業界用語

 別に業界用語を知らなくてもうどんを食べるのには困らない。知っていると蘊蓄を語れるが、語ると周りにうっとーしがられ友達が減る。
 なお、内容は通説から麺聖独自の考えまでいろいろ。行政、マスコミ、大作家、うどん通の方々に遠慮をしていないので、気を悪くされた関係者がいらっしゃったら反省して下さい。徐々に充実させていきたいと思っています、内容に誤りがあればご指導を願います。

        
足踏み禁止  県外客の投書をきっかけに、1968年(大量生産の製麺所では食品衛生上好ましくないと)うどんの足踏みが禁止された。これにより機械化が進んだことがその後の讃岐うどんの発展につながった、まさに塞翁が馬である。当然ながら今も少量生産の所では足踏みは行われている。
稲庭うどん  秋田県産。そうめんと同じように手で延ばし作るが油を塗らない麺、そうめんの仲間だ。これが純粋なうどんなら日本一のうどんの栄誉は讃岐うどんが手にすることはなかった。
宇高連絡船  うこうれんらくせん。国鉄宇野線開通にあわせ1910年(明治43年)開設。瀬戸大橋線開通の前日1988年(昭和63年4月9日)まで岡山県の宇野駅と香川県の高松駅を約1時間で結んだ(廃止時はJR)の航路。 後部デッキに立ち食いうどん屋があった。同じ字でフェリーは宇高(うたか)国道フェリーと発音する。
うどん  広義のうどんの定義ではそうめん、はくたく、うどんをすべて含むよう「小麦粉に水又は塩水を加えて練って、細長くしたもの、但し押し出して作るものは除く、であろう。狭義では「小麦粉に塩水を加えよくこね熟成させた後、薄く延ばし包丁で切ったもの」。こんな定義が歴史にも実態にもあっている。日本農林規格(JAS)は機械製乾めんについては、長径1.7mm以上3.8mm未満,短径1.0mm以上3.8mm未満がうどん、長径1.3mm以上1.7mm未満,短径1.0mm以上1.7mm未満をひやむぎ、長径及び短径を1.3mm未満でそうめんというように太さのみによる強引な分類を行っている。手延べ乾麺に関しても、食用植物油を塗布してよりをかけながら順次引き延ばして丸棒状にし、乾燥させた麺(今我々が知っているそうめんその物の説明)のうち 、直径が1.7mm以上を手延べうどんとしている。(切麺が普及する以前はこっちが本当のうどんだったという主張はあろうが)製法から明らかなそうめんにうどんの名称を与えていることが混乱の元。「切ったのがうどん」、「よりをかけながら順次引き延ばしたものをそうめん」のほうがいい、結果稲庭そうめんになったとしても。。
UDON  「うどん」と読み、映画のタイトル。うどんブームに便乗して作られたが、ブームを描き切れなかった上に人情映画、恋愛映画としても中途半端でやたら長いだけが印象的な作品。香川県民の多くは知ったうどん屋やおばちゃんが多数出ている点で満足している。フジの5億円かけたとも言われる宣伝は興行収入13億円と失敗に終わったが、県内では香川県庁のタイアップと称する一民間企業優遇広報の成果か公開第1週の観客動員数が21,000人(『踊る大捜査線THE MOVIE2』13,000人)とアニメを除く邦画記録を打ち立てた。県外で終了が相次ぐ中も県内動員記録を目指す監督の意をくんでか県内の2館は興業を続ける。映画に企画協力した田尾団長は『うどん人(香川県観光協会発行)』で「…映画はよくできてますね。何より監督の『うどんを好きな気持ち』が伝わる。あれはたぶん本広監督にしか撮れない。見終わったらうどんを食べに行きたくなります」と絶賛するが、麺聖は『UDON』をうどんに例えれば、麺打ちも覚束ないのに、量と具をてんこ盛りにして、やたら豪華に見せただけのうどん!と酷評している。(2006年8月26日公開、ユースケ・サンタマリア・小西真奈美主演、亀山千広製作×本広克行監督、フジテレビジョン・ROBOT・東宝製作、東宝配給)
うどん王  元々は中讃のうどん愛好家グループの愛称だったが、ホットカプセルにより実力制のタイトルとなる。初代が盛の大将。
うどんの日  7月2日。梅雨が明け、田植えの終期とされる半夏生(はんげしょう、略してはんげ、七十二候の一、夏至から数えて11日目、7月2日頃)に、讃岐の農家では昔、田植えが終わった労をねぎらうため、うどん(麦の収穫の後でもある)をふるまう風習があったそうである。それにちなみ、7月2日を「さぬきうどんの日」と香川県生麺事業協同組合が1980年に定めた。ただ、半夏生と7月2日のどちらが優先されるか(一致しない年もある)は私は知らない。
 11月11日及び毎月11日は全国製麺協同組合連合会が「めんの日」と定め日本記念日協会が1999年に認定している。
 10月10日は冷凍めんの日、何でも010=れいとうかららしい。PR大使がMEGUMIで2002年度で2代目ということは、2001年から始まったらしい。初代の大使はえなり兄弟。
うどんや風一夜薬  うどんやかぜいちやくすり。明治の初め大阪で誕生。消化のいい熱々のうどんを食べを体を温め、薬を飲んで一晩眠ると風邪が治ると考えられていたため、戦前はうどんやで売っていたそうである。東京では「そばや風一夜薬」。現在も医薬品として売られている。
ASW  オーストラリア(ン)・スタンダード・ホワイト。讃岐うどんの名声を確立したオーストラリア産の小麦粉。パン用小麦粉では北米に勝てないと考えたオーストラリアがうどん用に開発。いろんな試験では単一品種のように扱われているが、種をまいたら数種類の苗が育ったという噂である。
恐るべきさぬきうどん  登録商標。怪しいうどん屋を世間に知らせたホットカプセルの本、現在まで5巻が出ている。正統派うどん研究団体、うどん職人からはねたまれているが勝てば官軍の状態。研究者の敗因はうどんを食べている人をあまりに帰りみなかったという点、職人の敗因は、一流の世界は評論を許していることへの無知と批判を受け入れない頑固さ(ある意味必要な資質かも知れないが)にあった。ともに研究者、職人以上にうどんを食べている客がいるという事実を軽視しすぎた。4巻5巻とネタ切れ気味だが、県民にうどん屋を再発見させた功績は大きい。
かけうどん
だし\麺 釜から直接 水で締めて 温め直して
かけだし    −   かけ   かけ
つけだし  釜上げ   ざる  湯だめ
醤油   醤油   醤油   −
 うどんに出汁をかけたもの。具は最小限の物が載っている、素(す)うどん。県外では讃岐うどんと呼ばれもっとも安いメニューにされていることが多いそうである。なお、そばの世界では「かけ」はぶっかけが縮まったとされているらしい。
釜上げうどん  釜上げは二つの意味で用いられている。ひとつはメニューとしての釜上げ(うどん)でもうひとつは状態としての釜上げである。まず釜上げうどんであるが、香川県や宮崎県等では釜からとった麺を水で洗わずゆで湯とともに提供するものをいう、つけだしで食べる。全国的には水で洗った麺をぬくめ直して湯に入れて提供するのを釜上げという。東京に行って「これは湯だめだ、本場讃岐の人間はだまされんぞ」と言うのは単なる田舎者である。また、釜上げこそ通の食べ方と言うのも、水で締めるのを麺の完成とすると疑問である。釜上げ以外では出来立て麺を食べることが難しかった時代の話であろう。讃岐では昔は夏の湯だめ冬の釜上げと区別されていたらしい。
 釜から取り出した状態も釜上げと称するが、麺だけうどん鉢に入れ醤油をかけると熱い醤油うどん、生卵を絡ませ醤油又はだしをかけて食べるスタイルは釜玉というメニューになる。
切り麦  室町時代の切り麦が現在のうどんの先祖と言われている。なお、山形県の庄内地方では麦切りといううどんがある。
空海  お大師さん、弘法大師。774年香川県善通寺市生まれ(通説)。もっとも、善通寺の寺号は空海の父の法名だから当時そんな地名はない讃岐国多度郡方田郷生まれ。善通寺市は善通寺の門前町。空海が唐からうどんを持ち帰ったということに讃岐ではなっている。空海がうどんの先祖に出会った可能性は否定できないが一応うどんの誕生は室町時代とされている。
ゲリラうどん通ごっこ  タウン情報かがわ(ホットカプセル)に連載された讃岐うどん針の穴場探訪のコラム。『恐るべきさぬきうどん』の基になった。平成14年10月号の第162回で終了。
こし  小島高明さんによると「シコシコとした弾力ととろりとした柔らかさ」。三木英三農学博士によると適当に硬く粘りがあって、柔らかいがプツンと切れにくいことで、物理的に粘弾性と切断強度で測定される、なお「のどごし」は粘着性の測定により表現される。
コムギ  紀元前7000年メソポタミア(西南アジア)で栽培始まる、日本では紀元4〜5世紀に伝播。
金毘羅祭礼図  金刀比羅宮所蔵の元禄時代の琴平の門前町を描く屏風絵。。絵師岩佐清信によって3軒のうどん屋が描かれたこの絵こそが、讃岐うどんの歴史的正当性を元禄時代まで(約300年)さかのぼらせる証拠品とされている。
索餅  さくべい。奈良時代に唐から伝来。小麦粉を練った物を手で延ばしたもの、そうめんの起源とされる。 
さとなお  ネット界の大立者。『うまひゃひゃさぬきうどん』で讃岐うどんを全国に広める。その功績は高い。田尾氏と『うま』の出版を巡って行き違いが生ずる。他に『胃袋で感じた沖縄』(コスモの本1999)等がある。
讃岐  旧国名。現在の香川県。綾川流域の坂出市府中町に国府があった。全国的には香川より讃岐が有名だが、讃岐国=香川県を知っている人は少数派。
さぬきうどん  讃岐で作られた(出生地主義)か讃岐の手打ちの技術を受けついで(血統主義)作られるうどんのうち美味しいものをいう。これは私が作った定義。一般的には、公正競争規約をもとにした定義付けがあるそうで「香川県内で製造された」とか、「手打ち又は手打ち式(風)」、「生地の熟成は2時間以上」等々と物の本には書いてある。もちろん定義の現物は見たことがない。そもそも公正競争規約って?「景品表示法第10条の規定により事業者または事業者団体が、公正取引委員会の認定を受けて、景品類または表示に関する事項について自主的に設定する業界のルール」。単なる仲間内の決めごとにすぎないようである。その証拠に、食堂は仲間内でないので適用されない。店で売られている製品(例えばお土産)に適用されるそうだ。熟成2時間以上などかなかなかいいことは決めてあるので、いっそのこと食堂も仲間にすれば質が上がる、ついでに「小麦粉、塩、水以外の物を加えない」こんな項目も追加したらと昨今思う。
讃岐うどん音頭  1975年日本クラウンから発売。河西新太郎作詞、大川かづき作曲。近年タマルにより讃岐の新民謡・舞踏として復刻。この他のうどんの歌では1987年の『うどんとおんなの面好造』面好造作詞、歌、渡辺剛作曲がある(現在は改題されうどん讃歌)。
さぬきうどん学会  平成15年8月に麺聖が設立。学者、行政、マスメディア、観光客にじゃまをされずにうどんを食べることを目的とする、うどん食いの学会。
さぬきうどん研究会  讃岐うどんの伝統を継承し、発展させるための文化的、技術的活動を行うことを基本方針として、真部正敏香川大学農学部教授を会長に昭和59年1月発足。会報『讃岐うどん』発行。
讃岐三白  香川の特産品を表したことば。普通は砂糖・塩・綿を指すが、綿に変わって「米」や「小麦」入れることもある。なお、讃岐米は江戸時代には庄内米、近江米と並び3大ブランド米と評価されていた。
さぬき市  旧寒川郡を中心に平成の大合併で誕生した市の名前、讃岐の由来でもなんでもない地域が旧国名を僭称した歴史と伝統を無視した命名の悪例、県外人を中心に讃岐うどんの本場はさぬき市という誤解をまねく。どちらかと言えば讃岐うどん不毛の地。なお、麺聖は承認を与えていない。
さぬきの夢2000  県産小麦でさぬきうどんを目指して香川県農業試験場が開発した小麦の品種、長所か短所か分からないが香りはASWをしのぐといわれる。マスコミは何も分からず浮かれているが、これからが正念場。
しょうゆうどん  うどん玉に醤油をかけて食べる食べ方。私が子供の頃、出汁をとる暇がないとき、我が家では製麺所から買ってきた出来立ての玉に醤油と味の素をかけて食べていた、いわゆる冷たい醤油うどんだ。この水にさらして玉として完成したものに醤油をかけるスタイルと釜から取り出した熱い状態に醤油をかけるスタイル(茹でこみ=釜上げ)が混在している。小縣家の登録商標と言うのが通説だが別府説によると特許庁のデータベースにその事実はないそうである。玉に大根をのせたり、醤油にこったりいろいろとバリエーションがある。
水車  そのままでは食べるのに適さない小麦がうどんになるのには製粉が必要である。電気が普及する以前は水力が利用された。綾川の山下水車、土器川水系の谷川水車、本津川の万燈車、そう製麺所につながります。
斉民要術  せいみんようじゅつ。6世紀末南北朝の中国の農業書。麺の作り方が具体的に記述される。
製麺所  香川県においては製麺所が飲食店営業(いわゆる食堂)の許可をとり客にうどんを食べさせることが多い。その許可はかなり甘いが県民の要望と一致しているためか、食の安全について普段厳しいマスコミも是認し自社の利益のため大きく宣伝している。
田尾和俊  タウン情報香川に穴場を紹介した『ゲリラうどん通ごっこ』を連載、それが『恐るべきさぬきうどん』となった。麺通団の団長でもあり、讃岐うどんのしょーもない知識についてこの人の右に出る人はいない(絶対)。ちなみに、学術分野では真部正敏教授が、業界のことは鳥塚晴見会長が、フィールドワークで小島高明さんが、技術指導で盛の大将が田尾団長の右に出ている(たぶん)。2003年度から大学教授に就任、これからは田尾教授と呼ぼう。
たらいうどん  (その一)香川県ではたらいに入った釜上げうどんをさす。(その二)徳島県土成町の名物うどん。命名は1931年に当時の徳島県知事によってされたらしい。読売、朝日の両新聞は自紙の伝統からか「意外に新しい」(2002/6/18付四国食紀行)、「最近だ」(2002/11/8付四国あじ遍路)というが、1970年の万博以後全国区になった讃岐うどんとは、親子以上の違いがあるくらい古い歴史がある。
大根  うどんを待つ間に、自分で大根をおろすスタイルを定着させたのが小縣家(満濃町)である。麺におろした大根をのせ醤油をかけて食べる小縣家ではこれを「しょうゆうどん」という。大根うどんと言う店もある。
中力粉  小麦粉は含まれるタンパク質の量で強力粉、薄力粉のように種類が分けられる。タンパク質の85%を占めるグリアジン(粘りがある)とグルテニン(弾力がある)から粘弾性のあるグルテンが形成される。グルテン形成の方法を変える(調理する)ことにより、パン、菓子、麺など様々な小麦粉料理に変化する。うどんは普通中力粉を用いて作られる。一般に粉についてはグルテン料理であるパン用の影響からかタンパク質に重点が当てられているが、小麦粉の成分の3分の2を占めるデンプンが糊(α)化したものを食べるのがうどんである。
てぼ  うどんあげ、振ザル、筒ザル、深ザル。麺を入れて熱湯につけてゆでるじょうご型のザルのこと。金物屋の業界用語?だった「てぼ」をうどん通の用語にしたのは『恐るべき』での田尾団長であるが、竹製の振ザルでもそう呼ぶかどうかは麺聖は知らない。語源は「鉄砲ザル」の略から、その心はどちらも「玉を入れるから」らしい。うどん屋、そば・ラーメン愛好家の間では振ザル、筒ザル、深ザル等と呼ぶのが普通らしい。
年明けうどん  麺で客を呼べない大箱店連合であるさぬきうどん振興協議会が、 讃岐の伝統である年越しうどんに対抗して、小さな製麺所が年越しうどんの製造に疲れて休む正月に強引に企画したイベント。 うどんに「紅」のトッピングを添えるという、色物うどんの典型。結果として年明けうどんを行わないうどん屋の中に、麺で勝負する美味しいうどんが存在することになる。
長田騒動  同じ屋号の店が二つ現れ双方が自己の正当性を主張している騒動。同義に五右衛門の変がある。麺聖は事実関係を全く知らない、よって一般論だが屋号はオーナーの物だ、シェフ(料理人)の物ではない。腕に自信があるのなら当然新しい屋号で勝負すべき。こう単純に割り切れないから争いになるんだろうが。屋号で客が呼べるほど讃岐うどんは甘くない、そう思いたい。
日本うどん学会平成15年6月に設立。人文学・社会学的にうどんの真実に迫るため三宅耕三香川短大教授を会長に田尾教授らが発起人となり発足。製法、歴史が違う讃岐と稲庭を同列に述べているなど、うどん学会設立のことばから、学術的未熟さがうかがえる。また、さぬきうどん研究会と、どこに違いがあるか分からない、はたから見ると真部教授と田尾教授の本家争いと思われる。
ネギ  麺を生かすため薬味のネギを置いていなかったのが伝説の西森(閉店)、裏の畑のネギを客に採ってこらした伝説があるのがなかむら(飯山町)、何故かはさみでネギを切るのが赤坂(綾南町)である。讃岐のうどん店のネギは青(緑色の)ネギである、確か九条ネギと言ったと思う。種屋さんで見ると、九条ネギと細ネギの種が並んでいた。袋の写真から推測するとよく食べているのは細ネギのほうだ、多分九条ネギの細いんを細ネギと言うのであろう。
農林26号  小麦の品種、昭和30年代県産小麦としては主流、品質収量とも優れていたが収穫期が遅い事からほとんど作付けされてない、仲南町の水車はこの小麦を使用。なお、農林61号は、関東から九州まで広く栽培されるうどん用国産小麦では最良とされている品種。関東地方で地粉と言う場合はたいていこれ。
八十八箇所  四国巡礼に倣ってうどんやを札所に見立てるスタンプラリー。タウン情報かがわ(ホットカプセル)選定。00、01、02年と若干店を変えつつ続いている。よく言えばいろいろなうどん屋のいろいろなうどんがあることを知らせた功績は大、悪く言えば真においしい店を選んだと言うより営業優先の要素が強い、弊害はマナーを守らない客を増やしたこと、各店では一人一杯は食べましょう。
ピッピ  うどんの幼児語。オピピ。香川では離乳食にうどんが用いられる。
ひやあつ
だし\麺 温める そのまま
熱い あつあつ ひやあつ
冷たい あつひや ひやひや
 西の横綱宮武のかけうどんの頼み方。水洗いした麺をぬくめ直さず熱い出汁をかける食べ方。讃岐うどんの王道の食べ方。作り置きのセルフの店でも生きのいいうどんに当たる確率が高い。麺聖は県内ほとんどの店で冬でも「かけ大、ぬるめ=麺そのままに熱い出汁」と注文している、「ひやあつ」より店には理解されやすかったが、最近は「あ、ひやあつね」と言われることも多くなった。東京の有名讃岐うどん店でもかなり通じる。
ぶっかけ  うどんの世界ではどこかの店が商標を持っているという噂がある。そばの世界でこの言葉は18世紀半ばに現れているらしい。汁をいちいちつけて食べる「もり」と対立する語。汁をじかにかける食べ方。略されて「かけ」。現在の讃岐うどん店においては未だ定義は定まっていなく、濃いめの出汁をかける物から本来?のかけまで店ごとに違う。
VOICE21  岡山県の山陽放送制作の中四国を訪ね歩く番組。香川県の放送局が当たり前過ぎて見向きもしなかった讃岐うどんを何度も取り上げその魅力を全国に伝えた。その功績は大だ。近年は視聴率をねらうためか、モラルの逸脱(うどん店の許可がない店をあるように誤解させるよう伝える)や無理やりオーバーな表現を使う内容が目立つ。昔の淡々とした進行が懐かしい。
 燃料として薪を使っているのが山内(仲南町)、これが味の秘密なのだそうだ。私は東京の東村山市で薪を使っている店を少なくとも2軒知っている。
村上春樹  芥川賞選考委員が、芥川賞を与え損なった作家の一人。1991年『人は何故うどんを食べるのか?』(改題されて讃岐・超ディープうどん紀行)で讃岐うどん界に鮮烈のデビュー、10年たった今も讃岐うどん界最高のエッセイと言われる。
麺通団  ゲリラうどん通ごっこ軍団を略して麺通団。田尾和俊団長率いるうどん喰い集団。なお、麺聖は団員でない。登録商標。田尾氏が」中心となり東京、大阪に同名の店を構える。
守貞漫稿  守貞謾稿(もりさだまんこう)。喜田川守貞著の随筆。1853年頃完成、以後加筆して明治の末刊行。蕎麦、うどんも含む幕末頃の風俗を記す。
薬味  安易に使っているが、山田竹系はいでこみ(熱い生じょうゆ)に薬味(ネギ、ショウガ、七味)は不要としている。またわさびについてはざるそばと間違ってはいけないとし「湯だめうどんの薬味は、昔から和がらしときまっている。」と述べ「ショウガは冷やしうどん用である。」と断言している。小島高明さんは、さんしょうぬきの一味かショウガを使うべきとして、「いいかげんなだし汁で食わされるとき、まずさをごまかす手段として七味を用いる」としている。本当に必要かどうか試さなければならない。
屋号  そばの世界では某寺のそば屋がおいしかったことにあやかり「庵」が付く屋号が多いが、讃岐では山下、宮武、谷川など(それぞれ複数の有名店がある)のような平凡な名字そのままが好まれる。
湯だめうどん  釜上げより格下と思われがちだが山田竹系は、「いでごみ(釜上げのこととして使っているが今の意味では熱い醤油うどんと思われる=麺聖注)と湯だめ」で「ほんとうのさぬきうどんは湯だめであると強調している」と力説している。湯だめには時間が経過した麺というマイナスイメージがあるが、出来立ての麺を湯だめにしたものはもっと評価すべきであろう。
ラグマン  中央アジアの麺。ウイグル族、ウズベク族、タジク族他で食べられる。手延べ麺と切り麺(ケシュマ・ラグマン)がある。2006年9月梅原香川県観光協会会長を団長とする「弘法大師空海とうどんのルーツを訪ねるツアー」の参加者がシルクロードの要衝、新疆ウイグル自治区で食べたラグマンが、うどんに似ていたと、讃岐うどんのルーツはラグマン説を唱えた。ウイグル語でlagman、語源は拉麺が示すように、中国人からウイグル族に伝わり、中央アジアの諸民族に広まった。つまり中国から西に伝わったのがラグマン、東へ伝わったのがうどんというのが真相らしい。
和漢三才図会  わかんさんさいずえ。大坂の医師、寺島良安が著す図解入り百科事典、1712年(正徳2年)自序。県産小麦の品質がよい根拠とされる一文がある。小麦は諸国にある「而シテ讃州丸亀ノ産ヲ上トナス。饅頭トナシテ色白シ。」、もっとも後にこう続く「関東及ビ越後ノモノハ甚ダ粘リ、麩筋及ビ素麺トナシテ佳シ」。

(2010/1/7修正)  

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