暗闇の誘惑


2000年5月17日
 
 なんだか気分が冴えないのですが、先週の日曜日にまた初台のオペラシティで宮島達男の「MEGA DEATH」を見に行き、場内が真っ暗闇になるのを3回も体験しながら「なんで、こんなに暗闇が好きなんだろう」と我ながら不思議に思いましたが、そう考えるといろいろ過去の暗闇体験を思い出してきたので、また思い出話でお茶を濁してみます。
 

うちげばごっこ

 GWに幼なじみのKちゃんに会ったときに、Kちゃんと昔よく物置にこもって遊んでいた話をしました。そのときになぜか、梅干しを食べていたというエピソードは日記にも書きましたが、なかなか微笑ましい話です。
 そのとき思い出したのですが、小学生だった私はなぜか「物置」が大好きだったようで、他の友人宅でもやはり物置に入っていました。その遊びを私たちは「うちげばごっこ」とよんでいました。
 
 「今日なにして遊ぶ?」
 「うちげばごっこにしようよ」
 
 そういえば、「内ゲバ」ってすっかり死語ですね。でも、ある年齢以上の方々の脳裏にはあのニュース映像とともに印象深い言葉だと思います。あの「浅間山荘事件」の映像です。
 実は私は当時あの事件の映像をリアルタイムで観たという記憶がありません。でも、わけがわからないままテレビの前に座っていたのだと思います。この「うちげばごっこ」というのがその証拠です。
 多分、あのころ「内ゲバ」という言葉がテレビでは連発されていたのだと思います。そして、好奇心の強い子供であった私は母に尋ねたのだろうと推測されます。
 
 「おかあさん、『うちげば』ってなに?」
 
 母は幼い子供に説明するのに困ったことでしょう。
 
 「うちげばっていうのはね。小屋の中で友達同士でケンカすることよ」
 
 身近な小屋といえば、物置でしょう。その中で数人でたてこもることを「うちげば」だと解釈したのは、我ながらなかなか正しいと思います。そしてそれが、何かいけないことだという気配を感じていたのでしょう、けっこう好きな遊びでした。もっともその中で実際に友達を半殺しの目に合わせたりはしませんでしたが、いったいなにをやっていたのかはあまり記憶にありません。
 でも、明るい屋外からいきなり物置の中に入ると、しばらく目が慣れなくて友達の顔もわからないのに、だんだんと目が慣れてくると暗かったはずの物置の中は意外に明るいということに気が付きました。そうなるといきなりつまらなくなるのです。もっと暗い時間を長くしたいと思って、隙間を塞ぐ努力もしましたが、限界がありました。夜に部屋を真っ暗にしても、やはり街灯の明かりが入ってきて興ざめです。
 私は怖がりなので、なぜそれほど暗闇を求めたのか理解に苦しみますが、とりあえずあのころ悟ったのは「現代社会において、暗闇というのはそう簡単には手に入らない」ということだったように思います。
 

戸隠(天の岩戸)

 教室の中に掃除用具を収納するロッカーがあって、ちょうど棺桶くらいの幅があって、よくいたずらして友達を閉じ込めましたが、私はその中に入って閉じ込められるのがわりと好きでした。
 
 中学生のころ、家庭科教室の掃除当番をしていたとき、教室うしろの戸棚(上に物が置けるようになっていて、腰くらいの高さ)をふと開けたら中はからっぽでした。ちょうど人が一人横になれるくらいのスペースがありました。私は友達に頼んで、その中に入り「掃除が終わって、先生がいなくなったら呼んでね」と言って、掃除時間をその中で昼寝して過ごしました。要するにサボりでしたが、あまりの奇怪な行動に当番のほかのメンバーも面白がって見逃してくれたのですが、なにせ「箸が転がってもおかしい年頃」の女の子たちですから、過剰に反応してしまったようで、怪しんだ先生に発見されてしまいました。
 先生が何か変なものがあるのではと、戸棚を開けると、私がきまり悪そうに横たわっていたわけですから、さぞ驚かれたことでしょう。

 暗くて狭いところが好きだと自覚した私が次に挑戦したのが、押し入れです。
 高校生のときにドラマだか漫画だかで「押し入れを改造して寝床にしている」という概念を知って、さっそく母に「押し入れで寝たい」と申し出たのですが、「押し入れで寝ると、湿気がこもるし、だいたいうちの押し入れの中のものどうするのよ」と一蹴されても、なかなかあきらめがつきません。
 ある日、押し入れを整理して、上の棚に置いてあった布団を左右均等に並べて、その上に自分のいつも寝ている布団を敷いて、椅子からよじ登って中で横になったところ、けっこう寝心地がよかったのですが、もし朝寝坊などしたら親が部屋まで起こしにくるでしょうから、ばれたらマズいので一回やったきりでした。
 ある日、学校から帰ったときにとても眠くて、かといって布団に入って本格的に寝るには半端な時間でしたし、思わず押し入れを開けて、畳まれた布団の上に横になるとそのまま寝てしまったようでした。

 明るくなって目が覚めました。朝になったのではなく、押し入れの戸が開いたのです。母が言葉もなく立っていました。驚いたのと、呆れ返ったの両方だったのでしょう。
 「探したのよ。なにやってんのあんた。ご飯よ」
 というわけで、私は寝ぼけながら食卓につきました。母が妹に「おねーちゃん、押し入れの中にいたわよ」と言うと、妹も唖然としていました。
 どうやら、夕方家族が帰ってきて、私の靴が玄関にあるのでてっきり自室にいるのかと思っていたのに夕飯に呼んでも返事がなく、部屋を覗いても姿もなく、カバンも制服もあるのに変だな出掛けたのかなと、また玄関を見ると私の靴は揃っているので、これはやはり家の中にいるのに違いないと、もしかすると狭い家だけど、どこかで気を失っているとか、死んでいるとか・・・・と、母が不安になったときに「もしや」と思い、押し入れを開けたところ、娘はグーグー寝ていたという事件でした。
 
 もし、母が「娘がなんかしらんが押し入れの中で寝たがっている」ということを思い出さなければ、危うく捜索願いが出されて、大恥かくところでした。
 

暗室

 高校生になって、やっと暗闇を手中に収めました。写真の暗室です。これについてはしかし、あまり微笑ましくないエピソードが・・・・
 すいません。暗室の中で酒盛りしてました。楽しかったな。闇酒。またやってみたいです。

本当の夜の闇

 暗くて狭いところは好きでしたが、本当の闇というものが印象に残っているのは20歳ころの出来事です。
 
 高校時代は天文部に所属していたのですが、卒業後もたまに「観測会」と称してたまに集まりがありました。なんの天文イベントだかは忘れましたが、たしか彗星が近づいているとかで、皆で車に乗りあわせて千葉の南の方に出掛けました。着いたのは小高い山で、頂上には電波塔だかがあったのだと思います。詳しい地名は失念していますが、天文ファンには馴染みのある場所のようで、駐車場にはけっこう車が止まっていました。
 遊歩道というよりは獣道のような踏み均してある道を登って頂上を目指します。多分天体観測に出向くくらいですから、月齢は新月に近かったようで、しかも鬱蒼とした林の中ですし、街灯もなく、先頭の人間が持った懐中電灯の明かりを頼りに登っていきました。前日降った雨のため舗装されていない山道は水溜まりができていて、懐中電灯の明かりでその存在は分かっても、自分の足元は全く見えませんから、ときどき大きな水溜まりに足を突っ込んでしまっても、せっせと歩かないと男の子の足には付いていけないし、ちょっとでも遅れると懐中電灯もなしに暗闇の中にとり残されてしまうので、必死に前の人の影を頼りに歩いていました。
 みんな当然、最後尾を歩くのを嫌がります。でも足元も見えないとついつい歩みが慎重になってしまい、私はわりと後ろの方をそろそろと歩いていました。暗いのも怖かったし、転ぶことも恐れていたのです。
 そんなせっぱつまった精神状態がピークになっていたときに、一番後ろを歩いていた先輩の男性が、
「おれ、一番うしろ、いやだなあ」と、ぼやきました。そして、「なんか後ろ振り向くとOがいそうでさあ・・・・」と、言い出すではないですか。、
 Oさんは、彼の同級生でその1年くらい前にバイクの事故で亡くなったのです。
 私もOさんはとても好きでした。亡くなったときには、号泣しましたし、お葬式にも行ったし、もう一度お会いできてお話できるのでしたらそうしたい気持ちはありますが、「でも、今はやめて!」と思いました。たしかに楽しい観測会にOさんだって参加したいことでしょう。でも、今この暗闇の中で、ふと振り向いたらOさんがいたら、私は申し訳ないですがダッシュで逃げます。
 もう一人の先輩も同じような心境らしく、
「やめろよー、そんなこというの・・・こわいじゃん」
 と小さな声で抗議していました。
 Oさんのことが怖いわけではないけど、やっぱり怖いという複雑な恐怖にかられながら、Oさんが現れるのに脅えている自分を責めながら黙々と暗い道を登っていたことばかり憶えていて、あのときいったいそのあとなにか「天体」を見たのかどうかさっぱり憶えていません。

閉所恐怖症

 「暗くて狭いところが好き」と豪語していたのに、それに疑問を投げかける体験をしたのはつい2年くらい前のことです。
 
 当時失業中だった私は、同じく失業中であった男の子(といっても同い年)と、高尾山に登りました。平日だったので空いているかと思いきや、初夏のころだったのでなんだか思っていたほど「自然満喫」ではなくてちょっと失望したのですが、とにかく登りはメインの寺社めぐりをしながらのコースで行きました。友人はけっこう仏教に興味があって、なんかいろいろ講釈たれていましたが、途中に護摩たき所(?)みたいな会館があって、その建物の横に何やら看板と矢印があったので、なにか小さな祠でもあるのかと横道にそれてみました。寺の横の細道を歩くとそこは崖になっていて、どうやらそこを掘って作った祠があるようなのです。簡素な飾りが穴の周りに飾られていまして、覗いてみると中は蛇行しているようで何が祭られているのか分かりません。
 
 特に立ち入り禁止にもなっていないし、中にはローソクが立てられていて、日に数回はだれが管理する人がローソクを代えているのでしょう。とりあえず、腰をかがめて入ってみることにしました。
 意外なことに、その洞穴は随分奥深くまで続いており、そして蛇行していますし、四つんばいすれすれの姿勢でローソクの灯かりだけを頼りに奥へ奥へと進んでいくと、やっと突き当たり、そこは大人二人がやっと丸まって座れるようなスペースがあり、仏像だかなんだかが祭られておりました。
 
 友人はまさに「穴場」を発見したとばかりに嬉しそうですが、私はすぐに居心地が悪くなってきました。狭い穴は岩もむき出しで、なんか湿っぽくて、外とは繋がっているものの、だんだんと空気が薄くなっていくようで、そのうえなにか異様な圧迫感がありました。岩盤の重みが空気を押しつぶしているような感じがしたのです。
 よく気の狂ったお姫様が座敷牢に閉じ込められたなんて話しがありますが、そのままここに閉じ込められたら確実に気が狂うと思いました。
 自分の呼吸がだんだんと早く浅くなっていくのがわかります。友人が平然としているのが悔しくて、なるべく深く呼吸をしようとするのですが、それでも息苦しく、そのままいたら狭い穴の中で暴れそうな心境に追いつめられてきました。かといって、そこがけっこう奥まっているということは分かっているので、そこで暴れても走って外に飛び出すこともできません。道は蛇行しているし、低くて立ち上がることもできないのです。
 パニックを起こして、岩盤に頭を打ちつけながら出口を探し血だらけになっている自分の姿がまざまざと想像できて、ますます気分が落ち着きません。そんな切羽詰まった私の様子にも気が付かず、

「ここで瞑想したら良さそうだね」
 
 などとニコニコ話手いる友人が悪魔のように思えてきました。(親しい方はこの描写で彼が誰だかすぐにわかるでしょ?)こいつが今、私を殺したとしても、誰にも気が付かれないに違いない。そんな被害妄想まで湧いてきました。それ以上いたら、絶対に暴れ出すか、友人を殴ると確信したので、私はなるべく平静を保った調子で「なんか、窮屈だから外に出たいよ」と言って、また二人してそろそろと外に這い出しました。
 あのとき外の空気を吸ってどれだけうれしかったことか・・・
 
 ぜったいにエレベータに閉じ込められたりしたら、平静ではいられないということがよくわかりました。パニックを起こす気持ちもよくわかりました。
 
 私の好きな「暗くて狭いところ」というのは、すぐとなりに明るく広い空間がある安心感の上に成り立っているようです。だから「MEGA DEATH」の暗闇もすぐに明かりが復活するという信頼感があってのエンターテイメントなわけで、最初に観に行ったときにはどのくらい暗闇が続くのかがわからなくて、かなり落ち着かなくなりました。
 つまり「楽しい暗闇」とは、あくまでも自分がコントロールできるものでなくてはならず、それができずに「暗い」とか「狭い」に支配されてしまった時には、パニックに陥るようです。

 でも、今みたいにちょっと元気が出ないときには、またあの「祠」に行ってみたい気もします。修行?(半疑問形)

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