1.サンタクロース



この季節にどうかな?とは思ったのですが、思い立ってしまったので書きます。

皆さんは”サンタクロース”の存在を信じていますか?

たぶんこのページに来てくれている方は、大人の方が多いでしょうから

「子供じゃあるまいし・・・」って思ってる人が多いと思うんですね。

でも、私としては、「サンタクロースは絶対にいる!」と思っております。

なぜか?

べつに、北極圏の国に行って本物に会って来た、とかいうわけではありません。

まして「私がサンタクロースだ!」とかいうオチがあるわけでもありません。

今はその存在を信じていない人も、小さいころは信じていたんだと思うんです。

どうですか?

私は物心がついたころ―幼稚園とかそのくらい―から信じています。

私の記憶では、物心がつくころには、サンタクロースが来ていました。

小さいころのクリスマス当日(12/25)の記憶というのは、かなり鮮明です。

毎年、その日は必ず私が家で一番に起きました。

そして、真冬の空気で冷やされた階段をペタペタと下りていくと、

玄関に置いた”長靴”(*)の上にきれいな包装紙でくるんだ箱がありました。

*注:我が家では煙突がなかったことから、サンタクロースは玄関から来るであろうと言うことになっていた。

しかし、なぜ”長靴”であったかは、不明。

薄明かりの中に箱を見つけたときのドキドキ感といったらありませんでした。

プレゼントの中身は様々でした。

手袋だったり、ぬいぐるみだったり・・・

こういう思い出はたいていの人にあると思います。

ただ、ある時気づくんですよね、

「サンタクロースは親なのだ。」と。

私は気づくのが遅く、小学生のころまで気づきませんでした。

さて、問題はその後です。

自分にプレゼントをくれたのは両親である、しかし。

だいたいの人は「どうせ親なんだから、サンタクロースなんていやしないよ。」と思うでしょう。

でも、私は違ったんです。

「サンタクロースはいるのだ。」

その気持ちに変わりはありませんでした。

クリスマスシーズンにテレビに映る、

白いひげをはやし、赤い衣装を着た人が、

サンタクロースだというわけでもありません。

あれは、子供たちのためのもの。

これがサンタさんだ、と分かる形にしないと、子供には分からないから。

でも、これは想像力とか、そういったものに関係するのかもしれないけれど、

サンタクロースは、生身の人間である必要はないと思うのです。

姿は人間からは見えない、けれど、どこかに必ずいる、

そういう存在だと思うのです。

そして、そのサンタクロースがくれるプレゼントは、物ではなく、

信じる心とか、夢とか、そういうものだと、思うのです。

非常にあいまいな書き方だし、奇麗事と言う人もいるかもしれない、でもそういうもの。

私はそう思います。

子供に、自分だと悟られないように、両親がプレゼントを用意するのは、

そのサンタクロースからのメッセージを伝えるため。

(もちろん、両親はそんなこと、思っていないでしょうけど。)

もう私のところにはサンタクロースは来ないけれど、

きっと、次の子供たちに夢を配っているのだと、そう思う。

そして、将来私に子供が出来たら、きっと両親と同じ事をしてあげると思います。

想像力と、夢のある人に、育ってほしいから。


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