マイルストーン 1991年のノートより

 私が学生だった頃、学校の帰り道、古本屋で名の

売れていない人の詩集を100円で買っては電車の中

や公園で読みました。その頃、ジャズにも夢中で、聞

いているだけでは我慢できず、ジャズピアノを習い、

何かに取り付かれたように好きな曲のレコ−ドをかた

っぱしからコピ−して譜面にしていました。

 ある日、何気なく入った古本屋に『マイルスト−ン』

という詩集がありました。手にとって広げたところに

『冬は寒い、歩き ただ歩き 自分の中になんにもな

く ただ歩きそれが最高だと言ったのは誰だったか』

と書いてありました。

 マイルスの曲と自分の心境と、その言葉の響くリズ

ムに魅せられ、その詩集を買いました。机の上の本

棚に置き、何度もその詩集を読みました。自分の心

に北風が吹いているような心境の時に共感してくれ

る大切な本でした。結婚する前は夫と2人で、サラボ

−ンやバリ−ハリスのコンサ−トに行き、ジャズ喫茶

にばかり行っていました。でも生活が始まった途端に

「そんな音楽は聞くな、だからへんな性格になるん

だ」といわれ、結婚してまもなく夫と話をしなくなりまし

た。   

 本を買ってから、10年がたちました。私は、ちょう

ど29才でした。自分の部屋で机の上の本棚から何

気なくその本を取り出しました。すると、一枚のはが

きが落ちました。裏紙の下に糊づけされてあったもの

で裏に住所が書いてありました。北多摩郡大和町。

調べて、今の東大和である事がわかり、電話の案内

がかりに著者のN氏の名前を言うと「そのかたの電

話番号は0425・・・・です」との教えてくれました。

 思い切ってダイヤルを回しました。呼び出し音の後

で、女の人が出ましたが直ぐに、N氏を呼んでくれま

した。年齢は49才で、あの詩は20年も前のものだと

いうことでした。「それでは今の私の年のときに書か

れたんですね」というと「偶然ですね」と笑っていまし

た。彼は自分の本をこんなに大切にしてくれている人

がいるなんてと、とても喜んで、二冊目に出版した『2

マイル』という詩集を数日後に送ってくれました。

 11月の寒い日、私は電話で「一度でいいのであっ

て話がしたい」とお願いしました。T氏は、「会わない

ほうが本のイメ−ジが壊れませんよ」と言いました

が、どうしてもとお願いして、国立の知人のスナックで

待ち合わせをしました。

 約束の時間が近付くと、わたしはじっとしていられ

ず赤い口紅をひきなおし、長い髪をとかしました。緊

張の瞬間です。    入り口のドアがあきました。ス

−ツ姿の背の高い足の長い男の人が入ってきまし

た。想像していたよりずっと素敵な人でした。「まやさ

んですね」と私の方にやってきました。電話で何度か

話したこともあり初めてあったような気がしませんで

した。お酒を飲んで、踊ったり、歌ったり、夢のような

時間でした。

 何度か飲みに行き会って話をするたびに、彼の大

人の魅力に引かれて行きました。翌年の1月の終り

ころ、立川の画廊で創作人形の展示会をしました。ど

うしても見てほしいものがあって日曜日には来てほし

い」とお願いしましたが来てはくれませんでした。次

の日「もう会いに行かないから安心してね」と電話で

言うと。彼は「勝手に来て勝手にいくな」と怒りまし

た。「私はどこにもいかないし、何も変わらないわ10

年間の思いをこうやって1人で守ろうとしているだけ

なんですもの」といった瞬間、涙が溢れました。今も2

冊の本が私の机の上にあります。広げると今までと

は違って文字が彼の声となって聞こえ来て少しだけ

胸が痛みます。

 先日、マイルス=デイビスの死を新聞で知った時、

私は思わず彼に電話をしてしました。呼びだし音がな

った後で彼の奥さんが何度も「もしもし」と言いまし

た。私はしばらく黙っていてそのまま受話器を置きま

した。

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