三輪そうめん

 奈良盆地の夏は暑い。この暑さの中をそうめんを求めて日本最古の道=山の辺の道を歩いている。うどんの修行に何故そうめん?と思った方は歴史・文化を読み返して欲しい。奈良時代に登場する索餅(さくべい)が室町時代に索麺(さくめん)に、音便化し素麺(そうめん)になった。同じ室町時代に登場した切り麺がうどんのルーツとされるが、稲庭うどんや五島(有川)うどんは索餅の系統である。
 そうめんとうどんの違いをご存じだろうか。そうめんは乾麺のみでうどんは生麺と乾麺がある。そうめんは手延べでそうめんとよく似た冷麦やうどんは包丁で切って作る。機械が普及した現在では太さで区別する。うどん、冷麦、そうめんの順に細くなる。

 名物は風土から生まれる、奈良盆地の三輪地方は巻向川と初瀬川が作る肥沃な土地で昔から小麦の栽培が盛んだった、特に車谷あたりは水車が並んでいたという。冬場冷え雨が少ないそうめん作りはもってこいのところだった。生産量日本一は多分揖保の糸を代表とする播州そうめんだが、古来より三輪でそうめんの相場を占った。三輪はそうめんのふるさとであり、小豆島そうめんなどの製法もここから伝わったそうめんの本家だ。

 そうめんは乾麺なので出来立ての麺を製麺所で食べるわけにはいかない。(三輪からそうめんを送ってもらい家でゆがけばと人は言うが)食べられる店を探して旅は始まる。

 奈良と桜井を結ぶ山の辺の道その南半分の天理から桜井の中間にある長岳寺−弘法大師が開いた寺である−でそうめんが食べられる。山の辺そうめんと名付けられたそうめんを重要文化財の庫裏でいただける。ひんやりとした庫裏に冷たいそうめん暑さを忘れさせてくれる。
 この後山の辺の道は崇神天皇陵、景行天皇陵の脇を回りそのまま行くとそうめんの里車谷を経て大神神社(おおみわじんじゃ)へ着く。季節は夏、そうめん干しはみられないので道を外れた。

 卑弥呼の墓とも言われる箸墓の脇を通り国道に出てすぐの 三輪そうめん山本で土産を買うことにした。白龍とか言う極細そうめんで三年越しの大古物(おおひねもの)を選んだ。三輪では白く細く年月を経たのが高級とされている。
 そのまま国道を歩いた、道沿いにはそうめん販売所が何軒もある。池利という製造元が直営する 千寿亭という近代的なレストランに立ち寄った。出てきたのは色の付いた三食そうめんだ。白きこと雪のごとしと讃えられてきた三輪にあって色つきそうめんは池利が普及させたものだそうだ。

 三輪山をご神体とする大神神社に参拝し二の鳥居の脇にある そうめん処森正に寄った立派な門構えだが民家の庭先でいただくシステム、葦簾を巡らせた趣深い庭に自然の風が心地いい。汗がすっと引きそうめんもおいしく感じられる。
 後は帰るだけだったが桜井線が1時間に2本のローカル線、電車を持つ間にさっき通り過ぎて気になった「大神神社御用達」の木の看板が輝く 榮寿司でそうめんを食べることにした。なかなか古い建物でクーラーもなく扇風機が回っている。そうめんにはこれくらいの涼しさがちょうどいい。

箸墓(右後方が三輪山)

 三輪そうめんは細いので茹でるのに1分ちょっと、作り置きということはない。
 いろいろ食べて思ったのはクーラーのきいた部屋より屋外で自然の風に当たりながら、だめならせめて扇風機の風で食べるのがいい。氷にそうめんを載せるより冷たい水につけるほうがいい、水に氷を浮かべてあれば最高だ。夏の暑さと涼しさが一度に味わえ得した気分になれる。
 そうめんは新鮮なものより2、3年寝かしてあめ色になったものがこしがありおいしいのだそうだが家庭では早く食べるのに限るそうだ。
 古代のロマンと夏の味覚おいしい旅であった。

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