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郭仁植---作品の背後の人--- (「郭仁植の世界」,用美社,1984年刊) 松岡和子訳

 人は誰しも,折あらばポロッとこぼれ出ようとしているちょっとした文句や言葉を口に含んでいるものだ。郭仁植の場合,それは「超える」という言葉である。最近の作品は,紙に墨で描かれているが,これは彼にとっては単なる墨ではない。色の墨。普通の墨と同じように硯でするのだけれど,結果として色ができあがる。しかし,最近の彼にとってはこの結果もまた墨と色彩とを二つながら超え,光りの動きの領域に達している。

 そして,彼が使う柔らかで吸水性のある手漉きの和紙---パネルにはられたり,壁に掛けられたりする時,その紙は表面なのか,それとも単なる平面なのか?この問いに対する彼の答えもまた同じである---表面や平面を「超え」たもの,描写や定義では囲いきれない地点に郭仁植は到達しているのだ。私たちに唯一残された道は,自らの目でそれらを見ることだけである。

 私が初めて郭仁植に会ったのは,1975年,写真家の安斎重男に連れられて,えんえん稲城まで電車に乗って出かけた。生け垣とバラの株の奥の庭へ,石段を数段のぼって足を踏み入れてみると,夏草は,まるで床屋がバリカンを入れたようにきっちりと刈り込まれていた。そこは,彼が心を静め瞑想の気分に入る場所なのだった。その気分が,新たな作品を創り出す源となる。彼のスタジオに入る。もともとはバレエの稽古場で,郭夫人の智子さんはバレエの教師である。稽古用のバーのついた大きな鏡があり,その横の壁は床から天井までの大きなガラス戸になっていて,表の通りに面している。そこで彼の作品をひとつひとつ,制作年代順に見せてもらった。

 ひとつの作品に私は特に惹きつけられた---油彩の作品で,ちょうどまん中あたりに割れたガラスのコップの底がはりつけてある。何年分もの ホコリがガラスをおおい,そのホコリが吹き飛んでしまわないように,定着液がスプレーしてあった。これらの素材に注ぐ彼の心づかい,そして,彼自身の活動とは別個の,時間による変化の過程が一種の誘いとなって,私を作品の中に引き入れてくれるのだった。真鍮箔の作品もまたしかり---千切って,それをまた針金で大ざっぱにまとめ,新たなユニティーが形づくられていた。

 ちょうどその頃,郭仁植は,彼の芸術に対する評価がもうひとつぱっとしないので失意の中にあり,長わずらいの後の回顧展を最後に,芸術に別れを告げようと心に決めていた。だが,結局またもや彼は,それをも「超え」たのだった。回顧展を機にひとつの角を曲がり,新たな方向へ向かったからだ。比較的短い期間,彼は石に突き錐を当ててそれをハンマーでたたいた作品を作った。石の表面に小さな痕がいくつもできる。それはまるで,暗い宇宙空間に浮かぶ小星雲か銀河系のようであった。そしてそののち,紙のシリーズを制作しはじめ,現在に至っている。

 この最近の作品すべてには,新しい主観性といくばくかの個的な表現が見られ,これは過去数年来なかったものだ。あるいはこう言ってもいいだろう---対象と彼自身との一体化がなされ,かつてはそれが,個的な表現をほとんど見えなくなるまで抑えつけていた,と。この変化には十分な理由があるような気がする。というのも,変化はまず郭仁植という人間の中に起きたからだ。エネルギーにあふれた青年時代の彼は,人も知る情熱家で,当時の写真を見るとそれがよくわかる。1960年代,壮年期を過ぎるにつれ彼の中には,美術の世界で自分の作品が当然受けてしかるべき評価を受けていないという思いがつのっていた。だが,1970年代の末,東京の大阪フォルム画廊で開かれた回顧展を経て,新たな自信がついてきたのだった。やがてこの自信が,彼を次なる新たな創造段階へと駆り立てる。和紙に墨と色彩を配した大きな作品において,彼のこの新たな自信はもはや情熱的なかたちで表現されはしない。彼はそれを「超え」,明るさと静けさのしみわたる域に到達したのである。

 私は,若い情熱をほとばしらせていたころの郭仁植は全く知らない。だが,今の彼に会うと,充実した深みのある簡潔さが大きくふくらんでいるのを感じてしまう。それはとりもなおさず,深い失意と病に先立つ,力のこもった長い年月のたまものである。それはまた,自らの禁欲主義を厳しくきたえた年月でもあった。こうした年月の連なりの中で,芸術家としての彼とその仕事に影響を持ってきたのは郭夫人である。夫人こそは,深い失意と病の時,何にもまさる支えとなった人,そして恐らく更に重要なのは,この芸術とそれを創り出す人双方への深い尊敬の念に違いない。彼女自身が,多くの若い生徒たちに深い影響を及ぼしてきたバレエ教師という芸術家であるだけに,この尊敬の念は一層大きな意味を持つ。これは単なる妻としての愛情ではなく,共に創造活動にたずさわる同志としての応援であり,作品を生み出す際に芸術家がくぐらねばならない苦悩と緊張を,彼女も身をもって感じてきたのだ。彼の緊張を我がことのように感じながらも,彼女はその苦悩を和らげよう取りのぞこうとは決してしない。それが何より素晴らしい。誰もが自分自身の苦悩を持つ権利があり,なんびとたりともその権利を盗めはしないからだ。郭仁植の苦痛に満ちた解放を静かに見守ることが彼女のつとめなのだ。


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