90年のノートより

 私が保育科の学生だった時、夏休みの10日間、山

梨県の肢体不自由児施設へ実習に行きました。そこ

で17才の0君に知り合いました。彼は重度の脳性麻

痺でした。

 わずかに動く中指で電動車椅子を操縦し、食事の

時には皿に口をつけて食べていましたが、言葉はゆ

っくりとですが話せました。 

 同じ施設のギタ−の上手な足の不自由なA君が、

体育館でコンサ−トをするとのことで、0君と一緒に

聞きにいきました。終りのほうで、アリスの『砂塵の彼

方』が聞こえてきました。中にいた子ども達は喚声を

上げました。A君は歌いました。「外人部隊の若い兵

士は いつも夕日に呼び掛けていた、故郷に残してき

た人に自分の事は忘れてくれと、不幸を求める訳じ

ゃないけど幸せをのぞんじゃいけないときがある い

つも時代は若者の夢を壊して流れていく」 歌は、大

合唱になって体育館の中に響き渡りました。A君は歌

い続けました。「もうすぐ私も死ぬだろう それは祖国

のためにではなく 思いでだけを守るために 愛する

人を守るために・・・私は明日を信じない今日がなけ

れば明日もこない」 

 私の頬を涙が流れました。体が不自由であるだけ

でも辛いのに、親からはなれ、共同生活をしている。

彼等は兵士ではない。でも、この歌を歌いながら、必

死で何と戦っている。部屋に戻って、0君が「僕は死

んだほうがいいんだ。家に帰ると皆の迷惑になるか

らね」と言いました。わたしは言葉にならないのを無

理やり「生きているんだから自信持って自分の力をた

めさなきゃ」と、言いました。

 12月のクリスマスに施設に行ったときに、0君は、

「自分の力を試してみることにしたよ。生徒会の副会

長に立候補したんだ」といきいきと話してくれました。   

 1月、私の家に山梨の新聞が送られてきました。そ

れには彼が施設を抜け出して、あやまって川に転落

死したとありました。

 戦争の無い時代の若者の戦死の通知です。

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