴンドラの中で「プロジェクトXごっこ」しまくりだったもん。
「土台にしたコンクリートが崩れた。目の前が真っ暗になった」とかトモロヲっぽく呟いちゃいました。
関係ないけど、私よりアンテナが広いTさんに「プロジェクトX裏話」をいろいろ教えてもらいました。元々、ナレーションの原稿はもっと分量があったらしいのですが「トモロヲの読む速さが遅いから、台本が全部入らなくて、削っているうちにああなっちゃったらしい」とか(激しく納得)、「あの番組は、NHKでも窓際扱いだった人たちが作った番組で、それが大当たりしちゃったから、最終回があるとしたら『プロジェクトXを作った男達』になるだろう」とか。
そんな話をしているうちに頂上に到着。
そこがまた妙な空気のところだったのよ。
フジロック会場より高度が高いので、かなり涼しかったし、静かだったのだが、そんな高原の中をうろうろする「着ぐるみ」と、それを追っかけて嬉しそうにケータイで写真を撮る若者たち。
その光景を見た瞬間に「あれ?あたし、今、シラフだよね?」と首を傾げる。ビールもまだ飲んでないくらいシラフなのだが、でも、目の前で展開しているのは「キノコとか、それに順ずるサイケな物質を摂取してしまいました」というよりも「臨死体験で見る光景ってこんなかんじ?」という、薄ら寒いけど、でもなんか、あったかくて、草原の向こうから死んだ祖父さんが「み〜やの〜、よく来たな〜」て元気に走りながら手を振っていそうな場所なんだよ。
とりあえず、奥のほうの、DJが音楽かけているところに行ってみたら、けっこうな人数がそこで踊っていて、その光景もなんだか「三途の川のほとり」っぽい。
そして、また着ぐるみがいるフィールドに戻ると、なぜか縄跳びをしている。
椅子の上に立った女の子が大きな縄跳びをグルんグルん回していて、そこにいる客たちが列を作って、「いっち、に、さん・・・・」と記録に挑戦しているようだ。
すぐ脇に立てかけてあった小さな黒板には「只今の最高記録55回」とチョークで書いてある。
下が草だから、雨降り後でけっこう滑るらしく、ゴツイ靴履いた男の子もけっこうズデンと滑っていて、なかなか記録が伸びないらしい。
Tさんと二人で、しばらくそんな不思議な光景を眺めていたが、だんだん二人とも無口になってきたくらい「あの世」な空間であった。
雨もぱらついていたし、けっこう寒かったので、しばし休憩してから、下界に未練のある二人はそそくさと逃げました。
まあ、でもゴンドラは乗り応えあるし、上のフィールドは下界を忘れる不思議な空間だったし、フジロックの雑踏に疲れたら、往復1時間くらいですし、いいリフレッシュになると思いました。今後もフジロックが苗場で年数を重ねるとしたら、かなりの呼び物になるのではないでしょうか?
昨日の夜から朝にかけては、けっこう雨が降ったらしく、場所によってはぬかるんでいた。テントもやはりまた歪んでいて、中に少し雨が入っていて、置いてあった「ペーパータオル」が「ウェット・ティッシュ」と化していた。でも、テントの中を拭いたりするのに便利だったんだけど。
●Franz Ferdinand
ワールドレストランの前の木陰で寝転がっていたら、フランツ・フェルディナンドが始まった。
くどいようだが、私は最近のバンドがほとんどわからず、「プリマス」とか「ホワイト・ストライプス」などの「どうやら大物らしい」アーチストも全然わからない。
だから、この「フランツなんちゃら」も全く知らなかった。
さすがにTさんは知っているようで「けっこう人気あるよ。でも音がなんか、トーキング・へッズみたいなんだよね」と言っていたのだが、ライブが始まると、たしかに、なんか人を馬鹿にしたような「抜け」のあるポップなメロディーで、「ほんとに、トーキング・へッズみたい」と納得した。
でも、演奏はしっかりしているし、ライブの上手いバンドのようで、「せっかくだから、グリーンのほうで観よう」とTさんを引きずって、グリーンの後のほうの草地に移動したが、敷物敷けるスペースが見つからなくて「いいや、どうせモニターがあるし」と舞台が半分くらい見えない「PAテント(巨大)の後」に陣取った。
あのグリーンステージの草地に大きな敷物を敷きっぱなしという習慣は、気に入らないんだけどなあ。そこを「集合場所」にしている人も多いらしく、場所とりをしたまま、ずっと帰ってこなかったりするのだ。私とTさんは、それぞれ一人分の敷物をいつも持ち歩き(ちなみに、Tさんのはソネットのモモちゃんの可愛いやつだった。フジロックにはいつも連れて来ているらしい。私のは「富士銀行」の粗品。「Fuji」にかけているわけではないが、すでに10年以上使用して、相当汚れているのだが、破れもしないので、今だに現役なのである)、座ったり寝転がったりするたびにそれを敷いて、移動するときはまたリュックに入れておく。
そうすれば、いつでもどこでも使えるので合理的だと思うし、もし集合場所や荷物置き場を確保したいのなら、もっと他にステージが見えないような場所がいくらでもあるのに、と思う。
話が逸れてしまったが、フランツ・フェルディナンドのボーカルは白いシャツにネクタイ姿で、それも「僕、脱いだら凄いんです」と自慢できそうなほど「痩せて」いた。きっと、脱いだら骨格がはっきりわかって凄いだろうなあ。
そして「レディース&ジェントルメン」と、やや鼻にかかった聞き取りやすい英語で呼びかけるMCが品がよくて好感が持てるし、演奏も程よく気が抜けているので、聴いてて気持ちがいい。
「パルプっぽいかんじだよね」というTさんの言葉も頷けるけど、パルプはもっとちょっとスカしてなかったっけ?
とにかく、Tさんが「新人でこんだけしっかりしてんのも珍しいよね」と言う通り、なんか妙に堂々たるライブだったけど、別に演奏が激ウマだとか、カリスマ性があるとか、そいういうのでもなく、なんて言えばいいのだろう?お腹が空いたので、フラリと入った定食屋の600円のランチが、すごく美味しくて得した気分になったような、そんなバンドだった。
今まで、フジロックはいつも1日券だったので、「お目当て」を回るのに忙しく、こういう「たまたま聴いてみたら、すごくよかった」という体験はあまりしなかったのだが、やはり3日間もうろついていると、こういう掘り出し物(と言っても、私が知らないだけで、けっこうメジャーなんだけど)に出会えるようです。
オアシスに戻り、また昼寝しているうちに、楽しいときは時間の経つのが速いもので、もう4時近かった。
Tさんは、そのままレッド・マーキーで「BEN KWELLER」を観るので(その少し前からグリーンではBEN HARPERが始まっていた。その二人のBENと、ベン・フォールズを足した3人が「ベンズ」というユニットを結成したが、みんな売れっ子で忙しく、なかなか活動できないらし、とTさんが話してくれたが、あたし、またかつがれたかしらん。笑)彼女とはそこで別れた。「じゃあ、また明日、4時半にここ(ワールド・レストラン入り口付近)で会おう」
24時間の長い別行動である。
ちなみに、翌日確認したところによると、TさんはBEN KWELLERが終わってから、その付近で夕食を食べ、宿に戻り、テレビでサッカーを見ているうちに寝てしまい、ふと気が着くと夜中で、風呂に行ったら「ケミブラから帰ってきたコたちがいたよ」で、また寝て、朝になってドアをノックする音が聴こえたような気がしたが起きずにいたら、フロントから電話がかかってきて「朝ご飯はお召し上がりになりましたか?」と言われたので、渋々9時ごろ朝ご飯を食べるために起きたそうで「よく寝たよ〜〜〜。睡眠は充分」だったそうだ。
そんな「大人として正しい道」に進んだ友達と袂を分かち、「テント一泊」を選んだ私の夜がこれから始まる。
いや、ほんとは、朝イチのバスで宿に帰りたかったんですけど、翌日曜日の朝11時半からやる「あぶらだこ」がどうしても観たくて、宿に戻るのを断念してのです。あれさえなければねえ。
●ベルセバ
さっきドラゴンドラから、会場を一望し、その広さを再確認してしまったので「はあ、これからあの端まで向かうのか」と思ったが、しかしここは前向きに考えて「ウォーキング・エクササイズで脂肪燃焼だ!」と気合を入れて歩き始めた。
この「奥地まで片道30分」を乗り切るために、毎日ジムに通って、ステップマシーンで足を鍛えていたのである。
Tさんと別れたのが、オアシスとグリーンの間にあった「ワールド・レストラン」の前。4時頃。
ベン・ハーパーが演奏中のグリーンを横切り、ホワイトまでの長い道をひたすら歩く。混雑していると、けっこう時間がかかるのだが、今回のフジロックは「通し券のみ」のため、1日だけ客が多いということもないし、多くの客が「3日間フルに参加」するので、あまり張り切って移動しないためか、移動の道はいつもより混雑していなかったように感じた。
小川を越えて、林の中に作られた「ヘブンやオレンジ・コートに直通の木道」をまた黙々と歩く。去年は「えれ〜長いなこれ」と思ったが、今年は散歩気分で楽しく歩けた。
時計を確認したが、やはりグリーンからヘブンまでは、25分くらいかかっていた。往復で50分か・・・・あちこち移動している人は、1日で相当の距離を歩くことになるだろう。
ヘブンでは、「斉藤和義」が演奏中だった。もうちょっと早く来れば、その奥のオレンジ・コートで「UA」がやっていて、そっちのほうが「ついでに観ちゃった」としてはラッキー度が高かったが、そんなことやっていると、あっという間に消耗してしまうし、「UA」をパスしたおかげで「フランツ・・・」を観ることができたわけだ。
その昔、斉藤和義の ♪君の顔が好きだ っていう曲に衝撃を受けたりしたが(コロンブスの卵のような、衝撃的な「こんなのあり?」な歌詞だったと思う)、最近、あんまし聴く機会もないな、と思っていたけれど、それでもけっこう曲を知っていた。ドラマとかバラエティーの主題歌などで、いつのまにか聴いているようだ。
山崎かずよしほど癖もないので、「べるせば待ち」でぼんやり座って聴いているのは楽しかった。
しかし、昨日の雨のせいか、その前からそうだったのかわからないが、水はけが悪く、草地でもないヘブンはけっこうぬかるんでいたので、歩くときに注意しないといけない。それに、敷物が敷けるのも、隅のほうだけだし、そのあたりは石がゴロゴロしているので、あまりゆったり寝転がれない。
そこまで長い距離を歩いてきたから、またビールを飲んでしまい、「早めにトイレに行っておこう」と斉藤和義が終わると、その奥のオレンジコートのトイレに並んだ。
トイレが済んだころ、オレンジで次のライブが始まった。けっこう人が集まっている。
登場したのは、なんか大人数バンド。オレンジはけっこう捻りのきいたバンドの出演が多いので「これは、なんだろう?」と思ってタイム・テーブルをチェックすると、「FERMIN MUGURUZA KONTRABANDA」って、どう読むの?
●FERMIN MUGURUZA KONTRABANDA(周囲の客の会話より、通称「ふぇるみん」らしかった)
しかも、演奏が始まった途端に、ザーっと激しい雨が降ってきた。
それでも、ステージ前に集まった客たちが激しく盛り上がるのも無理はない。超イカした「エスニックなパンク&スカ・バンド」なのだ。
このバンドはスペイン出身となっていたが、あとで調べてみたら「バスク」らしい。
ヨーロッパって、ときどきこういうバンドが出てくるよなあ。田舎のお祭りや結婚式などで、一晩中演奏するバンドが原型だったりして、だからバカテクだし、客を盛り上げるツボを熟知しているわけだ。このバンドはバスク系なだけに、かなりメッセージ性が濃いようだが、でも、そんなの全然感じさせないような(つーか、誰も歌詞なんてわかんないわけだし)、「変な自意識がないだけ、純粋に音楽として楽しい」ものだった。
ほら、リオのカーニバルのサンバ隊の演奏って、「アーチスト・エゴ」とは無縁の世界じゃない。
そんな感じで盛り上がっていた。
でも、私は雨を避けて、遠くの木の下で「すげえ〜」と感心していたんですけど。
雨の中でグチャグチャになっていた日本人の若い男の子たちが、「バスク人すげ〜よ」と感動してくれて、国際ニュースで(先日のマドリッドの地下鉄テロのときも、最初、バクス系テロ組織に疑惑がかかったし)「バスク」をいう単語が出てきたら「お?」と思って振り向いてくれるのならば、フェルミンの「メッセージ性」の意味もあるのではないでしょうか?
●今度こそ本当に ベルセバ
フェルミンを3曲くらい聴いていたら、雨も小降りになってきたので、またヘブンに戻り、後の方で無理やり寝転がっていた。そろそろ始まるかな、と思って起き上がったころ、横でやはりゴロゴロしていた男子のところに「フェルミンすげかったよ〜」と興奮状態の友達が帰ってきた。「いまんとこ、ベスト1はフェルミンで決まりだな」と大絶賛してた。
うーん、ほんと、こんな奥でやっているのがもったいないくらいだった。昼間のグリーンでやっても、かなり受けるだろうに。
音楽にあまり興味ない人でも、スカパラが路上で演奏してたら、ついつい足を止めちゃうじゃない。
さて、時間になったので、水溜りや泥沼を避けながら、そろそろと前の方に行く。
ベル&セバスチャンは、明日のホワイトステージのトリを務めるのに、なぜかこの時間、ここでも演奏するのだ。明日の最後のライブ(グリーンより、ホワイトのほうが1時間くらい後に終了)は体力的にきついから(ホワイト・ステージのトリを観てから、バスに乗って宿に戻ると、午前2近くになってしまう。それから風呂に入るわけだから、何時に寝られるのかわからない)今日のうちに観てしまおうという計画だった。
それに「どうしても観たい」というバンドでもなくて、その証拠に「一度も来日公演に行ったことない」のである。Tさんは「ベルセバ?なんか、今年になってからも観たばかりのような・・・・」と言っていた。
だから、ベルセバのライブがどんなだか全く知らなかったのだが、ストリングス隊を率いているので、やたらと大人数。
なので、演奏が始まると、みんな舞台袖に向かって指で「上だ」「下だ」の大騒ぎ。セット替え時間があまりないので、モニターの返りの調節などがちゃんとなっていなかったようなのである。しかも、ギターを「じゃーん」とやったら、音が出なかったり、とけっこうトラブル多し。これが米米クラブだったら、朝まで反省会だ。
でも、実はそういうのを期待してたの。
ホワイトでトリよりも(グリーンのトリだったモリッシーがキャンセルになったから、ベルセバに客が集まりそうだし)、こっちのほうがリハっぽくラフにやってくれるかなあ、と思ったのだ。
しかし、ライブ観ながら「なんか雰囲気というか構成が似たようなものを最近観たな」と思ったら「ステレオラブ」だった。ホーンが入るとことか、とにかくいろいろな音楽の要素を知的に詰め込んだ雰囲気が同じ。
でも、ベルセバのほうが、アクがなくて、なんか森から抜け出た妖精さんたちが演奏しているかのようだ。こっちのほうが、よっぽど「ピクシーズ」だよな(笑)
フットボール界の「ピクシー」ことストイコビッチが、森の中の小さな舞台で、ウクレレで美しい旋律を奏でながら、囁くような声で、ちょっと恥ずかしそうに唄っているような、そんな魅力的なバンドだったよ、ベルセバは。(すごい説明)
●夜に備えて休憩よ
さて、なんだかんだ言って、昼から活動しているので、けっこうくたびれてきた。
ベルセバも最後までは聴かず、テントサイトに向かう。
グリーンを通ると、まだコートニー・ラヴが演奏中。というか、ちょうど最後の曲だった。ちょっと遅れてないか?
まあ、来るの来ないのと、物議を呼んでいたコートニーだから(なんでなのか知らなかったが、Tさんに聞いたら「クスリのことで係争中らしいよ」とのことでした。)多少、時間が押したくらいのことは、温泉でボディ・シャンプーとリンス・イン・シャンプーを間違えて体を洗ってしまう程度のことだろう。
コートニーに全く興味もなかったが、なんか久々に観たような気がする「セクシー・レディース・バンド」
メンバー全員女性ってバンドは、一時期けっこう流行ったような気がするが、最近あんまし聴いたことないような。
さすが、コートニー。(終わり)
また、けっこう雨が降り始めていた。
ヘブンからゲートまで30分、そして、そこからテントまで10分くらい延々と歩き、7時くらいにやっとテントの中でぐったりと横になった。
しかし、雨は降ったり止んだりを繰り返し、風も強くなってきたので、テントがバタバタとうるさいし、雨の音も騒がしくあまりゆっくり昼寝できなかった。
テントサイトはゴルフ場なので、風が林に沿って吹き抜けるらしく、会場内よりも風が強く感じるのだが、それにしても、これ以上、荒れ模様になったら、ケミブラはあきらめて宿に帰ろうかな、寒くなってきたし、温泉に入りたい・・・・と、かなり気弱になっていた。
それに、寝ている姿勢が「斜面になんとか張り付いている」状態なので、それが精神的な余裕を削るのだ。
ケミブラが9時半開始だったので、あまりしっかり休憩できなかったけど、9時前には去年買ったレイン・スーツの上下をしっかり着込んで外に出た。いっそのこと、せっかく持ってきた長靴も履いてやろうか、と思ったが、ヘブンや、グリーンとホワイトの間の道は所々ぬかるんでいたけど、まだ長靴が必要なほどでもなかった。奥地に頻繁に行くのなら、あったほうがいい程度。
また、夜にまとまった雨が降ったら、明日は必要になるかもしれない。
テントを後にして、トイレに向かおうとすると、ふと、自分のテントから5メートルくらい上の「やや平らなところ」が空いていることに気がついた。もう撤収した人がいるらしい。やはりずっとテント泊だときついから、今日は宿をとってるのかもしれない。
そんなことより、今夜はどうしてもゆっくり寝たいから、テントの留め金を外して、中身そのまんまでズルズルと引きずって移動した。ズルズル ゼーゼー、ああ、また体力消耗しちゃったよ。ゼーゼー
テントを固定してから、中の荷物を整えると、それほど傾斜してない場所だから、荷物が低いところに寄ることもなく、試しに横になってみたら「これだったら全然オッケー!」という傾斜だった、というより、さっきまで重力と闘いながら横になっていたので、いきなり無重力の中、空中遊泳しているような開放感を感じた。
幸先のよい「深夜の部」のスタートである。
なんだか、雨もピタリとやんでいるし、風もさっきより静かになったような・・・・
ところで、今年のトイレは、去年みたいな、ドアを開けた瞬間、自分のダンナと親友の浮気現場を目撃してしまったような衝撃を受けて、思わずドアをバタンと閉めたくなるような恐ろしい状態のものに当たることがなかった。トイレの数も増やしたみたいだし、タンクの水を給水するメンテナンスもマメにやってくれたのかもしれない。去年、売り切れた土曜日はトイレのキャパもオーバーだったらしいからね。
でも、トイレ担当のバイトさんは大変そう。ずっと、あんな臭いところで、並んでいる人たちの恨めしげな顔を眺めていないといけないなんて、他のバイトよりも時給が少しよければいいのだが。トイレチップくらいあげればよかったかも。
バイトといえば、やはりキツそうなのが、入場ゲートの「ICチップ検査係り」
客が感知機にリストバンドを近づけ「ピーーーーー」という電子音を確認するのだが、私はいつも接触がうまくいかず、「あ、鳴った」と思って進もうとしたら「すいません!」と呼びかけられてしまった。鳴ったのは隣の機械だったらしい。
でも混雑時は常にあちこちで「ピーーーーー」と鳴っているので、タイミングが合ってしまうと、どこが鳴っているのかよくわからない。どのくらいの時間で交代するのかわからないが、1時間もあの「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」「ピーーーーー」の大合唱の中で座っていたら、精神に異常を来たしそうだ。
だから、たまには「ゲート突破」する人が現れると、彼らのいい気分転換にいなると思う。
Tさんが通ったときに、やはり私と同じように「鳴らなかったの気がつかず前進」してしまった男の子がいて、係員が慌てて追いかけていくわ、そこに配備されてるゴツい米兵バイト(だと、思うんだけどなあ)の兄さんがタックルしに行くわで、けっこう騒ぎになっていたらしい。
たまにそういう騒動でもないと、やってられないだろう。だって、ほんとにみんななんか目が虚ろで、仕事とはいえ、かわいそうだったもん。
●ケミカル・ブラザーズ
ケミブラも2年前に出演したばかりのような気がするし、私は一度も日本でライブを観たことがないのだが、7年前のグラストンベリーで観たことがある。
1万人は余裕で入りそうな、広大なフラットな会場(フジのホワイト・ステージを10倍にしたような)でやっていて、一番後ろのほうから少しづつ前のほうに移動したのだが、なにせ「マッドベリー」の当たり年だったので、下は田んぼ状態。一歩進むたびに、泥に埋まった長靴を引き抜くのに手間どるし、体力がどんどん消耗されるので、あまり前の方へ行けなかった。もっと大きな音で聞きたかったし、バシバシ焚かれるストロボが凄かったので「あの光を浴びたい」と思ったのだが、あきらめた。
それでも素晴らしいライブだったので、その後、何回か来日公演したけど「室内で観るとたぶん、違うと思う」というわけで行かなかった。その前にやはり野外で素晴らしいライブを披露してくれた「アンダーワールド」が新宿のリキッド(故人。でも最近、恵比寿でオープンしたが未踏の地である。モグワイでも行こうかな)でやったときに「まあ、悪くはないんだけど、やっぱり天井あるとこだと、なんかショボイ」とがっかりしたので「野外であまりにも素晴らしいライブをやってくれたアーチストのライブは屋内で楽しむことができなくなる」ということを学習したのだった。
ステージ前には、かなり人が集まっていた。
もう、雨が降るようなかんじもなかったので、レイン・スーツの上下を脱ぎ、リュックと一緒にビニル袋に入れて、小高くなっている草地の木の下に置いて、前のほうに移動を開始。
PAテントの前くらいの好位置に陣取る。
ギュウギュウではないが、ほどよく人が密集しているので、ネルシャツも脱いで腰に巻き、Tシャツ姿になっていると、大歓声とともにメンバー登場。
こういうユニットの場合、メンバーは機材に囲まれて淡々と演奏しているだけで、舞台に「絵」がないので、左右の巨大モニターの映像も演出の一部というか、そっちが主役である。
演奏が始まると、すぐ後ろに立っていた男の子が「ギャーーーーー」と叫び始めて、ちょっとうるさかったので、少し場所を移動したのだが、そこでもやっぱり他の男の子が「うぉおおおおおおおお」と叫びっぱなしなので「どこへ移動しても、無駄だ」と諦めた。
そんな感じで、「大盛り上がり」だったです。
昨日のルー・リードのときには、「雨が降ってきて、体が冷える」という状態でしたが、ケミブラのときには「少しは雨降ってくれても、涼しくていいかも」と思ったくらい。
実際、一瞬だけ降って、そのとき「待ってました」とばかりにステージからレーザー光線が走り、雨が光線に当たったところが、銀の粉を振りまいたようにキラキラと輝いて大変美しく、「わあ、もっと雨降らないかな」と思ったのですが、残念ながらその後、全く降りませんでした。そーゆーもんだ。
しっかし、もー、わかっちゃいたけど、エゲつなく盛り上げるもんだから、お客さんたち大喜び。
やっぱフェスのヘッドライナーはこうじゃなくっちゃだわ。
ルー様も少しは見習ってほしかった。
だって、「お祭り」なわけじゃん?
というわけで、ケミブラのライブがどうのというよりも、あれだけの人数がワイワイと踊ったり叫んだりしている雰囲気が楽しくて、私もしばらくヘラヘラと踊っていたのでありました。
でも、1時間くらいしたら「次のストリーツも絶対観たいし、その前にトイレに寄りたいから、これが終わる前に移動しないとなあ」と冷静な計画を立てて、こそこそと後退。
後ろの丘のあたりも、みんな立っていたので、なかなか荷物を発見できず、うっかり他人の荷物を持っていきそうになったのだが、雑踏を抜けたら少し寒くなったので、上着を着ようと中を漁ったら「わたしんじゃない!」と気がつき、慌てて戻ったのでありました。
空いているトイレで用を済ませ、オアシスの外れでケミブラの演奏を寝転びながら聴いていた。
もう、最後のほうは、音楽というよりも「ぎゅわ〜ん ぎゅわ〜ん ぎゅわ〜ん ぎゅわ〜ん ぎゅわ〜ん びよーん びよーん びよーん びよーん びよーん」なノイズ攻撃で、「よかった抜けてきて。こんなのあそこで聴いてたら、廃人になっちゃうよ」と思いました。
Tさんが翌日のバスの中で耳にした「ケミブラに廃人にされた女の子」の会話。
「あたし、昨日のケミブラの最後のほうから記憶がないんだよね」
「え?そうなんだ。じゃあ、穴に落ちたのも?」
「え?あたし、穴に落ちたの?」
ああいう、ノイズ攻撃を長時間受けると、頭の中がヘロヘロになり、人によってはそういう「泥酔状態」に近くなるのだ。
大変危険なので、慣れない人は注意したほうがいい。
●THE STREETS
どっちかというと、ケミブラよりも楽しみにしていたのが、これ。「イギリスのエミネム」とか言われているらしい。
グリーンのケミブラが終わると、けっこう客が流れてきた。
ケミブラの凄まじさを浄化してくれるような、緩いライブでほんとよかったっすよ。
フロントマンのマイク・スキナー君よりも、サブMCの黒人がお笑い担当で可笑しかった。
なんか妙に日本語が堪能で、「おげんきですかあ?」を連発。そして、いきなり「いっち にー さん」と言ってマイクを観客に向けるので、最初はみんな、弱気に「だーーーー?」と言っていたのだが、メンバーは「おお、日本人スタッフの○○さんが教えてくれたのは正しかった。これをやると、なんの打ち合わせもなく ダーーーって返ってくるんだ。おもしれー」とすっかり気に入ってしまったらしく、何度も何度もやらされました。
私もだんだんヤケになってきて「ダーーーー!」と元気に拳を振り上げてました。
軽妙なコール&レスポンス技で、ぐいぐい引き込まれてしまった。50分くらいのライブがほんとにあっという間でありました。
その時点で、時刻はまだ12時だったから、バスは1時まで運行しているので、宿に帰ろうと思えば帰れたのでありますが、でも、天候も安定してきて、「深夜のフジロックの怪しい魅力」が出てきたので、「まあ、いっか。テントもいい場所に移したし」というわけで、深夜の部をしばらく楽しむことにしました。
オアシスの広場は、すでに終了したグリーンやホワイト・ステージを追い出された人たちが、魂を抜かれたようにびっしりと座り込んでいます。まるで内戦から逃げ出してきた難民の休憩所みたい。
屋台やスポンサーのブースからも、それぞれ音楽が流れ、猥雑な雰囲気なんだけど、若者たちもほどよくくたびれ切っていて、完全に毒気が抜けていて、ゆるーいお祭りの夜です。あの光景は何度見ても楽しい。
そういや、Tさんが2ちゃんの「フジロック初心者Q&A」なスレッドで見つけた書き込みには、
Q「ナンパはできますか?」
A「やればできなくはないだろうが、疲れているから全くそんな気にならないはず」
というのが、あったそうですが、たしかに、あれだけ若者がいるのに、ナンパしている光景はほとんど見かけません。みんなそれどころではないのでしょう。
あと、全国津々浦々から人が集まっているので、関西弁も多く飛び交っています。関西の人って、ずっと喋っている人も多いので、実際よりも多くいるような錯覚を覚えるだけかもしれませんが、とにかく、ナンパするにしても「どっから来てるの?」と先に聞いておかないと、ね。
しばらくオアシスをうろうろして、WOWOWのブースの前で、ぼんやりと「サウスパーク」を観てしまいました。そこに椅子が置いてあったので、くたびれきった人たちが、みんな、ボーーーーっと画面を凝視している様子もいとおかし。
レッド・マーキーではSANTOSというDJがプレイ中だったが、もう踊る元気がない。
その後はバッファロー・ドーターのライブだったけど、それほど観たいもんでもないし、「もう、テントで休もう」と思ってゲートに向かった。
ゲートから出たところにも、新人バンドや大道芸を見せるスペースがある。
そこの屋台も場所がいいからけっこう人気があって、豚の串焼きがいつもいい匂いをふりまいている。
Tさんは、その日の帰り、そこを通ったときに、急に「私に必要なのは、アイスコーヒーだ」と気がつき、注文したら、店員がニッコリと
「タレをかけますか?」
と言ってそうだ。「ミルクとガムシロはつかいますか?」という言うべきところを人気商品である「豚の串焼きのタレ」と間違ったのだが、そう言われたTさんも、頭の回転が遅くなっている帰り道であるので「え?タレって?」と立ち尽くしてまったという。
そういう「職業病笑い話」はよくあるけど、私の友人が昔、年末年始の神社でバイトしたことがあった。巫女の格好してお守りを売る係りだったそうで、ああいうところでは「ありがとうございました」とか言わくて、独特の用語を使う。要するに「販売」しているのではなくて、神様に代わってお金をお預かりしているという姿勢を示すわけだ。
その彼女が、正月もあけて、大学に登校するときに、駅までのバスに乗って、運転手に定期券を見せた瞬間、
「ご参拝、ごくろうさまです」
と言ってしまった。運転手さんも、キョトンとしていたらしい。
巫女さん姿でお守りを客に渡すときに「ご参拝、ごくろうさまです」と連呼していたので、「定期券」を差し出した瞬間にそのセリフが自動的に連動してしまったらしいのだ。
話は戻るが、ゲート外のそのスペースには小さなテントがあり、連日ジャズ系のDJがプレイしている。その日はGaz Mayall が仕切っていて、私が通りかかったときには、アコーディオンの演奏が流れていた。
そんな感じで、ブラブラ寄り道しながらテントに戻ったので、もう2時になっていた。
テントサイトの入り口を入ると、トイレ脇の洗面所では、20人くらいの人たちが同じ方向を向いてシャカシャカと歯を磨いていた。なんかその光景がツボにはいって、写真に撮りたかった。
私はテントに戻ったら、もうトイレのところまで戻りたくなかったので、ペットボトルの水で歯を磨いてしまいました。
それから横になったのだが、寝ているうちにだんだん寒くなってきたので、寝袋は無いけど、レイン・スーツを着て、インド製のベッドカバーみたいな布(インド旅行で寝台車用に購入)をかけてみたら、なんとか寝られそうだった。
熟睡とまでは言えなかったけど、うつらうつらと結局7時くらいまでは、たっぷり眠れた。暑くて目が覚めたので、今度はレイン・スーツを脱いで、テントの入り口も開けて風を通し、8時くらいまではゴロゴロしていた。
三日目 8月1日(日)
日が差して来たので、テントの中が暑くなってきた。
下のほうのプリンスの屋台では「ホット・コーヒー販売しておりま〜す」とガナっている。コーヒー飲みて〜
そして、テントが林立する中をドラゴンドラの黄色いノボリを持ったオジサンが「ドラゴンドラいかがですか〜」と、まるで野球場のビール売りのように巡回販売。
商売熱心だ。
たしかに、あれの建築には凄いお金がかかっているだろうから、こういうときに少しでも稼いでおかないとね。
きっと担当部署は「フジロック中の売上目標」があって、それでボーナスの金額が決まるのかもしれない。
けっこうチケットは売れるみたいで、私らも昨日、チケット売り場を探し回ったくらいだから「ドラゴンドラ、ちょっと乗ってみたい」と思ってはいても、チケット売り場を見落とししてしまうために、「そのうち」と思っているうちに、忘れてしまうと思うのだが、ああして売りに来てくれるといいかもしれない。
私も昨日、ドラゴンドラは「異常にコストパフォーマンスがいい」と大絶賛していたので、テントから顔を出して、「がんばれドラゴンドラ部隊」と見守っていたら、オジサンに「いかがですか?」と声をかけられたので「昨日もう、乗りました。超よかったっすよ〜、ぜったい乗るべきですよね」と大声で宣伝してあげました。
1000円で、1000人乗れば100万円か。フジロック中にどれだけ売上あったのかなあ。
でも、乗ってる人たちはみんな満足そうで、アベックがいちゃいちゃするのもヨシ(あの中でプロポーズすると確率いいと思った。つり橋効果バツグン)、グループでわいわい騒ぐのもよしで、「ドラゴンドラを作った男達」もフジロック開催中に乗ってみたら、自分の仕事に誇りを感じると思うよ。(ああ、また中島みゆきの歌声が・・・・・・)
支度してから、プリンスの屋台でコーヒーを買い、横に少しだけあるテーブル席で飲んでいたら、隣のテーブルに座っていた兄さん二人組みが「今日の予定作成」に余念がない。
「まず、11時半からアブラで、ハナレグミも観てえよな、そんでホワイトでプラクシス・・・・」
私も「あぶらだこ」「Praxis」コースだったんで、「あ、同じ趣味」であった。
こうやって、他人の会話がなんとなく聴こえるのも、フェスの楽しみの一つ。テントサイトでも、隣のテントで若い女の子の会話は面白かった。
「前にこのテントに5人で寝たことがあってね。寝ようとしたら『これって、もしかしてイワシの缶詰みたい?』と思ったら、おかしくてなかなか寝付けなくて」
たしかに、普通のテントはせいぜい3人用なので、そこに5人詰め込むと、「オイル・サーディン状態」になる。聴いてる私まで、それを想像して笑いそうになった。
あと、女性専用サイトだったので、周囲は女性ばかりだったから「ねえ、○○ちゃんて彼氏いるのん?」という「出た〜真夜中の告白た〜いむ!」な会話を聴けたのも収穫。
今回のフジロックでは「どうやら直前まで発表されないらしい、モリッシーの穴埋めはなにか?」っていうのが、周囲の会話で一番面白かった。
一番、面白かったのがこれ。
「やっぱ、日本のモリッシーってことで、森進一だろう」
聴きて〜〜〜〜〜〜〜
その話をTさんにもしたら、やはり「森進一だったら聴くよ」と言っていた。グリーンステージで「おふくろさん」の大合唱とか、いいよねえ。
あとでTさんともそんなバカ話に花が咲いたのだが、三日間ずっといるとなると、そういうのも観たい気分になってくる。Tさんは「ジュリーとかいいと思う」「たしかに、TOKIO大合唱とか、したいよね」
あと、私は「わりと、ヘビメタ系の出演がないので、そういうの昼間のグリーンで観たいよ」と思った。
●あぶらだこ
くどいようだが、私が昨日、テントで夜明かししたのは、「午前中の太陽の下での、あぶらだこ」という珍品を観たいという、一心からであった。
会場入りすると、朝ご飯はなんにしよう、と悩んだ末、「ワールド・レストラン」のフランス屋台で、「ポトフ」を食べた。800円と高いのだが、頼んでみると鶏のモモ肉とデカいソーセージがゴロンと入った、かなりボリュームのある一品であった。
それと、朝っぱらから、イギリス屋台で、生ビタービールをグイっとあおると、もー幸せだな、ぼかぁ状態。
ビターの生は、東京でもなかなか希少なので、それがハイネケンと同じ500円なんだから、割安感倍増。それ以降、そればっかり1日で4杯も飲んじまった私でありました。
そこの木陰でしばらくゴロゴロしてから、11時にホワイトに出発。ホワイト・ステージはまったく木陰がないので、直前に乗り込む作戦。
しかし、昨日までとうってかわって、今日は「天候的にはベストだろう」というかんじで、山間を流れる雲が、日陰とカンカン照りを交互に演出。日焼け止めは入念に塗ったが、それでも、午前中のこの強力な紫外線攻撃にどれだけ勝てるか。
「あぶらだこ」に集まった人はけっこういた。
やっぱ、なんだかんだ言っても、フジロックの客筋っていいよな。最終日の午前中という条件なのに、こんだけ集まるんだもん。おねーさん、感激よ。
開始時間になったら、舞台に人が現れたが、それを観た、私の横に立っていた男の子が「あれ?まだチューニングすんの?」
あまりにも「普通」な衣服の人が出てきたので「スタッフ」だと思ったらしいが、あれがメンバーなんですよ。
たしかに「衣装」の「近所のコンビニに買い物に行く度」は、その昔観た「ニューオーダー」のショボい衣装に匹敵するくらい気が抜けていた。
そして、フジロックの2番目に大きい、初日の夜は椎名林檎のユニット「東京事変」が演奏していたのと同じ舞台で、淡々と変態サウンドを奏でる「あぶらだこ」
「太陽がいっぱい」な環境で、「太陽が眩しかったから」と言い訳をするマルチェロ・マストロヤンニも真っ青の、奇妙な状況である。
去年は一番奥のオレンジ・コートで「ルインズ」とかが演奏していたが、ホワイト・ステージの「あぶらだこ」っていうのもまた格別の味わいである。
なんとも文章で表現するのが難しい、変態サウンドなんですが、堪能いたしました。頑張って観にきてよかった。「あぶらだこ」はこれからも細々と演奏活動を続けていくかもしれませんが「ぐわあ、日差し強いなあ、がんばれ私のSPF50の日焼け止めクリーム」などと思いながら観ることなんて、今後二度とないと思う。
●JAMIE CULLUM
さーて、あぶらだこの演奏も終わり、私はまた長い道のりをテントサイトに戻るのだ。
今日は宿に帰るので、今のうちにテントを畳んでおかないといけない。
そんでまた、15:50〜のPraxisを観てから、16:30にオアシスでTさんと待ち合わせなのだ。
ああ、忙しい、忙しい・・・・・
と思いつつも、グリーン・ステージが近づいてきたら、なぜかピアノの旋律が鳴り響いていて、なんだかジャジーなんですけど、今演奏してんの誰?
歩きながらタイム・テーブルを確認すると「JAMIE CULLUM 」だって、そんな人、知らない。
しかし、ジャズピアノの魅力全開の、そう、私が中学生の頃の全盛期のビリー・ジョエルみたいなその演奏に心打たれ、思わず、そこで敷物敷いて座って見学しちゃいました。
そのくらい魅力的としか言いようがなかったよ、ジェイミー・カラム君。
なんだか童顔でひたすら元気がいい。全盛期のビリー・ジョエルと、クリフ・リチャードを足して、3倍したようなチャーミングさ。
なんか、昔のアメリカ青春映画に出てくる「高校一の人気者で、アメフト部のキャプテン」みたいな顔だ。私がアメリカ人小娘だったとしたら、あんな彼氏を家に連れていったら、両親が大喜びするだろう。
そんな、いかにも「イギリス人のおばちゃん受け」するようなルックスなのに、歌は超ウマで、ピアノをヘビメタのギタリストのように乱暴に弾き語る。足で弾いてみたり、椅子で弾いてみたり・・・・・遠くて観てても、すっげえ楽しいの。
まだ午後1時前で、けっこう緩い時間だったんだけど、後ろのほうで「ただ陣地とり」な人たちまで、拍手喝采だった。
いやー、ほんとに楽しかったよ。昼寝していた人たちも、ほんとに楽しかったと思う。つーか、昼寝していただけの人たちが「これ、誰?」と思わず起き上がるほどのパワーがあった。
私も、後ろのほうで座りながら、一所懸命拍手しちゃったもん。
●テント撤収
今日はほんとにいい天気で、雨が降りそうにもなかったので、テントは撤収することにした。
こういうのは明るくて、体力のあるうちにやっておくのが大人ってもんだ。
だいたい、テントをちゃんと元の袋に入れるのは時間がかかるのだ。
中の荷物を全部出して、まだ湿っているペーパータオルで中をちゃんと拭いてから、丸めはじめる。
ギチギチに丸めないと袋に納まらないので、かなりマジめに取り組んだが、暑いのでなんか作業しているだけで汗が吹き出る。
なんとか、本体を丸めたが、途中で中に何か異物があるのに着が着いたが「なんだろう?」と思っただけで、あまり深く考えず、とにかく巻いてしまった。なんとか一発で袋に入ったので、他のビニル袋にまとめた荷物(いつ雨が降るかわかんないし)と一緒にカートにくくりつけ、木の根元に置いておいた。盗む人がいれば、「どーぞ持ってってください。去年買った長靴もありますし」である。
撤収の準備が済んだので、またホワイト・ステージに向かうのだ。
●COSMIC ROUGH RIDERS
思ったより、テント撤収がサクサク行ってしまったので、しばらくまたグリーンの木陰で昼寝することにした。
演奏していたのは、COSMIC ROUGH RIDERSだったが、そんなの知らん。
まあ、聴いてみたら、わりと渋い、ちょっとブルース入ったギター・バンドだった。
しかし、なんか静かだ。さっきのジェイミー・カラムのときには、後ろの方に陣取った昼寝客も思わず大喝采というかんじだったが、こっちは曲間になると妙にシーンとしている。
でも、ステージ前方には、それなりに立ち見客が詰め掛けているのだが、それなのに静かなのだ。
「なんか盛り上がらんなあ、きっと前の方に行っている客も、次のリバティーンスのための場所取りなんだろう」と思ってたが、ライブが終わると、前のほうにいた客達もサーーーっと散っていった。場所とりではなかったらしい。
別に「世界の七不思議」にランクインするほどの「不思議」でもなかったが、なーんか妙に静かなバンド&客であった。
●Praxis,featuring Bill Laswell
さて、またホワイトに移動。途中の川の水に足を漬けてみたら、あまりの冷たさに脳天までキーンンとリフレッシュした。
相変わらず、日除けの無いホワイト・ステージは灼熱地獄だったが、日焼け止めを重ね塗りしながら「もう4時なんだから、紫外線はそれほどでもないか」と思った。
でも、傾きかけた日差しもそれなりに威力はある。
さて、なまくらな私は「Bill Laswell」という名前だけで、ここにいたのだが、正直言ってPraxisというのがなんだかよくわかってない。
でも、あの周辺って、やたらとユニットを結成するので、Praxisっていうのも、そういうもんだろうと思っていた。
そろそろ始まるかな、って頃に、フジロックには時々登場して、アーチスト紹介や「場内での注意」を告知するMCスタッフがいるのだが、そいつが出てきて、メンバー紹介を始めた。
「ドラムス 吉田達也、ギター バケットヘッド!」
舞台袖から、ケンタッキーのバケットをかぶった長身の仮面の男登場。
ああああああ、これがTさんの言っていた「バケツかぶったギタリスト」だ。
よかった。Tさんからその話聞いておいて。そうじゃなかったら「この、ケンタのバケツかぶった人は何?」とずっと落ち着かなかったと思う。
というわけで、何も期待していなかったにも関わらす、「バケツの人」「ビル・ラズウェル」「吉田達也様」という豪華メンツのユニット・ライブだったのだ。ああ、生きててよかった。
しかも主役は完全にバケツ・ギター(自分の中ではそういう名称に変換されていた)で、もうほんとにバケツったらギター少年の妄想をすべて飲み込んだようなほんとに「バカテク」なんだもん。
ボウイが解散して、ソロになったホテイがやりたかったのって、こういう音じゃないのかな?
たぶん、今でもホテイがバケツ・ギター(公式にはバケット・ヘッドです)のライブ観たら、次の日からキャツもケンタのバケツ被ると思うね。火遊びしている場合じゃないよ、ホテイ!
ロックバンドのメンバー紹介で、ギターの紹介になると、よく変な技を披露したりするじゃないですか?
まあ、ちょっと昔だと、ギターを歯で弾いてみたりとか、そんな「ギタリストの余興」の宝庫というか、「ギタリストの技自慢余興大会」だけを延々とやるのが「バケット・ヘッド」でした。
たしかに「ガンズン」が起用したのもわかる。バケツ・タイム(ヌンチャクで踊る)があると、その間、アクセルが休めるもん。(「たしかに、バケツがヌンチャクで踊っていたとき、アクセルは引っ込んでた」Tさんの証言)
ヌンチャクで踊るは、変なブレイクダンスも披露するは、かなり大道芸人でした。そんで、高島屋の紙袋からおもむろに
、いろんなフィギアをとりだし、客に投げると、飢えたピラニアのように群がる客たち。
ギターはバカテクで、マインドはかなりオタク。すごい、すごいよ、バケツ。
後で調べたら、ビル・ラズウェルが発掘した人材らしい。さすが御大。よくわかってらっしゃる。
しかも、バケツ君は、吉田様やビル様の見せ場になると、スっと後ろに引っ込んで、というか、どこで立っていればいいのかよくわからないという風情で、機材の後ろでしゃがんで休憩していたりする。
用がないのに舞台の隅で休憩する姿は、「千と千尋の・・・・」の「顔無し」そのものだった。バケツ被っているし、白い仮面をかぶっていて、髪の毛は長髪のズラで、正体不明だが、体つきというか猫背なかんじはサーストン・ムーア系あった。
●KEANE
今日のTさんの「これだけ」がキーンであった。
だから、それが始まる1時間前の5時半に待ち合わせたのであった。
私は少し早めに「ワールドレストラン」の前に着いて、またビターを飲んで横になっていたら、ほどなくTさん登場。
「ビル・ラズェル観るつもりが、バケツ・ギター見ちゃったよ」と興奮気味の私に「ああ、バケット・ヘッドねえ」と冷静に修正してくれるTさん。
キーンの開始時間が近づくと、けっこう人が集まってきたので、早めに前のほうに行くTさんを見送って、私はマーキーの後ろの木陰で陣地を張って、寝転がっていた。
すると、前の道をトボトボと歩いてくる中年男性の姿が目にとまった。
目深に被った帽子に短パン姿だが、50歳くらいのオジサンに見えるし、首からかけたスタッフ証が「客ではありません」と語っている。
マーキーの後ろのゲートは、プリンスから歩いてやってくるスタッフの出入り口になっているので、そういう「客ではありません」な人の出入りは激しいのだが、それにしても高年齢っぽい彼はちょっと目立っていた。
たぶん、あれが「渋谷陽一」である。
折り畳み椅子を手に持って、どこでも座れる体勢を整えているらしかった。タダ者ではないな、と思ったのは、彼が椅子を広げて座った位置である。そこだと、小高くなっているので、座っていてもマーキーの舞台がかろうじて見える位置なのである。「フジロックを知り尽くしているオヤジ」の風格を感じた。
シーブがわざわざ観にきた「KEANE」であるが、ほんとーに素晴らしかったです。
もう歌声がすごい。イギリスからは、ときどき、ああいう奇跡の歌声を持つアーチストがポツネンと出現しますが(アズテック・カメラのロデイとか、シンプリー・レッドのミック・ハックネルとか)、まさしくその「選ばれた声を持つ系譜」の人でした。
もー、とにかく美しいんですよ、声が。
そして、メロディも。
Tさんの隣にいた若者が、ボロボロ泣きながら聴いていたらしいけど、後ろのほうでゴロ寝聴きを決め込んでた私だって泣きそうになったもん。
しかも、このバンド、なぜかギターがいないんですよ。途中で気がついた。
ボーカルとドラムとキーボードの3人編成っていう、無茶苦茶緩い編成なににもかかわらず、ちゃんとロックだったし、しかも、キーンなんて全然知らない私の胸を打つサウンド。すごすぎ。
帰りのバスでも、後ろに座ってた女のコが「キーンは次は絶対グリーンでやる」と勝手に宣言してましたが、あのまま順当に活動していれば「シンプリー・レッド」以上の支持を受けるはずです。
ほんとに、なんか「幸せの音」だった。
さて、そんな素晴らしい「キーン」のライブも終わり、またTさんと合流して夕飯を食べました。
Tさんは、今日はもう帰るつもりのようでしたが、「キーンのとき、中にいたスタッフが喋ってたんだけど、モリッシーの替わりはどうやらスミスのトリビュートバンドになるらしいね」
うーん、私もけっこうくたびれているが、でも、スミスのコピーバンドだったら、ちょっと観てみたいかも。客がどういう反応するのか興味ある。
Tさんは「明日は仕事だし、もういいや」と8時頃に先に宿に帰ったので「じゃあ、たぶん、10時くらいまで観たら帰ると思うから、11時くらいに宿に着くと思う」と言って、私は残ることにした。
9時15分までは時間があるし、その前にレッド・マーキーで「ASH」がやるからそれでも聴いてようと思っていたのだが、8時過ぎにグリーンでの「ホワイト・ストライプス」が終わる前から、どんどん客が流れてきていたのだが、終了すると、ドドドドっと大群が押し寄せてきたので、マーキーのそばから離れた。
Tさん情報によると、ASHは前にフジに来たときもレッド・マーキーで演奏して、そのときも客があふれて入場制限になったりしたらしく「モリッシーがキャンセルになったら、アッシュをグリーンに移動させて、ホワイト・ストライプスの前にやればいいのに」という意見も多かったようである。
それにしても、レッドとグリーンは近いので、その気になれば「どっちも全部見る」ということが可能である。時間もほどよくズレているし。だから、グリーンでの演目が「あと15分」くらいになると、レッドに移動する人が多くなり、レッドの演目が「あと15分」くらいになると、今度はグリーンに逆流しはじめるのだ。
Tさんが前日にベン・クィラーを観たときにも、前のほうに駆け寄ってきたかと思うと、「キャーーーーっ」と激しく盛り上がっていて、1曲終わると、またサーーーーーっと、後ろの方に消えていった「謎の若い女の子」がいたそうだが、「ベンを観てから、グリーンでコートニーで、ホワイトに移動してベルセバ」などというスケジュールを立てている人もいるだろうなあ。
さて、アッシュの演奏が始まったが、やはり人気あるだけあって、ライブも威勢がよくて盛り上がっている。「こりゃ、やっぱしグリーンでやってもよかったんじゃないの?これを日曜の大トリにしたら、誰も文句言わなかったんじゃ・・・・」と思いつつ、「そうだ、最後だし、地酒飲まなきゃ」と日本酒を買い、セッティング中で静かなグリーンに移動して、ちびちび飲んでいたのだが、紙コップが不良品で底からポタポタ垂れてきたので、急いで飲んだら酔っぱらっちゃった。
「いったい、モリッシーの替わりは誰なんだろう?」と期待を抱いた人々が、次々と集まってきた。あちこちで「誰なんだろう?」という会話が交わされているので、酔っ払いの私は「どうも、スミスのコピバンらしいっすよ」と話し掛けたくなるのをグっと押さえる。
開演時間になり、スマッシュ社長の日高氏が釈明MC。日高氏を観るのはルースターズに続き、今回2度目である。
この「日高大将」の出たがりに関しても、賛否両論あるが、でも、私はやっぱし密かに尊敬している。
グラストンベリーに行ってみて思ったのは「これは日本では無理だろう」ということであった。台風も上陸しないし、夏でも夜は寒いくらいだし、湿度も低いイギリスだからこそ、「三日間風呂無し」でも耐えられるだろうけど、日本だったら、高原じゃないと無理だし、夏の高原はどこも混んでいるのだ。
秋にやるという手もあるが、秋は台風のリスクが高いしねえ。
そう思っていたら、今では伝説となった富士山の麓での「第一回目」が開催されて、大雨にたたられ「ほーら、やっぱし」と思ったが、次の年はなぜか「お台場」で開催し「それじゃあ、グラストンにはならないだろう」と思っていたら、「苗場」を探し当てた。
グラストンみたいに、「会場内でテント宿泊」というのは諦めて、場外のゴルフ場にテントサイトを設けて、「テントで寝泊りするのに慣れない日本人向け」というか、苗場は宿がたくさんあるスキー場だったために、けっこうな人数を吸収できたようだ。
そして、「1日券」を出すというスタイルも、イギリスではけっこうよくあるようで、有名どころでは、今の日本だと「サマーソニック」に近い、都市型というか地方都市型のレディングや、シュイクスピアで売っている観光地のストラス・フォード・あぽ〜ん(違う)・エイボンからバスで40分くらいのところで開催されてたフェニックスなんかが有名。
フェニックスには私も行ったことがあり、毎日12時ごろ、全ての演目が終了すると一旦、ゲートから出されて、隣接されたテントサイトか、バスで街に移動するというスタイルは、あそこがお手本のような気がする。
そんで、いつのまにか、グラストンとフェニックスから吸収したノウハウに年々磨きをかけていき、今年はとうとう「憧れのグラストン・スタイル」(通し券のみ。ちなみにグラストンはリストバンドすらなかった)を敢行。
今年は大手新聞なども、こぞって「この夏のロックフェス」を取り上げていたくらいで、ウドーが参入したこともあり「日本でも定着か?」と注目浴びたようだし、たぶん「外人向け情報誌」にもかなり取り上げられたのではないだろうか?とにかく外人が多かった。
それは、外人にも「本格的な野外ロックフェス」として認められたということなのか、なんなのか知らないけど、確かに両方を一応体験した私にとっても、「フジロックは、かなりグラストンに近づいた」と思ったし、トイレの整備などは、グラストンの数倍よかった。グラストンのトイレは本当に泣きましたよ。だって、「これじゃあ、悪名高き中国の田舎のトイレみたいじゃんかよ」だったのである。
あんなトイレ初めて観たよ。もちろん個室だし、洋式なのだが、中で繋がっているので「共同、ぼっとんトイレ」なのだ。その水位(?)がだんだん上がってきて、朝とかほんとに恐ろしいことになっている。便座の10センチくらい下は「肥溜め」なのだ。私は運悪く、グラストン滞在中は「生理中で一番ひどいとき」だったため、いつもよりトイレに行く回数が多いし、滞在時間も長くなるので、ほんとに辛かったですよ。それに、紙もないので、トイレットペーパー持ち歩かないといけなかったし。
その前にインドにも行っていたのだが、グラストンに一緒に行った友達に「インドってトイレが酷いんでしょ。なんか不衛生そう」と言われて、「ここより全然マシだよ。ここで耐えられたら、たぶん、インドだろうが、アフリカだろうが、もっと衛生的だ。それにインドだったら、最悪でも水シャワーが使えたよ!」と猛烈に抗議したのであった。
なんか話が逸れたが、「日本でよくここまでやったよな」と尊敬する日高氏が「怒る人もいるかもしんないけど、これがオレらにできた最良の選択でした」と紹介したのは、その名も「This charming man」というバンド。
●スミスのコピーバンド?
私の隣に座っていたカップルは、状況を把握するまでにかなり時間がかかっていた。
モリッシーそっくりさんボーカルが体をくねらして、始まった曲は「スエード・ヘッド」であった。
「え?なに?これ・・・・なに?」と顔を見合わせるカップルの横で、私は大爆笑。
だって、「スエード・ヘッド」の歌詞ってさあ。
♪Why do you come here ?
・・・・・・・・・・・
♪I'm so sorry, oh ...
じゃんよ〜〜〜〜〜
私は、きょとんとする大観衆を前に、一曲目はやっぱし、バンド名の「ディス・チャーミング・マン」で派手にやってほしかった。
それでも、寒かったとは思うけど、「なんだこりゃ、と思いつつも、ついつい飛び跳ねてしまう客」というのを期待していたのよ。
そのためには、モリッシーの曲よりも「モリッシーが、もはや歌ってくれない、スミスのヒット曲」を連発すりゃあよかったのに。
しかし、残念ながら、戸惑う客の前で、立て続けにモリッシーをコピーしていたのであった。
まさに引き潮のように移動しはじめる客たち。
私も結局、9時15分に開始して、3曲目でもモリッシーの曲だったので、「ああ、スミスの曲、聴きたかったなあ」と思いつつ、グリーンを後にした。もー、つかみが肝心だったのに。(その後、スミスの曲も演奏したのかわからない)
テントサイトに戻って、カートにくくりつけたテントを引きずって、バスに乗って、越後湯沢に着き、コンビニで「えちごビール」を買って部屋に戻ったら、ちょうど11時だった。
Tさん「どうだった?」
みやの「スミスのコピーバンドじゃなくて、モリッシーのそっくりさんバンドだった。一曲目がスエード・ヘッド」
Tさん「ははは、いきなりアイム・ソー・ソーリーって謝ったんだ」
みやの「ほんと、そう」
さっさと風呂に入って部屋に戻ると、Tさんが「エチゴ・ビール買ってあるよ」
「あ、私も買ってきちゃった。なんか、災害で被害にあった新潟に貢献しなきゃいけないという、思い込みが・・・」
Tさんが帰る時間には、駅でオバチャンのボランティア団体が寄付を募っていたそうだが、私が通った時間にはいなかった。
今回の「新潟旅行」のサブ目的は「宝クジを寄付した人には遠く及ばないけど、できるだけ新潟で散財する」ということだったし、コンビニでも売っていたエチゴ・ビールはほんとに美味しかったので、(Tさんは、ついうっかりお土産でも買って帰ったそうだ)最終日の夜の反省会にはふさわしいだろう。
「スミスのコピーバンドより、どうせなら、クイーンのコピーバンドのほうがよかったな」
「ああ、たしかに、フジロックでグイーンとか観たいかも」
などと、延々とバカ話反省会しているうちに、夜中の2時になってしまったし、4缶あったエチゴ・ビールも、他のビールも飲み尽くし、二人で死んだように眠ったのでありました。
帰宅 8月2日(月)
7時ごろ目が覚めたので、朝風呂に入りに行った。
初日に、重い荷物を抱えて歩きまわったので、右腕がけっこう痛かったのだが、その痛みもそれほどひどくならなかったし、あれほど歩き回ったのに、足もそれほど痛くなっていない。
少し前から「目指せフジロック」とばかりにジムで鍛えたのも効いたのかもしれないが、やはり、こうして温泉にゆったりと漬かれたのがよかったのかもしれない。
私はフジロックで宿に宿泊するのは初めてだったが、Tさんは何度か苗場プリンスに宿泊している。でも、部屋がかなり狭かったし、お風呂も共同のものがなく(あとで調べてみたら、大浴場はあったのだが、フジロック開催中は使えないらしかった)狭いユニットバスだったらしく「荷物を広げる場所もなかった」そうで、今回泊まった「お風呂は温泉だし、部屋も広々」というのはTさんも気に入ったらしい。
確かに、会場への行き来はそれなりに時間がかかるが、バスは頻繁に出ているので、大混雑する時間を避ければストレスもないし、夜になって宿に戻ると、会場と雰囲気が違って「普通の温泉街」なので、気分的にも「OFF」になり、心身ともに休まるのだ。
さっとお風呂に入ってから部屋に戻るとTさんも起きていて、「私も風呂入ってくるわ」と言うので、Tさんのいない間、私はせっせと荷造り。Tさんは、前日すでに荷物をまとめていた。
朝ご飯を食べ終わると9時で、Tさんに「これだったら10時くらいの新幹線に乗れるんじゃない?」と言ったら「そんなに早く行く必要もない」
たしかに、いつも午後出社のようだから、午前中に会社に着いても、やることがないらしい。
それでも、チェックアウトの清算したり、Tさんの荷物を宅配便で送ったり、お土産を買う余裕があったほうがいいから、9時半過ぎには部屋を後にした。
Tさんは駅に向かい、私は反対方向というか、宿から眺められた「すぐ隣のロープウェイ」に乗ることにした。私は、別に急いで東京に戻る必要もなかったし、それに多分、昼ごろまでは新幹線が混むと思ったので、昼過ぎまで時間を潰そうと思ったのである。
宿から見えたロープウェイは「世界最大166人乗り」らしく、数十分おきに発車しており、その様子を部屋からずっと眺めていた。二日前、世界で一番長いらしい、「ドラゴンドラ」に乗ったばかりだったので「ついでだから、あれも乗ってみるか」と思ったのだ。宿でチケットを買うと、いくらか割引になるらしい。
というわけで、荷物をフロントに預けて、ロープウェイ乗り場に向かうと、家族連れや老人ツアー客でけっこう混んでいた。ロープウェイが動き始めると、眼下に私たちが宿泊した「湯沢東映ホテル」が見えた。
「そういや、露天風呂はどっちにあったんだっけな」と思ったら、それもすぐ確認できた。
てゆーか、近視だから確実ではないが、な〜んか女湯もしっかり見えたような気がすんですけど・・・・・一応、大きな木が目隠しになっているんだけど、手すりは見えたもん。
朝の10時から、午後3時までは掃除のために閉めているから、私が見たときには無人だったけど、時間帯によってはヤバいと思いました。ご興味のある方は、朝の8時か、夕方5時くらいにどうぞ(笑)
さて、10分くらいで頂上に到着。
ちょっと上に行っただけで、風の涼しさは違うが、でもカンカン照りなので暑い。
出口の外で「高原植物園」まで行くミニバスも出てたが、「時間つぶし」なので、テクテク歩いていった。そこからまたリフトが出ていたり、ゴーカート乗り場があったりするが、10分ほど歩くと植物園。
尾瀬沼を模した「湿地帯」が再現されていたが、いかんせん真夏であるから、水芭蕉もすっかり枯れているし、花もほとんど咲いてない。ただ、人口池にオタマジャクシがびっしりと泳いでいて「ひさびさに、こんな大量のオタマジャクシを見た」と少しだけうれしかった。
一回りしたが、とにかく花がほとんど咲いていないので、あまり見応えもないし、リフトで上りきったとこからレールの上をボブスレーで降りてくるお子様も多かったが「さすがに、一人であれに乗る勇気もない」と思って、またロープウェイ乗り場に戻って、すぐに下山してしまった。
結局、あんまし時間つぶせなかったので、もう一つ計画していた「立ち寄り公共温泉」に挑戦。
越後湯沢から、ガーラ湯沢に向かう途中が「湯元」らしく、川端康成が入ったお湯(「雪国」参照らしい)も、そのあたりらしいのだ。
事前にインターネットでも調べたのだが、他にも駅周辺には公共の立ち寄り湯が何軒かあるが、駅から徒歩20分くらいにある「山の湯」が湯元だけに一番「お湯の質」がいいという。最近の「温泉疑惑報道」で、温泉にあまり詳しくない人にもお馴染みになった「源泉かけっぱなし」ってやつである。
しかし、時刻は正午。気温は東京と同じくらい高いし、雲ひとつない晴れなので、とにかく暑い。
日焼け止め+帽子+サングラス+首筋を守るための温泉タオル という重装備だったが、それでも日焼けしそうだったので、折り畳み傘を開いてさらに防御。傘が役に立ってよかった。(フジロック会場内では使用できないが、東京で降られた場合に備えた)
「雪国」の舞台であるが、「30度を超える雪国」という矛盾した状況の中、雨も降ってないのに雨傘を差して歩くという、状況をさらにややこしくする自分の姿がおかしい。なんだかしらんが、「駒子さんすいません」と謝りたくなった。
汗だくになりながら、温泉街の外れを歩き、やっと「山の湯」に到着。スキーシーズンにはそれなりに混雑しているらしいが、この暑い真昼に来る客も少ないだろう、と思っていたが、ほんとに空いていた。でも、女湯の先客は子供を連れた近所の主婦と、私の後から老女が一人。でも、狭いお湯なので、それだけでちょうどいい。
ほんとにシンプルな温泉だったが、泉質の良さはシロートにもわかり、なんか肌に張り付いてくるようなしっとりしたお湯だった。
20分くらい水を浴びながら漬かっていたが、あまり長湯しているようなスペースもないので、また日焼け止めを入念に塗りなおし、傘を差して駅に向かい、途中でまた坂を登って宿で預けた荷物を請け出して、カートを引きずって越後湯沢駅に到着。
指定席を予約する窓口は長蛇の列だし、広い構内は荷物持ったフジロック客でごった返していた。
「どーしよ、こりゃ、帰りは座れないなあ」と思ったが、会社用のお土産を買ってから、地ビールの生が飲める店でジョッキをかたむけ「風呂あがりの一杯はうまいねえ」などとやっているうちに、1時近くになり、「まあ、いーや、そんなに疲れてないし、立って帰ろう」と、早めにホームに入って、ちゃんと「自由席」のところの行列に並んだ。
始発じゃないので、6割くらい埋まっていたけど、また二階建て新幹線で「通路のところで立ってるか」と思って二階に上がると、ラッキーなことにポツネンと1席だけ空いていたので、座ることができた。
2時半くらいには東京駅に着いて、行きと同じく山手線で渋谷に行って、渋谷からバスで帰った。
家についたのが4時くらいで、それからすぐに洗濯してから、外で夕飯を食べて、ビールを買って帰り、9時くらいには眠ってしまった。
まとめ
やっぱ三日間どっぷり滞在はよかったと思う。
「1日券無し」は、「貧乏人」や「休みとれない会社員」たちには評判が悪かったし、私も、もし1日券があれば、「金曜と土曜だけ」にしたかもしれない。
でも、結果的には、無理やり3日間いたために、かなりのんびり楽しむことができた。
大道芸を眺めながらソフトクリームを食べたり、ドラゴンドラに乗ったり、そういう時間も楽しかった。
そして、他の客たちも、同じ時間の流れにいたので、居心地がよかったように感じたし、それに、1日だけ突出して人が多いということもないし、夜に絞っている人もけっこういるので、会場内の混雑(特に移動のときのラッシュ)は以前に比べるとかなり緩和されていたように思う。
フジロックはこのスタイルを貫いていいんじゃないかな?
「1日だけ」って人は、サマソニがあるし。
フジロックは「目当てのバンドが」ってよりも、とにかく三日間、ゆったりと楽しもうってイベントでいいと思う。
イギリスでそういうフェスに行ったときに思ったんだけど、向こうの客って、音楽どうのというよりも「こいつら、日焼けしに来てるな」と思ったもん。
掲示板での書き込みでは、フジロックとサマソニを比較して文句言ってる人がいたけど、その中で「なるほど、上手いこというな」と思ったのは「サマソニは音楽の見本市(会場がメッセだし)で、フジは音楽のテーマパーク」という表現。
ディズニーランドで「サンダーマウンテン」が故障中で乗れなかったからと言って、「金返せ〜〜〜」と怒る人は少ないだろう。もちろん、目当ての乗り物はあるだろうけど、ディズニーランドの楽しさってのは、乗り物だけではないはずだ。
あと、今回は天候がベストだったような気がする。前日までけっこう雨が降ったようで、一部はぬかるんでいたけど、おかげで砂埃がなかったし、時々雨も降ったが、雨具がなくてもなんとかしのげる程度だった。
3日目は晴天だったので日差しが強かったが、1、2日目は曇っている時間のほうが長かったので、過ごし易かった。あのくらいの天候だと、雨によるストレスも感じないし、日差しで体力を奪われることもないだろうし、熱中症になる人も少なかったと思う。
特に雨もピタリとやみ、そよ風が吹きぬけていた二日目の夜は理想的な気候だった。
あと、やはりくどいようだが「温泉に入れた」というのがよかったな。無理して苗場の宿をとるよりも、越後湯沢駅周辺にして正解でした。
テントサイトでは、お風呂やシャワーが行列していたけど、あそこでぼんやり30分も待って、ショボい風呂に入るよりも、往復2時間くらいかかっちゃうけど、越後湯沢まで降りて、立ち寄り温泉に行ったほうがゆっくりできそうだ。駅周辺も何軒かあるし(駅の中にも日本酒風呂があるくらい)、どこも300円くらいなんだもん。
もし、また行くことがあって、テント宿泊になったら、私はそうしようと思った。車があれば、途中に「貝掛温泉」っていう秘湯もあるし。(田代駐車場に近いので、その気になれば行けるけど、行きのバスで確認したら、田代から徒歩30分以上ありそうなので諦めました)
さて、今回のサブ目的というか、後からとってつけたような「私だけ楽しんじゃってすいませんねー、でも、豪雨で被害にあった新潟にお金たくさん落としますから許して〜」という免罪符大作戦であるが、宿代で3万円も遣ったし(Tさんはマッサージまで呼んだぞ)、コンビニで越後ビールも買い捲ったし、ロープウェイも乗ったし、駅で土産も買ったし、ビールも飲んだし、会場内でも地元っぽい店で酒飲んだし、経済効果にはかなり貢献したと思う。
温泉街のいい場所にあったセブンイレブンはいつも混雑していて、レジ2台がフル回転でバイトも総動員ってかんじだった。
店側も慣れているようで、「冷えピタシート」などが大量に棚に入っていたが、3日目に「木陰で昼寝してたら、いつのまにか足に日が差していた・・・・」と7分丈のパンツと靴下の間が「キャッチャーの足のプロテクター」のような形に日焼けしてしまったTさんが冷却シートを買おうとしたら「もう、子供用しかなかった」そうで、小さいのをびっしり貼ってしのいでいました。
面白かったのは、そこのコンビニでは、ミネラルウォーターを凍らして売っており、冷凍庫いっぱいに詰め込まれていたのが、夜になると完売していた。
あの店の3日間の売上は、かなりのもんだろうなあ。
今年は、天気がよかったので、私も会場内で毎日3杯以上のビールを消費していたが、ビールも売れただろうねえ。みんな、よく飲んでいたもん。
天気がいいと、みんな快調に飲食するはずで(雨だとゆっくり食べられないし、足場がいいと、ついついあちこち移動しちゃうので、すぐお腹が空く)私ですら、会場内で3回くらい食べてしまうので、若い男の子だと、もっと食っていただろう。どれも500円程度なのだが、飲み食いで1日3000円くらいはあっという間だ。
3万人の人が、三日間で1万円遣うとすると、300、000、000・・・3億円かあ・・・・まあ、それよりはもう少し少ないと思うのだが(入場者数も、一人あたりが遣うお金も)、億単位の金が動くのは確実。
Tさんとも、飲み食いしながら、そんな話をしていたのだが、Tさんは「いったい、出店料はどのくらいとるんだろうねえ?」と言っていた。
そういえば、今年は屋台の集まるオアシスで、いつも行列が出来ていたのが、地元の人が出店しているらしい「もち豚」の屋台で、屋台横では常に複数の男性がせっせと串焼きを焼いていた。
Tさんによると、前はそんなに人気がなかったらしい。それに、焼くのに時間がかかるのでシロートっぽいもたつきがあったそうだが、今年は「地元の青年会議所総動員」というかんじで(そうなのかどうか知らんが、なんかそんな雰囲気だった)大繁盛する屋台を嬉しそうに切り盛りしている姿が印象的であった。
その隣で地酒売ってる屋台も、最終日の夜には、焼酎がほとんど売り切れてたし、なんかああして、地元の人たちに活気があると、彼らも「また来年もよろしくな」という気分になるわけで、ああいう雰囲気は好きだなあ。
なんかやっぱし「地元に歓迎されてる雰囲気」って、それだけで嬉しいじゃない?
そういえば、最終日の夜に、テントサイトで荷物をピックアップして「さあ、バスに乗って宿に戻るべ」というときに、ふとコーヒーが飲みたくなり、プリンスの屋台でコーヒーを頼んだら、バイトの兄ちゃんに「またお越しください」と、ニッコリと言われ「こんなとこでも、接客マニュアル。ホテルの意地か?」と可笑しくなっちゃったのだが、でも、私はもう戻ってこないわけで、なんかちょっと切なくなってしまい、コーヒーを飲みながらカート引き引きバス乗り場に向かう間、「また、来たいなあ〜」と思ったのでありました。
あんなに心に染み入った「またお越しくださいませ」も初体験であった。
そういう、小さい感動(ぷっ)が「旅の思い出」を作るんだよねえ。
そーいや、今年はほどんど「反戦メッセージ」に出会わなかったなあ。たまたま観なかっただけかもしれないが、それも純粋なお祭りムードを邪魔されなくて、私としては居心地がよかった。ほんとに、ディズニーランドと同じなんだから(行ったことないけど)、ああいうところで「世界には苦しんでいる人が大勢いるんです」なんてこと思い出したくもないんですよ。
というわけで、書いているとキリがないのだが、10万円くらいお金を使ったけど、それに見合うだけの「極上のバカンス」が過ごせたので、またいつか参加したいと思いました。
私とTさんを強引に誘ってくれた「ルースターズ」の面々に感謝の念を送って、終わりにしたいと思います。
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