新・緑魔の家

溶解美女 vol２　原作
作：須永かつ代様

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ワンルーム・マンションの自室のドアを後ろ手に閉めると、友子はすぐさまチェーン・ロックを掛けた。「尾行られている。」彼女はそう思った。

バスを降りてすぐ、友子は背後に、なにやら生ぬるい空気と、ひたひたという微かな音と気配を感じた。思わずマンションまで駆けてきて、自分の部屋のある５階まで階段を駆け上り――マンションにはエレベータがあったが、彼女はいっときたりともエレベータの閉鎖された空間にいられなかったのだ――、自室に駆け込んだ。

どっどっどっ……。

友子はテーラー・カラーの白いブラウスに真っ赤なスカートをはき、上には薄い鶯色の�Xネック・カーディガンを羽織っていた。開いたカーディガンとブラウスの襟元から、彼女の豊かな胸の膨らみと、その高鳴りが見て取れた。

自室に飛び込んで、すぐに部屋中の明かりを点けた。チェーン・ロックを掛けただけでは安心できないので、友子はリビング兼ダイニングの椅子を玄関のドアの前まで持ってきて、バリケードを築いた。

「はぁはぁはぁ…」

華奢な木製の椅子がこんなにも重いと感じたことはなかった。それでもバリケードができ、これで誰も部屋に入れない状況になると、ようやく友子の胸の動悸も納まってきた。

「いったい、あれは何だったのだろう？」

人間の足音とも少し違う。何か水気を帯びた布が床に当たるような、あるいはまた、暑い夏の夕方、庭先に打ち水をする時のような、そんな音に似ていた。いずれにせよ、あの気配は人間でも犬でも猫でもない、いわゆる動物の気配とは全く異なるものだった。それがずっと友子の背後につきまとって、彼女をずっと尾行ているように思われた。不気味だった。

ようやく動悸が収まり、友子は鏡台の前に座った。息せき切って駆けてきたため、乱れた髪型を直そうと思ったのだ。

ひたひたひた……。

どこからか、何やら湿っぽい音が聞こえてきた。

「あの音だ！！」

友子は全身が凍りついたように感じた。

「また？！」

ひた、ひた、ひた、……。

音は少しゆっくりと、しかし次第に近づいているように思われた。

ひたり、ひたり、ひたり、……。

確かに、湿っぽい気配が、友子の部屋に近づいていた。

どっ、どっ、どっ、……。

友子の胸は再び高く鳴り始めた。友子はいても立ってもいられず、部屋にある電話機に駆け寄った。

じーっころころころ、じーっころころ、……。つるるるるるるっ……。

「もしもし？」

「勇次さん？！ あたし、友子っ！」

「あぁ、友ちゃん？ さっきはどうも」

「勇次さんっ、 お願いっ、うちに来てっ！なんか、変な人につけられているのっ！」

「変なひと？ どうしたんだい？ 気のせいじゃない？」

「気のせいじゃないっ！とにかく来てっ！お願いっ！！」

「う…ん、分かった。じゃ、今行くよ。」

ぷつっ。

友子は受話器を置いた。少しほっとした。勇次はすぐに来てくれる。彼とはさっき別れたばかりだ。もう大丈夫だ……。胸の動悸も少しずつ収まってきた。

ひたり、ひたり、ひたり、……。

またあの音だ！友子はぞっとした。湿っぽい音はゆっくりと、しかし確実に友子の部屋に近づいていた。

「勇次さん、早く来てっ！」

友子は叫びたい気持ちになった。

「く〜ん、く〜ん……」

友子の足元に飼っているPACが擦り寄ってきた。
マンションでは犬を飼うことは禁じられていたが、友子は大の犬好きで大家さんに隠れてこっそり飼っていたのだ。彼女がいないときは、勇次が面倒を見てくれていた。

「PAC、お願い。私から離れないでっ！」

すがるような思い、友子はPACをしっかり抱きしめた。

ばん、ばーん！

ドアを叩く音が聞こえた。友子ははっとした。

ばん、ばん、ばん！！

誰かがドアを叩いている！ 誰が？

そう考えてから、友子はしまったと思った。勇次だ。勇次が来てくれたのだ。でも、ドアの前にはバリケードを築いている。チェーン・ロックも掛けている。これじゃ、勇次が入れるわけがない

「勇次さんっ！ 今、開けるわっ！ ちょっと待って！！」

友子は慌てて玄関の前の椅子を除けはじめた。またしても、木製の椅子がひどく重く感じられた。

「勇次さんっ、ごめんっ！」

ようやく椅子を除けて、チェーン・ロックを外すと、友子は鉄製のドアを外側に大きく開け放った。

「！！！」

そこには勇次の姿はなく、異形のモンスターがぬっと立ちはだかっていた。
それは友子が着ているカーディガンのように鮮やかな鶯色で、半透明のゼリー状のぬめぬめとしたアメーバであった。

友子は恐怖で腰を抜かし、床上にへたりこんだ。

「いっ、いやっ……、あっ……、いや……、来ないで……」

尻餅をついた状態で必死に後ろずさりしながら、友子は不気味なアメーバから逃れようとした。

「あっ、誰かっ、……、助けてっ！」

ぴちゃっ。

友子の前髪から瞼の上に、冷たい滴が垂れた。

「きゃあっ！！」

友子は思わず悲鳴を上げた。

べちゃあっ！！！

不意に友子の視界が暗くなった。同時に彼女は、信じられないような冷たさを顔中に感じた。ふっくらとした頬の肉が凍りつくような冷たさに晒された。友子の前に立ちはだかっていた鶯色のアメーバの一部が飛び跳ねて、友子の髪の毛の上から顔一面にべったりと、軟らかな粘性を持って覆い被さったのだ。

「うっ、う、うう……」

友子は顔中をゼリーに覆われて、息ができなくなった。

「（く、く、苦しい・・・・・・）」

その間も、鶯色のゼリーの塊は友子のブラウスの大きく開いた襟から胸元へと侵食していった。

「い、た、い、……」

友子は顔面に凍傷を負ったような痛みを感じ始めた。いや、顔面だけではない。襟元から入ったアメーバは彼女の豊満な胸を襲った。ブラウスの中でゼリー状のアメーバがじわじわと彼女の肉体すべての侵食を始めた……。

友子の命はもはや助かるべくもなかった。凍傷のような、肉を引き裂かれるような激痛に苛まれながら、友子の身体は次第に小さくなり、緑色の塊の中に消えていった。

じゅくじゅくじゅくじゅく……。

彼女の肉体はアメーバによって腐食され、あるいはゼリーに同化されて、骨まで溶けてしまった。濃緑色のゼリーは次第に小さくなり、床に染み込んでいく。床上には友子が着ていた鶯色のカーディガンと白いブラウス、赤いスカートがカーペットの上で平たく萎び、襟元にはアメーバの残滓がこびりついていた。

「く〜ん、く〜ん……」

さっきまで部屋の片隅に隠れていたPACが寂しげな泣き声を出しながら、さっきまで友子が倒れていたところに寄ってきた。PACはすでに中身のなくなったカーディガンとブラウスに寄り、友子の残り香を求めるように、何度も何度も頬ずりを繰り返していた……。