私の職場の保育園で、『アラレ』という名のヤギを飼うことになった。想像以上に手のかかる動物で、夜中に小屋を脱走しては、花壇や畑を荒らし、私は何度も「今度やったら、お前なんか食っちまうからね」と叱った。何を言っても細い目をして「メ−」と鳴くばかりで鳴くばかりで、本当に馬鹿な動物だと思っていた。
一年ほどたって、『アラレ』に出産させことになった。私のクラスの可愛い女の子が病気で亡くなった後だった。子どもたちに、生まれる喜びを味あわせたかったので、反対はしなかった。
『アラレ』は妊娠して農家から帰ってきた。出産を楽しみにする傍ら、一抹の不安があった。上司の男性から「雄が生まれた場合には、気が荒くなり、保育園では育てられないので処分する」と言われていた。
雌ヤギの誕生を心から待っていた。
初夏の午後、『アラレ』は保育園の隣の原っぱで出産した。一匹は死産だった。二匹めは無事だった。ベタベタの毛を『アラレ』は懸命になめていた。保育園中が大騒ぎになった。
小ヤギの誕生を子どもたちも、親も手を叩いて喜んだ。
ところが生まれた小ヤギは弱く、乳も飲めなかった。『アラレ』は暴れて、人を寄せつけなくなり、そばにいけるのは怒ってばかりいる私と、動物好きな同僚二人だけだった。3人は交替で、夜中にも保育園に行き、乳を絞り、小ヤギを抱いて、ほ乳瓶で飲ませた。
数日後、小ヤギがおしっこをしたとき、愕然とした。「雄だ」。突然上司の言葉を思い出した。しかし、誰もがそのことに触れようとはしなかった。小さな命を守ることで精一杯だった。 小ヤギはどんどん大きくなった。走り回り、離れて行くと、『アラレ』は大きな声で呼んだ。「メ−」にはいろんな意味があった。小ヤギは次第に母親の言うことを理解してきた。
私の大好きな童話作家のアイザック・B・シンガーの童話に「ヤギと少年」という話しがある。生活に困った家で、少年が雄ヤギを売りに行くことになった。その途中、吹雪になり少年と雄ヤギはよりそい、藁に包まれていて助かった。少年の命を助けたヤギも売られずにすんだという話しだ。その雄ヤギの名前は「ズラテー」と言った。
私は、密かに小ヤギを『ズラテー』と呼んでいた。1カ月が過ぎた。突然上司に「十分楽しませてもらったので小ヤギを処分することにした」といわれた。私たちの労働を考えてのことだった。『アラレ』は話の意味が分かるかのように黙って こちらを見ていた。「ほら、聞いている」と、私が言うと、上司は笑っていた。
その夜、同僚と保育園に行った。小屋の戸を開けると『アラレ』は「メ−」とあいさつをしてくれた。寄りそう親子。この姿を見れば、あんなに残酷なことは言えないと思った。「アラレ。あんた命懸けで守んないと、子どもを殺されちゃうよ」と泣いている私たちに『アラレ』は「メー」と、優しい声で、なぐさめてくれるように答えてくれた。『ズラテー』は、自分の力で、乳を飲めるようになるほどに成長した。
次の日、信じられないことが起こった。夕方になって、上司が「手伝ってもらいたい」青い顔をしきた。行ってみると、『アラレ』は、ぐったりと横たわっていた。どうすることもできなかった。上司に「自分が見ているので帰ってもいい」と言われ、家に帰った。
眠れなかった。11時ごろ、突然窓から。風に乗って「メー」と、聞こえるはずのない声が私を呼んだ。飛び起きて、保育園に行った。誰もいなかった。小屋の中で、今にも息絶えそうな母親に抱かれて、『ズラテー』が眠っていた。かすれた小さな声で首も上げられないまま「メ−」と挨拶をしてくれた。
小屋の中に座り、『アラレ』の首を私の膝の上に乗せた。手で水ですくって飲ませた。涙が出た。また飲ませた。夜明けに一番鶏が鳴いた時には、自分で首を起こせるようにまで元気になった。私は、朝日が昇りはじまたころ家に帰った。
その日の午前10時ごろ、獣医が来た。日射病とのことで、注射と点滴をして帰った。
1時間後、「メーーーメーーーー」という叫び声が聞こえた。『アラレ』は私を見て叫んでいた。私は走った。私の目をじっと見ながら苦しそうに訴えていた。その言葉の意味は私には理解できた。訳もなく理解できた。私の膝の上で、瞳孔が開きだした。「アラレ、アラレ、アラレ」私の呼ぶ声が、いつまで聞こえたのだろう。信じられない一瞬だった。悪夢でも見ているようだった。
『アラレ』は、私の膝の上に首を置いたまま、息を引き取った。『ズラテー』が生まれた原っぱで、『アラレ』のお葬式をした。私は「かわいい小ヤギをありがとう。お母さんの分まで、大切に育てます」と、お祈りをした。
命を懸けて子を守った母ヤギ。それを知っているのは、乳を絞った3人だけだった。
申し合わせた訳でもなにのに、その年度で私たち3人は、それぞれの理由で退職した。
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