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北海道の置戸教会は、山のふもとにある。私は、1 2才まで、そこで生まれ育った。 そのころ、私の家には、テレビも、車もなかった。私 と、年子の妹は、毎日外で遊んだ。ブランコに乗りな がら、夕日に向かって飛んでいくカラスを数えては家 に帰った。太陽は赤くならずに森に沈んだ。ある日、 ふと「太陽はどこに沈む所は、どんなところだろう」と 思った。 母に「あの森の向こうには、なにがあるの」と、尋ね ると、「行ったことないから、わからないわ」と、簡単 に答えた。 それから、妹と、よく森に出掛けた。毎日、森の頂 上をめざして歩いた。山の向こうの太陽の沈む場所 をどうしても見たかった。好奇心は膨んだ。山の向こ うの事を考えると、頭の中にいろいろな光景が浮か んだ。遊園地や、花畑や、特別な町を創造した。 白樺の林をぬけて、どんどん森の奥に入り込んで いく。同じ形の木はない。すべての木、切り株や、つ るが私たちの道案内をしてくれた。次の日、また、出 掛けていく。昨日より、もう少し先まで行く。そんな事 を繰り返していた。だが、切なく先があった。山の向 こうのパノラマには、もっと大きくなったら、絶対に行 けるにちがいないと信じていた。 アメリカで所帯を持った妹が、二年前、帰ってきた。 家族で北海道に行った。妹は、目を輝かせて「子ども たちに、森を見せたい」と言った。私と妹は森の記憶 を語り合った。全てが一致した。私たちの心の中に、 森は鮮明に生きていた。 北海道での計画は、全て私が立てた。妹と喧嘩に なった。「一日は森の中を歩きたい」と妹が言った。 「そんなとこ、行ったってしょうがないよ」と言うと、妹 は涙を浮かべた。すぐに車で連れていった。舗装され た大きな道をどこまでも走った。「ここが、森だよ」妹 は黙り込んだ。アスファルトの道は、無言で冷ややか な目をしていた。 |
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