archives


(無題)  (荒川修作展カタログ, 1965 南画廊) 大岡 信訳
(non-titled --- for Shusaku Arakawa Exhibition, 1965 Minami Gallery)

  <1>


鉛筆の線とふりまいたタルカム・パウダー。白い広大な空間を軽くなでるブラシの,少しばかりの縞は,大徳寺の浴堂の偉大な白壁に見うける子供のラクガキ同様,周囲の空間を凝集させる役割をはたしている。ここには深い空間は無い。しかし,ラリー・リヴァースのスケッチと同じように,こすり消しながらフォルムを生みだそうとする,故意にシミをつける試みがある。すべての試みをして,あるがままにあらしのよう。なぜなら,それはある瞬間を,その現場で吸いとり,ひっつかみ,把握する行為だからだ。
今度の展覧会出品作のうち,早い時期の作品にあっては,荒川は,揺れ動く砂の上の唯一の確実な場所である桟橋に片手をかけて,そろりそろりと大洋に足をふみ入れている。こうして,偶然のようにつけられた鉛筆のシミとか,ドックにつながれた船の鉛筆による明瞭な輪郭とか,ドックが途切れる先端にある半円形とかの,ありとあらゆるネズミが,沈みかけた船から我がちにとびだしてくる。しかし,作品が展開するにつれ,これらの,またそれ以外の,明白で無用な文学的ほのめかしは姿を消し,彼は自信をもって,浮き袋なしに,沖にむかって泳ぎ出る。

荒川の場合,最も大きな作品が,最も完成している。というのも,彼はその静かな行為(アクション)をくりひろげるのに,広大な空間を必要としているようだからだ。彼の謄写された物体は,実物大以上の大きさを何ひとつ暗示しない。一歩,一歩とつけられている彼の足跡のシリーズは,単に足は足である足であると言っているだけだ。それらの足は,アンディ・ヴァーホールの一連の吹きつけ---銀の窓,コーモリ傘,手術用手袋---のシルク・スクリーンを走り抜け,薄緑の《平安》調へじかに突入している。彼のアメリカ製の色鉛筆さえ,王朝貴族の直線の多い衣装を想起させる。そして彼は,空間でも平面でもない,輝いている白の無の中で泳いでいる。その無を縁どっているのは,淡く色を吹きつけた,亡霊のような絹のストッキングだけである。

彼の作品は映画のプロジェクターによって照らされている。物体はレンズの前で漂っており,スクリーンに映るのは,それらのすみやかに走り去る影にすぎない。物体にとって,影の中にあるのは彼らの輪郭だけであって,彼らの本質の港は,きらきらと輝やく霧の奥に呑みこまれているのである。
しかし,この仕事にはある冷たさがある。空間と時間から成るこのカンバスの闘技場には,人間的な関わりの欠如がある。鉛筆でほんのわずかなシミをつけたりするよりは,彼はこういうだけで十分だったのに。

「見てくれ,おれはまだ汚れているぜ!」。荒川はいっそ,ひじまで泥んこになって,汚れを楽しむべきだった。たしかに,彼は汚れてはいるが,それにしては汚れを気にしすぎているし,礼儀正しいというには若干汚れすぎている。泳ごうと思うなら,ざぶーんと飛び込めばいい!だが,もっと成熟した作品にあっては,彼は汚れを放棄して,無垢の空間を作るに至っている。彼のブラシをつかい,鉛筆をつかい,スプレーをつかった行為は,ここにいたって,冷感的なヘレニズム風のヴィーナスの,白い石の肌を愛撫するものとなる。ここには,刀を肩に吊してのし歩く三船はいない。藤原貴族が,絵具にひたした鉛筆で,淡い色調の紙の上に,さまざまなフォルムを配列しているのだ。だが,荒川の絵が最良の出来ばえを示すのは,彼が最も純粋になったときである。

つまり,彼がその画面から,赤の他人の雑記帳の切り抜きにすぎない,陰気で気取ったフォト・コラージュのようなものを取りのぞいた時が,いちばんよい。彼の色鉛筆の虹にしても,あまり長すぎる場合には退屈だ---短い虹の一閃で十分なのだ。

  <2>


荒川はここでひとつの問題を提出している。彼の絵のこうした薄化粧調は,東京でありニューヨークでもあるところの,ひとつの揺れ動き吠え叫んでいる都会の現実からの,逃走なのか?それとも,これはじかに骨をつかみ出し,骨の中に横たわっている髄,すなわち,日本人がその住む場所のいかんにかかわらず,危なっかしい平和の時代にあって描き出すすべを知っているリリシズムの,堅固な核をかたちづくっているところの骨髄を,削り出してみせたものなのか?それともまた,これは単に,動物園のサル山の,「ただ今零匹」の標示にすぎず,目下のところは,サル山のつるつるの木の枝を眺めるだけで満足しなければならない,ということを言おうとしているのか?この薄化粧調には,以上三つのものが互いにないまぜになって存在しているように,私には思われる。伝統というものは,影のようにわれわれを尾行するものだ。それはわれわれの足にまといつき,われわれが太陽から顔をそらすと,すかさずとびかかってくる。われわれは常に,芸術言語の新たな純化を必要としており,今度の展覧会の主要な意義もそこにある。ところで荒川は,時の山から跳びおりるかわりに,もう一歩高くよじ登る。そして,彼自身にもわれわれにも新鮮なおどろきなのだが,彼はそうすることによって,ひょっとしたらある人間,あるいはある時代でさえ要約できなかったかもしれないようなことを,自分が要約してみせたことに気づくのだ。きわめて個性的で具体的なるがゆえに普遍的である彼は,こうして前衛の保守主義の正当性を立証する。というのも,完全に彼自身となり,一切のにせ歴史主義を洗い落としてしまうことによって,彼は彼がこの私でもあればあなたでもあることを立証しているからだ。

私はこうして,日常卑近な物体が,あたかもベルイマンの白黒フィルムに現れる影のようなシンボル同様,ゆっくりと,静かな威厳をもって漂ってゆくのを見守る霧となる。

荒川の作品にはある種の郷愁がある。だがそれは過去への郷愁ではない。それは藤原時代の画家が,彼の生きる平安朝の現在そのものに対していだいていた郷愁であり,詩人ハート・クレインがあたらしく出来たブルックリン橋に対していだいた郷愁であり,またモンドリアンが樹に対していだいた郷愁である。モンドリアンのこの郷愁は彼の最も厳密な方形絵画にあってさえ,決して消え去ってはいないものである。こうした郷愁は,おそらく,先輩たちを苦い思いをこめて拒絶し,背を向けたあとで踏みだす,次の,自由な一歩の中に見出される郷愁であろう。その歩みは,死以外の何ものでもない歴史主義的な島国根性から,国際主義にむかって踏み出す歩みにほかならない。だが,この国際的な声は,1965年,日本の東京において,日本人の荒川のノドと舌から,彼の経てきた過程の最新段階の声として,響いてくるのである。


Copyright 2001, Joseph Love Art Gallery. All rights reserved.
No reproduction or republication without permission.



| home | paintings | prints | drawings | photographs |
| passion | picture book | galleryshop | link |