|
私が保育科の学生だった時、夏休みの10日間、山 梨県の肢体不自由児施設へ実習に行きました。そこ で17才の0君に知り合いました。彼は重度の脳性麻 痺でした。 わずかに動く中指で電動車椅子を操縦し、食事の 時には皿に口をつけて食べていましたが、言葉はゆ っくりとですが話せました。 同じ施設のギタ−の上手な足の不自由なA君が、 体育館でコンサ−トをするとのことで、0君と一緒に 聞きにいきました。終りのほうで、アリスの『砂塵の彼 方』が聞こえてきました。中にいた子ども達は喚声を 上げました。A君は歌いました。「外人部隊の若い兵 士は いつも夕日に呼び掛けていた、故郷に残してき た人に自分の事は忘れてくれと、不幸を求める訳じ ゃないけど幸せをのぞんじゃいけないときがある い つも時代は若者の夢を壊して流れていく」 歌は、大 合唱になって体育館の中に響き渡りました。A君は歌 い続けました。「もうすぐ私も死ぬだろう それは祖国 のためにではなく 思いでだけを守るために 愛する 人を守るために・・・私は明日を信じない今日がなけ れば明日もこない」 私の頬を涙が流れました。体が不自由であるだけ でも辛いのに、親からはなれ、共同生活をしている。 彼等は兵士ではない。でも、この歌を歌いながら、必 死で何と戦っている。部屋に戻って、0君が「僕は死 んだほうがいいんだ。家に帰ると皆の迷惑になるか らね」と言いました。わたしは言葉にならないのを無 理やり「生きているんだから自信持って自分の力をた めさなきゃ」と、言いました。 12月のクリスマスに施設に行ったときに、0君は、 「自分の力を試してみることにしたよ。生徒会の副会 長に立候補したんだ」といきいきと話してくれました。 1月、私の家に山梨の新聞が送られてきました。そ れには彼が施設を抜け出して、あやまって川に転落 死したとありました。 戦争の無い時代の若者の戦死の通知です。 |
|