『パッション(受難)』という総タイトル、個々の作品に付された「ゲッセマネの園」とか「ユダの接吻」といったタイトル――その故に、一点一点からすぐさま連想されるのは、当然ながら新約聖書の福音書に書かれたイエス・キリストの磔刑前後の逸話である。
「鶏が二度鳴いた」もそうだ。 これはイエスが逮捕される前の晩から夜明けにかけての逸話がもとになっている。 弟子たちにむかって「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう」と言ったイエスに対し、ペテロは「たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません」と言う。するとイエスは「きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう」と答える。 ユダの接吻を合図に、イエスは群集に捉えられるのだが、そのあとでペテロは「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」ということを三度にわたって言われる。そして、三度とも知らぬ存ぜぬを決め込むのだ。すると、にわとりが二度鳴く。ペテロはイエスの言葉を思い出して悲嘆に暮れる。 この逸話は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四人の使徒の福音書すべてに書かれているのだが、なぜか「にわとりが二度鳴く前に」とイエスが言い、実際ににわとりが「二度」鳴いたと記してあるのは「マルコによる福音書」だけで、あとの三人は度数については何も語っていない。このこと自体がミステリアスだし、ラヴさんがなぜ「二度」と記した「マルコによる福音書」を選んだのかも本人に訊いてみたいところだ。 それはともあれ、この一点を見ただけでも『主イエス・キリストの受難』が、福音書の単なる絵解きでないことがよく分かるはずだ。イエスの言葉の重み、それを思い出すペテロの悔恨、画面を斜めに切るようにしたたる墨のしずく――逸話の抽象化、造形化そのものと言ってよかろう。 写真や不定形キャンバスのアブストラクトなど、私はラヴさんの多くの作品を見て来た。そのラヴさんが墨絵という東洋の伝統絵画の様式を採ったと聞いて、最初は意外に思ったが、イエズス会神父としての精神の旅とアーティストとしてのそれとが見事に融合したものとして、この『キリストの受難』はジョセフ・ラヴの代表作だと思う。 |