ベートーヴェン

ピアノ協奏曲第3番
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲は番号がついたものが5つあって、その最後の第5番が有名な「皇帝」です。しかし、ベートーヴェンは主に生涯の前半にピアノ協奏曲を作曲しているので、最後の第5番も交響曲で言えば運命や田園と同時期の作曲です。これは、ピアノ協奏曲がベートーヴェン自身の独奏によって演奏されていたためで、耳が悪くなって演奏よりも作曲に没頭するようになると、自然と作曲されなくなったからです。したがって、今日演奏する第3番も、交響曲第2番と同時に初演された、ベートーヴェン初期の作品ということになります。
 ピアノ協奏曲第1番、第2番では、先輩モーツァルトやハイドンの影響が大きかったのですが、第3番ではベートーヴェンらしさが現われてきます。第1楽章の始まり方も、いかにもベートーヴェンです。旋律というより動機といったほうがぴったりくる、いくつもの要素が簡潔に集まった第1主題で始まりますが、「英雄」交響曲や「運命」交響曲の始まりのようです。しかし第2主題は対照的に美しい旋律です。管弦楽の部分は交響曲といってもおかしくない大きさを持っていて、ピアノ独奏もそれにつりあう大きさがあります。
 第2楽章は、非常にゆっくりとした楽章です。ピアノの祈るような独奏ではじまります。管弦楽の静かな演奏の間をぬって、ピアノは細かく動きます。中間部では、ピアノの夢幻的なアルペジョの上に、管弦楽が漂うようにゆっくり演奏します。
 第3楽章はロンドです。最初にピアノが演奏する主題を軸に、いくつかの他の主題が現われます。最後には調子が8分の6拍子にかわり、華やかに終わります。
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ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
 オーソドックスな協奏曲ですと、第1楽章はソナタ形式、最初にオーケストラだけで主題を2つほど演奏した後、今度はソロ楽器が加わって同じ主題呈示をし、展開部、主題呈示部の再現があって、楽章の終りちかくではソリストが自分の音楽性と演奏技術を披瀝するカデンツァがある……となるのですが、ベートーベンは既にピアノ独奏によって曲がはじまる第4協奏曲を作曲しています。そして、この第5協奏曲では最初からカデンツァ風のソロが入っています。そのかわり、演奏者の自由になるカデンツァはありません。
 明確な区別がなかった作曲家・指揮者・演奏家がだんだんと分業化されていき、作曲家が自分の曲中に演奏者の自由になる場所、言い換えれば自分の感知できない部分を残して置きたくないという気持が起こるのは当然ですし、また、作曲が本業でない演奏者が考えるよりも作曲者自身が考えた方がより良いものが出来るのも想像に難くないでしょう。(もちろん演奏者が作るカデンツァが、常に作曲者自身のものより劣るというのは絶対に有り得ない話ですが。現にこの原稿を書きながら聴いているグレン・グールドの協奏曲集では、グールド自身によるカデンツァの部分が一番興奮させられます。)
 この曲についている「皇帝」という名前は、ベートーべン自身は全く関知していません。一説によると、この曲を聞いていたフランス軍人が「これこそまさに皇帝(ナポレオンを指す。)だ」と言ったからだというのですが、(全く同じ話が別の本では「運命」交響曲についての話として載っています)もしこれが本当なら、第3交響曲を捧げようとしていたナポレオンが皇帝の位についたとの知らせを聞いて、ベートーベンは献呈の辞が書いてあった楽譜の表紙を破り捨てたという話とおもしろい対照をなしていると思いませんか?
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「エグモント」序曲
 エグモントというのは、16世紀に実在した人で、ゲーテがその人を主人公に悲劇を書きました。そして、ベートーベンが劇音楽を作曲したのです。大変敬愛していたゲーテの作品とあって、作曲にも力が入ったのでしょう、すばらしい名曲です。
 序曲の最後の輝かしい行進曲は、劇の最後で主人公が、「愛するもののために喜んで命を捨てよう」と刑場に決然と歩み去り、幕がおりた時に演奏される勝利の行進曲です。
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歌劇「フィデリオ」序曲
 歌劇「フィデリオ」は、ベートーベンの唯一の歌劇です。原作は「レオノーレ」といい、すでに他の作曲家が歌劇として作曲し上演されていたので、「フィデリオ」と名付けられています。レオノーレは主人公の女性の名で、夫フロレスタンが無実の罪で監獄にとじこめられているのを救うために男装しているときの名がフィデリオなのです。
 この歌劇に、ベートーベンは4曲も序曲を作っています。というのも、歌劇自体が2回改稿されて3種類あり、しかも初演ですでに序曲が書き直されていたからです。初めの3曲は「レオノーレ」1番から3番で、最終的に今日演奏する「フィデリオ」が作られました。
 「フィデリオ」の最初の公演(この時の序曲は「レオノーレ」第2番)は、ナポレオン率いるフランス軍がウィーンを占領した直後のことで、当然の事ながら占領されたウィーン市民にオペラを見に行く余裕はなく、客の大部分はドイツ語を解さない、しかも歌劇といえば途中にバレエが入っていると思っているフランス軍人でしたから、不評のため3日で公演中止。ベートーベン自身も作品に不満が残っていたので、すぐに改訂作業をはじめます。翌年には再演(序曲は「レオノーレ」第3番)されますが、ベートーベンはなおも不満があったようです。それは、作曲についてではなく、台本のほうへの不満でした。初演から10年後、三度上演のチャンスがくると、さらに台本を改訂し、作曲をしなおしました。この時に演奏されたのが「フィデリオ」序曲です。
 主人公レオノーレの夫への深い愛情、そして夫を自ら助け出す勇敢さが、生涯愛情に恵まれなかったベートーベンには理想の女性像と感じられたのでしょう。ベートーベン自身はこの歌劇の題名をもとの「レオノーレ」にしたいという希望が常にあったようです。
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オラトリオ「かんらん山上のキリスト」
 かんらん(橄欖)はオリーブの木のことです。有名な最後の晩餐のあと、イエスは弟子とともにオリーブ山に登って神に祈りを捧げます。イエスはそこで兵士たちに捕えられ、十字架に架けられることになります。このオラトリオは山上で祈るイエスと、追ってきた兵士たちが彼を捕える場面を描いています。独唱者はテノールがイエス、ソプラノが熾天使セラフィム、バスが弟子のペテロの役です。
 この曲の作品番号は85番で交響曲でいえば田園と7番の間ということになりますが、これは楽譜の出版が遅かったためで、作曲されたのは第2交響曲と「英雄」の間、つまりベートーベン初期の作品です。従って「第九」や「荘厳ミサ曲」のようにベートーベン独自の世界を持っているわけではなく、どちらかと言うと古典的、バロック的な作品と言えます。実際、曲の途中でヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスとそっくりな部分もあります。
 歌詞は聖書から取ったものではなく、当時の人気オペラ作詞家フーバーの作詞によるもので、宗教合唱作品に多いラテン語ではなくドイツ語で作られています。
第一曲 序奏−レシタティーボとアリア(イエス)
 人間の罪を贖なうために死ななければならないイエスは、オリーブ山上で、苦しみと怖れから救ってほしいと神に祈ります。
第二曲 レシタティーボとアリア(セラフィム)−天使の合唱
 神に仕える熾天使セラフィムが、「自らの死によって人間の罪を贖なうイエスを祝福せよ。その血を汚すものは呪われよ。」と歌うと天使たちの合唱も加わります。
第三曲 レシタティーボと二重唱(イエス、セラフィム)
 神がイエスに与える死について2人は語り合います。最後にイエスは死の恐怖を振り払い、2人で愛の偉大さを歌いあげます。
第四曲 レシタティーボ(イエス)と兵士の合唱
 イエスが喜んで死を迎える決心を語っていると、彼を捕えにきた兵士たちの合唱が始まります。
第五曲 レシタティーボ(イエス)−兵士達と使徒達の合唱
 イエスは「苦しみよ、早くおわってくれ。」と神に祈ります。迫り来る兵士たちとおそれおののく弟子たちの合唱。
第六曲 レシタティーボ(イエス、ペテロ)−三重唱−兵士達と使徒達の合唱
 迫り来る兵士たちに対してペテロは剣を抜いて立ち向かおうとしますが、イエスはそれを止めさせます。三重唱では、敵や隣人への愛が歌われ、最後に合唱が神の子イエスに感謝し讃えようと歌い、全曲が終ります。
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ミサ ハ長調
 ベートーヴェンのミサ曲といえば「荘厳ミサ」が有名です。が、4、5、6番交響曲、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏ではラズモフスキーの3曲という中期の傑作と同じ時期に作られた、このハ長調ミサはあまり有名ではありませんが、それも荘厳ミサに隠されてしまったからのこと。名曲であることに間違いはありません。
 第1曲キリエは、「キリエ エレイソン(主よ、あわれみたまえ)」「クリステ エレイソン(キリストよ、あわれみたまえ)」という歌詞だけを繰り返し歌います。
 第2曲グローリアは、神の栄光を讃える歌。合唱と管弦楽で壮麗に始まります。その後、独唱によって「世界の罪を除いてくれる主よ、我らをあわれみたまえ、我らの願いを聞き入れたまえ」と静かに、しかし劇的に歌い上げられ、最後に再び合唱のフーガによって神の栄光をたたえ、アーメンで終わります。
 第3曲クレドは、「我らは唯一の神、全能の父、全ての造り主を信ずる」という信仰宣言。
曲がゆっくりとした速さに変わると、イエスキリストの受胎から十字架までの物語を語ります。イエスの復活から再び速度は上がり、最後は合唱がアーメンのフーガで終わります。
 第4曲サンクトゥスは、「聖なるかな」と静かに、「主の栄光は大地に満つ」と高らかに歌った後、「ベネディクトゥス」の部分になります。ここは、全曲中最も美しい部分です。
 第5曲アニュス・デイは、「神の小羊」という意味。「我をあわれみたまえ」と歌う前半は悲痛な雰囲気ですが、速度が上がりハ長調となって「我らに平安を与えたまえ」と歌う部分では清らかで美しい雰囲気となり、静かに全曲がおわります。
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荘厳ミサ曲
 作曲者自身が「私の最大の作品」と言っているこの「荘厳ミサ曲」は、ベートーベンが最も親しい貴族であったルドルフ大公がオルミュツという町の大司教に即位することになり、その式典で演奏しようと思って書き始められました。しかし、式典までの1年間では完成させることができず、結局ルドルフ大公に楽譜が献呈されたのは作曲を始めてから4年後のことでした。
 ベートーベン自身の指揮によって「キリエ」「クレド」「アニュス・デイ」が、第9交響曲の初演と同じ音楽会で初演されています。(考えてみるとこの音楽会は演奏者にとっても聴衆にとってもとんでもない音楽会です。)
 ベートーベンは、教会音楽を作曲するにあたっては聖歌や典礼文の研究、過去の教会音楽作品の研究が必要だと考えていました。そのため、グレゴリオ聖歌やパレストリーナ、バッハ、ヘンデルらの作品を充分に研究したようです。そこへさらに晩年のベートーベンの精神と作曲技法が加わっているわけですから……
 ちょうど初期の交響曲と第9交響曲とを比べるとその形式・内容の複雑さが大きく違っているのと同じように、この「荘厳ミサ」もそれまでのミサ曲と比べて複雑で巨大なものになっています。ベートーベン自身もこの曲がオラトリオとしても演奏可能であると言っていますし、現代の聴衆の感覚で考えればマーラーの第8交響曲を交響曲として聞くのと同じくらい交響曲として聞くこともできるでしょう。
 「荘厳ミサ」を完成させたベートーベンは、長い間構想を練っていた第9交響曲の作曲を本格的にはじめます。同じ時に初演されたこの2曲は、作曲上のみならずベートーベンの思想・精神上でも深いつながりがあります。偉大な2曲の関係に思いをはせながらお聞き下さい。(蛇足ですが、横響の次の定期は12月12日県民ホールでの第9演奏会です。)
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