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私が学生だった頃、学校の帰り道、古本屋で名の 売れていない人の詩集を100円で買っては電車の中 や公園で読みました。その頃、ジャズにも夢中で、聞 いているだけでは我慢できず、ジャズピアノを習い、 何かに取り付かれたように好きな曲のレコ−ドをかた っぱしからコピ−して譜面にしていました。 ある日、何気なく入った古本屋に『マイルスト−ン』 という詩集がありました。手にとって広げたところに 『冬は寒い、歩き ただ歩き 自分の中になんにもな く ただ歩きそれが最高だと言ったのは誰だったか』 と書いてありました。 マイルスの曲と自分の心境と、その言葉の響くリズ ムに魅せられ、その詩集を買いました。机の上の本 棚に置き、何度もその詩集を読みました。自分の心 に北風が吹いているような心境の時に共感してくれ る大切な本でした。結婚する前は夫と2人で、サラボ −ンやバリ−ハリスのコンサ−トに行き、ジャズ喫茶 にばかり行っていました。でも生活が始まった途端に 「そんな音楽は聞くな、だからへんな性格になるん だ」といわれ、結婚してまもなく夫と話をしなくなりまし た。 本を買ってから、10年がたちました。私は、ちょう ど29才でした。自分の部屋で机の上の本棚から何 気なくその本を取り出しました。すると、一枚のはが きが落ちました。裏紙の下に糊づけされてあったもの で裏に住所が書いてありました。北多摩郡大和町。 調べて、今の東大和である事がわかり、電話の案内 がかりに著者のN氏の名前を言うと「そのかたの電 話番号は0425・・・・です」との教えてくれました。 思い切ってダイヤルを回しました。呼び出し音の後 で、女の人が出ましたが直ぐに、N氏を呼んでくれま した。年齢は49才で、あの詩は20年も前のものだと いうことでした。「それでは今の私の年のときに書か れたんですね」というと「偶然ですね」と笑っていまし た。彼は自分の本をこんなに大切にしてくれている人 がいるなんてと、とても喜んで、二冊目に出版した『2 マイル』という詩集を数日後に送ってくれました。 11月の寒い日、私は電話で「一度でいいのであっ て話がしたい」とお願いしました。T氏は、「会わない ほうが本のイメ−ジが壊れませんよ」と言いました が、どうしてもとお願いして、国立の知人のスナックで 待ち合わせをしました。 約束の時間が近付くと、わたしはじっとしていられ ず赤い口紅をひきなおし、長い髪をとかしました。緊 張の瞬間です。 入り口のドアがあきました。ス −ツ姿の背の高い足の長い男の人が入ってきまし た。想像していたよりずっと素敵な人でした。「まやさ んですね」と私の方にやってきました。電話で何度か 話したこともあり初めてあったような気がしませんで した。お酒を飲んで、踊ったり、歌ったり、夢のような 時間でした。 何度か飲みに行き会って話をするたびに、彼の大 人の魅力に引かれて行きました。翌年の1月の終り ころ、立川の画廊で創作人形の展示会をしました。ど うしても見てほしいものがあって日曜日には来てほし い」とお願いしましたが来てはくれませんでした。次 の日「もう会いに行かないから安心してね」と電話で 言うと。彼は「勝手に来て勝手にいくな」と怒りまし た。「私はどこにもいかないし、何も変わらないわ10 年間の思いをこうやって1人で守ろうとしているだけ なんですもの」といった瞬間、涙が溢れました。今も2 冊の本が私の机の上にあります。広げると今までと は違って文字が彼の声となって聞こえ来て少しだけ 胸が痛みます。 先日、マイルス=デイビスの死を新聞で知った時、 私は思わず彼に電話をしてしました。呼びだし音がな った後で彼の奥さんが何度も「もしもし」と言いまし た。私はしばらく黙っていてそのまま受話器を置きま した。 |
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