一枚の写真  92年のノートより
   

 私の机の上に、二年ほど前に写した一枚の写真が

置いてあります。それは、黄色いチュ−リップが咲い

た時に、木のテ−ブルの上に置いて、四歳の女の子

が五人すまして立っている、なんとも愛らしい写真で

す。その黄色いチュ−リップの後ろに、おかっぱ頭の

「ニナちゃん」という、父親がベトナム人、母親がフラ

ンス人というハ−フの女の子が笑っています。のどか

な春のひと時。その後に信じられない運命のいたず

らが待っているとは 思ってもいませんでした。                   

 八月も終りころ、ニナちゃんが大好きなプ−ルに

「今日ははいりたくない」といって見学をしました。そ

れ以外は特に変わった様子もなく、食事中に私の隣

の席で、引っ越した新しいお家のことをうれしそうに

話してくれました。

 その次の日ことです。彼女は突然家で歩けなくって

しまったのです。東大病院に入院しまもなく意識不明

になりました。検査の結果、「脳菅奇形」と言う難病で

した。数回の手術に小さな体は耐え抜いて、クリスマ

スには戻れるかもしれないとまで回復しました。それ

までのいつ消えるともいえない命に手を合わせ、異

国の土地で祈り続ける両親の気持ちは 堪え難いも

のだったと思います。

 ところが、突然肺炎を併発し、夢にまで見たクリスマ

スを前にニナちゃんはわずか五歳でこの世を去りまし

た。悲しみの中で、父親が、「彼女の入院していた三

ヵ月の命は、私たちに心の準備をさせてくれた。今ま

で、私は人の苦しみや悲しみを分からなかった。そし

て、当たり前のように食べたり飲んだりすることに幸

福を感じたことはなかったが、そのすべての貴さを彼

女に教えられた」と 涙ながらに話してくれました。

 あれから月日が流れ、ニナちゃんの両親に女の赤

ちゃんが生まれました。その子の誕生は 両親に再

びほほえみを与えてくれました。 二度と会えない一

枚の写真の中のほほえみは、命の貴さを今も私に語

り続けています。 

back