フィギュア figyure
新旧シリーズを比較して、そのシリーズとしての違いの印象を大きく与えているのが、ゾイドのパイロットとなるフィギュアの違いである。
旧シリーズにおいて、ゾイドのフィギュアは、共和国軍には金、帝国軍には銀のメッキが施されており、このフィギュアへのメッキは、そのままゾイドらしさになっていた。このメッキは、メカボニカの時にも既に採用されている。ゾイドのフィギュアにメッキが施されていた理由は、特にオフィシャルでも公表されていないし、トミーを取材してのインタビューを載せていた電撃ホビーマガジン誌上でも触れられていない。そこで、その理由を推測すると、その大きさがあげられる。
ゾイドは、もともと分解組立が可能な組み立ておもちゃとして、登場してきたのである。その対象はもちろん小学生。ゾイドの個々の部品は、他のプラモデルと比較すると、一つ一つが大きなモノであった。そして、他のプラモデルであれば、分割してディティールにこだわっても良いであろう部品が、一つのままに出来ていたり、極力部品点数を減らす方向で作られていた。分解組立が可能なゾイドは、各部品にナンバーが刻印され、そのナンバリングされた順番に部品を組んでいけば、完成するようになっているのである。この時、ナンバーの割り振られていないのが、フィギュアである。フィギュアは、1/72の大きさの関係から、それよりも大きな部品になることが出来ない。他の部品は、前述の通り、メーカーの努力で大きさを大きくすることが可能なのである。フィギュアをパーツとしてみた場合の小ささが、目立ちやすい色を選ばせる理由となり、結果メッキが施されたと考えるのが良いのではないかと思われる。
ここでつけ加えておくが、周知の通りトミーには、ゾイドと同じような1/72のオリジナルキャラクターシリーズが存在する。このうち、サイテックスとZ-KNIGHTにもゾイドと同じ金型から作られたパイロットのフィギュアが着いているが、こられにはメッキは施されていない。
具体的にその違いを見てみることにする。
もちろんメッキの施されている左側二つが旧シリーズのフィギュア、そして、上段二つが共和国軍の新旧フィギュア、下段二つが帝国軍の新旧フィギュアである。いずれも形は全く同じ。共和国帝国、新旧の違いは見られない。違いは色である。新シリーズの共和国軍のフィギュアはグレーの成形色となり、帝国軍のフィギュアはブルー系の成形色になっている。
新シリーズでメッキがされなくなった理由を考えてみると、やはり最初にコストの問題が思い浮かぶ。周知の通り、新シリーズの大部分は、旧シリーズよりも安い価格でリリースされており、そこにトミーの各種企業努力を見なければならない。メッキを施すという工程を省くことで、大きくコスト削減が出来るのであれば、そのような選択がされても、不思議でないかも知れない。
では、旧シリーズで考慮された目立ちやすさはどうなるのであろうか? これは、トミーがゾイドの特徴をどうあげるかによって異なってくる。ゾイドは、もともとのメカボニカの時代には、接着剤を使わない改造しないで遊ぶおもちゃとしてリリースされた。それが、ゾイドになったとたん、接着剤を使ってでも改造して遊ぶおもちゃに変わったのである。つまり、ゾイドは、そのリリースのされ方によって特徴が変えられているのである。新シリーズにおいては、分解組立が可能、という旧シリーズ当初のキャッチフレーズは見られず、あえて分解した後でも探しやすいような目立つ色を選択する必要がなかったと判断される。
フィギュアにメッキが施されなくなったことで、ゾイドらしさが失われたという意見も有ろう。だが、かえってゾイドらしさが出てきたのも事実である。それは、塗装である。
メッキした部品にあえて塗装をしようとするユーザーは希である。これは、ゾイドに限らず、あらゆるジャンルのモデルに言えることであろう。つまり、旧シリーズでパイロットに塗装をしようとするユーザーは、かなりの少数派であった。これが、フィギュアにメッキが無くなったことで、ユーザーの領域が広がってくる可能性がある。つまり、自分の好きな色のスーツをパイロットに着せようとする行為、フィギュアへの塗装である。もちろん、あれだけの大きさであるため、実際にやろうとするのは、今後も少数派であろう。しかし、旧シリーズよりは、それを促すことになると思われる。その意味では、パイロットのメッキを省いたことは、ゾイドをよりホビーの領域に引き込んだと言えるのである。
惑星入植者の大部分はゾイドのパワーユーザーであるとして、自問自答して欲しい。
●ゾイドは、絶対にメッキされたパイロットで無ければならない。●ゾイドには、ゾイド・バトルストーリーのようなディオラマとストーリーを
組み合わせた展開が必要である。
以上二つの点に、「YES」となった場合、大きな矛盾をはらむことがわかると思う。ゾイドバトルストーリーのディオラマに展開されていたパイロットは当たり前であるが、いずれも塗装されている。ゾイドが、メディアと連携しながらも、メディアの中と外という次元の違うモノとしてとらえたキャラクターおもちゃであるならば、おもちゃなんだからという理由で、パイロットはメッキのままでよいであろう。しかし、ゾイドバトルストーリーの魅力は、今自分の目の前にあるゾイドと全く同じモノが、活躍しているということであり、改造も推奨されたのである。よって、改造の余地、という意味で、フィギュアのメッキは、その余地を奪うモノになっていたといえる。残念ながら、ゾイドは、こうした矛盾をはらみながら展開が続けられ、旧シリーズは終焉を迎えることになるのである。
もう一組、自問自答してもらいたい。
●ゾイドは、絶対にメッキされたパイロットで無ければならない。●ゾイドにメッキパーツは似合わない。
この質問に両方「YES」と答えるパワーユーザーは多いであろう。だが、これがメーカーの受けとめられ方によっては、新シリーズのフィギュアがメッキでなくなった理由になることもわかってもらえると思う。もし、ゾイド本体にメッキパーツはバツだがフィギュアはメッキでなければならない、というので有れば、ゾイド復活に向け、多くのユーザーが述べていた、ゾイドにメッキパーツは似合わない、を意味する各種発言は、その発言方法に問題があったことを反省せねばならないのかもしれない。
80年代後半に、エアクラフトモデルに、パイロットのフィギュアがつかなくなった。これを省みて、90年代はじめにはレジンでパイロットを追加して入れたり、パイロットが追加して入っていることをシールで知らせてあるプラモデルが現れはじめたのである。その意味では、時代の流れから言って、ゾイドに自分で塗装しなければならないフィギュアがついていることは何の不思議ではないのかも知れない。フィギュアのメッキが無くなったという事は、ゾイドがテレビと連動した単なるキャラクターおもちゃで終わらない、ホビーとして生き残っていくための道が作られていると見るべきであろう。