今回はゴールデンウィークだったこともあり、行き帰りとも日本人でほぼ満席。 タシュケントでは飛行機を降りた時に到着用と国内線乗換え用のバスが別々なので要注意。 リコンファームが要ると聞いていたが、しなくても大丈夫だった(そもそもカウンターに行ってもとりあってもらえない)。 |
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首都のタシュケントには地下鉄があるが、それ以外の街での移動手段はミニバスか乗り合いタクシー。 |
同じくヒヴァからブハラまでの道中。 |
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ウズベキスタンと言えばここ。マドラサと呼ばれる神学校がコの字型に配置されている。 |
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夕暮れ時のマドラサは美しい。内部の天井もまた見事(ポインタを画像へ)。 |
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レギスタン広場からタシュケント通りを歩いて30分くらいのアフラースィヤーブの丘の上にある霊廟群。 |
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色鮮やかな青いタイルで模様が描かれ、アラビア語と思しき文字も描かれている。 |
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丘からの眺望。右に見えるのはビビ・ハヌム・モスク。 |
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こちらもレギスタン広場から歩いて行ける距離。建物はそれほど大きくないが、ドームの頭の部分が大きい。 |
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アフラースィヤーブの丘付近からミニバスで10分くらいの高台の上にある天文台跡。 |
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歴史上の様々な学者が算出した1年の長さがリストされていた(ポインタを画像へ)。ウルグベクの算出した1年は365日6時間10分4秒(下から2つ目)。現在わかっている1年(太陽年)は365日5時間48分46秒なので、誤差は20分ほど。恒星年(365日6時間9分10秒)だとすると誤差は1分弱。 |
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14世紀後半〜16世紀初まで中央アジアを支配したティムール朝を興した人物。 |
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市場の食堂で休憩していたら隣のおじさんグループにウォッカを勧められ、調子よく飲んでたらそのうち「お土産だ、お土産だ」と言って市場の中に連れて行かれた。何かくれるのかと思ったら結局おじさんの経営する?スパイス屋。いろいろサービスしてくれたのはいいがやたら重い岩塩とかも買う羽目に。 |
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サマルカンドから西に300km弱、9世紀〜10世紀にかけて栄えたサーマーン朝の首都だった都市。 |
カラーン・モスクの一番立派な建物。 |
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モスクの中は白一色の回廊。 |
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マドラサとはイスラムの神学校のこと。やはり堂々と鳳凰が描かれている。それらの間には太陽の中に仏教っぽい人の顔が描かれている。 |
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ラビ・ハウズと呼ばれる池の周りの広場。座敷のようなところであぐらをかいてお茶を飲むスタイル。お茶はこんな感じ。 |
夜もう一度カラーン・モスクを訪れると、少し欠けた月が出ていた。 |
城壁都市ヒバはウズベキスタン西部に位置する。タシュケントからウルゲンチまで空路で行き、空港からタクシーで行くのが早い。陸路だとブハラから乗り合いタクシーで約5時間。 |
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道路が広くビルが四角く地味なのは旧共産圏っぽい。 |
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ヒバはイチャン・カラ(内城)と呼ばれる城壁に囲まれた都市の跡。 |
ヒバで最も高いミナレット。20世紀初めに建てられた比較的新しいもの。 |
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急で暗い階段を登ること数分。頂上からはヒバが一望できる。 |
カルタ・ミナールと呼ばれる尖塔。 |
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ミナレットはイスラムの礼拝の呼びかけを行うための塔だが、囚人の処刑用にも使われていたらしい。 |
上の看守もかぶっていたモコモコの帽子は男子の正装らしく、お土産にもたくさん売られていた。 |
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キョフネ・アルクと呼ばれる宮殿の中にある謁見の場。 |
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柱や天井には細かい装飾が施されている。 |
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民族衣装の販売所。西洋人たちが喜んで買っていた。 |
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ガイドブックに載っている井戸はこれ? |
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