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私の机の上に、二年ほど前に写した一枚の写真が 置いてあります。それは、黄色いチュ−リップが咲い た時に、木のテ−ブルの上に置いて、四歳の女の子 が五人すまして立っている、なんとも愛らしい写真で す。その黄色いチュ−リップの後ろに、おかっぱ頭の 「ニナちゃん」という、父親がベトナム人、母親がフラ ンス人というハ−フの女の子が笑っています。のどか な春のひと時。その後に信じられない運命のいたず らが待っているとは 思ってもいませんでした。 八月も終りころ、ニナちゃんが大好きなプ−ルに 「今日ははいりたくない」といって見学をしました。そ れ以外は特に変わった様子もなく、食事中に私の隣 の席で、引っ越した新しいお家のことをうれしそうに 話してくれました。 その次の日ことです。彼女は突然家で歩けなくって しまったのです。東大病院に入院しまもなく意識不明 になりました。検査の結果、「脳菅奇形」と言う難病で した。数回の手術に小さな体は耐え抜いて、クリスマ スには戻れるかもしれないとまで回復しました。それ までのいつ消えるともいえない命に手を合わせ、異 国の土地で祈り続ける両親の気持ちは 堪え難いも のだったと思います。 ところが、突然肺炎を併発し、夢にまで見たクリスマ スを前にニナちゃんはわずか五歳でこの世を去りまし た。悲しみの中で、父親が、「彼女の入院していた三 ヵ月の命は、私たちに心の準備をさせてくれた。今ま で、私は人の苦しみや悲しみを分からなかった。そし て、当たり前のように食べたり飲んだりすることに幸 福を感じたことはなかったが、そのすべての貴さを彼 女に教えられた」と 涙ながらに話してくれました。 あれから月日が流れ、ニナちゃんの両親に女の赤 ちゃんが生まれました。その子の誕生は 両親に再 びほほえみを与えてくれました。 二度と会えない一 枚の写真の中のほほえみは、命の貴さを今も私に語 り続けています。 |