『四季顔』について  ジョセフ・ラヴ

shiki44

『四季顔』の連作を思いついたのは、別に仏教への関心からでもなければ、また変に、外人の青い眼から見た異国趣味の「素朴」を日本人に教えこむ、という立場からでもない。もっと原初的な、個人的な意欲から発したものだ。
三年前のある日、稲城市の住民の郭仁植氏が僕を連れて、稲城の山を見せてくれた。親友と二人でそこで見たのは、日本人の多様な姿。郭氏が説明してくれたが、この石像群は、明治の初期に全国から集められ、ここに定着した、名もない、いつの人とも分からない人々によって作られた無縁仏であったそうだ。その時以来、静けさのなかで、ここで長い風雪を経てきた。その知られぬ作家たちは、自分の夢を実現しようとしたというより、むしろ、通りがかった少女、遊んでいる坊や、散歩途中の八百屋、村の貴婦人を呼びとめ、「ちょっとモデルになってくれ」と頼んだような感じがして仕方がない。
最近の、「日本人は単一民族だ」という法務大臣の発言を聞いたら、この稲城の山に住む石像群は、笑うに違いない。日本というひとつの国に、こんなに多彩な姿が生まれるのは、不思議な事実だ。磁石のように、この島々は、色々な種類の人間をひき寄せて、多様のなかの統一を拵えたのではないか。
僕はその人間の七色の虹のような多様をつかみたかった。一回だけでは無理なので、何回も山に登った。が、出来上がった写真を見たら、ひとつの姿もまた季節によって変貌するという気がした。もうひとつの多様性が生まれる。やっと連作をまとめるめどがついた。全国の人々が作ってくれた像の姿の多様性と、稲城の自然が加えてくれたその多様な様子に対して尊敬と感謝を抱きながら、僕は『四季顔』を実現しようとした。そしてまた、石との友人のような交わりや、神の顔の多彩な写しとの貴重な巡り会いの喜びを、少しでも実現したかった。         ジョセフ・ラヴ


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