第5日目 (2003年10月4日 土曜日) 鳥沢〜猿橋〜大月〜初狩〜笹子

★鳥沢宿の町並み / 明治天皇御駐輦地碑(上鳥沢)

JR中央線鳥沢駅に着いたのは10時ごろ。駅前の道を少し行くと甲州街道に出る。今日はここからのスタートである。鳥沢宿は、上と下の2宿の合宿であり、15日で交代していた。現在の町並みは途切れることなく続いているので、どこまでが下鳥沢でどこからが上鳥沢かよく分からない。街道沿いには年代を感じさせる建物もいくつか見られるが、国道は交通量が多く、宿場の雰囲気は感じられない。少し行くと、大きな家の横に「明治天皇御駐輦地碑」が建っていた。このすぐ前に「上鳥沢」バス停があったので、この辺が上鳥沢宿だったのだろう。
鳥沢の町並みを過ぎると人家は少なくなり、遠くの山並も見えるようになる。ただ、相変わらず車は多い。


★猿橋 / 下から見上げる猿橋 / 桂川峡谷(上に猿橋がかかっている)












やがて、街道は猿橋の集落に入ってゆく。旧道が右に分かれ、少し行くと猿橋が見えてくる。この橋の近くに本陣、脇本陣などがあったというが、現在では全く面影は残っていない。
猿橋は、国指定の文化財になっている。岩国の錦帯橋、木曾の桟とともに日本三大奇橋のひとつとされている。この橋の特徴は、橋げたを使わずに両岸から四層にせり出したはね木を設け、それに木のけたをかけ渡す構造になっていることである。現在の橋は、昭和59年に架け替えられたもので、高さ約31m、幅3.2m、長さ約31mである。下に降りて橋を見上げると、橋の構造がよく分かる。さらに下に降りると、橋が青い桂川渓谷の流れと周りの緑に調和して、なかなかの景観である。
猿橋を含む一帯は公園となっており、標識に従ってゆくと大月市郷土資料館がある。常設展示として、大月の歴史、甲州街道の宿場町などの展示、特別展示として白旗史朗写真展をやっていた。


★厄王大権現 / 旧道に残る秋葉大権現の常夜灯

国道に出て先を続ける。相変わらず車の多い道を2.5Kmほど進むと、旧道が少し残されているところがある。この辺は駒橋である。宿場があったあたりかどうかは分からないが、静かな落ち着いたいかにも旧道という感じの道である。国道を歩きつづけて、こういう道に入るとホッとする。少し行くと厄王大権現という小さな社があった。境内は広く、ベンチもあったので、ここで昼食をとることにした。12:20だった。こういうところで食べるものは何でもおいしい。今日は、コンビニのサラダ巻とお稲荷さんだった。お腹もいっぱいになり、元気に歩き始める。少し先に秋葉大権現の常夜灯が建っていた。いかにも昔からここに立っています、という感じで何かうれしくなった。


★駒橋宿風景 / 街道から見る岩殿山 / 大月市街の甲州街道












旧道は、わずか300mほどで終わってしまい、また国道に戻る。ただ、国道沿いにも年代を感じるつくりの家がちらほらあり、この辺が駒橋宿の中心だったのかもしれない。
大月市内には、下鳥沢宿から黒野田宿まで約19Kmの間に合計12の宿場があったので、宿場間の距離はきわめて短い。それぞれが貧しい宿場町だったから、数を多くして皆で負担を分担し合ったのだろう。
駒橋のあたりでは、街道から岩殿山がよく見える。岩殿山は標高640m、山頂には小山田氏の城があった。大月〜上野原は郡内と呼ばれ、甲斐の三郡とは区別された。領主は小山田氏であり、その居城が岩殿山の頂上にあったのである。東山麓には円通寺などもあり行ってみたいところだが、ちょっと寄り道というわけにはいかない。またの機会にしよう。
駒橋宿と大月宿はほとんど町続きで、町並みが賑やかになってきたと思ったら、そこはもう大月宿である。大月は都留方面への分岐点であり、今も昔も交通の要衝である。


★一里塚跡(下花咲) / 同所の古石碑群

大月市街を抜け、桂川を渡ると花咲地区に入る。少し行くと下花咲の一里塚跡がある。小さな塚の上に榎が植えられている。同じ敷地内に、庚申塔をはじめ馬頭観世音などの古碑がたくさん立っている。おそらく国道や鉄道の建設時に移転させられたものがここに集められたのだろう。それぞれがどこにあったものかは分からないが、うやむやに放置されるよりはいいか。きれいな花が供えられているものもいくつかあった。

★下花咲宿本陣跡(星野家住宅)












そこから少し先に、下花咲宿本陣跡の立派な建物が建っている。星野家住宅で、国指定の文化財となっている。主家と籾蔵および味噌蔵、文庫蔵の三棟が指定されている。星野家は江戸時代には名主や問屋などをつとめ、明治13年には天皇が巡幸の際に休息されている。
なお、建物は公開されており内部を見学することができる。(木曜を除く毎日。10:30〜12:00、13:30〜16:30。大人300円、中高生150円)。私が通りかかったのはちょうど昼休み中だったので、外からの写真撮影だけで済ませてしまった。後から考えると残念なことをした。


★東京から100Kmの標識 / 山本周五郎生誕地碑が建つ旧家 / 明治天皇御小休遺跡












上花咲宿跡をいつのまにか通り過ぎ、街道はやがて笹子川に架かる法雲寺橋を渡る。ここからは下初狩地区である。この橋を過ぎてちょっと行ったところに、甲州街道(国道20号線)の東京から100Kmの標識が立っていた。そうか、もう日本橋から100Km歩いたんだ。そこから少し歩いたところに大きな旧家があり、庭先に「山本周五郎生誕之地」の大きな碑が建っている。この家は下初狩宿の旧本陣奥脇家である。山本周五郎は、ここ初狩の地で生まれた。
初狩駅入口の信号を過ぎ、やがて中初狩の町に入る。これも旧家の脇に「明治天皇御小休遺跡」の大きな碑が建っている。この辺が中初狩宿の中心だったのだろう。下初狩と中初狩も合宿で、15日で交代した。


★白野宿へ向かう旧道の分岐点 / 白野下宿バス停付近 / 白野中宿バス停付近













中初狩を過ぎると、旧道が国道から分かれ、白野集落に入ってゆく。ほんの600mほど残された道なのだが、この旧道沿いも、いかにも旧街道という感じで好ましい。この間に三つのバス停がある。白野下宿、白野中宿、白野上宿の三つである。宿場町としては白野宿一宿のカウントだが、地元では三つに分けて呼ばれていたのだろう。

★笹一酒造 / 駐車場内にデンと置かれた大太鼓

旧道は再び国道と合流し、国道を歩く。だいぶ山が近くなり、いよいよ笹子峠が近づいてきたな、という感じである。
やがて、左側に笹一酒造の建物が見えてくる。ここは、大正時代から続いているという古い蔵元である。駐車場も広く工場見学もできるのだが、到着したのが15:30頃で、やや遅い時間だったので、あまりお客はいなかった。大きな売店もあり、酒好きの私としては、早速、地酒を1本買ってしまった。ここで特筆すべきは、駐車場内にデンとおいてある大太鼓である。これは、ギネスが認めた世界一の大太鼓なのだそうである。誰でも自由に叩けるそうだが、周りに誰もおらす、一人で叩くのはちょっと気が引けた(結局叩かなかった)。

★笹子隧道記念碑 / JR笹子駅

笹一酒造からは、ほんの300mくらい先がJR笹子駅である。駅前に大きな「笹子隧道記念碑」が建っている。
笹子駅は閑散時には無人となるので、乗車証明書を取って入る。
笹子駅到着は15:40だった。16:00発の列車で帰途についた。



歩行距離  約19Km    万歩計 32,000歩