ちょっと寄り道・深大寺 (8月10日 日曜日) 調布駅〜深大寺〜神代植物公園


今年(2003年)の梅雨は、全国的に明けるのが遅く、関東地方も8月1日にようやく梅雨明けが発表された。それっ、とばかりに3、4、5日で北アルプス鹿島槍ヶ岳方面に山登りに出かけた。幸いにこの期間中は天気がよく、山歩きを満喫できたのだが、帰ってきたら、今度は台風が近づいているということで、また、天気がぐずついている。一体、今年の天気はどうなっているのだろう。
台風一過の8月10日、東京地方は本当に久しぶりに朝から夏の日差しが照りつけ、絶好のアウトドア日和となった。しかし、山歩きの疲れも完全には回復していないので、比較的近場で、のんびり歩けるところを考えた。そうだ、甲州街道のちょっと寄り道、ということで深大寺に行こう。あそこなら涼しいし、久しぶりに深大寺そばでも食べてこよう。というわけで、深大寺、神代植物公園への「ちょっと寄り道、歩き旅」となった。

★深大寺水車館 / 深大寺門前風景

京王線調布駅で下車し、旧甲州街道を進む。前に歩いた道なので、ルンルン気分で行くとやがて小島一里塚跡碑が見えてくる。今回は、この先の交差点を右に曲がり、後は道なりにまっすぐ行けばよい。国道20号線を横断し、電気通信大学の脇を通り、中央高速道路の下をくぐり、野川を渡って少しで、深大寺入口の信号が見える。これを右に曲がって約500mくらいで深大寺に着く。深大寺まで先ほどの甲州街道分岐点から片道で約2.2Km、往復4.4Kmくらいなので、1時間ちょっとを見込んでおけば寄り道できる距離である。
右に曲がって少し行ったところに、復元された水車小屋がある。深大寺水車館である。この地域は、かつて雑木林が茂り、豊富な湧き水を水源とする逆川が流れ、あちこちで水車の回る音が響いていた。調布で最後まで残っていたこの水車も、昭和30年ごろには使われなくなってしまったのだが、市内に残された貴重な湧き水を利用して平成4年に復元された。
深大寺が近づくにつれ、道の両側には蕎麦屋が増えてくる。深大寺バス停から山門までの参道にも蕎麦屋、土産物屋が並んでいる。

★深大寺山門 / 同 本堂

深大寺は、古代以来の由緒ある寺院で、都内では浅草寺に次ぐ古い寺である。満功上人により733年(天平5年)に創建されたといわれる。1646年(正保3年)と1865年(慶応元年)の火災により、諸堂宇の多くを焼失しており、現本堂は大正始めの再建である。しかし、山門は1695年(元禄8年)のものであり、山門右手の鐘楼の梵鐘は、1376年(天授2年)、鎌倉の鋳造師、山城守宗光の作として由緒がある。これは、国の重要文化財に指定されている。

★深大寺元三大師堂 / 同 釈迦堂

本堂左手の元三(がんさん)大師堂は、江戸時代に厄除けの参詣で栄えた様子が江戸名所図会に描かれている。この大師堂の壇下から1909年(明治42年)に金銅釈迦如来像が発見された。現在、大師堂の左前方にある釈迦堂に安置され、覆堂のガラス越しに見学ができる。この像は、創建時の本尊であったと考えられ、東国一の古仏といわれる白鳳仏である。これも国の重要文化財となっている。
なお、3月3日、4日には、元三大師堂の大祭があり、厄除け、諸願成就の大護摩供養が行われる。この日は、深大寺境内や門前ではだるま市が開かれる。
また、毎日曜日午前中には、読経会が開かれており、誰でも参加できる。私が行ったときもちょうど読経の最中で、中に人がいたので私も上がりこんで読経を聞いた。4、5人のお坊さんの読経と太鼓、それに、法螺貝も加わって、なかなかにぎやかだった。読経が終わると、ご住職のお説教がある。

★神代植物公園・深大寺門 / 植物公園内に残る武蔵野の雑木林

深大寺の北隣一帯は都立神代植物公園になっている。この公園は広さ47万u、1961年(昭和36年)の開園である。私も、この公園には何度来たことだろう。父母が元気だった頃、子供が小さかった頃、最近では夫婦二人だけで来たことなど、それぞれの周りの情景とともに思い浮かんでくる。
釈迦堂の横から左手に曲がり、自然林の中の道を行くと植物公園の深大寺門に出る。(入園料大人500円、月曜日休園、9:30〜17:00)。深大寺門を入ってすぐのところには、武蔵野の雑木林が広く残されている。夏でも涼しい別天地だ。
なお、深大寺、神代植物公園には京王線つつじヶ丘、調布駅北口、JR三鷹駅などからバスの便がある。街道歩きの寄り道で植物公園を見るのは、時間的に無理だが、深大寺と植物公園を組み合わせて、1日がかりの散策コースとしても十分に楽しめる。

★神代植物公園・真夏のバラ園 / 深大寺門入口前の蕎麦屋

植物公園には、早春から晩秋にかけて、それぞれの季節の見どころが、いっぱい用意されている。春先の福寿草から桜、つつじ。この頃には園内の花々はまさに百花繚乱の様相を呈する。やがてバラの季節になり、この頃が園内も一番にぎわうようになる。実際、ここのバラ園は、広さといい、バラの種類といい、どこにも引けをとらないものだと思う。
しかし、真夏の植物園内は、さすがに見るべきものは少ない。バラ園にも、しおれかけた花が残り、バラの香りが漂っているが、やはり、真夏に来るところではない。先ほどの雑木林のベンチに腰掛け、せみの鳴き声を聞きながら静かに読書でもするのが、一番よい過ごし方かもしれない。しかし、残念ながら、読むべき本も持ち合わせていなかったので、早々に公園を後にした。
深大寺門を出ると、すぐそばに2軒の蕎麦屋が並んでいる。周りの景色に溶け込み、なかなか雰囲気がよい。今日の目的のひとつは、深大寺蕎麦を食べることなので、早速入ってざるそばを注文した。
江戸名所図会に、「深大寺蕎麦」の図が載っている。本文の説明には、「(深大寺蕎麦は)当寺の名産とす。これを産する地、裏門の前少しく高き畑にして、わずかに八反一畝(2400坪)ほどの由、都下に称して佳品とす。然れども真とするもの甚だ少なし。今近隣の村里より産するもの、おしなべてこの名を冠らしむるといえども佳ならず」とある。つまり、当時も今と同じように、よそ物に深大寺蕎麦の名をつけて商っていたようである。

☆街道歩きの中休み

真夏の街道歩きは、やはり暑い。できれば、この時期を避けたいのは人情である。前の週までに小仏峠を越えたので、甲州に入るのは、もう少し涼しくなってからにしよう。というわけで、後半戦に備え、序盤戦を少し振り返っておこう。
実は、私は「東海道歩き旅」を始める半年くらい前に、新宿から小仏峠まで甲州街道を細切れに歩いたことがる。歩き通そうという目的をもって歩いたわけではなく、ウォーキングの対象として、ただやみくもに歩いていた。だから、国道であろうが、旧道であろうが、途中にどんなものがあろうが、ほとんど眼中にない、という歩き方だった。その後、旧街道歩きの面白さに目覚め、今回甲州街道を歩きなおしたわけだが、前回歩いた印象はほとんど残っておらず、新鮮な気持ちで歩くことができた。

はじめにも書いたように、現在の甲州街道には、昔の面影はほとんど残っていないといってよい。しかし、これは皮相的な見方で、その気になってよく見れば、思いがけないところに思いがけないものが残っている。また、実際に残っていなくても、かつてこういうものがあった、という説明板を見るだけでも、昔を想像する手がかりになる。
早い話、私が住んでいる笹塚に、「笹塚」の説明板が立っていることを、私は最近になってはじめて知った。この他にも郵便局の近くには庚申塔があり、現在もきちんと維持管理されていることなど、身近にもその気になればいろいろなことを発見できる。一昔前に比べ、町や市にゆとりができたせいか、ちょっとしたところには適切な説明板が立てられるようになったことも、大変助けになる。

私は、このホームページを何のために作っているのだろう。もちろん、同じような目的をもち、初めて歩こうとする人たちにできるだけ参考になる情報を提供したい、という気持ちが強い。しかし、そればかりではなく、いずれ自分が体力がなくなったときに、思い出すことができるものを残しておきたい、という気持ちもある。そのときに事物に対する簡単な説明もあるとよい。
今思うと、初めて甲州街道を歩いたとき、せめてこのホームページに書いたこと程度の知識でもあれば、歩き方もずいぶんと違ったものになっていただろうな。

最近、「継続は力」という言葉の意味をかみしめている。ひとつのことを継続するということは、それなりに大変なことだ。しかし、それを何らかの力にまで高めるのは、やはり、それ相応の努力というか向上心が必要だろう。「力」をつけてどうするのかは、今は考える必要はない。好き勝手にやることだから、肩肘張らずにやってみて、何か行動を起こしたくなったらやればいいのである。

以上、街道歩きの中休みにあたって、ウィスキーをチビチビと嘗めながら、考えていたことを記してみました。