我が師  90年のノートより

 私は 保母になり12年目になります。現在働く母親

としての今日を迎えられるのは、1人の恩師と出会が

あったからです。  私が保育科の学生だったころ三

宅みち先生は「保育内容」の授業を担当し、自然や

目に見えないものの大切さについて、生徒たちを包

み込むようにして語るとても魅力的な方でした。

 授業の中で一年間、木を観察すると言う課題が出

され、私は、団地のわきにあるアジサイを観察するこ

とにしました。1年間観察を続けると言うことは簡単

な事ではありません。特に冬の寒い日にスケッチブッ

クを片手に、何度もかじかむ手に息を吐きかけながら

木の枝を細かく描き続けるというのは辛いことでし

た。 

 ある日、ふと見ると、それまで変化のなかった黒い

堅い芽が割れて、小さな緑色の葉が顔を出した時、

目頭が熱くなる思いがしました。その後の小さな変化

を見送る日々は、生命の誕生の鼓動を感じさせるも

のでした。

 子供たちにこの感動を伝えたいと言う思いから保母

になりましたが、仕事と家事と育児の両立は、そう甘

くはなく、忙しさの中で、自信を失っては先生を訪れ、

励まされては原点に戻ってやり直すという繰り返しで

した。

 去年の四月、1人暮らしの先生はがんと戦い、末期

まで仕事を続けて、独り病院で息を引き取りました。

心の支えを失った私はしばらく呆然としていました。

 ある朝、子どもたちに「木はどうして立っている

の?」と尋ねたところ、「大きいから」と答えた子がほ

とんどでした。皆で木を観察に行き、地面にはってい

る太い根をみて子どもたちは、驚きの声を上げてい

ました。そんな時、木が先生に代わって、命の原点に

ついて無限に語ってくれているような気がします。

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