プラハ編
2001.9.30
そしてチェコに移動するためにチェックアウトが早いので、必然的に朝食に行くのも早くなる。食堂は6時半からなのにオープンしたのは6時45分。しかもお料理を取るスプーンやらフォークやらはセットされてないし、コーヒーとかのサービスも人数が少ないためにセルフ状態。おーーい、一流ホテルの名前が泣くぞ!!本当にハンガリーといい、ウィーンといい、サービスというのをわかっているのか?オープンできないなら6時30分ではなく、7時にしたらいいじゃん。まったく、もう。後日、あんまり腹が立ったのでホテル側にメールを送りましたわ。
そしてバスでチェコへ移動。途中で街全体が世界遺産に指定されているチェスキー・クルモルフへ。まず見学する前に昼食をということで、暗い穴倉みたいなお店で昼食。炭でチキンを大量に焼いているので、脂が落ちてすごく美味しかった。
量もええ感じ、味も美味しかったので旅行で初めて全部食べきれた。デザートはアイスクリームで、中にはフルーツがいっぱい入っていて美味しかった。ただ生クリームがてんこもり。生クリーム苦手な私にはちょいと辛かったりして。(笑)一番右がレストランの入り口。
そして現地のガイドさんと合流してチェスキー・クルモロフ城の中に。そしたら城の中には別の説明する人がおりました。結局ガイドさんはお城までの案内人?(笑)そして1つの部屋を出ることに几帳面に鍵で閉めている管理人。鍵束には30個ほどの鍵がついてるんだけど、この部屋がこれってよくわかるもんだなと添乗員さんに聞いたら、きっとどれも同じじゃない?とのお返事。(笑)で、このお部屋がねぇ、空気がよどんでいるというか、各部屋に熊の剥製があってね、気持ちが悪いの。最初に入った部屋なんて、入るなり息苦しくなって脂汗出てくるわ、心臓ばくばくいいだすわでもう大変。後から気孔の権威のおじ様が上に乗っておったわと言われて、ぞぞぞぞーーーー。西洋の古い城って絶対にいるよな。だって血が濃いせいか早くに亡くなっている人が多すぎなんだもん。
左が街への入り口の橋からの眺め。暖かいせいかカヌーをして遊んでおりました。そして真ん中がお城。そして右端がお城からの街の眺め。こじんまりとした街だけど道が狭いので迷子になりやすいかも。(笑)
そして3時過ぎに観光を終えてプラハへ向かうのであった。ただバスの駐車場でプラハの日本人ガイドさんが乗せて欲しいということで、1人追加となったんだけどね。どうやらプラハからこの街のガイドをして、帰りはプラハに向かう日本人のツアーにピックアップしてもらってるらしいんだが、本当にそうなのか?もし、1日もいなかったらどうするんだ?ただ、このガイドさんの説明が面白い。が、面白いのに疲れのせいで寝てしまったために、あんまり聞けなかったんだな。お昼間ホテルで休憩している母親はしっかりガイドさんの説明を聞いていたらしいんだが。(笑)どうやら、このガイドさんは某ビールメーカーの2000年お正月のCMに登場したくらいの男前!しかも親切でプラハのことやらを説明してくれたそうな。うーーー、惜しかったなぁ。で、チェコはどうやらドイツやフランスみたいに高速が完備されているわけではないので、1車線しかない国道を走っていくので、日曜日・雨ということもあってすごく渋滞。通常3時間ほどで到着するのに、約5時間かかって到着。ホテルにチェックインしたのは8時30分。疲れたぁ。さすがの私も珍しく夕食をパスして、お風呂に入って寝てしまいました。
2001.10.1
とうとう観光も最後に。やっと日本に帰れるというのが偽りのない心境。やっぱり2日ずつの滞在って疲れるだけでストレスたまるよなぁ。午前中はチェコ市内の観光。実はこの旅行の中で一番見たかったのがプラハ。で、やっぱり街の雰囲気とか空気が私には合ってました。もう1度ゆっくり訪れたいなぁ。
旧市内は道が狭いためにバスが通れないので徒歩での観光なのでまずは丘の上に立っているプラハ城へ。チェコもやっぱり地理的及び歴史的背景により徴兵制を取っております。そして兵士がプラハ城の警備に当たっているのですが、1時間の交代制でその間は動くことも笑うことも許されていないそうです。ただお城なのに結構明るくって風通しが良かったのでやれやれ。
左がプラハ城正門。一応警備の兵隊さんは雨にぬれないようにボックスの中に入ってるんだな。真ん中がちょっと天気が悪くって写真が暗いのが残念だけど、プラハ城からの眺め。実際にはもうちっと明るくって美しかった。真ん中あたりにあるとんがっているのはロケット発射台ではなくってテレビ塔だそうです。右の写真がお城の中心部あたりにあるコールの噴水。鳥かごみたいなのは井戸を保護するためのものだそうです。
プラハ城の敷地内にある聖ヴィート教会。思ったより中は明るくってステンドグラスがキレイでした。残念ながら写真撮影はできなかったんだけど。
プラハ城の敷地内には教会のほかにも黄金小路と呼ばれる通りがあって、カフカが住んでいた家があったりします。今はお土産もの屋さんが軒を並べています。なぜか、お土産の中でマトリョーシカ人形に心ひかれて買ってしまいました。10個の人形が入っている精巧なもので、1つ800ズロチというところを600では?と尋ねるとあっさりOK。これってもう少し値切れば良かったのか?軽く言ったんだけど。
(笑)
右がヴルタヴァ川。そして左がヴルタヴァ川にかかるカレル橋。橋の欄干には30体の聖像が並んでいて、どうやらフランシスコ・ザビエルと侍の像もあるらしいんですが見つけることができなかった。橋の上には絵を売っている露店とかタイルで作った置物とかの露店が出ていて眺めて歩くだけでも楽しい。似顔絵を書いていたりする絵描きさんもおりました。
旧市庁舎の時計塔。この時計塔がちょっと変わっているのは一番上がからくり時計、真ん中が天文時計、そして一番下がカレンダー時計になっているところ。特に毎正時簡になると広場にはたくさん人が集まってきてからくり時計の扉があくのを待っているのであった。からくり時計とはいっても前に飛び出るとか踊るわけでもなく、すーーっと使徒が行進するだけなのですぐに終わってしまうんだな。この周辺はカフェとかが多く、一応ブランド街といわれる通りもあります。お昼は中華を食べました。
昼食後は自由行動だったのでまずはボヘミアンガラスの工房へ。色んな手の込んだグラスやら置物があって心ひかれるわ。迷いに迷ってこれにしようかなと思って手にしたらあまりの重さに諦めた。(笑)すでに手荷物としてトカイワインを持ち歩いている身としてはこれ以上手荷物を増やせない。しかも重量は5kgを越すんだもの。泣く泣く諦めました。そしてユダヤ人街に行こうとしていたら、雨がぽつりと...慌ててホテルに戻ろうとしたら道がわからん。添乗員さんから地図に印をつけてもらったのに路地が曲がっているのでここはどこ?状態に。通りの曲がり角で道を尋ね、ぐねぐねと曲がっていくけど、なかなかホテルにたどりつかない。雨は強くなるし、母親は足が痛いと言うしでもうちびまるこちゃん状態。ホテルが見えた時には心底ほっとしました。疲れきった母親をホテルに残し、最後のひとふんばりでミュゼ美術館へ。ああ、お金があればポスター買ったんだけどな。ドルはだめだったんだよな。夜は疲れていたのでちょっとリッチにルームサービス。滅茶苦茶重たいトレイを片手で軽々とあげて持ってきてくれました。ラディソンSASホテルのスタッフはみんなサービスが良かったよな。
2001.10.2
帰国の日だ。ちょっとゆっくり目にホテルを出発してアムステルダム経由で帰国。で、帰りも機内食のメニューがおかしいことに。チョイスは和食と洋食。これは普通。メインは牛肉の赤ワイン煮とお魚&海老。お魚をとお願いしたらメニューの印刷が間違っていて鹿肉になりますと。それはあやすぃーーーー!その昔、機内食メニューを作っていたのでそれはありえないだろうと心の中で突っ込んだ。(笑)だってお肉がダメな人ようにお魚つむんだもの。それか両方ともお肉でも鹿肉ではなく鶏肉のパターンがほとんど。豚は宗教的にダメだから必然的に鶏肉になるんだよな。行きの飛行機でサービスした生チョコは配り忘れるし、アメニティも配らないし、カップヌードルもにおいはしてたけどサービスしないし。こうも往復でサービス内容が異なるのは珍しい。なにぶん乗り慣れていないもんで。(笑)何はともあれ無事帰ってこれて良かった。
左と真ん中が夕食のメニュー。量が多いんだよな。デザートはケーキかチーズかフルーツのチョイス。量が多いので母親と半分ずつ。朝食も量が多い。わーーい、ワッフルだぁと喜んだものの、中にラズベリージャムてんこもりで1口で断念。横にカスタードクリームがあるんだからさ、そんなジャム大サービスしなくっても。(笑)
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