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東京レター  1971年 冬  (ART INTERNATIONAL February, 1972) Love 嵩 康子訳
Tokyo Letter

 日本の現代美術が新たな息吹をつきはじめて以来のここ15年間に,欧米とちょうど同じようにある変化が一部で徐々に起こってきた。それは,芸術の持つ感覚的な特質やその特質に伴う雰囲気から離れて,知性を強調しようとする方向だ。もっと適切な言い方をすれば,芸術作品に接することで思考を喚起することである。この傾向は造形美術だけでなく音楽や舞踊にも見られる。

 そういった知的な特質は,禅仏教の芸術やもっと前の密教曼陀羅にも見られる。しかしながら,日本では,絵画や彫刻や庭園に厳密に哲学的な意味づけをすることに背を向け,より世俗的な,様式や装飾的な可能性に重点を置いた表現に向かう傾向が常にあったといえるだろう。それは,莫大な富を得ていた狩野派の御用画家たちについても言えるし,絵も描き,庭園を設計しもした文人画の画家たちについても,また,同じ時代に京都で最も富裕な階層のなかで素朴で優雅な芸術を花開かせた淋派についても言えることだ。

 日本にはギリシア哲学や中国哲学のような体系的な意味での哲学というものがないとよく言われる。しかし,今日では哲学的な思考を目指して制作をする一群の若い芸術家たちが見られるようになった。彼らの作品は思考の世界に貫き入ろうとする一歩として企まれているのだ。曼陀羅には客観的,分析的な表現がとてもはっきりと見られ,一方で禅画には,悟りに向かって方向づけられた視覚的な説教や暗示といったような性質がある。しかし,この若い芸術家のグル−プは,ここ10年間,もっと個人的な活動で,人間の行為や想像力を通して,精神の世界に秩序を与える本質を追求している。ある行為やイメ−ジは既にある哲学的な枠組みから引き出されるのではなく,むしろ外部の世界に新しい思考構造を押し付けるのだ。

 このことについてはこれまでの東京レタ−でしばしば述べたのだが,日本の様々な分野の芸術における最近の発展のなかでのこういった現象についてもっと地球的な視点でとらえることが求められているように思える。そこで私は,芸術へのこのようなアプロ−チを共有し,この国で芸術家として重要な地位にある三人−−振付家,画家,彫刻家−−に集中して述べようと思う。

<I>


 日本のモダンダンスはデュオニソス的なテ−マによって踊られることが多い。しかしそれでも,アメリカのマ−ス・カニンガムやイヴォンヌ・レイナ−,そしてヨ−ロッパの同様な活動を考えれば,この国にもまた分析的な方法論を用いて,動きを通して知的な世界観を探求している舞踊家がいても驚くべきことではないだろう。ここに取り上げるグル−プは大変に充実した成果をあげている。知的で,欧米の最良の成果にも対抗できるような舞踊論を持ち,それと同時に長い日本の伝統に根を持つ思索的内容を探究している。

 最近2年間の公演活動を通して振付家厚木凡人は,舞踊と呼ばれているものの限界を試してきた。初めには,彼はダンサ−たちにポラロイド・カメラを持って観客のなかを歩き回らせた。会場の周囲の凍りついた時間と空間の記録は壁に貼り付けられ,観客はホ−ルを立ち去るときにそれを眺めるのだった。それは一種の時間の不連続であり,写真が撮られた空間を,知覚の仕方は限定されているが,再現することだった。

 2月に行われたクロスト−ク(春の東京レタ−で言及した)でのパフォ−マンスでも全体の雰囲気は同じように純化されたものだった。このパフォ−マンスはあまりにも観客の期待とかけ離れていたので観客は次第にイライラをつのらせていった。ダンサ−を観客のなかに点在させて彼らの日常について語らせるという試みは,概念上の「ダンサ−」というものの限界を,強烈なほどにパ−ソナルなやり方で,もっと広い日常的な意味のつながり,芸術と生活の間の曖昧な領域,のなかへと拡げるということだった。この強烈なパ−ソナリティの感覚は,ダンサ−の何人かが小さなカメラで彼ら自身の身体の一部分を撮影した時にいやがうえに鋭いものとなった。各人の内向的な集中がはっきりとその人を直接取り囲んでいるものから引き離し,まるでその人が目には見えないが通り抜けられない壁に囲まれてしまったかのようだった。

 厚木によれば,このダンスは最近の大きな作品である『Projection of Directional Place-Change』のための触媒となるものだったそうだ。

 この作品は,通常のプロセニアム劇場の状況のなかで,緞帳があがり,むき出しの何の装飾もない舞台が見えるところから始まった。ダンスの最初の部分ではただ物だけが動いていた。いつもは幕が釣り下げられている金属のバトンがスルスルと上がったり床のほうへ下がったり,様々な速さと動きのテンポのパタ−ンでフ−ガ風に動く。いくつかのバトンは短い幕をつけていて,時折床から上がるとその後ろにはじっと動かないダンサ−たちが姿を現す。ここにおいてこの作品の一貫したテ−マが示されていた。つまり,動く側と動かぬ側との通常の立場を逆にすることによる人間と物との出会いである。

 この知的な芸術主題はここ日本ではいたるところに見られるのだが,これは日本的な瞑想や禁欲主義の非常に重要な要素であるアニミズムと関連があるのかもしれない。それは,人がモノとして周囲の物質世界と一体化することであり,その人間は身体を通してそのような世界が沸き上がってくることを希求しているのだ。私が現代芸術の発表の場でそのようなものを追求する試みに初めて出会ったのは,およそ8年前に画家の荒川修作が東京のある大学の講堂でハプニングを上演したときのことである。彼は観客を周囲のバルコニ−に鍵をかけて閉じ込め,照明をすべて消して下の何もないホ−ルの床に顔を下にして突っ伏した。何も見えない真っ暗闇のなかで時間が過ぎていくと,観客はイライラし,大声で怒鳴ったりなじったりし始めた。それからマッチをすり,バルコニ−から下に飛び降りて,そこにいるじっと動かない荒川をなぐり始めた。なぐられて青黒くなった荒川が最後になぜこのパフォ−マンスを(彼はそれを成功だと思っていた)企画したのかと尋ねられたとき彼は単純に,「僕はモノになりたかった」と答えたのだった。

 厚木のダンスの最初の場面は,人の再創造だった。何の活力も示さない肉体の群れとして寡黙なやり方で存在を主張する人々。その寡黙さは桑山忠明の何も描かれていないような絵と同じだ。桑山の不透明な色彩の長方形の単純なコンビネ−ションはそれ以外のものになることを拒絶し,どのような文学的または表現主義的解釈の前でも沈黙するのだ。この部分とそのあとを通して高橋悠二の音楽は偶然的な背景を作り出し,それに対してダンサ−の動きは対位旋律を織り成して行く。しかしやがて音楽が無音になった時に,観客はダンスの動きの音楽的な多重構造に最も強くひきつけられる。動きは音を必要とせず,それだけで成立するのだ。

 次の部分では,ミニマリスト田中信太郎のデザインによる白い壁と天井が何もないうつろな立方体の空間をつくる。ダンサ−は小さなグル−プに分けられ,そのうちのひとつがステ−ジに登場して指定された場所で複雑な連続した身体の動きを繰り返す。次のグル−プが現れてその一連の動作を同じように関連づけられたいくつかの場所で繰り返す。まるで機械でつくられた動きのようである。動く人が変わっても場所の移動はいつも同じである。時々,二つのグル−プが時間のズレのなかで同一のアクションをやったりしながら,動きのパタ−ンは単純なものから複雑に絡みあったものへと変化していく。このころまでには観客はしつような繰返しによってそれぞれのダンサ−の動きの単一の抽象的なパタ−ンと不連続に現れるグル−プの位置の相関関係を覚えてしまう。

 その次の場面は,舞台上に二人のダンサ−だけがいて,舞台すみにある観客席のほうへ降りる階段を登ったり降りたりしているところから始まる。この動作は永久に続く四拍子によって繰り返されるが,その最中にひとりの男が現れて左側の女性に出会う。彼らは階段のてっぺんで抱擁し,ひざまずいた男は両足を拡げて立っている彼らの足のあいだからこぶしを握った腕を突き上げ,接触してから腕を落とす。このシンボリックなジェスチャ−は,エロティックな意味を含んでいるが,ひっきりなしに繰り返されるうちに機械的な動きになり,そしてその動作もまた舞台上の全ての動きのうちのもうひとつのリズミカルな要素にすぎなくなってしまう。ダンサ−そのものがダンスとなるのだ。

 その次の動きは一連の空間的な圧縮と拡張と言えるもので,多分そのリズムは出産の苦しみと似たものである。しかし,その原型から類推されるような強烈に表現主義的な肉体性は全くない。ここには,神話を作り上げようとする試みはいっさいなく,ただ空間とその含意をいかにクリアに知覚するかという作品を生み出しているだけなのだ。人はただ単に,既に在る空間に場を占めるのではなく,グル−プの動きのパタ−ンやリズムが空間を形造ったりそれを満たしたりすることによって,肉体を持つ存在としてその空間の特質の形成に参加するのだ。何人かの登場人物はうしろの壁に身体をピタリと押しつけ,身体で壁を計るようにして壁づたいに移動し,その間に他の者たちは舞台中央から横の壁ギリギリまでの歩数を計っている。それはあたかもその壁を空間の終わりとして調査しているかのようで,上にあげられた足は一種のエア−・コンプレッサ−のように動き,壁に向かって空間を押して行く。

 最後になると,ひとりのダンサ−がピシャピシャと身体をたたいたり,足を踏み鳴らしたり,リズミカルな連続した身振りをやる。それから一方の腕で頭をかかえて身体を折り曲げた状態で他のダンサ−に触れ,触れられた相手はその動きを繰り返す。繰り返されるにつれて身体の折り曲げは次々に前のダンサ−より深くなって行き,身振りはなめらかに続くようになり,いっさいの音は消え,動きはカノン形式のフ−ガになって行く。

 これはこのパフォ−マンスを通しての私の印象だが,厚木が捜し求めているものは思考様式への肉体的な等価物であるか,あるいは多分,一部の造形作家が求めているのと同じものだ。つまり,人がその中心ではない世界における人の存在である。それを西洋的な述語に強引にあてはめてみれば,彼は人を「非人格化」しているのだ。ここ日本では,人は「自我」を超えようとしている,という言い方をする。この場合の自我とは,生きる者としての限定のなかに人を閉じ込める人格の範囲である。それを超えることによって彼は超人格の存在(可能であれば),になるのだ。その小径を横切ることによってたどり着く状態のなかで,人は最終的により豊かな人間性に到達できるのだ。この概念は日本の伝統では新しいものではない。初めて能を見たとき私が最も強い印象を受けたのは,無表情な白い仮面をつけ最小限の表情しか見せない主人公が,面をつけない人物よりもずっと人間らしく見えるということだった。素顔の人物はむき出しで無防備で「人」と呼ぶにはほとんど原始的過ぎるほどだった。俳句でもやはり,感情は人間の内にあるものではなく,人間と周囲の自然の間のあるところに置かれているものと考えられている。

 厚木の舞踊では,人は対象化され,「物」−−どうにも非常に否定的な状態で−−として表現されるが,この状態を通して人は普遍化され純化されて,その「本質的な」あり方を明らかにするのだ。


<II>


 他の分野の一群の芸術家は,人間についてのこうした基本概念を,内的自己の錯綜というよりもむしろ一種の不在として捉えている。人は己の錯綜性を自分と他の存在−−人々や事物−−との関係から手に入れるのだが,その関係はある局面から見れば不在とも捉えられるのだ。このような姿勢の最も良い例は宇佐美圭司の作品だ。

 日本的な伝統がある領域でどのようにして働くかを説明する宇佐美の言葉には,画家としての仕事に対する彼自身の姿勢が良く分析されていると言える。彼の絵画の形式は厚木の舞踊の形式とどこか方向を同じくするところがある。

 日本人の生き方では,人の,生活に対する姿勢と物を作ることへの姿勢とにはとても密接なつながりがある。宇佐美に言わせれば,芸術家やデザイナ−や哲学者が何らかの対象物を作っているとき,単に物を作っているという意識を持つだけではない。いくつかのアイディアを相互に対峙させ,比較分析するのではなく,必要でないものを徐々に取り去っていくのだ。そこで切捨てられたものの豊かさのゆえに,残されたエッセンスは非常にシンプルなもの−−単純なものというような簡単に理解される意味ではなく,切捨てられたものの豊かさのすべてを映し出す透かし画のようなもの−−となるのだ。言い方を変えれば,以前にあった全体が,あとに残った単純なものの中に暗黙のうちに現れているのだ。断っておくが,象徴的に,ではない。象徴主義では,全体の中のひとつの部分を明らかに示すことで,それに符合する全体を推量することができるのであり,宇佐美の述べるような日本的なプロセスとは違う。

 表面的にはこの考え方はミース・ファン・デル・ローエか,あるいはPrimary Structuresの「少ないほど多い(レス・イズ・モア)」のように思えるかもしれない。しかし,宇佐美にとってそれは象徴的でないのと同じように構成体系の原則でもない。それはむしろ知覚の問題であり,知覚の行為を単純にし,もっと直接的,直観的にするプロセスである。彼は言う−−「知覚の問題では,自分が何を知覚しているかなどと自問しない時に限って,完全な知覚にに到達することができる。」

 知覚は十代の宇佐美が絵を描き始めた時から彼の芸術に対する姿勢の中心点だったが,彼は目に見える世界を目で捉えるというありきたりな感じ方には興味がなかった。彼は言う。「絵を描き始めた頃,風景を見てもそれを描こうという気にはならなかった。カップを描いた時,私は,それはカップのように見えるけれども本当は全くそんなものではないのだと考えた。私は〈これではない〉を描きたかったのだ。」彼が言おうとしたのは,カップとしてのカップの否定などという単純なものではない。「むしろ,それが意味していたのはカップを見てカップであると認める私自身の知覚のし方を遠ざけようとすることだった。だから,最初に私を絵画へと駆り立てたのは,私の習慣的なものの見方を打ち壊して向こう側に突き抜けるには,どのように事物を利用したら良いかという問題だった。以来,このことが絶えず私につきまとって離れない。」

 この言葉を,現実世界を捨てて空想の世界に入る,と解釈することも出来ようが,宇佐美は空想を造りだすことには全く興味を感じない。彼は現実の世界を見るが,その最初の視覚的な印象を空想だと見なし,それを突き抜けリアリティーに到達しなくてはならないと考える。自己啓発のための一種の方法論である。

 宇佐美のアプローチは,禅僧でありまた禅の研究家でもある久松真一の禅美術の分析に驚くほど似通っている。彼は,〈悟り〉とは無形の自己に目覚めることだと語っている。自己は,すべての形あるものの彼方にあるというのだ。だが人は,中国の僧侶たちが〈仮の虚空〉と呼んだこの静謐の中にいつまでもとどまることはない。必ず何らかの行為に移る。この啓かれた状態は,行為する人が新しい形ある世界を送り出すための母体であり,本物の形あるものなのだ。なぜならそれらは,すべての制約的なカテゴリーを貫いた自然から生まれて来るからだ。この実存的な確認は,まず第一段階として目の前の現実をはっきり拒絶することから始まり,芸術作品の中にも表現されている。芸術作品とは常に人に何かを教えるひとつの道具であり,見る者にとっては自分の現実世界の受け止め方を測る尺度でもある。久松は言っているが,実際の禅体験に根ざした禅画の目的は,禅僧の〈悟り〉を他の者に開示することにある。それらは一種の道具であり,触媒であり,根本的な禅の思想,禅の意図を具体化したものでもあるのだ。

 何らかの基盤を築いて外界のリアリティの上に立つ自己の立場の正当性を試さねばならない。そのためには,自分を対決に向かわせる何かを造り出さねばならない,と宇佐美は言っている。このことが彼を方法論の探索に巻き込むのだ。方法論といっても,先在する命題〔テーゼ〕を打ちこわすための反立〔アンチテーゼ〕を創り出すといったものではない。なぜなら,これは単に拒否の美学であって,新しい肯定的なものの見方や,初めの命題〔テーゼ〕に再び息を吹き込む方法を彼が確言することを不可能にしてしまうからだ。

 たとえば,作品の中に人間の姿を導き入れて以来,彼は決して頭の部分は描いてこなかった。こうして,人間の姿からいっさいの個性を剥奪し,単なる物体にしてしまうのだ。これは拒否というよりは,そのあとから浮かび上がってくる諸問題に集中できるよう彼を自由にする前提である。人間の姿は,彼が追求している本命ではない。彼は言う−−「私が対象化してきたのは人間の姿ではないし,人間という形態間の関係でもない。むしろ私は,目で受けとめるという行為を何とかして対象化しようとしてきたのだ。つまり,私の絵を見る人の,見るというその行為の対象化をはかってきた」。一見したところ,見るという行為を対象化するのは不可能である。なぜなら,誰もがそれぞれ違った見方をするからだ。それでもなお彼は,見るという行為の中には対象化できる何かがあると感じており,彼の作品では,様々なフォルムや視線を導く道が見る者の反応を対象化するように配置され,変化させられている。こうした意味で,彼の作品は人が客観的にそれを見られるようにする道といえる。

 当然,彼が作り出そうとする具体的なプロセスはきわめて直観的になってくるので,筋の通った説明はしにくい。たとえば,用いる色彩配置の裏に理論的基礎が必要だとは,彼にはどうしても考えられない。これと同様,彼の建築家の友人原広司や磯崎新らに,構造上の形や色を決定する際に,特にこの形この色と選ぶのはなぜなのかと宇佐美が尋ねれば,彼らの方でも答えに窮してしまうだろう。彼の言うとおりである−−「立ち止まってなぜと問うようになったら最後,もう何ひとつ作り出すことは出来ない。」

 宇佐美の制作活動の総和は1970年から1971年にかけての『ゴースト・プラン』の中に見て取れる。これは宇佐美と原広司が,箱根国際会議センターのコンペに出すために共同制作したゴースト・プラン建築計画を含んでおり,サブ・タイトルは『各場所が等価である』となっている。建築物と森と庭園との複合は,宇佐美の絵を立体化したものといったところだ。機能的空間ともいえるところに同質の区域をいくつも散在させ,それらを路や階段などでつないでいる。やって来る人々は,建物や森などの区域を通り抜けながら散策するうちに,同じような小部分がくりかえし幾度も目の前に現れてくるのをみとめるという仕組だ。個々の建物が目に見えないマスター・プランの小部分であり,同時に独立した物理的存在を形づくるために切り離されている。それでも観念としては断片的,部分的なのである。

 『ゴースト・プラン・シリーズ』の絵の中では,いくつもの人体が縦横にめぐらされたカラーバンドによってつなぎ止められている。横,つまり水平方向は分節あるいは分析のプロセスであり,縦,つまり垂直方向は同定〔アイデンティファイ〕あるいは交換のプロセスである。こうした関係を分かり易くするために,彼は断片すべてを複合したサーキットの中につなぎ止める。眼がたどるコミュニケーションの線なのかもしれない。

 水平に走る線は,様々な人体断片の分析を発展させ,それらを分割して目に見える基本的な構成要素にするのだ。分節のプロセスをたどれば,われわれには,この断片は同じ水平線上のどこかに場を与えられた全体像のあの部分だ,ということが分かる。また,垂直な線をたどれば,個々の断片が繰返し現れ,互いに交換出来るということが分かってくる。つまり,それぞれが,その上にあるものや下にあるものと同一だというわけである。その線上のすべての形体によって共有される同じ形をした断片は,同じひとつの存在なのだ。

 ここで宇佐美が語っているのは,物理的存在物としての一対一の身元確認ではなく,むしろ意味としてなのだ。相互関係における個人の意味,そして各々の人体の中で分析される形式的な部分の意味などが,この作品の構成によって直観的な方法で明確にされる。宇佐美がまず第一に目的としているのは,見る者が次のようなことを客観的に確認することである。即ち,彼のカンヴァスの上に描かれている物はすべて,制作全体を通して交換と同定〔アイデンティファイ〕の複雑なプロセスを築き上げた構成に支配されているということなのだ。充分に一点の作品をながめたあとで,しっかりと捉えてもらいたいのは,身元確認のネットワーク全体の意味なのである。それはたったひとつの断片の中にすら秘められていると分かり,このたったひとつの断片が,残りすべての意味をはらんでいることになる。これは決して全体を象徴するものではないのだが,空間的に拡げられることによって,全体を包含するのだ。

 彼は部分と全体との関係を,一枚の写真を例に引いて説明する。われわれは写真に写った人物と本人とを同一だとみとめる。たとえばその写真に横向きや後ろ姿などが映っていなくてもそうだとみとめられるのだ。だが,たった一断面だけでは,その人物全体をアイデンティファイするのに十分とは言えない。なぜなら,彼は他の人々との間にも数多くの関係をもっているからだ。その関係の中には,資質や形,態度などもろもろの事が含まれるのだ。宇佐美は,その人物が他の人々と共有するものの中でその人物をアイデンティファイしたいと思っている。というのも,彼はこう言っているからだ−−「私が君の写真だけを見る時,何ものに対する関係も見つからない。それは君の一面にすぎないからだ。」

 従ってある意味では,ひとつひとつの断片が全体にもなるのだ。断片は広げられ,それが彼の構成の中に組み入れられる限り,全体にまで到達する−−彼はそう言いたいのかもしれない。また別の場合には彼はこうも言った−−「紙の上にひとつの点をしるす時,世界全体がその点の中に予定されている。ただし,その点が拡げられるなら,の話だが。」

 1967年以来,彼は常に画面の中に人の同じ人物を描いてきた。『ライフ』誌に載ったロサンゼルスのワッツ暴動事件のイラストレーションからとった4人の男の姿である。ただ輪郭が美しいからというだけで,他にはそれらを選んだ特別な理由は何もない。彼らが何者であるかとか,彼らの人数などにもいっさい象徴的な意味はないのだ。それらはただ相互に関係のある存在として,彼の目的に仕えたのである。このおかげで彼は,目で見ることとその意味という一歩進んだ問題に集中できたのだ。まず1960年代の前半には,最も初期のオール・オーヴァーな絵画の中で彼が作り上げた舞台に登場する人物はたったひとりだった。彼の関心は,肉体と非肉体〔つまり,前作品の〈エンヴァイロメント〉からの凍結した断片のような線,帯状のバンド,ステンドカラーなど〕との関係にあった。彼の描くイメージは,都会の人間があたりの街路にまぎれ込んで行き,そこから出て来るといった社会状況であった。私は彼が1965年に言ったことを覚えている。それは,東京のいちばん大きな交差点における人間どうしの関係や,人と街との互いに刺激し合い融け合う感覚を図式的に表現してみたくてたまらない,という話だった。このイメージは,最近の『ゴースト・プラン・シリーズ』の中でも特に目立っている。これはもう都市計画の青写真としてもながめられるほどだ。

 各々の断片の間の意味的な関係は,その断片と見る者の視線が構成された空間をよぎって動くにつれ,ますますはっきりしてくる。宇佐美の空間概念は,伝統的な空間の考え方とは全く違っており,彼のオール・オーヴァーな構造や図面というコンテクストの中に表わされている。彼はひとつの構造を作り上げるが,それはカンヴァス上の分析的な世界をめぐりながら,空間を喚起する。ひとつのフォルムが色や光のバンドによって他のフォルムと結びつけられると,そこに空間が創り出される。だが三次元の物体を内に納めるような,あるいは空間の中に据えられるような意味での空間が創り出されるわけではない。宇佐美は,認識過程の特別な複合体として空間を語る。物体間の関係の鎖というコンテクストの中で目覚める空間だ。それは一種の内面的なものであり,時間的なプロセスの中で展開し,構造の中で発見されるひとつの意味的構造図として理解されなければならない。


<III>


 宇佐美は本質的に画家であり,彼の問題のほとんど全てを構造的な二次元空間で解決しようとしている。彼が言葉の断片をつなぎ合わせて作った文(センテンス)は,彼の光と色と形の知覚の迷路を一度通り抜けると奇妙に不透明なものになることもある。一瞥すると高松次郎の作品はこの平面的な作品とは対極にあるように見えるだろう。彼は現実の三次元空間で,形態の謎に取り組み続けている。最近では形の変化に対応する人間の身体的なコントロールとその不可能性という領域での仕事をしている。

 それでも彼の作品には宇佐美の作品に共通する部分があるので考察してみたい。宇佐美は高松の1964年から67年の影の作品−−パネルの上に影があるが影を作り出す物は何もない−−についてこう言っている。つまり,そこにあるのは単なる否定の論理であり,観る者の視覚の働きに肯定的な作用をして現実のより深い内奥へ精神を導くことはない,というのだ。1966年から69年の逆遠近法による物体におけるように彼は通常の視覚認識への直接的な攻撃法を発見したが,また,たとえそれが重要なことであったとしても,いったんその方法の袋小路にはいってしまったら,そこから抜け出す理由が見つからないことにも気がついているのだ。私には高松の努力はまるで禅の「公案」のように思える。それは,精神に,予告されていない新しい作業を無理やりにさせるようなもので,観る者は大きな労力を求められ,仕事の半分を受け持たされる。ひとつひとつの作品は知的な銃撃の引金にすぎず,アイディアは色々な方向に散発されている。宇佐美も自分の作品を引金だというが,彼の場合には銃撃は彼の様式的な小径という迷宮から飛び出すことはない。

 二人のどちらも,作品は外見上はエレガントだが,「美しい」芸術作品を作ることはほとんど眼中にない。芸術作品であるかないかの判断は彼らにとっては,その作品が価値観の問題に迫っているかどうか,観る者の価値観を変えるかどうかによって決まるのだ。

 高松はやっかいな作家かもしれない。ひとつひとつの作品の直接的な言明があまりに明白なので(今までにだれもそれを考えついたことがなかったにせよ)観る者をしらけさせることもある。東京画廊で11月に開かれた個展で彼が提示したのは,囲い込まれた限界だが,それはプロセスがやり直し不可能であることによって常に無効にされる。彼は大きな紙の中心部から紙を小さくちぎり取っていき,それをもとに戻そうとしたのだ。しかし,個々の断片は重なり合い,もとの縁からはみ出したりする(王様の馬も王様の兵隊も皆,ハンプティをもとに戻すことはできませんでした)。彼は同じことを,木材の破片や,石のかたまりを削り取ったかけら,4分の1インチ(180x90cm)の鉄板で中心が小さな破片に焼き切られていておさまり悪く並べられているものなどによって見せている。ここではアイディアは明白すぎるほどだが,それでもこのシリーズのそれぞれの作品には独自性と感触がある。それは,あたかも物理的な物体の不合理な性質についての新しいひねった主張を形成するために,細心の注意を払って進む足取りのようである。つまり,この国の伝統的な方法,啓示的だがあいまいな知覚の方法論を用いることで,論理を回避しているのだ。

 やっかいな点の二つ目は,高松の有用性で,これは宇佐美が直面したことのない問題だ。高松の視覚的な「公案」は,見かけの単純さで人を迷わせる。二つ三つの素材を遭遇させるようにして,ただ「これはだれもまだやったことがないものだ」という主張しかないものを作るような新しいアーティストたちの態度の弁明になることがよくあるのだ。高松の見せる関係は,内側と外側の縁との関係で,それはいつも彼のシーツやロープの「弛み」シリーズのようにギクシャクしたものだ。本来の形にするためには重力に邪魔されずに宙づりにしなければならず,作曲家の湯浅譲二が言ったように,現在の状態はその本来の形のただの影にすぎない。同一の物体は,ある在り方と別の在り方との関係をも示す。石や木の立方体のくり抜かれた部分には,もともとあった中身は決して戻らないのだ。そして,自然や偶然による経過と人間の手によるそれとの関係。彼は1969年の「石と数字」シリーズで,多摩川べりの石に連続する数字をペイントした。まるで偶然の支配に対して秩序を押し付けるかのようだが,これはもうひとつの二重の在り方の試みである。

 こういったアイディアは他のアーティストに利用され得るが,高松の主題の進展には必然性があり,模倣する者を突き放している。宇佐美の作品と同じように手技の優雅さは我々が彼の世界にはいるのを容易にし,直観的に関係を理解するのを可能にしている。

 高松の作品には時間に無関係な同時性の感覚があるが,一方宇佐美の作品では迷宮の複雑さのゆえに,彼がドラマと呼ぶ時間の枠の中で形が増殖していく。これは何か物語的なものを意味するのではなく,むしろ迷宮の中における様々なポイントの相互関係の増殖という意味である。彼はこれを時間的なプロセスの中での連続する場所の変化だと言うが,はからずも厚木凡人のダンス作品のタイトルと共鳴している。場所についての彼のアイディアは映画の場面のようだ。彼はこういった彼の絵画の一面をフェリーニの『81/2』の場面変化のつながりと比較している。それは時間的かつ建築的な経過の上に組み立てられていて,観客は外見的には不連続な時空間での出来事を,心理的な表面のすぐ下に隠れている内側のつながりや流れによってたどることができるのだ。

 これら三人のアーティストの印象の全く異なる仕事を振り返ってみると,興味深いことだが,芸術における思考過程の伝統的なパターンが形を変えて現在に至っており,最も国際的な視点を持つこれらの芸術家たちこそが,そういった,彼らが全く興味がないと公言している態度を最も厳格に実践しているということが分かる。


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