PCM衛星放送局ミュージック・バード

土曜特集「ハワイアン音楽」第7回

(2000年1月8日放送)内容 

今日の「土曜特集」は、まず女性歌手ノヘラニ・シプリアーノの歌からお聴き頂きましょう
愛称「ノヘと呼ばれる彼女はおなじみのハワイのレコード大賞「ナー・ホークー・ハノハノ・アウォード」の女性歌手賞コンテンポラリー歌手賞を何度も受賞しているベテラン歌手です。ダイアナ・ロスがシュープリームズからソロ歌手として独立したように、彼女もハワイのロック・グループから独立してソロ・シンガーとなりました。

写真ノヘそれでは彼女の歌で「ハワイ・マイ・エンチャンテッド・アイランド」「カ・マカニ・カーイリ・アロハ」そして彼女がはじめてナー・ホークー賞を取ったアルバムから「サウス・シー・アイランド・マジック」の3曲をお聴きください。

「これがハワイアン音楽?」とビックリするような音楽ですが、それもその筈、もともとロック歌手の彼女は、このようなコンテンポラリーの歌を得意としているのです。彼女の抜けたロック・グループはそのまま解散してしまい、リーダーであった彼女の夫はそれ以来彼女のサポートにまわり、現在に至っています。

写真HOOKENA次はホオケナというグループをご紹介しましょう。彼らはもともとハワイの古い音楽を新しいアレンジで演奏するというコンテストの優勝グループで、プロ・デビューは1986年でした。5人でスタートしたメンバーは途中で多少入れ替わりましたが、最近も5枚目のアルバムをリリースし、活躍しています。
それではホオケナのデビュー・アルバムから「カイムキ・フラ」「キモ・フラ」の2曲をお聴きください。

お聴きのように、ともすると単調になり勝ちなフラ・ソングを、転調をしたり、コーラスのパターンを変えながらのしゃれたアレンジを施して聴く人を楽しませてくれます。それではセカンド・アルバムから「クウ・ホメ」「メ・カ・ナニ・アオ・カウポ」の2曲をお聴きください。

彼らのサード・アルバムでは1名抜けた4名構成となりました。
このアルバムから「ヘ・ハワイ・アウ」「ウリリ・エ」の2曲をどうぞ。

次のコーナーへ参りましょう。

以前からウクレレ演奏の第一人者オータサン(ハーブ・オオタ)の特集を考えておりましたが、なにしろ60枚以上のアルバムをリリースしていますのでとても1回の特集では収まりません。そこで本日はその第1回としてオータサンのデビュー当時の演奏を特集としてご紹介することにいたしました。

写真DUOその特集に先立ち、1999年度ハワイアン・ミュージック・アウォードのインストルメンタル賞を受賞したアルバム「デュオ」からオータサンのウクレレとブルース・ハマダのベースによるデュオで「マイ・ハート・ビロングズ・トゥー・ダディー」そしてオータサンのウクレレとギターのジミー・フナイのギターのデュオによる「シナモン・アンド・クローバー」をお聴きください。

オータサンは1934年10月21日に日系ハワイ二世として生まれました。子供の頃にウクレレとアコーディオンを勉強していましたが、「アコーディオンは重いから」とウクレレに専念することになったそうです。そのころ、近所で開催されたアマチュア・ミュージシャン・コンテストで優勝したのに味を占め、毎回出演したところ、ついには出入り禁止となったというエピソードもあるようです。また、当時最高のウクレレ奏者であったエディー・カマエに師事したが、すぐにエディーをして「もう私から教えるものは無くなった」と言わせたという話も有名です。
成人してからはカーネギー・ホールなどでの演奏こそいたしましたが、プロ演奏家としてデビューしたのは30歳になってからのことなのです。

デビューまでの彼は海兵隊の士官附きの通訳として韓国や日本に駐在していました。灰田有紀彦を訪問したエディー・カマエから彼の弟子の日系二世でウクレレの達人が居ると聞かされた灰田氏はエディーの紹介でオータサンと知り合い、オータサンが日本に滞在している間、いろいろと面 倒をみていました。当時日本ビクター専属作曲家であった灰田氏の口利きでオータサンのアルバムを録音してビクターからリリースしたり、ミュージシャン仲間の山口銀次、軍一兄弟がポリドール専属であったところからポリドールでもアルバムを録音した後、1964年にハワイへ戻り、45回転シングル盤でプロとしてのデビューをしたところ、爆発的な人気を得て、ウクレレの名手としての名声を得ることになりました。

写真SUSIこのシングル盤に収めた曲は、日本で世話になった灰田有紀彦の作品「鈴懸の径」「森の小径」でしたが、ちょうど坂本九上を向いて歩こうスキヤキというタイトルでビルボードのトップヒットとなったのにあやかり、レコード会社のプロデューサーであるドン・マクダミアッドがこの二曲をそれぞれ「スシ」「ボンサイ」と名付けました。さらに、それまでハーブ・オオタもしくはハーバート・オオタと呼んでいた彼の名前も日本風にオータサンとしました。これらのことも後押ししたためか、このシングル盤は大ヒットをいたしました。

それでは「スシ」「ボンサイ」の2曲をお聴きください。

1999年6月に日本ウクレレ協会(NUA)は創立40周年を迎えましたが、40年前に灰田氏たちとエディー・カマエやオータサンが親交を深めたことが創設のきっかけでした。「40周年記念行事」の時期に運良くオータサンとNUA会員の交歓の場を持つことができました。これはNUAおよびNUA会員にとって大変有意義な出来事でした。

写真ビクター写真ビクターそれではオータサンが日本で録音したアルバムで、ビクター盤から「ピーナッツ・ベンダー」「ジェラシー」、ポリドール盤から「ビギン・ザ・ビギン」「キャラバン」をお聴きください。

写真レジェンダリーオータサンがハワイに戻るに当たって、それまでお世話になった友人達へのお礼の意味で、ポリドールのスタジオで録音テープを回しながらウクレレを弾きました。集まったメンバーは灰田氏、山口兄弟そしてハワイアン音楽評論家の早津氏という錚々たる顔ぶれでした。あくまでも内輪の集まりで、録音は単なる記念に回しただけだったので、テープにはいろいろなしゃべり声や笑い声、足踏みなどまで録音されていました。
この時の録音テ−プを保管していた山口軍一氏が30数年ぶりに公開し、CD化して「レジェンダリー・ウクレレ」のタイトルで1998年にリリースされました。今でこそ沢山の人がオータサンの演奏を聴いていますが、30年、40年前のオータサンの演奏を知っている人はほとんどいなかったため、このCDは大変な反響を呼びました。
演奏テクニックとフィーリングのすばらしさはもちろんのこと、オータサンはいわゆる「ローG」調弦でしか弾かないと思っていた人はこのCDでスタンダード調弦で弾くオータサン(今でもスタンダードを弾いているのですが)を知ったり、全体の調弦がGCEAではなくこれより1度高いアメリカン・チューニングえあったことを認識させられるなど、大きなインパクトを与えてくれたアルバムでした。

それではこのアルバムから「マラゲーニャ」「ラバー」の2曲をお聴きください。

お聴きのようにバックでの話し声が聞こえていますが、オータサンは脇にジンの瓶を置いて、それを飲みながら演奏しているので、この曲のあたりではかなり「出来上がって」しまい、大変リラックスした雰囲気での演奏になっています。
「ラバー」という曲はビーチボーイたちの定番とも言える曲で、彼らの誰もがこの曲を弾こうと競っていたそうです。彼らのお手本はペリー・ボトキンで、オータサンもその弾き方を踏襲しています。

写真ポップハワイへ戻ってプロ活動をしていたオータサンは、ある時パリに渡り「恋はみずいろ」の作曲者アンドレ・ポップと組んでアルバムを制作しました。このアルバムの中でアンドレ・ポップがオータサンにプレゼントした曲がその後大ヒットをしました。曲のタイトルは「ソング・フォー・アナ」と言い、今でこそミリオン・セラーとかビリオン・セラーは当たり前ですが、この曲は600万枚という当時としては異例の大ヒットを果 たしました。この曲を初めて聴いたかたはウクレレの演奏とは思わず、ハープと思いこんでいた人も多かったようです。同じ曲を後年CD用として再度録音いたしましたが、今回はオリジナルの録音からお聴きください。

写真オータサン「オータサンはハワイに住んでいるがハワイアン音楽は嫌い」とまことしやかに言う人もいるようですが、実際にはオータサンが録音したり演奏したハワイアン音楽の数は極めて多いのです。これからお聴き頂く2曲もその例で、たまたま私もスタジオに入れて貰い、録音風景をビデオにまで収めたという思い出深い曲です。録音メンバーはオータサンのウクレレにベースがライル・リッツ、ギターにナンド・スワンそしてキーボードはそのスタジオの主であるピエール・グリルという顔ぶれでした。それでは「ホノルル」「スィート・サムワン」の2曲をどうぞ。

ハワイアン音楽と言っても オータサンが弾くとこのようにモダーンな演奏になるという見本でした。

以上、ウクレレの名手オータサンことハーブ・オオタ特集の「第1回」を終わり、次のコーナーとしてもうひとりのベテラン歌手ロイヤル・ガーナーをご紹介しましょう。

写真ロイヤル彼女もノヘと同様、ハワイアン音楽をコンテンポラリー風にアレンジして歌っておりますが、彼女のアルバムから「ハア・フラ」「プア・オレナ」「ケ・アロハ」の3曲をお聴きください。

「クウ・イポ・イ・カ・ヘエ・プエ・オネ」という曲のタイトルがあまりにも長いので、よくこれを「クウ・イポ」と短縮しますが、次の曲はその短縮した曲ではなく、本当の?「クウ・イポ」そして「カイノア」「モキハナ・ララバイ」の3曲を続けてお聞きください。

このロイヤル・ガーナーは堂々たる体躯を持ち、いかにもハワイ人という感じの女性です。ナー・ホークーを受賞しているだけでなく、授賞式のプレゼンターとしてもしばしば登場しています。

それでは彼女の歌う「アロハ・オエ」を聴きながらお別 れを致しましょう。

3/12/2000 Matt Kobayashi


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