archives


ネヴェルスンの芸術 (1975年2月、南画廊カタログ) 松岡和子訳

 ルイーズ・ネヴェルスンは,この世には実在しない女家長制社会の高僧である。彼女が超然とした孤高の人だということはつとに知られている---その極端なまでの禁欲的な生活は隠遁者としての芸術家のものだし,彼女の唯一の情熱は芸術を作り出すことにある。他の一切は無用の長物。

 絶対を感じさせる宇宙的な特質は,ネヴェルスンの作品タイトルの中に見て取れる。曰く,『空の門』『雅な苑』,曰く『夢の家』。また,彼女の黒い洞窟の壁が,神秘的な力量感をもって観る者を引き寄せるあたりにも,この特質は感じられるのだ。1931年,彼女はパリで始めてアフリカ彫刻を見,そして言った,「私にはその力に匹敵するものが何であるか即座に分かったのです。ニューヨークに戻った私は地下鉄の駅へ降りて行き,黒い柱をこの目で見,そこにすっくと立っている力と強さをはっきりと理解しました。支柱の方から何か私に働きかけてきたのです。それは私が単に見た,といったものではなく,まるで私にエネルギーを注ぎこんでくれるようでした。ちょうどあの原始的な彫刻がそうだったように。」

 こうした全ての特質は,1967年にホイットニー美術館によって催された彼女の回顧展でも実に明白だった。展示されたのは三種類の作品で,まず最初は,古い箱を幾つも並べ重ねた巨大な壁。その箱のひとつひとつには,古い家具や木製の道具の端くれ,雨風にさらされた板きれなどが詰まっており,さながら空想の中で描き上げレリーフにした月面の風景といった趣だ。これがまた薄明かりのもとだと明瞭に識別できないのだが,かえって隠れて見えない何者かの存在を包み込んでいるようにも見え,また殆ど恐ろしいまでの強烈な誘引力を持っているようにも見えてくるのだった。第二の作品群は,同じ色に塗ったトーテム・ポールで,地下の洞窟の石筍のように床からそそり立ち,天井から吊り下がっている方のトーテム・ポールと触れ合いそうだった。第三群の作品は,のちに行った前二者のバリエーションで,白または金色に塗ってある。黄金の作品は,一見したところ一時の気まぐれにすぎないように見え,周囲の空間を作品そのものの中に吸い込んでしまうような取り憑くような力には欠けるが,それだけに一層内省的でニュートラルである。白の作品は,マヤ遺跡のレリーフや彫刻をしのばせる。平らでずんぐりした形が重なり合い,そのでこぼこが作る影がまるで迷路のようだ。この展覧会全体から受けるのは,深遠な過去の密林世界に踏み込んだような印象だ。そこでは,魔法の力によって,いかなる種類の社会的ないしはくつろいだ出合いも禁じられている。

 と言って,彼女の作品は攻撃的なのではない。それどころか,作品の力強さのあり方から言っても極端に女性的で,見る者に向かって押しつけがましく突きかかって来るのではなく,身を引き,超然としているのだ。彼女は言う,「いついかなる時代であれ女性は,肉体的な力と精神的な創造性を持つことができ,それでもなお女性的であり得たはずです。」彼女は自分の作品の女性的な特質を,弱々しく柔らかなものとは見ていない。それはまず,彼女の或るレリーフ作品の制作に必要なディテールに対する極度の忍耐の中に見出せるし,それよりも大切なのは,「女性的なメンタリティーの中には,天にまで昇って行けるような何かがあるのです」ということだ。従って,彼女がつけるタイトルは,単に宇宙的であるというだけではなく,彼女自身の女性としての本性に含まれているものの一表現でもあるのだ。ハンス・アルプは彼女の『空の伽藍』について,「これはアメリカだ。そして私はこの未開のものにささげる詩を書こう」と言ったものだ。彼には直観的に,彼女が心に抱いているイメージと感受性とが理解できたのだ---即ち,アメリカ・インディアンの世界,そして,かつては兄弟で,未知の存在だったこの民族。ネヴェルスンの幻想。

 ルイーズ・ネヴェルスンのこれまでの人生は,自らの芸術と生き方とを全うするために不必要なものは,次々と切り捨てて行くというその連続だった。1899年,ロシアのキエフに生まれ,五才の時に家族とともにアメリカ合衆国にやって来た。落ち着いた先はメイン州で,この地で父親は建築業者として働き,材木業も営んだ。子供の頃のルイーズには,親しい友だちはひとりもいない。というのも,彼女は芸術家になるつもりだったので,自活し,行く行くはメイン州を去ってニューヨークに向かえるだけの自由が必要だったのだ。しばらく結婚生活を送ったが,彼女にとって<協力関係(パートナーシップ)>というものの拘束は大きく,幼い息子のマイケルと共に,ニューヨーク州南部の古く広大な屋敷に移り住む。以来ずっとそこで制作を続けているわけだ。若い頃彼女は,絵画やデッサン,発声法や演技やダンスなどを学び,短期間ながらミュンヘンのハンス・ホフマンの学校に通ったこともある。長い間脚光を浴びることがなかったが,その間も彼女は着実に,彼女の唯一の情熱である自身の芸術を作り上げてきた。

 1956年,ホイットニー美術館が『黒い威厳』を買い上げたのを転機として(この時彼女は既に56才だった),彼女の名声は赫々たるものになり,たちまち40を越す主要なパブリック・コレクションに作品が迎えられることになる。友だちづきあいは控え目で,孤独を好みはしても,彼女は芸術家のグループと行動を共にし,<芸術家共済組合>のニューヨーク支部長を四年間つとめたり,また,他の芸術家グループにも加わり,数多くの作品を公共の社会的運動のために寄贈したりしている。

 66才の時彼女は,木製の道具やアフリカ及びインディアンの彫刻,日本の漆塗りの櫃などの素晴らしいコレクションの一切を手放した。長年にわたる創造活動の原動力だったものを,である。一切をご破算にして,新しい活動に向かったのだ。というのも,やはりこの時点で彼女は,荒仕上げの木の箱とか,どこかで見つけてきたものなどによる仕事を中断したからだ。次に彼女が取った最初のステップは,家具師にぴかぴかに磨き上げた箱を注文することだったが,これらの箱にはそれまでの手作りの,あるいは荒仕上げの自然な質は全くない。次いで彼女は使う素材をアルミニウムやプラスティックに切り替えたが,取り扱い方から言ってもこれらは,彼女の初期の作品の鈍色に塗った表面や神秘性を秘めた洞窟と同じようなわけにはいかなかった。彼女が作り上げたのは,中が見通せるよう分割された部屋さながらに組み立ててある,『雰囲気と場』と名付けられたシリーズで,両端が開いている立方体の中には,円や管や四角,そしてこういった形のヴァリエーションがおさまっている。それらは不透明な黒いプラスティックガラスか,またはつややかな黒エナメル塗りのアルミニウムでできており,視覚的にはどちらも同じような特質を持っている。これらの作品は,壁に立て掛けて見るようには作られておらず,両側から光を当てて,鑑賞者がさまざまな角度から自由にながめられるようになっている。これによって,一層モニュメンタルな屋外の作品,及び奥行きにわずかの変化をつけた,基本的には正面性の強いイメージのヴァリエーションが可能になった。初期の作品が持っていた非常に複雑なリズムはより単純になりはしたが,可能性を帯びてきた。これらの作品もまた,外部世界を中に取り込んで,作品との関係においてながめられるようにした彼女の成功のいくつかにすぎない。

 ネヴェルスンは数多くの体裁の作品を作ってきたが,その中にはレリーフ・プリントやリトグラフや,また,家具や道具の断片だの板だので構成した彼女の一流の作品にペイントを吹きつけたり段ボールをつけたりした一種のコラージュなども含まれる。だがそこには一貫した感受性があるし,その作品が壁に掛けられたものであれ,床の中央に据えられたものであれ,相変わらず正面性は濃厚である。最近の作品の中には,壁面にレリーフした『空の門』があるし,新たに金属にも挑み,たわめたり曲げたり鋸で切り落としたりして,初期の木製の作品と同じような世界を作り出している。だが今度は,しっかりした核から自由な空間に向かって拡がってくる形に関心が払われている。彼女の初期の作品は,空間的な動きが内部に向かっている。つまり,表面から圧縮された核へと向かっているという意味において,あるいは,限られた空間が壁面からわずかに突出しているという意味において,ルネサンス的である。ところが最も新しい金属の作品にはバロック的な拡張性があり,より開放的に周囲の場と関わりを持つよう空間の中へと向かってくる。1899年生まれだからほとんど今世紀と同い年なのだが,ネヴェルスン女史はいささかもその豊かな創造性を失わず,また,極度に限定された形式の中でも限りなく多様な効果が,厳しい抑制によってつかめることを身をもって示している。

 年とともに彼女は,自身とその生活に対する禁欲的な抑制をゆるめるどころか,むしろ自ら求めて,ますます孤立して行くことを自覚しているようだ。「つまるところ,年を取るにつれて,自分の人生は自分のものでしかなくなり,それにつき合うのは自分ひとりなのです。ひとりきりで自分の人生とつき合う,だから外の世界は不必要に思えてくるのです。」クールで超然とした芸術が支配する世界,意思の疎通や,メディアや芸術家の社会的役割に圧倒的な関心が払われる世界にあって,ルイーズ・ネヴェルスンが長年にわたって堅持してきたこの個人主義的な態度は実にまれに見るものであり,芸術と人生とをいかに結び合わせるかという問題に,見事なひとつの答えを出してくれるのだ。



Copyright 2001, Joseph Love Art Gallery. All rights reserved.
No reproduction or republication without permission.



| home | paintings | prints | drawings | photographs |
| passion | picture book | galleryshop | link |