可燃物な日々

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9月30日(日)

 また目が覚めたら昼過ぎ。たるみきっている。軽い鬱なのかもしれない。(←鬱が流行っているようなので便乗)
 うだうだと「おたんこナース」を全部読んでいたら3時になったのでテレビを付けたら、高橋尚子じゃなくて、馬が走っていた。そうかG1が始まっちゃったのか・・・・友人T君と「そろそろ飲みに行こう」とメール交換していたのだが、忙しくなっちゃうわね。(T君は馬関係のお仕事に従事)
 久々にじっくり競馬鑑賞。部屋の掃除よりも「ああ、一度でいいからG1馬に乗ってみたい。いや、ブラッシングだけでもさせてもえないかな」と現実逃避。丙午の女が触れるとダメかしら・・・そういえば、その昔、いきなり友達から電話がかかってきて、
 「ミヤノさん午年でしょ!?」
 「そうだけど・・・・」
 「オークスに行くんだけど、牝馬レースだから午年の女の子連れて行こうと思ってさ」
 「・・・・でも、午は午だけど、丙午なんすけど・・・・」
 「なんでもいいから行こう!」
 というわけで、友達とその従兄弟と私という「なにげに『ストレンジャー・ザン・パラダイス』な組み合わせ」(あの映画では男女がいとこ同士であったが)で東京競馬場にのりこんだのだが、まんまと負けた。(あの映画ではドッグレースだったが)
 「だから、午は午でも丙午だって言ったのに」
 なんかそのあと、負けた腹いせで、車で東京湾のほうに走り、無人の倉庫街に忍び込んで、真っ暗な運河の脇で、羽田空港の飛行機が上を飛んでいくのを3人で眺めていた。(あの映画では東欧行きの飛行機だったし、昼間だったが)いったいなにやってたんだろう?青春だな。

 などと、昔の思い出に浸りがちなのも、鬱だからか?(ひつこい)
 ぼんやりしている間に、ベルリンマラソンがスタート。私のお目当てだった「ラブ・パレードでパレードする通り」を高橋はあっという間に走り去ってしまい、「ブランデンブルグ門は?天使ちゃんは?」という感じで、思ったよりも「ベルリン観光おさらい映像」はやってくれなかった。ときおり「この教会は・・・」とか「ソニーセンターです」とか説明してくれてたけど、風景はあまり映してくれなかった。
 でも、やはりベルリンの空は相変わらず広くて、道路も並木が多いし、ときおりそういう「歴史的な建物」や、単なるアパートかもしれないが「すごく歴史がありそう」な建物が高橋の走る背景にちらりらと見える。

 画面はただひたすら高橋を追っているので、彼女がベルリンを疾走しているというよりも、ベルリンの街自体が疾走しているかのようだった。解説の増田明美の語りも相変わらず淡々としていて、邪魔にならない。この人の解説ってほんとに、わかりやすいし、感情を抑えながらもマラソンに対する熱い思いをこめるかんじが上品だし、声も大きすぎず適度に「コロコロ」と鳴る、なんというか「土鈴」(う、IMEだと変換しないので心配になったのでWebで検索したら・・・・よかったあった。日本土鈴館)のような渋い趣きがあるのだが、トークショーで喋る彼女の大天然ぼけぶりとは、なんでこんなに落差があるのだろうか?

 引き込まれるように、画面を見ていた。20分切るのは楽勝かと思われたが、後半さすがにスピードが落ちてきた。ずっと周りを囲んでいた「ガードランナー」とか呼ばれている護衛軍団の姿も少なくなったと思ったら、変なランナーが高橋の横をぴったりマーク。女子のトップと併走すると、テレビにばっちり映ることに気が付いたのか、それとも単なるランナーズハイなのか、ずっとヘラヘラしているので、そいつから目が離せなくなる。しかも、最後のほうになったら取材のバイクや係員の自転車などが次々と彼に話かけ、彼が人差し指で「1」と知らせると、他のバイク乗りたちも「1か?」「1だってさ」と指でお話しているのが可笑しかった。「この子が女子の1位か?」と確認しあってたのかなあ?いったん画面から姿を消した自転車野郎(いちおうスタッフ札ついてたけど、選手に伴走する役ではないだろう)がまた戻ってきて「1だよな?ほんとだよな?」とかやっているし・・・・なんかホノボノする。

 2時間19分を過ぎて、秒読みの中、ゴール。
 私が感激したのは、ゴールする直前にカイザーヴィルヘルム教会の前を通って、教会をバックにゴールしたこと。満足しました。

 ゴールしてから、急いで家を出て、雨の中を下北沢まで「高橋に負けるな」とばかりに競歩して、井の頭線で吉祥寺へ。「ゴールまで観るから、少し遅れる」と言っておいたのだが、高橋憑依モードだったので、ほぼ7時に到着。
 その後、ジャズのライブハウスで、食事しながらジャズを聴いていた。
 楽器が間近にあるので、いろいろ観察。ウッドベースのてっぺん部分は、かなりアンモナイトであることを発見。

 そういえば、高橋尚子の足はサラブレッドのような筋肉だった。



9月29日(土)

 9月ももう終わりだ。秋はあっという間に過ぎ去っていく。そしてほんとに「あっ」と言う間に年末なんだろうね。
 年末までの時間経過を短く感じるのは、そこに「年末」という区切りが存在するからのように思える。小学生にとって「8月31日」が「あっというまに」訪れるように。学校を卒業してしまうと、そういう「区切り」があまりなくなるのだが、「年末」だけは消えないような。

 昨日も「ER」が終わっても、そのままテレビをつけっ放しにして「会社が変わる」とかを観ていたら2時過ぎてしまい、今日は起きたら2時だった。10時間以上寝ると「寝たなあ」と満足感が高い。昼間の気温が上がらなくなったので、私のような「ダラダラといつまでも寝てる人」にとってはいい季節だ。さて、こういう時期に夜遊びをすれば、朝帰りしても昼間たっぷり眠れるのですが・・・・

 結局、だらだらと寝転がって漫画などを読んでいるうちに夜になる。



9月28日(金)

 作文「自衛隊とわたし」

 今話題の自衛隊と私は実はかなり縁が深い。
 私の育った八千代市は習志野市と隣接しており、私の通った八千代台西中学校の裏側の道の向こうは習志野市だった。自衛隊に詳しい方ならご存知だろうけど、習志野には習志野駐屯地があり、そこは日本でも唯一らしい「落下傘部隊」があったのだ。
 今もやっているのか知らないが、私の子供時代の風景には「落下傘」が欠かせない。当時の八千代台は高い建物もまばらだったので、落下傘が落ちてくる様子は毎日のように見ることができた。

 通っていた小学校では「写生大会」という催しが年に1回開催されていた。全校生徒が校外に水彩絵の具の道具を持って移動して、所定の場所で風景を描く。それを県の「水彩画コンテスト」に応募するのだ。たしかスポンサーは「ぺんてる」だった。
 2年生くらいのときに、先生に連れて行かれたのは八千代台駅前だった。今ではマンションやデパートが立ち並ぶ駅前だが、当時は京成電鉄所有の広大な空き地だったのだ。駅の向こうには「アピア」という今では寂れているが、当時は八千代台で唯一の「デパート」が立っていた。
 子供は空き地で「さあ、絵を描きなさい」と言われても、何を描いていいのかわからないから、当然のごとく駅舎やアピアを描く。後ろにはススキやクローバーが跋扈するつまらん空き地とその向こうに見えるちんけな住宅街があった。そっちは描くような風景ではない。自分の住んでいる住宅街なんて描く気が起こらなかった。

 とにかく私はなんの工夫もなく、ただ「アピア」と「京成八千代台駅」を描いた。画面の半分上はただ青く横たわるなんの変哲もない「青い空」だった。特に絵の才能もなく、絵心のない教師に恵まれてもいたので、そういう環境にいる子供は「空は水色」と決め付けて、青と白の絵の具を混ぜ合わせて、空を無神経に塗りつぶす。空なんていっつも水色でつまんないと思っている。
 白い建物を白の絵の具で塗ったあとに、やっと画用紙の半分を均等な水色に塗りつぶしたと思ったら、空に灰色の落下傘がばら撒かれた。それもいつも見ている平凡な風景。でも、子供は「見たままを描く」ことに執着するので、私は水色の空に灰色の点点を描いた。落下傘が均等に並んで、均等に斜線を描いている様子をうまく画用紙に描けたと思って顔をあげると、もうそこに落下傘はいなかった。水色の空がただあるだけだ。

 しかたがないので、また水色を作って、落下傘の上から塗った。うまく塗りつぶせなくでムカついた。灰色の上に絵の具を塗ると、灰色が溶けて上に浮いてくるために、きれいに消えないのだ。しばらく時間をかけて、絵の具を乾かしてから、さらに白を重ねて落下傘を消してから、また水色を塗った。それでもまだ影が消えない。絵の具が乾くとまた白を重ねてみた。だが、どうしても水彩絵の具の灰色が下から溶け出してくるので、黒味が残る。「そうだ、雲が出ていることにしよう」と思って、落下傘の跡の灰色が雲に見えるようにがんばった。

 ずっとグチャグチャやっていたので、私の絵の中の空はまだらになってしまった。他の子がきれいな水色で空を塗っているのを苦々しく横目で見ていた。画用紙を破いてやり直したいと思った。あの透明できれいな水色の空を描きたい。だって今日は晴れていて雲ひとつないのだ。だが「写生大会」の時には、1枚しか紙はもらえないのだ。水彩画用の高価な用紙らしい。
 汚らしい空色に苛立ったが、私はしかたなくその絵を提出した。

 後日、県の協会から審査結果付きで絵が返却されて、廊下などに展示される。「金賞」とか「銀賞」とか賞状が添付されてくるのだ。8割方は「参加賞」のようなものがついてくる。
 私の絵は返って来なかった。入選してしまったのである。どっかで展示されちゃったらしい。

 なんでなのかその時には理解できなかったのだが、後でもう少し知恵がついたときに考えてみたら、みんなは「空」を「水色」にしか塗ってなかったが、私は落下傘を描いてしまい、それを塗りつぶしたために、かなり複雑な配色の空を描いてしまったのだ。それが大人の目にとまったらしい。審査員は「八千代台の空には落下傘が漂っている」なんて知らないもんね。子供心にも「わたしの絵はみんなと違う」と思ったわけだから、大人の目を惹いたのだろう。

 なので「落下傘部隊のおかげさまで絵が入選しちまいました」というホロ苦い思い出なのでした。

 自衛隊の駐屯地がある土地だったので、八千代市内には自衛隊の官舎もあった。中学の学区だったので、中学校には「父親が自衛隊」という子供がけっこう存在していた。社会の授業で「憲法9条」をやるときには、先生は「お父さんが自衛隊の人はいますか?」と聞いていた。私のクラスにはたまたまいなかったのだが、先生はけっこう気をつかってその授業をやっていた。

 話は戻るが、落下傘は美しかった。飛行機からひとつひとつ吐き出され、最初は小さな塊なのだが、先に落ちたものから順繰りに「ぽ」「ぽ」と卵ボーロのような形に開いていく。そして、ふんわりと風に流されながらゆっくりと降下していくのであった。子供のころはあの光景が「平和の象徴」のように思えた。とても優しい風景だったのである。
 親はちゃんと「あれは戦争の練習なのよ」と教えてくれたのだが、その意味は小学校の高学年になるまでよくわからなかったように思う。「じえーたい」というのは、なにかサーカスのようなものだと思っていたのかもしれない。

 落下傘の写真探したら、やっぱりあった。今でもやってるんだな。でも、今でもあんなに頻繁にやっているのでしょうか?



9月27日(木)

 小泉首相がNY訪問したというニュースがワイドショーを賑わしていたが、向こうの新聞では扱いが小さく、しかも「ジャパニーズ・プライムミニスター」を書かれていたとか。NYの街角で「日本の首相の名前知ってますか?」とやっていたが、誰も知らなかった、という報道をしていた。
 「シラク」とか「ブレア」などとは扱いが違うということが言いたかったようだ。

 だったら東京で「韓国の大統領の名前は?」とか「イタリアの首相の名前は?」とかもやってみたら?と、思った。そもそも、「国のリーダー」の名前が世界的に有名な国って、アメリカくらいなんじゃないのかな?いや、日本では「ブッシュ」の知名度は高いだろうけど、世界的に見たらどの程度の知名度なんだろうか?
 自分的にはここんとこの「国家主義」にかなりうんざりしているので、「ブッシュ=アメリカ」という図式にもうんざりしてしまっているので、逆に国家元首の個人名が連呼されてるほうがおかしいのではないかとか思ってしまう。

 「湾岸戦争の時には金しか出さないと批判されたり、顔が見えない国であると言われたり・・・・」という表現もテレビではよく聞くけど、「金しか出さない」云々は置いておいても、「顔が見えない」というのがどこから出てきた批判なのか知らないが、「顔が見える国」ってなんなのか教えてほしい。
 てゆうか「顔の見えない金だけ出す国」のほうがカッコよくないか?「足ながおじさん」とかチャーリーズ・エンジェルっぽいぞ。それのどこがいけないのだ!説明しちくれ。

 まあ、首相の訪米は対アメリカ政策というよりは、国内向けのパフォーマンスなんだろうけど、「我こそはアメリカ」なブッシュの横にいると、あやつり人形にしか見えなかったので、あれでよかったのかとも思ったけど、支持率は低下してないようだ。きっと「小泉さんは英語が喋れて偉い」とか思ってる人も多いんだろうなあ。

 そんなわけで、ニュースやワイドショーを観ていると脱力の日々だが、それでも時折紹介されるアフガニスタンなどで支援活動をしていた日本人の映像などを観ると、ああやって国を背負っているわけでもなく、個人的に活動している人たちは凄いなと思う。
 そういう活動は地味だけど、たとえばスポーツなどで海外で活躍している中田やイチローなんかは、国内では「日本の顔」扱いだけれども、本人たちは別に「日本代表」のつもりはないだろう。とにかく自分の力で頑張っているだけだ。たぶん、NYで「日本の首相は?」の正解率よりも、「シンジョー」のほうが名前は通っているだろう。でも「シンジョー」は別に日本の顔ではなくて、ただ単に「昨日、ヒットを打って、それでヤンキースが勝ったから」名前が出ているだけだ。

 そーゆーのを「日本人は世界で活躍しています」って括りたくなっても、そーじゃなくて、「彼は頑張ってます」ということにして、「それで?あなたは何をしていますか?」と自分に問わなくてはならないだろう。
  「だから日本はダメなんですよ」じゃなくて、まず「自分が何をしているか」を考えよう。と思ったが、また今日も掃除ができずに終わる。ダメだぞ!>私  



9月26日(水)

 世界の平和のために部屋の掃除をしようと思ったが、BGMにテレビつけたら、顔に傷のあるモっくんが出てて、なんだろうと思ったら、「ブラック・ジャック」だった。そうだよな。ブラック・ジャックを実写でやるのなら、このくらいハンサムではないといけないよな。(その昔、加山雄三が演じたことに対する遠まわしな批判)
 ドクターキリコの森本レオっつうのも奇抜なキャスティングだ。安楽死専門医を「癒し系」の声で演じるか・・・・ピノコを双子にやらせるというアイデアもコロンブスの卵ものだ。
 話はけっこう普通だったが、この演出の奇妙さはすごい。こんなものを2時間ドラマでやるなんて・・・これはやはり・・・・最後のテロップ確認したらやはり堤幸彦演出だった。
 やはりこの人はタダモノではないと思った。ソンケー

 というわけで、久々に2時間ドラマをじっくり鑑賞してしまい、掃除は手付かず。日記も書かずに寝てしまったことよ。



9月25日(火)

 腕時計到着。

 私が元々所有していたのは、これと同じ型で黒だったが、これは濃い灰色にカーキのベルト。まだバンドが硬くて腕に馴染まないけど、新品はやはりきれいだ。

 私はあまり、こういうののデザインとかにこだわりがないので、とにかくこの横についたビームとバックライトが重要なわけです。機能重視。
 そういうえば、未だに持ってない携帯電話であるが、あれも、会社の若い子たちは「この機種がチョーかわいいー」とかよく話をしているが、どうも携帯の「かっこいい/ダサイ」の区別がつかない。それでも、古い機種が大きくて厚みがあったりすると「ああいうのをやぼったいと思うのだな」と判断はつくが、最新機種の比較をしても、なにがどう違うのかよくわからない。

 一昨日も、新宿の西口を歩いていたら、PDA(?だったかな、携帯よりモニタがでかいミニテレビみたいなやつ)に目をとめた友達が、「こっちのほうが安いけど、デザインがかっこ悪い。こっちのほうが見た目はいいが、高い」と言うのだが、私にもデザインが違うのはさすがにわかるが「どっちが好き?」と聞かれてもわからないなと思った。
 やはりその辺が「世代の差」というやつなんだろうか?
 私なんかはとにかく使えればいいのである。それなのに電器屋さんに行くと、ズラーっと並んでいるので、買う気が無くなるのだ。

 母も、妹のお古の携帯をプリペイドにしてしばらく使ったみたいだったが、「私みたいなおばさんは、要するに公衆電話と同じ機能が付いていれば十分なのよ」と言っていた。私もそう思う。番号が押せるようになっていれば十分。まあ、アドレス帳機能くらいはあれば便利だけど・・・・
 携帯電話市場も伸び悩んでいるようなので、そのうち、そういう中高年向けのシンプル機種も工夫してくれるかもしれないが、私にしても母にしても、いったん使い始めたら、壊れるまで使うだろうから、企業にとってはそういう人が一番商売相手にならないのだろう。でも、私みたいに、紛失したり壊れたりすると「使ってたものと同じもの」を探す人も多いだろうから、儲けは少なくても開発費はかからないと思うんですけど・・・・最近、そういう「定番」思想はどこに行ってしまったのだろう?

 靴なんかは、歴史もあるからそういう「定番」が多く存在していて、靴屋に行って「これと同じの」と言うと、「え?これが同じやつ?」「お客様はずいぶん履きこんでいらっしゃったようですね」というようなこともあるが、ストレスが少なくていいな。ローファーとかに限るけど。 

 まあともかく、テクノロジーの進化のおかげで、作戦名「失われた時を求めて」も無事完了。
 次は「清なる戦い」作戦かな。部屋がアフガニスタンの地図模型に似てきた。(いりくんだ山岳地帯が特徴)・・・・こんなところで、ニュースにシンクロしなくてもよろしい。世界の平和も、きれいなお部屋から祈ったほうがいいだろう。いいに決まってる。ぜったいそうだ。世界情勢は私の部屋に連動しているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。(自己洗脳中。3日間くらいやると、今週末には大掃除したくなるかもしれない)



9月24日(ハッピーマンデー祝日?)

 深夜まで、スネークマンショウを聴いてしまった。ネタも古くなっていないが(「KDD」がなぜ出てきたのか詳しく憶えてないが、汚職事件系だったと思う)それよりも、ネタの間に挟まる曲(曲の合間にネタなのかもしれないが・・・)が、今聴いてもまったくOKなのがすごいよな。
 布団の中で「ぶフっ」と笑いながら聴いていたら、ふと、これ以外にも「箸が転んでも可笑しい年頃の女の子」を笑いの迷宮(ツボとも言う)に落とし込んだ名盤のことを思い出した。

 たしか、高校生のときに天文部のOBが持ってきたものだと思うが、アルバムタイトルは知らないのであるが、坂田明だった。
 ピアノの弾き語りで、♪ちょうちょ〜ちょうちょ〜♪ とか唄うやつ。あれで私はどれだけの涙を流しただろうか。ほんとにこのまま窒息してしまうのではないかといういくらい笑った。先輩は、そういう女子高生の姿がおもしろかったのか、ひどいことに合宿の食事中にそのテープを流し、私は食事ができなくなってしまい、涙目になりながら、「おねがいですから食べ終わるまでやめてくらさ〜い」とお願いしたような記憶がある。

 あのころはなんであんなに延々と笑っていたのだろうか?
 「パタリロ」も、何回読んでも泣くほど笑えるネタがあったな。読んでない人にはわからないだろうが「黒井さんちのプリンスメロン」というネタがツボに嵌り、以降「黒井」という名前を見るとそのネタがフラッシュバックして笑ってしまうほどになってしまった。

 何回読んでも泣ける話(「ごんぎつね」など)と何回聴いても泣けるほど笑えるレコードがあるということはけっこう幸せなことだと思う。

 今日は、午後に母と妹と祖父母宅に集合。
 祖母の体調が悪いと聞いて、お見舞いがてらに行ったのだが、祖母は手すりがあれば立ち上がれるようだが、掃除や洗濯はできる状態ではないので、母がまめに通って家事を手伝っている。「指もちゃんと動かない」とこぼしていたが、たしかに右手がちゃんと開かないが、物は掴めるようなので、老人の病状としてはまだましな方かもしれない。現在、介護保険の申請を出しているみたいで、それで何級かに認定されれば、掃除などの家事を手伝ってくれるヘルパーさんが来てくれるようになるかもしれない。
 母によると、今年度から閑職になってしまった父もかなりボケているとのこと。詳しい話を聞くと、定年退職した男性が陥りやすい軽い鬱のようだ。父もなにか仕事以外の趣味を見つけないとヤバいかもしれない。
 高齢化社会の問題もだんだん他人事ではなくなってきた。

 夕方、母と妹と六本木でインドネシア料理屋で食事。二人ともインドネシア料理は初めてだったようだが、ガドガドもナシゴレンも美味しくて、気に入ったみたいだった。母はコリアンダーが苦手なので、インドネシア料理はその匂いがしなかったのでよかったみたい。 



9月23日(日)

 正午には布団から決死の脱出を敢行した。
 こうやってだんだん布団の中で「生きるべきか死ぬべきか・・・・」と思い悩む季節になっていくのだろう。ああ、平和だ。戦争反対。布団の中から出るのはこわい。いやだ。(元ネタはスネークマンショウです。念のため。ちなみに関係ないけど、「携帯エディ」という携帯電話のメモリーを管理するソフトがありますが、どうしても「盗聴エディ」を思い出さずにはいられません。「盗聴エディ」で検索してみたら・・・・やはり同じ思いの人はいらっしゃいました

 スネークマンショウがまた聴きたくなってきた。どこかにテープがあったはずだ。あれを最初に聴いたのは、中学生のときだったので、「Do you understand,Mr.Ohira?」などの英語ネタがきちんとヒアリングできなかった。でも私は英語が当時は得意科目だったので、必死に訳したのであるが、なぜか私は「short cock」というスラングは理解していた。父親の本棚で「英語がどんどん上手くなる」とかいう新書本を読んでいて、その中でも「下ネタで英語に親しもう」というあたりは特に念入りに熟読していたのである。しかし、他のところは友達に一生懸命「日本人はイエローモンキーとか言われているんだけど、このミスタ大平は英語がわかんないから、そう言われてもただ笑ってるだけなの」と説明していたのだが、「ショート・コック」についてはわかってても口に出せなかった純情な中学2年生でありました。

 そんな私でも、当時は「盗聴エディ」の本当の意味がわかっていなかった。酔っ払っているのだと思ってました。でも、「盗聴されてる」ということから、「これはどうも酒で酔っ払っているのではなくて、麻薬をやっているのだ」と推測できるくらい賢い中学生でした。「警察だ!」のネタもみんなはただそのやりとりがおかしくて「バカなやつと警察のやりとり」だと思っていましたが、やはり最初に「これはラリっているのだ」と気が付いたのでした。でも、みんなあまり意味というかそういうことは理解していなかったけど、クラスメートが買ったそのアルバムをテープにダビングして、ラジカセを持っている友達の家に集合して、繰り返し繰り返し聴いてました。箸が転がってもおかしい年頃の女の子が5人とか集まって、「もう、笑い死にする〜〜〜〜」と笑い狂っていたものです。

 午後にS君と新宿で会う。21日の日記の内容を「UFOキャッチャー」だと思っていたらしい。ネットオークションですっ。
 タイ料理屋で食事してから、本屋とレコ屋に行った。
 友達が「フィッスマンズの新譜が最高だ」と言っていたので、視聴できるか探していたのだが、発見できず、かわりにphewのCDを発見してしまい、思わず視聴。ううう・・・懐かしい。椎名林檎が「21世紀の戸川純」にしか思えない私であるが、さらに遡ると、かつてあの坂本龍一をも夢中にさせたこの人にたどりつく。AuntSallyのアルバムもCD化してくれないかなあ。

 明日は久々に妹に会うので、頼まれていた弟の結婚式のデジカメ写真をフロッピーに落とそうとしたのだが、どうも色の補正をしたJPEGファイルがうまくフロッピーに収まらなくて悪戦苦闘。画像をフロッピーに落とすことなどあまりやらないので「容量がオーバーか?」と思ったが、いくらなんでも70Kくらいのファイルが4つしか入らないわけはないし・・・・散々試してみたが、だめなので、「写真一枚につき、フロッピー1枚」という荒業を使うことになった。なぜに?  



9月22日(土)

 急に涼しくなったというより、寒くなったので驚く。
 出勤している人もまばらで静かなオフィスで黙々と仕事を片付ける。
 ところが、社内便で上司のところにまた新たな「日報」が届く。「もしかして、これも私の仕事・・・かな?」
 会議から戻ってきた上司はやはりその書類を私に渡して「どうやるのか、○○さんに聞いて」・・・・また、仕事増えちゃったよ。なんかこの「日報」の表は手書きなので、ひょっとして、エクセルの表に打ち直してから、得意先ごとに分けて請求すんのかしら・・・・とほほ、10ページくらいあんですけど・・・・

 ふふふ・・・お目当てを落札した。
 オークション初体験だったが、自分でIDとるのがめんどうで、友達に「代理人」を頼んでしまった。「いくらでもいいの?」「いや、予算は○○○円」とサザビーのオークションで代理人に電話する大金持ちコレクター気分をちょびっと満喫。しかし、ライバルもいなくて、予算内に収まった。よかった。これで紛失した時計と同じものが手に入る。よかったよかった。

 つうわけで、本日は誕生日でしたので、自分で自分に誕生日プレゼント・・・・しかもネットオークションで2300円也。 



9月21日(金)

 やはりそこにいたのね・・・・
 手に入れたい
 しかし、わたしが欲しがっていることを他人に気づかれてはならない
 そんなことをしたら邪魔をされるかもしれない
 でも、いつ告白すればいいのだろう
 そんなことしたことないからよくわからない
 今のところライバルはいないみたいだ
 ぜったいものにしてみせる
 ただし3000円以内

 (熱くなって散財してしまった友人も多いので気をつけよう)

 などと、私が久々の物欲の炎に包まれている最中にも、国際情勢は刻々と変化しているみたいだし、日本も自衛隊を派遣するとかで、コマ切れのニュースを観ていても、なにがどうなっているのかついていけなくなっている。
 でも、結局、軍事援助がどうのという話のようなので、「ここで日本もきちんと参加しておかないと」ということらしいが、そういう方法しかないのかなあと思うが、流れは完全にそっちみたいだ。

 日本がどう「民主主義を守る戦い」に参加しようとしているのか、まだよくわからないが、ここんとこふと沸き起こった疑問は、テロの主犯がビンラディン氏で確定したとしたら、普通、「民主主義国家」ってやつの法律では「ビンラディン容疑者」になるのでは?最近、わが国では、「容疑者」を「メンバー」と言い換える技が開発されてたが・・・その技を使うと、「ビンラディン・リーダー」か?
 冗談はさておいて、「容疑者」となって逮捕されて、「被告」になって、裁判を受けて、やっと「犯罪者」になって刑に服すわけだ。(法律用語よくわかんないだけど、ニュースだとそうなっている)
 でも、今回は、「容疑者」っていう過程がなんでないのだろう?
 それに、たとえ罪が明らかになっても、「犯罪者」にも「人権」つうものが適用されているじゃないですか?娘を殺された親が犯人を殺すことはできない。「死刑」は存在する国は多いだろうけど、今回「打倒テロリスト」と立ち上がった西洋諸国のほとんどは、「殺人者」であっても「無期懲役」になったりして、刑務所で「半殺しの目」にあったりせずに、あるていど快適な(旱魃に苦しむ国の住民よりはかなりいい生活)生活が送れるように保証されているだろう。
 日本国内でも、一番最近の「テロ首謀者」だった麻原“被告”は、どっかの拘置所でちゃんと最低限「人間らしい」生活を保障されているのだろう。地下鉄サリン事件の被害者の遺族が、麻原被告のいる拘置所を「悪を匿う施設にも報復する」という名目で爆破したりすることは厳しく禁じられているはずだ。

 なのになんで、「自由を愛する民主主義国家」の外に対しては、「報復」が許されるのだろうか?
 マレーシアだかで、アメリカ人に鞭打ちの刑が宣告されたときに猛反対してませんでしたっけ?あれは「残酷」で、こっちは正義なの?

 「自由な国」って言うけど、イスラム系の人々はむやみに出歩けないような状況だという話も多く聞くし、実際に2名ほど殺されているらしい。そういう人が不自由な思いをしているのは「自由の国」を汚す行為であるということも強調してほしい。そいういうときにこそ使うべき言葉だろう。

 その国の法律はその国の中でしか適用できないのはなんとなくわかるけど、国の中では許されないこと−容疑者に「あなたには弁護士を呼ぶ権利があります」と言わないで銃で撃つようなこと−を平気で外にはやるということに矛盾を感じないということがなんか不思議。まあ、向こうが武器を持って攻撃してくる犯人の場合は狙撃したりしますけど・・・・それは最終手段でしょう。

 でも、事件の首謀者がイスラム系ではなくて、たとえばヨーロッパ系の白人で、ドイツだかフランスだかに潜伏しているんだったらどうだったんだろう?もちろん、潜伏している国では容疑者を捕まえるように協力するだろうけど、でも軍事介入は絶対に拒否するだろう。
 
 というように、日本人の私が「?」となってしまっているのだから、アフガニスタン周辺で生まれ育った人には、もっとわけわからないだろう。こっちがイスラム過激派の「正義」がよくわからないのと同じように、向こうだってアメリカの「正義」は理解不能だろう。

 わからないことが多いが、とにかく、今の日本の状況は「ちゃんと参加しておかないと恥をかく」という雰囲気のような気がして、それって「ブランド物のバッグ持ってないと恥ずかしい」というのとなんも変わらないような気がして気持ち悪い。
 「報復攻撃」というのはいけない!平和的、民主的な解決を!と言えない/言わないのは百歩譲るとして(つうか軍事攻撃を支持する人が多いみたいだから)、せめて中国のように「一般民衆に被害が及ばないように」とクギを刺すくらいのことを言ってほしいよね。

 昔、社会科の先生(やや左寄りだった)が「アメリカは日本には原爆を落としましたが、同じような立場だったドイツには落としませんでした。やはり根っこの部分で東洋人差別というか同じ人間ではないとい気持ちがあるのです」と語っていて、「うう、あまりそんなこと考えたくないな」と思っていたが、今回の事件でも「白人の罪の無い民衆」と「イスラム系の罪の無い民衆」の命の重さは同等にはなっていないような気がしてしかたない。テロリストを壊滅させるという大儀名文のために、その付近に住む人が多少被害にあってもやむを得ないと思っているだろう。
 それを向こうの人たちはもっと敏感に感じているように思う。
 だれだって自分の身近な人の命は大切なのだ。遠い国の人の命よりも。だから相手に対して「私は公平である」とアピールするためには、そうとう相手に対して「寛容」にしないといけないのだ。それは身近な人間関係でも自明なこと。「自分にも他人にも厳しい」という人は、傍から見ると「自分勝手」にしか見えない。「自分に厳しく、他人に甘い人」が世間に「あの人はけっこう公平な人だよね」とやっと評価される。

 だからこそ、ここで軍事行動を起こしても、「不公平で自分勝手なアメリカ+同盟国」をアピールするだけで、また新たな憎しみを生むだけで、「憎しみの芽を摘むこと」なんてできない。

 あと、もう一つだけ、空しいお願いというか妄想を書いておこう。アメリカの有事の際には日本もくっついていかなければならないことになっているのなら、

 「私にもアメリカの参政権ください」

 かなり反米的な記述だったかもしれないけど、アメリカは日本のお手本でもあるわけだし、ちゃんと私にもわかるような理屈の「正義」を発揮してほしいという願いです。もう連日「正義・正義」と繰り返すから、わけわかんなくなってきたのだ。
 ノストラダムスの本が売れている場合じゃないぞ?そんなのは日本だけでたくさんだってば。



9月20日(木)

 3連休はあきらめて、今日もせっせと仕事した。いろいろ関係各所に確認する電話はメールをガシガシ入れて、あとは単純入力と表作成のみとなった。う〜ん、くどいようだが、やはり私ってけっこう優秀なOLかもしれない。(←いつものことだが、一生懸命やっててもあまり評価されない職種であるので、自分で自分を褒めてやることも大切)
 この調子で明日・明後日がんばれば、日・月は休めるかも・・・しかし、伝票入力の元になる資料は作成したが、その入力にどのくらいの時間がかかるかまだ不明。入力のスピードは人並以下なため。

 仕事のめどがついて、ちょっぴりほっとしたので、今日は帰りにプールに寄った。「なかなか戦争にならなくて、もどかしいよね〜」とか言ってるやつがいて、またムカつく。
 火曜日にもスポーツクラブに寄ったのだが、そのとき最初に荷物を入れたロッカーのカギが壊れていたので、荷物を他のロッカーに入れ替えた。帰りにチェックアウトを済ませ、外に出たら腕時計が無いのに気が付いて、またロッカーに戻ったのだが、時計はなかった。
 「もしかして、先に入れたロッカーに置き忘れたか?」
と、思ったが、カギが壊れているのに気にしなかった人がいるらしく、そのロッカーは使用中になっていた。カギはリストバンドになっており、バンドが壊れていたのだが、手首にしないで持ち歩く人にはそれでもよかったのだろう。エアロビのときには皆外してドリンクやタオルの側に置いておくし。

 というわけで、フロントに紛失届を出して、もし届けがあったら連絡してもらうようにお願いしたのだが、昨日は電話はなかった。
 「盗まれたのかな」と思ったが、高価な時計ではないし、だいぶボロくなっているし、それによく「男物?」と言われる無骨なデザインのものだったので、欲しがる人がいるとも思えず、今日もフロントに確認したのだが、やはり届いてないとのこと・・・・・ショック・・・・・

 何年前だろうか?もう7年くらい前かもしれないが、クラブ友達のMZちゃんが誕生日にプレゼントしてくれたのだ。「ライト付きで、これはクラバー御用達でしょう」というわけで、時計の脇に小さなビームがついていたし、アナログだったがバックライトがついていたので、暗いフロアでも時間がわかったので便利だった。
 クラブでも大活躍だったが、旅行でも重宝した。寝台車に夜中に途中乗車すると、コンパートメントが消灯していてどれが自分の寝床だかわからなかったりするが、そういうときに座席番号を確認したりするときにちょうど良い光だった。劇場でも、客席の照明がおとされてから入ったときにはやはり座席確認の役にたった。

 とにかくお気に入りで、いつもしていた時計だったのだが・・・・残念。
 ネットで探してみたが、marumanのサイトでは見つからなかった。もう、ビーム付きすら見当たらない・・・・いろいろ探してみたら、ここに似た機能のものがあった。maruman BIVOUAC?って書いてあるやつ。私のは、こういう形でビームがついてて、黒くて、アナログで、バンドはゴムではなくて、化繊のベルトみたいなやつでした。ベルトはかなり磨り減っていたのになあ。いまどきあんなボロ時計ほしがる人もいるとは思えないし・・・・どっかから出てこないかなあ・・・他に腕時計持ってないんだよなあ・・・・まあ、あんまし困らないのだが・・・・でも、無いと不便なときもあるのでやっぱなあ・・・・

 あまり物を買わないので、気に入ったものはとことん使うたちなので、なくなるとすごく困る。ああ、そういえば、そろそろ財布もかなりボロくなっている。そっちは13歳くらい。人間なら70歳くらいだろうか? 



9月19日(水)

 うう、仕事が忙しくなってきてしまった。
 8月に、私になんの断りもなく、いや別に断る必要もないからそれはいいのだが、2箇所で大変革があり、そのときは「はあ、なんかいつのまにか変わったみたい」と思っていたのだが、今ごろになって、「しあわせ〜」ではなくて、手と手のシワをあわせて「しわよせ〜」が来てしまったのである。
 
 今日も残業して、せっせと商品登録していたのだが、得意先別に単価が違うので「単価1、単価2・・・・」と設定していたら、前から登録してある商品がそれでは影響を受けてしまうことが発覚し、その設定を直していたら・・・・わけわかんなくなってきたので、8時に頭がフリーズしてしまい、放りなげて帰ってきてしまった。

 この調子では、今週末は、土日月と久々の3連休にして、ちょこっと遠出(脱・関東)しようと思っていたのだが・・・・3連休どころか、また日曜日しか休めないかもしれない・・・とほほ

 田崎せんせーの日記で、昨日は英語で載せてあったのだが、すばらしいことに、今日は日本語訳が載っていた「暗黒の火曜日:イスラマバードから



9月18日(火)

 会社で、社員募集広告を出したら何人か応募があったようだが、その中の一人の女の子が履歴書に自分のホームページのURLを書いてあったそうだ。面接した担当者がそれを見ていたので、会社の若い同僚が「わたしも見たい〜」と教えてもらって見ていた。

 私の会社ではWEB制作の部署はほとんど派遣社員になっていて、よくその面談も行われているが、そういう派遣スタッフの多くは自分のページを持っていたりするので、担当者もスタッフの自己申告のスキルがどの程度か確認することもできて便利だと思うが、それ以外で「履歴書で自分のページを宣伝」するというのもめずらしい。
 まあ、見てもらえれば、詳しい自己紹介とかセンスとかがアピールできるのかもしれない。それに、私はあまりその採用については詳しくないのだが、ある程度パソコンのスキル(たぶん、アドミ初級とかMSのオフィスアプリが使える程度だろうけど)を求めているようなので、ページを持っているというのは、自宅にパソコンがあり、けっこうバリバリ使っているというアピールになるのだろうか・・・・とかなんとか思っていたら。

 「この人、日記も書いてますよ」

 ・・・・日記サイトを履歴書に書くものだろうか?私だったら、絶対にそんなことはできないな。
 前に勤めていた「テレビ番組制作会社」では、CMの制作進行募集だって書いてあるのに、長編ドラマの脚本付き履歴書とか、映画の企画書付き履歴書とかがけっこう舞込んできて、「ADにしろ、制作進行にしろ、求められているのは、体力と体力と3日徹夜できる気力と冬でも風邪を引かない健康と、あとは一般常識がちょこっとあれば(あまりあると「ギョーカイのジョーシキ」に順応できなくて脱落してしまう)いいのになあ」とか言われていたが、そういうところだったら、日記を履歴書に添付する荒業をする人もいただろうけど。でも、日記と言っても、真面目な記述で「生真面目さ」をアピールしているのかもしれないし・・・

 「キャハハ!この人って・・・・バカかも!」

 どうやら、彼女は現在求職中であるので、とうぜん日記には「どこどこに面接に行って・・・・」という記述があるようなのだ。しかも、

 「だって、うちの前に面接に行った会社の悪口書いてありますよ!」

 おいおい・・・・つうことは、「やっぱ、この子、ちょっと変かも」とうちの担当者も思って、お断りしたら・・・・うちの会社の悪口も書かれてしまうのだろうか?「非常口の前には荷物がたくさん積まれていた。防災意識のない会社である」とか?「いまどきめずらしい、分煙でもない会社」とか?「担当者にとりついでくれた受け付けの女性は髪がボサボサだった」とか?(←私のことです)
 私はあまり見る気がしなかったので、というか、「面接先に教えるなら、自己アピール用の別サイト作ればいいではないですか?ありのままの自分を見せるのがいいとは限らないのですが」と意見してしまいそうだったので、近づかないことにした。

 なので、内容がどうだったのかわからないが、私の上司(総務部長)も、ちょっと渋い顔をしていたので、彼女の採用はやはり難しいかもしれない。
 でも、そうやってこの世のどこかには「全然、採用してくれない!」という日記を書いている人がいて、その日記を武器に次々とURLの履歴書を送り、さらなる「不採用記録」を更新しているサイトがあるのかもしれない。確信犯なのかもしれないし、世の中には物好きもいるから「この子を採用したら、会社での出来事を毎日書くのかな?」と思って採用する人もいるかもしれない。でも「あの日記はちょっと・・・・」という理由で不採用を告げてくる親切な担当者もいないと思うが・・・・

 でも、不採用にしても「その後、彼女はいつ自分の間違いに気が付くのか?」と皆ついついそのサイトを覗いてしまうかもしれないから、考えようによっては堅実な「訪問式アクセス向上法」なのかもしれない。

 とかなんとか書いてたら、採用されちゃったりしてね(笑)この不況下になんで人手不足なんだろうか>うちの会社。待遇が悪いからにきまってるんですけどね(苦笑) 



9月17日(月)

 ♪Happy talk, keep talking happy talk♪

 この曲-Happy Talk-もカラオケで入っているのを見たとこがないな。ビールのCMに使用されたときにはすこし期待したのだが・・・。
 フリッパーズ・ギター・ファンにはクロディーヌ・ロンジェのがお馴染みだけれど、元はミュージカル「南太平洋」の挿入歌。私はこの曲が大好きだったので、わざわざその映画を観てみたが、なんかすごい悲しい使われ方をしていた。(歌が流れる場面では悲しくないのだが・・・)
 というわけで、今の気分にわりかし合っている曲である。

 掲示板が宇宙人やそれ以外のもの荒らされておりますが、たしかにこういう世界情勢が不安定なときって、宇宙人が責めてきたら「地球人」が一致団結するのではないかという甘い夢に逃避してしまったりする。
 友好的でない宇宙人が襲撃してくるというは古典SFではよくあったと思うし、アメリカでは昔それのラジオ・ドラマで騒然となった事件もありましたよね。
 そういうSFもけっこう読んだような気がするが、私が記憶しているのは、もっと「楽しい」やつだ。

 星新一のショートショートだったと思うが(まちがってたらごめんなさい)、地球人の全滅を狙った宇宙人が、地球人を捕獲してその殺し方を研究した。司令官は血も涙もない冷酷宇宙人で「人間の皮膚を溶かしてしまう薬を開発しろ」と部下に命じ、部下が開発に成功した。
 いよいよ、作戦実行である。昼間の賑わう都市に、その薬品を投下した。
 宇宙人たちは、宇宙船からその様子をモニターしていて、「しめしめ、地球人のやつらはパニックになっているぞ。断末魔の苦しみだな」とご満悦。しかし、部下の一人が気が付いた。
 「たしかに、もがき苦しんでいるものもいますが、なんか半分くらいは喜んでませんか?」

 地上では、たしかにパニック状態になっていたが、多くの男性は大喜びだった。宇宙人の開発した薬品は衣服を溶かすものだったのだ。

 あと、「人類の生殖機能を封じよう」とした宇宙人もいたな。人間も害虫駆除にそういう手段をとることもあるみたいなので、わりと確実に根絶やしする手なのだろう。
 宇宙人はやはり、カップルを拉致して閉じ込めて、催淫剤(媚薬?)を間断なく与えて、その生殖行動と繁殖の仕組みを研究しようとした。でも、全然繁殖する気配がないので「繁殖期ではないのだろうか?」とか試行錯誤していた。
 カップルは気が付いていた。自分たちがそういう実験体にされているのを・・・・そんで自分たちがレズのカップルだったので、宇宙人がそれに気がつくまでは人類の危機が引き伸ばされるのもわかっていた。雌雄同体の宇宙人がそれに気がつかないことを祈りながら・・・・

 そういえば、観てないけど「モロン」っていう映画は、「地球にやってきた宇宙人が自分たちよりインテリジェンスとは限らない」というわけで、「すっごい低脳」な宇宙人が描かれていた。予告編しか観ていなが、なんか「ヘビメタ」な宇宙人だった。

 とまあ、いろいろ愉快な話を考えて(というか思い出して)いると気が紛れるが、今日の帰りの途中の駅で、飛行機の轟音が響き渡った。暗い空に飛行機の影は見えない。前にもそんなことがあったので、厚木基地あたりの夜間飛行訓練だと思われる。低空を飛ぶらしく、かなり大きな音がするのだ。
 でも、駅で電車を待つ人々の顔は不安でこわばっていた。皆の頭の片隅に「もしや、飛行機が突っ込んでくるのでは?」というのがよぎったのだろう。私もちょっと不安になった。

 そういや、私の日記の文章が2chの某スレッドで引用されているようですが、どうせやるならもっと面白く使ってね。


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