浮世絵のはじまりと確立

  • 浮世絵はいつ生まれたかOpen or Close

    浮世絵という言葉は、1681年(延宝9年)に発刊された俳諧本“それぞれ草”の中で、「浮世絵や下にはえたる思い草」という句があり、これが最も早い時期の記録といわれています。しかし、当時の浮世絵は今日私達が知っているものとは違って、肉筆画の他は読み物の挿絵として扱われていました。しかも、墨一色です。読み物は“浮世草子”と呼ばれ、遊郭や芝居を扱った内容が好評を博して多くの人びとに読まれました。代表的なものに1682年(天和2年)に発刊された井原西鶴の「好色一代男」があります。大坂と江戸で同時に発刊されましたが、江戸版の挿絵を描いたのが浮世絵の開祖といわれる菱川師宣です。房州(千葉県)出身の師宣は、20才の時に江戸に出て苦学しながら独自の画風を確立し、1672年(寛文12年)に絵本“武家百人一首”を署名入りで刊行しました。挿絵を描いた絵師は他にもありましたが、個人名で記されたのは菱川師宣が初めてと考えられています。1670〜80年(延宝年間)には読み物から独立した一枚絵の浮世絵版画が出現し、その後、筆で彩色されたものも出回るようになりました。


  • 浮世絵は何を描いたかOpen or Close
     

    浮世絵を購入するのは江戸に住む町人達でした。浮世とは“当世の流行”という意味で、彼らが望んだのは遊郭での生活、芝居を演じる役者、街で話題の美人、名所旧跡といった遊興的な風俗です。しかし、そこに描かれたのは単なる風俗ではなく、活き活きとした庶民の姿そのものでした。師宣の春画「低唱の後」は遊郭の様子を描いた12枚1組の浮世絵ですが、手や足の表情、着物や三味線などの小道具の選び方など男女間の細やかな情感の交わりが伝わってくるようです。また、同じく師宣の肉筆画の名作「見返り美人」においても、単に当時流行した髪型や衣装を描くだけでなく、女性の凛とした気性、風情までをも表現してみせました。
     こうした庶民生活を題材にした浮世絵の伝統は明治、大正、昭和時代に入っても生き続けました。19世紀にはヨーロッパ絵画にも影響を与え、現在では日本独自の美を表現するものとして海外からも高い評価を得ています。


  • 浮世絵、江戸時代の発展Open or Close

    浮世絵というと版画を想像しますが、木版によって大量生産されるまでは屏風絵や絵巻、掛け軸などの肉筆画が主流でした。木版画による浮世絵が増加し始めるのは1657年の明暦の大火以後のことです。江戸は大火からの復興のため全国から大勢の人々が流入し、これまでにない活況を呈しました。経済が上昇すると、庶民は娯楽、教養を求めるようになります。そうした状況に応じて発展したのが木版画による浮世絵でした。そして、木版画の隆盛によって、より力をつけてきたのが版画を出版する版元です。版元は売れる浮世絵を制作するために、絵師に大きな影響を与えるようになりました。
    1670年代の浮世絵版画は墨摺絵(すみずりえ)と呼ばれる墨一色で作成されています。ここから丹絵(たんえ:赤と黄で筆で彩色)、紅絵(べにえ:紅色を主に数色筆で彩色)といった技法が50年の間に発展してきました。初期浮世絵の大家菱川師宣の作品はこの時期に作られています。1750年代に入り、紅摺絵(べにずりえ)という技法が用いられるようになりました。これは墨の版に紅色、青、緑、黄色の版を加えた重ね摺りで、後の多色摺りによる錦絵の先駆けとなるものです。


    私達が今日よく知る浮世絵、錦絵(にしきえ)が誕生するのは1765年(明和2年)のことです。裕福な人達によって行われていた絵暦交換会(えごよみこうかんかい)の流行がきっかけでした。 当時は現在の太陽暦とは違って太陰暦を用いていたため、毎年月を示す暦を変える必要があり、好事家達は浮世絵で暦を作って仲間内で交換して楽しんでいたのです。 題材の選択、構図、色彩などで互いに競い合うというもので、その影響により絵柄だけでなく彫りや摺りの技術なども急激に発達することとなりました。絵暦交換会の流行によって台頭してきた絵師が鈴木春信です。 錦絵によって絵師、彫師、摺師、版元という強固な生産体制が確立し、以後浮世絵は時代を超えてさまざまな表現に華を咲かせていきました。



    • 喜多川歌麿 「婦女相学十体 ポッピーを吹く娘」
       昭和43年アダチ版画研究所復刻

    • 鳥居清長 「当世遊里美人合 橘」
      昭和42年アダチ版画研究所復刻

    18世紀半ばに確立した錦絵はその後、紙質、絵の具などの素材や彫り、摺りの技法の発達によって18世紀後半から19世紀に頂点を迎えます。 葛飾北斎の師匠の勝川春章、歌川派の祖である歌川豊春、喜多川歌麿、鳥居清長、東洲斎写楽、と優れた絵師がきら星のごとく出現し、美人画や役者絵など質の高い名品を世に送り出していきました。 この時期に流行したのが上半身を描いた似顔絵“大首絵”です。役者絵を手掛けた勝川春章が写実性の高い大首絵を発表し、これがたいへんな話題となりました。歌麿や写楽、歌川派の絵師達もこれに追従し、たくさんの大首絵を描いています。


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