貨物車両


 玉電は元々多摩川の砂利を都心に運ぶために建設されたため、開業当初から砂利運搬が盛んでした。一時は旅客輸送よりも収入が多く、玉川電気鉄道の主力事業までになりました。大正9年(1920年)には貨物電車が渋谷で都電と相互乗り入れするようになりました。その後、関東大震災(大正12年 1923年)以降は、帝都復興のため砂利需要が高まりました。既に砂利が枯渇した二子玉川から、翌年には砧線が開通しました。
 しかし、無理な採掘により多摩川の砂利はすぐに底をつきました。昭和9年(1934年)に多摩川の砂利の採掘が禁止されましたが、それ以前に砂利輸送が終了したようで具体的な日付の資料は残っておらず、いつ終了したのかは分かりません。

デト3031 玉川線時代

デト3031昭和26年に、有蓋電動貨車だったデワ3031を無蓋電動貨車へと改造したのがデト3031です。翌年の二子玉川園開園の際に花電車になりました。

 このデト3031の前進であったデワ3031は、大正13年に横浜ドックで有蓋電動貨車として製造され、京急で使用されていましたが、昭和18年に東急の路線になっていた京浜線から来たデワ5013を改軌し、玉川線の所属としたものでした。番号は鉄道線並の3000番台が使用され、台車はペックハム台車、主電動機はGE−57−A形を2台取り付けていました。玉川線では主に事業用物資の運搬を行っており、1950年代は日中でも頻繁に走っていました。昭和37年(1962年)に台枠を補強し、翌年には車体一部を銅版化、更に台枠付近を黄色に塗り変えましたがあまり活躍することもなく、昭和42年(1967年)6月に廃車になりました。

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