もう1人の妹 1992年

 毎年、秋になると、音楽はかけない。冬を迎える前

の虫たちのラブゾングに耳をかたむければ、どんな

曲も、雑音になるからだ。今年の夏、ロックを作って

ほしいとアマチュアバンドに頼まれた。売れれば金に

なるという一言でひきうけてしまった。 

  毎日、コンピュ−タ−に向かった。ビ−トルズの

詩も読みなおした。若者が今、何に燃えて、何を求め

ているのか、考え続けた。自分の昔の詩も読んだ。

混乱するばかりだった。若者どころか、今の自分に

は、どうしても人に聞いてもらいたい情熱も詩もなか

った。

 私は、真夜中に、よく散歩に出かける。酔っ払って

夜中に木に上ったり、木の下で寝ころがって、木々の

葉の隙間から月や空を見ると孤独を忘れて、一人に

なれた。 

 私は、いつものように夜の散歩にでた。ところが、

その日は、男の人が前から歩いてきた。ぞくっとし

た。すれちがうときに、ちらっと横目でその人を見た。

長の髪に鉢巻き姿には、見覚えがあった。「けんちゃ

んじゃない。私、まや」と叫んでしまった。驚いた顔の

彼に「なにやってんのよ、こんな遅くに」といってしま

ったが、それはお互いさまだった。彼は、外に煙草を

吸いにきたらコ−ヒ−が飲みたくなって、買いにきた

とのこと。「どうせ暇なんでしょ」と無理やり夜のお散

歩につきあわせた。

 彼は私の妹のたった一人の親友の弟だった。彼の

姉は、実の妹よりも私に似ていて、知らない人にまで

「まやさんの妹?」とよく言われていた。彼女は、音

大を出て、ロックバンドでべ−スを弾いていた。赤ち

ゃんを抱いて、髪をふりみだしている私には、ベ−ス

を持った彼女がカッコ良く見えうらやましかった。 5

年前、結婚すると聞いて、驚いた。「あんた、女だっ

たの」と思わずいってしまった。

 結婚が一月に決まり、クリスマスを前に、彼との電

話の最中に彼女は吐き気をもようし、倒れた。脳内出

血だった。

 何度も手術を受けた。何度も頭を丸ボ−ズにした。

長い闘病生活のすえ、退院した。彼女の父親が仕事

を止めリハビリにあたった。母親は、保母の仕事をし

て、生計をたてた。そのころ、けんちゃんは大学生だ

った。

 彼女を尋ねた。頭が半分陥没し、左半分が麻痺し

ていた。それでも、ピアノを弾いていた。肩がこって、

頭が痛くて苦しいというので、マッサ−ジをしてあげ

た。お母さんが喜んで写真をとってくれた。帰りがけ

に彼女は呟いた「10月に、入院して、頭に骨をいれ

るんだ。簡単な手術だけど、クリスマスはまた病院な

んだよ。やんなっちゃう」と、心から嫌そうに呟いた。

私は「それを我慢すれば、次の年は、ぱ−っと騒げる

んだから、我慢しなさい」といった。それが、彼女との

最後の会話となった。     簡単なはずの手術は

失敗した。手術が終り、母親から電話がきた。脳が酸

欠状態になり、助かっても植物人間になるとのことだ

った。それでも奇跡を祈った。祈るしかなかった。だ

が、3日後、彼女の死亡の知らせが来た。

 お葬式の日、喪服を着れなかった。葬儀の前に、挨

拶にいった。彼女の恋人に会った。「あなたがいてく

れたので、彼女は最後まで幸せでいられたんです

ね」といった。彼は「彼女がいてくれたから、僕は幸せ

でいられたんです」と小さく微笑んだ。けんちゃんが

ロックをかけまくっていた。彼女の好きだった曲だ。

  彼女の母親が写真をくれた。最後に彼女と写した

時のものだった。それを見た瞬間、時間が頭の中で、

切なさが混乱した。   桜の木の下での話はつきな

かった。彼は今だに大学生でロックを続けていた。

「認めてもらえなくたっていい、自分が必死になって

生きていることに音楽が必要なんだ」という彼のの言

葉に若者の情熱を感じた。

 ロックの依頼はことわった。そして、ギタ−でクリス

マスソングを作った。虫の声が聞こえなくなり、クリス

マスが来たら、彼女のために一人で歌おうと・・・。

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