2002年1月1日『FROM GROUND ZERO』

FEEL SECURE?

 ワールドトレードセンターが「グラウンドゼロ」(爆心地)と呼ばれるようになって初めての新年、2002年1月1日早朝、現場を訪れてみた。昨夜、タイムズスクエアのカウントダウンは、出動警察官数が過去最高の7000人という、厳重な警備のなか行われた。

 街では、ふだん無愛想で恐く感じる事のあるイエローキャブの運転手達でさえ「ニューイヤーテロが恐い」等と口々にし、普段は見せない彼等の不安げな表情がいつもと違うニューヨークを感じさせてくれた。

 ミッドタウン界隈は予想に反して、例年に劣らずむしろジュリア−ニ市長最後の任務を一目見たいという人々であふれ、予想以上の熱気のなか、心配されていたニューイヤーズテロも起こる事なく、無事新年の幕開けを迎える事ができた。

 9月11日の大惨事があった年からの節目として「今回のカウントダウンはこのニューヨークにとって特別なものである」とテレビや新聞のインタビューに答える人々が多かった。

GROUND ZERO

 元旦の朝。体感気温はマイナス10度に近い。雲一つない澄みきった青い空が、現場を一層静かなものにしていた。

 それは、被災現場の西側にひっそりとある。日本の物干台のような作りの階段を上って行くと、遺族が現場を見学するために設置された展望台に出る。まず目に飛び込んでくるのは、幾つもの鉄の固まりの山である。それらは冬のやわらかい朝の光を浴びて、無気味なほど鈍い光を放っていた。

 一組の遺族が、公的な制服を着た担当者から様々な説明を受けている。彼等の現場を見るまなざしは真剣そのものだ。目の前のがれきの下には、まだ発見されていない数多くの人々が眠っている。

 元旦の今日でさえ、数人の作業員が黙々と作業を続けている。至る所に掲げられている星条旗を、冷たい風がなびかせていた。人々の悲しみや怒り、世界が失った多くのもの。何か熱いものが胸にこみ上げてくる。

 展望台に立って見渡してみると、あんなにも高いビルがここに2つもあったのか、と疑ってしまうほど意外に狭い印象を受ける。しかしながら、実際は受けた印象よりも広いので、先ほどからショベルカーが無機質な鉄の破片を集めているが、音はほとんど聞こえて来ない。昨夜とは打って変わって、静寂な時がグラウンドゼロには流れていた。その静寂のなかに、深い悲しみと怒りが確かに息づいている。それと同時に、かつて世界経済を支えていた日々の誇りと喜びが、立ち昇ってくるかのようでもある。

 現場を出て少し行くと、ニューヨーク市庁舎がある。市庁舎に近づくにつれ、ジャズのような音楽が聞こえてきた。元旦の今日、新市長ブルームバーグの就任式が行われている真っ最中であった。

 悲劇の地と隣り合わせの場所で、新たな始まりの光景があった。惨劇の犠牲者にも、その家族にも「再生」の日がきっと来る、と信じたい。

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サンデー毎日 1月27日号

「佐野美和が歩いたN.Y2002 グラウンド・ゼロ」もご参考に