衛星中継の快楽


2000年4月9日
 
 何年か前、上司と真夜中の六本木のおしゃれなバーでこの話をしたのですが、どうしてもわかってくれなくて悲しくなったのですが、私の話し方が至らなかったのかもしれないので、もう一度文章でまとめてみます。けっこう粘着質かも・・・

 私の子供時代には衛星生中継というのはとても珍しかったのです。今みたいにテレビが平気で深夜まで放送していなかったせいもあるでしょうけど、オリンピック中継はたいてい録画でした。時差をものともせず、深夜に生中継を始めたのは私が中学生くらいのときだったのではないでしょうか?

 中学生のとき、隣に座っていたテニス部の男の子の影響でウィンブルドンに目覚めました。
 別にその男の子が好きだったとかではなく(名前も憶えてないけど、彼がRHマイマスAB型という珍しい血液型だったような記憶があるのだが・・・)、ある日突然彼が「日曜日はボルグとマッケンローの決勝なんだよ。どっちが勝つか賭けよう」と言い出したのです。そう言われても私は「エースをねらえ」は好きでしたが、実際にテニスの試合を真面目に観たこともなく、ボルグくらいは知っていましたが、賭けようと言われても情報がありません。「俺はボルグに100円」と言うので、わけわからないままに「マッケンローに100円」賭ける羽目になったのです。
 
 とにかく100円賭けたので、その週末に私はテレビで初めて真剣にテニス中継を観たのです。前半は録画でしたが、休憩タイムを飛ばしていって後半は「ここからは衛星生中継になります」と断りが入って、リアルタイムで試合が進行しました。試合は確かフルセットにもつれ込む接戦で、100円賭けた私は当然マッケンローに肩入れしますし、全盛期を過ぎたボルグよりも勢いのあるマッケンローのほうがやや優勢ではありました。
 シロウトが観ても面白い試合展開にすっかり私は魅了されて、マッケンローがサーブをするたびに「よっし、次もエース狙いだ。あんたならやれる!」と心の中で念じていました。英国から飛んでくる電波が自宅のテレビ画面から私に届き、私の念力で跳ね返って、ウィンブルドンのセンターコートの芝生の上でスパークしているような気分になりました。
 多分、賭けをした男子も同じようにボルグに念を送っているはずです。負けてはならんと私はトイレに立つのも忘れて、必死にテレビ画面を凝視していました。結果マッケンローが勝ち、私は自分が勝ったかのように喜び、翌日「私が勝ったから100円ね!」と堂々と片手を差し出しました。

 それ以降、ウィンブルドンは私の年一回のお祭りになりましたが、そのたびにひいきの選手に念を送り、共に勝ち負けを分かち合いました。単なるテニスファンとしては当然の行動だと思っていましたが、そこで気がついたのは、「生中継」というのはそれだけ自分も試合に参加しているという気分がして面白いということでした。
 しかし、その何年か後、自分が求めていたのはそれだけではないと分かったのです。

 独り暮らしを始めたとき、部屋にクーラーがありませんでした。窓が二つある角部屋だったので、クーラーが嫌いな私は我慢していたのです。
 さすがに熱帯夜の日は熱くて、なかなか眠れない日もありました。そのころちょうどオリンピックが開催されていて(バルセロナだったかな?ロサンゼルスかも?)、眠れない夜にはよくぼんやりとオリンピック中継を観ていましたが、たまたまその日はオリンピックの華であるマラソン中継でした。
 マラソンは不思議な競技で、これといった展開がなくても、一旦観始めてしまうと最後までぼんやり観てしまうのものです。そのときも、あまり興味はなかったのですが、寝付けない自分と淡々とした映像が妙にマッチして、とうとうゴールまで付き合ってしまいました。たしか週末だったので、翌日起きる心配がなかったと思います。
 とにかく中継がほぼ一段落し、なんだか脱力感を感じて、さあ気が済んだし眠ろうかなあと、もう3時くらいで気温も下がってきたので、窓を全開して部屋の空気を入れ替えようとしたついでに、窓から外を眺めて深呼吸しました。
 真夜中なので住宅街はひっそりと静まっていました。
 外の風にあたっていると、ふとテレビの音が違うように思えました。何だろうと耳を澄ますと、音が立体的に聴こえるのです。よく電話中に相手も同じ番組を観ていたときに、こういうかんじになります。
「ああ、そうか、マラソンだし週末だし、他の家でも観てるんだなあ」
 しばらく、その微かな反響に耳を傾けました。よく観ると近隣の家々もけっこう明かりの点いた部屋があって、多分皆さんも今ごろ私と同じく「あーあ、最後まで観ちゃったよ。そろそろ寝るかな。歯を磨こう」なんて言っているに違いない。
 そんな想像をしていたら、涙が流れてきました。
 
 私はたった一人でテレビを観ていたけど、隣近所の人々も同じようにビールなんて啜りながら観戦していて、ということは、この地球上のたくさんの人達がテレビの前で思い思いのことをしながらも、じっと同じ映像を見ていて、同じように「あーあ、つい最後まで観ちゃったよ」なんてぼやいているのかもしれません。耳をすませば、世界中のテレビの音がうわんうわんと反響して一つの音を作りあげているような気がして、そのことがなぜかとても心に響いたのです。

 そのときの感激が病みつきになってしまい、それ以後、人気スポーツの重要な試合の衛星生中継を観るたびにぼんやりと同じ映像に一喜一憂する大勢の人々の存在を感じます。
 サッカーもそれで俄然おもしろくなりました。シュートがわずかにゴールを外れた瞬間、地球全体がため息をつくのを勝手に感じてしまいます。
 何億人という人間の念が同じ映像、同じボール、同じ芝生、同じ審判の笛に注がれているのです。そのパワーが数値化されないことはわかっていても、その中に参加しているという快楽までもが嘘だとは思えません。インターネットが世界を繋いでいると言っても、皆がばらばらに繋がっているわけで、スポーツ中継のあの集中力にはかなわないと思います。もっとも視聴者はあくまでも受け手ですが、でも彼らはそれぞれの思いを画面にぶつけているのです。それが「カメラの向こう」に集中して、またそれを感じるわけです。

 という話を上司(6歳年上なだけ)に語ったのですが、「言ってる意味がよくわからない」と一蹴されてしまいました。同席していた同僚がそのころネットサーフィンにはまっていて、「ちょっとわかるような気もする」と味方してくれましたが・・・

 私の弟がスポーツ好きで、アメリカに行けばアメフトや野球を観戦し、撮ってきた写真を見せてもらっても巨大なスタジアムばかり写っていて笑えるのですが、その弟がサッカーの聖地ウェンブリー・スタジアムを訪れて、「場内見学ツアー」に参加したときに「ああ、いつも観ていたのはここなんだと思って、試合やってるわけでもないのに、泣きそうになった」と語ったときに、「おお!お前は間違いなく私の血の繋がった兄弟だ!」と思いました。
 
 ちょうど2年前、私が「ヨーロッパ ロック・フェスティバル ツアー」に出掛ける旨を母親に告げると、「あらあ?Sちゃんも夏休みとってイギリスにいくらしいわよ」というので「あいつは、ウィンブルドンに行くんだ、きっと」と言ったら「そういえば、テニスがどうのって言ってたわねえ」「私も時間が許せば行くつもりなんだ」「もー、あんたたち変な兄弟ねえ」とかいう会話が交わされましたが、そういう育て方をされたのでしょうか?弟と話していてとても共感したのは、彼は「いつもテレビで観ているあの画面の向こう側に立ちたい」と言うのです。
 私の言う「画面を通して世界は繋がっている」という感覚とはちょっと違っているかもしれませんが、スポーツ観戦そのものよりも「テレビ中継」というものを重要視しているところが同じです。ちなみに弟の次の目標は「ツール・ド・フランス」だそうです。でも、レースの場所の移動が早いので、どこでテレビカメラを捉えるのかが難しいらしいです。
 私も悲願のウィンブルドンに行ったときには、沢松が試合をするコートに陣取り「ここにいれば、絶対にNHKで流れてその映像は日本まで届く!」と息巻いてましたが、残念ながら雨のため試合が行われず、野望は次回に持ち越されました。

 結局、この話が他人に理解されないのは「衛星中継を通して世界は繋がっている」とか言ってしまうのがよくないのかもしれません。この言葉はちょっと胡散臭いので、警戒されるのかも。
 それよりも、例えばサッカーで「ドーハの悲劇」とか「岡野のゴールでW杯出場決定」とかの瞬間に、一人でテレビを観ている自分も思わず「よっし!」とかつぶやいていたら、安アパートの隣の部屋からも「うおー!」とか声がもれてきたりして、なんだかしらないけど、顔も知らないおとなりさんだけど、とても嬉しい・・・と、いうことが言いたいだけなのかもしれません。
 それが、文化も言葉も知らないアフリカの名前も聞いたことない国の人々が同じようにテレビを観ていて「よっし!」とか言っているのを想像するのはとても楽しくないですか?
 
 私は楽しいんです。

表紙に戻る / 目録に戻る