聖天メモ 


 

目次

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11/25 02/06 02/05 2015
01/04 2014
11/13 2012
9/7 7/24 2/21 2011
09/05 08/01 06/27 03/09 02/24 02/22 02/21 01/30 01/25 01/18 01/17 2010
12/28 12/27 12/20 11/25 11/23 07/29 05/21 04/23 04/21 03/19 03/12 03/05 02/21 02/20 02/15 02/14 01/23 2009
12/14 12/05 11/01 10/01 09/19 09/11 08/21 07/14 01/06 2008
12/25 12/14 11/14 11/07 07/20 07/16 07/01 04/16 01/18 01/14 01/08 2007
11/21 11/20 11/10 10/22 10/12 09/20 09/04 08/31 08/16 08/14 05/03 04/09 01/25 2006
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11/08 11/04 10/03 09/23 06/30 05/09 03/04 01/02 01/01 2002
12/09 11/27 11/26 10/28 10/10 09/24 09/04 08/19 08/18 07/25 07/16 06/24 06/16 05/23 05/05 04/23 2001
口上

2月18日リスト更新

リストを更新しました。 この報告自体、こちらで更新するのが久しぶりです。
楽しみにしてくださっている皆様には、大変ご不便とご迷惑をおかけしており、お詫びの言葉もございません。
ただ、できる限り、リストの更新は続けております。また掲示板でも更新情報などについては都度都度ですが書き込んでいます。
一方、諸事情により日記ページの更新が一番遅くなってしまいますので、最新の更新内容を確認されたい方は、掲示板を見ていただければと思います。また、内容の訂正などについても、できれば掲示板でお知らせくださいますよう、お願いします。

11月25日リスト更新

リスト更新しました。1年近く更新してませんでした。大変申し訳ありません。
これで今までいただいている歓喜天の寺社情報は反映したつもりですが、漏れがありましたら、ぜひお知らせください。よろしくお願いします。

2月6日リスト更新

東日本の市町村統廃合に伴う地名の修正をしました。
うまく反映していない部分があると思いますので、お気づきの点があればお知らせください。
西日本についても近日中に訂正したいと思っていますが、あらかじめ「ここはおかしい!」などの情報があれば、ぜひご指摘のほどお願いいたします。

2月5日リスト更新

リストを更新しました。
昨年1月に更新した情報について、前橋の鈴木様から訂正情報をいただきました。
清水寺では、千手観音をご本尊にその傍らに聖天様が安置されている、とのことです。 鈴木様、ありがとうございました。

1月4日リスト更新

リストを更新しました。
前橋の天明寺ご住職の鈴木様からのご指摘により、高崎市の清水寺をリストからはずしました(歓喜天の確認が取れないとのこと)。

11月13日漫画「ディスコミュニケーション」

2011年から更新がなかったこの本体の更新は久しぶりです。掲示板では時々書き込んでいたのですが、ご無沙汰してしまいました。
その久しぶりの更新は、トップページに書いている漫画に関する情報です。
植芝理一の漫画「ディスコミュニケーション」が新装で復刊されました。
漫画の表紙にも大きく描かれていますが、 この漫画の筋には、冒頭で歓喜天がかかわっています。
今回の新装版は以前のものと内容に差異はないらしいので、すでに読んでいる方は改めて購入する必要はないかもしれません(kwauもたぶん買いません。単行本未収録の話が掲載されるのであれば別ですが。)が、まだお読みでない方には、面白いかもしれないのでいちおうお知らせしておきます。ただ、歓喜天の進行について云々するというストーリーではないので、その点は間違いなきよう。

作者の植芝理一さんは、「ディスコミュニケーション」をスピンアウトしたような「夢使い」という作品を出した後、現在も「謎の彼女X」という漫画を連載しています。
作風はだいぶ変わっており、「ディスコミュニケーション」 のときのような緻密な書き込みは見られなくなってますが、異性の謎めいた部分に出会って戸惑う主人公やほかの登場人物の情緒が、 正常とか異常という社会の枠組みを超えた部分で描かれているので、なかなか興味深い部分もあると思います。
ただ、こちらには 歓喜天は一切出てきませんので、あらかじめご承知ください。

更新をさぼっている間に、歓喜天の所在情報をたくさんいただいておりました。というか、ずっとたまっていましたので、今後随時更新させていただきます。
相変わらず、なかなか更新しないページですが、今後もよろしくお願いいたします。

9月7日リスト更新

エンキドウさんからの情報でリストを更新しました。
最近更新できなくて、エンキドウさんにはずいぶんご迷惑をおかけしました。
相変わらず、以前からメールを下さった方々からの音信が途絶えています。みなさん、ご無事でいるといいのですが。

7月24日リスト更新

エンキドウさんからの情報でリストを更新しました。

色々ありますが、やはり細く長く続けていきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。

kwauはおもに研究対象として歓喜天をみつめています(もちろん、敬意ははらったうえでのことです)が、3月以来のさまざまな出来事の中で、今まで信仰していた方が、しばらく歓喜天への信仰をお休みすることを余儀なくされたりとか、そういうこともあるかと思います。
kwauなぞが言うのはおこがましいのですが、たぶんそういう「道草」や途中の休憩は、聖天さんも許してくれるはずです。
気持ちが落ち着いたとき、また振り返ればいいのではないでしょうか。
震災の影響で、いまだに苦しんでいる人は多いです。そういうひとたちの心の重さを少しでも取り払うことができたらと思うのですが、いいアイデアが思い浮かびません。
ただ、生活第一で頑張っている人たちが、信心を二の次にしていることについて、もしほんの少しでも呵責を感じているのなら、それは違う、と声を大にして言いたいです。

生きていてこその信仰ですし、信心です。
kwauも、死んだらこのページを更新できなくなりますしね。

2月21日リスト更新

和歌山の方から情報をいただいたので、リストを更新しました。
最近更新が少なくて、恥ずかしい気持ちでいますが、とにかく細く長く、と考えています。途絶えたように見えても時々更新して、しぶとく続けていきたいです。
とはいえ、歓喜天の信仰の歴史に比べれば、ひと一人の人生なぞはかないものですし、こういった記録がどこまで続くのか。とにかくこのページができるだけ長く残っていければいいなあと、色々と考えている毎日です。

9月5日鎌倉へ

鎌倉に行って鎌倉国宝館の特別展「仏像入門」を見てきた。掲示板でratnaruniさんに教えていただいたのだが、この催しで色々な仏像とともに歓喜天が展示されているということだったので、最終日の今日、見に行ってきた。
相変わらず暑い一日だった。汗だくだくで、鎌倉駅から歩いて鶴岡八幡様へと向かった。
蓮の池を右手に折れると、目当ての国宝館にたどりついた。
チケットを買い、中に入る。
会場の左手奥に青梅聖天が展示されていた。
黒い。
油を何度も塗られていたらしく、かなりてらてらした表面の感じ。
造作は素朴だった。秘仏でもあるし、南北朝時代のものというから、当然かも。
ガラスごしとはいえ、いろいろな角度から確認したんだけど、形が何かを象徴しているというのはないようだ。

右側が胸の膨らみからして菩薩の化けた女で左側が毘那夜迦ではないかと思った。足は、毘那夜迦側が両足とも踏みかけている感じでちょっと違っている。顔も互い違いにはならず、正面から向き合っている。
牙の欠けはどちらも確認できなかった。
ここまで近くでじっくり見る機会はあまりなかったので、ratnaruniさんには感謝。

帰りに宝戒寺で歓喜天を参拝した。聖天堂をお参りして大根のお守りを買って帰ってきた。すごく短い滞在だったけど、行ってみて良かった。
9/13 訂正しました。


8月1日更新情報

エンキドウさんから頂いた情報をリストに更新した。画像と一緒に何回も頂いていたのに、更新が遅れてしまって申し訳なかったです。画像の方は、掲示板にて投稿する予定。特に徳島の焼山寺は、ちょっと珍しいというか、知っているひとがあまりいないみたいなので、有用な情報だと思う。


6月27日奈良の歓喜天堂

ネット見ていて知った話。
大阪から歩いて遠くに行く紀行をネットで公開している人がいて、それをまとめたサイトがいくつかある。その「ニートで馬鹿だから歩いて××いった」シリーズで、 吉野に行く話の中で聖天の写真が登場していた。
たとえばここにあるので参考に。
高取城の近くだから、リストに載せている子嶋寺かなと思ったけど、けっこう遠いので別かもしれない。確認はできないのでリストは更新していない。写真にしても見られるのは貴重なので良かった。( 情報お持ちの方がいればお知らせください)
しかしのこのひとは他にも色々なところに徒歩で行っていて、その行動力にはすごい、の一言。


3月9日訂正とご報告

先日書いた内容について、誤解を招く表現があったので、ここで訂正します。

東日本・西日本の歓喜天リストについては、今後も情報をいただく限り、あるいは自分の調査で新たな事実が判明する限り更新を継続します


ただ、更新履歴については、今までのようにここで報告することはなくなると思う。どなたかから新しい情報をいただいたら、もちろんリストには追加なり訂正させていただくが、「訂正した」という事実について、ここで報告することは残念ながら少なくなると思う。そういった情報をお求めの場合は、 をご覧ください。また、掲示板をご覧になれない場合でも、歓喜天リストを更新する場合は必ず更新日付を改めますので、そこで更新の有無を確認して頂ければと思う。
この件で、余計な心配をおかけてしてしまったことにつて、お詫びいたします。
また、既にいただいている情報にも関わらず、その方を差し置いて後から同じ情報をいただいた方を初めての情報をいただいたかのように記述し、ご不快に思わせてしまったことについてお詫びいたします。こちらもいずれ訂正させていただきます。


2月24日リスト更新とご報告

大上さんの情報により、リストを更新した。ありがとうございます。
今後更新情報は掲示板の方で書きます。それ以外の変更については、ここで書くが、今後細かい更新は、掲示板を中心にしたいと思っている。正直、その方が早く書けそうなので。不都合がある方には申し訳ありませんが、ご理解いただければと思います。

昨日は久しぶりに歓喜天のお寺をお参りする夢を見た。見たことのない、すごい歓喜天が祀られていて、誰でも見られる状態になってた。造形が独特で、たぶんどこにもないような双体だった。
いつか見たお寺とも違っていて、しみじみ感動した。こういう夢を見られてありがたい。


2月22日リスト更新

マンボウさんの情報でリストを更新した。千葉の千倉のお寺。龍光山高徳院。

寺院の裏に聖天山があり 元の本尊は十一面観音ではなかったかと言われています。 明治の廃仏毀釈の時に 当時の本尊が廃されたようです。 現在の住職が十一面観音復興の為頑張っています。

ありがとうございます。


2月21日リスト更新

エンキドウさんの情報をもとに関西ページのリストを更新した。
それから、ついでにご本尊の表記を統一することにした。
たとえば「観世音」は「観音」に変えさせてもらった。検索に不便だというのもあるし、このリストはなるべく一寺社は一行でまとめたいので、統一させていただいた。
それぞれのお寺の表記に対して文句があるわけではない。そのあたりはご理解いただければいいなあ、と思う。


1月31日掲示板作りました

仮設えですが、掲示板を作りました。
このページでは所在情報ぐらいしか反映させられなかったが、探訪記など、もっと詳しい情報を寄せてくださる方には、いつも申し訳なく思っていた。
そういう場合、各地のみなさんにとっても有用な情報となると思うので、ぜひこちらをご活用ください。
URLはhttp://kwau.bbs.fc2.com/です。
しばらく様子を見ながら運営していきたいと思っているので、よろしくお願いします。


1月25日更新追加と岩戸聖天再び

また溜まっていた情報を更新した。
いつも時間がかかってしまい、みなさんには大変申し訳ないです。また、探訪記のように、所在情報以外のお知らせについても、更新する場所がなくいつも心苦しく思ってます。掲示板や他の形で何とか層いった場所を作りたいと思ってます。一月中には何とか、と思ってましたが、ちょっと微妙になってきました。でも放置せず、いずれ何とかしたいと思ってます。

先日KEIさんから訪問の知らせをいただいた岩戸聖天だが、今度は大上さんが現地に行かれた、とのこと。しかも、祠の再建に携わった大野さんとも直接お会いになったそうだ。
素晴らしい。
くどくなるけど、岩戸聖天は本当に路のない山の中にあるので、たまたま歩いていて出食わせるような場所ではない。偶然発見できるような場所にはないのだ。そんな中、このページの情報を頼りに出かけられて、たどりつかれた、ということがまずすごいし、それで新しい祠を建てた方にお会いできるなんて、信じられない話。いや、KEIさんにも大上さんにも、このページを続けていてよかった、としみじみした幸福を味あわせていただき、感謝しきり。
大上さんは、今の祠の写真も撮られたらしい。機会があって、本人の許しがあれば、是非ここで披露させていただきたいと思っている。


1月18日更新追加とお詫び

色々な方より情報をいただいたのになかなか更新できなかった件でお詫びを申し上げる。

ratnaruniさんより

「青梅聖天」の「木造歓喜天立像」(巨福呂坂町内会所有)は 「鎌倉国宝館」に寄託されているという情報が、webにありましたので、
「鎌倉国宝館」のサイトで確認しました。

また大上さんより

東寺にて真言宗「御七日の御修法」に参道参。
真言宗の高僧オールスターが一同に介してまして、凄かったです。

とのこと。
また、大上さんには、岩手の永福寺のアドレスが変更になっていたのをお知らせいただいたので修正した。

元々、盛岡を治めていた南部氏は代々聖天信徒。
それ故、江戸期には、京都から行者の方を招いて、しっかりと代々聖天法を行っていて、東北一の聖天信仰の地でした。

だそうだ。あれだけいっぱいあるのもうなづけるなあ、と思った。

それから、KEIさんからは、貴重な情報をいただきました。特に感動したのは、岩戸聖天、佐倉の山の奥にある祠、ほとんど人が入らないようなところにわざわざ行かれたという話。以前ここでも岩戸聖天の再興の話を書いたが、あの場所に行かれた方がいたなんて、すごく感動だ。だって、ひとが踏み入れることのできないような場所なのに。
私のページがKEIさんの訪問の助けになったとしたら、こんなにうれしいことはありません。このページやっててよかったなあ、とつくづく幸せを感じています。


1月17日慶賀新年

更新が遅くなりました。新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年は諸事情で新年のあいさつができなかったので、とにかく歓喜天のお参りを済ませてから書こう、と思いつつ、こんなに時間が過ぎてしまった。更新をお待ちの皆さんには大変申し訳なかったです。

先日やっと浅草に行くことができて、待乳山にお参りしてきた。大根祭りも過ぎてしまって、閑散としていたが、相変わらずちりひとつない境内はやはりすごく聖別された空間だなあ、とひしひしと感じてきた。
また、年末から色々と溜まっていた情報についても、一気に更新させていただいた。
万が一、漏れているものがあれば、何なりとおっしゃってください。
私もあちこち行きたいとも思っているが、ともかく、日本中の皆さんの情報なしには立ち行かないページです。更新頻度については私の怠慢ゆえみなさんにはご迷惑をおかけしていると思うし、ご不満もいっぱいいっぱいあるとは存じますが、なにとぞご容赦くださって、今年もよろしくお願いいたします。
去年は個人的には最悪の一年だったが、今年こそ、いい年になるといいなあ、と思っています。
歓喜天を信仰される方や研究される方にとっても、この2010年がすばらしい年になるよう、祈念いたします。


12月28日リスト更新終り

やっと溜まっていたリスト更新が終わった。おもにTATIBANAさんから頂いた情報の更新だった。たくさんずいぶん前に頂いていたものだったが、なかなか更新できずご迷惑をかけてしまった。
TATIBANAさんには、埼玉県を中心に、かなり緻密な情報をいただいた。深谷市あたりは、ものすごく多くの聖天があるんだなあ、と驚いている。
所在情報以外にも訪問記も寄せていただいていて、紹介する方法が何かないかも、考え中。
とにかく、これで肩の荷が少し軽くなった気がする。年内に終わらせることができてほっとした。


12月27日リスト更新他

先日メールいただいていたratnaruniさんは、歓喜天に学術的に興味をお持ちで調査されている方で、私のリストをご参考に調査を始め、それをブログに書いていく、と連絡してくれた。
そのページがこちら。私も楽しみになってきた。ratnaruniさんは、関東圏の所在地をGoogle Mapにして公開されてもいる。何だかすごいなあ。

それからエンキドウさんから西日本の情報をいただいたので久しぶりに更新した。長崎は二つ目だったり、やはり貴重な情報でありがたかった。

まだ更新が追いつかない。年内は無理かも知れないな。


12月20日リスト更新

色々な方からいただきっぱなしになって溜まっている情報のメールにあわせ、東日本のリストを更新した。
あと少しまだ残っているが、年内にできるかいささか不安。


11月25日仏にインタビュー?

まだ更新が溜まっているのだが、それはそれとして、 とても面白い本が見つかったので紹介したい。
宮澤やすみ著『仏像にインタビュー』(実業之日本社)。十月に出ていたらしいが、気付かなかった。
仏像が生身の存在であるかのように仮定してインタビューするという体裁なのだが、これがくだけていて、とても面白い。

飛ばして書いている部分もあるが、いちいち注をつけて「もちろん冗談ですから、真に受けないように」とフォローもしている。
また、サブタイトルがふざけていて、
毘盧舎那如来「そろそろ本名を覚えてい欲しいです」とか、
四天王「前に出たいと思うことだってあります」とか(もっとすごいのもあるけど、ここでは書かない、というか書けない)。

著者はあとがきで

「本書に登場する仏像のキャラ設定は、経典などの記述に則しているので、決してデタラメではありません」

と書いている。浅学なのでそれが本当か分からないけれど、この本を買った理由の第一でもある、歓喜天の記述は、実にすばらしくて、うーん、なるほどとうなってしまった。
歓喜天については、その章のタイトルだけで、すでにムッとくる信徒の方もいるかも知れない。で、内容を読んだら、ますますムッとするかも知れない。でも、正直言って、私はとても面白かった。漫才みたいな話になっているけど、ちゃんと歓喜天の由来を踏まえたオチになっていて、感心というか、感動してしまった。

この日記をご覧の方はご承知のように、私はガネーシャと歓喜天を同じとする考え方があんまり好きではなく、この著者もそういう考えみたいなので、本来なら私もこの本が気に入らないはずなのだが、そういうことをどうでもいい、と思わせるほど、痛快で楽しめた。

みらうじゅんの見仏記シリーズなどが嫌いな人や、まじめな信心をされている方にはあんまりお勧めしないけど、本屋で見かけたら立ち読みでもされるといいと思う。作者のホームページのアドレスはこちら。
(*ここをご覧になっただけで不快になる方もいるかと思われたので、一部修正しました。配慮がなくて申し訳なかったです。)


11月23日リスト更新

しばらくほったらかしでした。すみません。少し更新しました。情報をお寄せくださった方々には申し訳ないです。


7月29日密教の神々

佐藤任『密教の神々』を買った。平凡社ライブラリーシリーズの文庫タイプ。
第三章が「聖天」と、かなりたくさんのページをさいていたので。
ガネーシャ由来説はわかるんだが、やはりガネーシャすなわち歓喜天という説には納得できない。
引用文献も、巻末に和書の参考文献一覧がないので確かめられないし。
もっとも平河からでていたものが文庫化されたのがこの本だから、もともとは詳細な原典リストがついていたのかも知れない。それに、興味深い情報も載っているので、一読して損なことはないと個人的には思う。


5月21日リスト更新

TATIBANAさんとよしださんから情報をいただき、リストを更新した。ありがとうございました。


4月23日北海道追加更新

北海道の密巌寺、副住職からメールをいただき、情報を更新した。真言宗のお寺で、秘仏、非公開だそうだ。
北海道の情報としては二件目。貴重だ。
ありがとうございます。 ホームページもあるそうです。 http://mitugonji.com/


4月21日リスト更新

聖天神社の所在について、TATIBANAさんよりメール。下記のページに詳細があったとのこと。

http://arowana.s19.xrea.com/travel/tukubasan/

そこでリストを更新した。筑波山神社にはホームページもある。

加えて、品川の養願寺の訪問記をいただいた。春の大祭にお参りされたそうだ。

お寺は三間にわかれており、真中の内陣中央に御本尊の虚空蔵菩薩を祀る御宮殿が御開帳され、むかって右側に聖天厨子が、左側にお不動様や善光寺如来さんのお厨子などがお祀りされていました。聖天厨子をあまり見た事はないのですが、普通より大きいように思いました。

また、学生時代にお読みになった『しながわの史跡めぐり』という、著:品川区教育委員会の本には、東大井の大福生寺が紹介されており、養願寺の「歓喜天」の解説が写真付きであったそうだ。品川区役所の文化財課に電話で尋ねたところ、この本は現在版が変わりこの写真は使用されていないとのこと。ここまで調べていただくと、なんだかとても恐縮してしまう。



3月19日リスト更新

HASEJIMAさんの情報により、リストを更新した。
特筆すべきは、奈良の十輪院。ここでは厨子に隠すことなく、歓喜天の像が双身抱合のまま祀られているとのこと。
うーん、近くにいればすぐにも見に行きたいところです。HASEJIMAさん、ありがとうございました。

それから、いつも情報をいただいているTATIBANAさんからも訂正情報をいただいたので更新した。同時に新規のお寺情報もいただいた。いつもありがとうございます。


3月12日調査継続報告

山形の寶光院に行くことができた。最近の東北回りでやっと訪問できたお寺だったのだが、悪天候というか、ほとんど吹雪で、まったく詳しいことは調べられずに終わってしまった。
境内を色々と調べはしたのだが、歓喜天が祀られているかどうかは、わからずじまい。残念。
でも比較的駅の近くだったので、またいつか、調べに行くことができるかも知れないので、その時にはまた、もっと詳しいことを書けると思う。写真も大したものがないので、甚だ恥ずかしいが、いちおう歓喜天があるらしい、ということで記録だけここに記しておく。
しかし山形はあなどれない。三月にあんなに雪が降るなんて、思ってもみなかった。歓喜天のお寺に行くたび雨風の洗礼を受けていたが、そんなの全然大したことじゃないんだっと思い知らされた感じがする。


3月05日リスト更新

TATIBANAさんからいただいていた住所表示の変更情報と、 茨城の円密院の通称を追加訂正した。
また、以前東福寺について情報を下さった長谷部さんから、浅間山真楽寺にかんする情報その他をいただいたのでリストを更新した。

お二人ともどうもありがとうございました。更新が遅れて申し訳なかったです。


2月21日リスト更新

よしださんの情報で京都のお寺を更新した。手作りの大根型のろうそくがあるという。写真もいただいた。なかなか可愛い。
ありがとうございました。


2月20日TATIBANAさんの情報追加


先日いろいろと情報を下さったTATIBANAさんからの追加情報。新しい所在ではなく、関連情報としていただいた。以下引用する。

1.筑波山神社のお祭りでの話

茨城県の筑波山神社で4月と11月の1日に行われる「御座替神事」というお祭があります。筑波山中腹にある拝殿から山頂にある男体社・女体社へそれぞれお神輿で山中の拝所を巡り、神様をお移しするのですが、その中に聖天社(宮?)という小祠があったかと思います。

2.既掲載の青梅聖天の由来について

『鎌倉の神社 小事典』平成14年6月29日 初版 監修 吉田茂穂 (株)かまくら春秋社 刊
「青梅聖天」の項(P143)
「地域の人たちにより管理されている青梅聖天には、名前の由来ともなっている伝承がある。病臥していた鎌倉将軍が青梅を所望したところ、季節ではないにも関わらず社の前に実がなっていたので、それを献じたらたちまち病が癒えたと『鎌倉志』は伝える。青梅聖天の近く、鶴岡八幡宮の裏参道から西へ向かう道は巨福呂(小袋)坂といい、北条泰時が建長二年(1250)に整備したとされる。江戸期には大勢の参拝者が利用したというが、江戸末期の改修工事では多くの人が命を落としたため、道中には供養塔も見られる。社殿には聖天像と将軍地蔵が祀られており、境内には丸山稲荷という社がある。祭神 聖天、迦具土神 例祭 7月16日 住所 鎌倉市雪ノ下2-6 交通 鎌倉駅東口より徒歩15分」とある。

3.既掲載の高幡不動尊について

こちらのサイトに掲載済の東京都日野市高幡の真言宗智山派別格本山高幡不動尊ですが、以前星祭に参詣して住所を記入してから定期的に寺報を送って下さり、御住職以下とても丁寧で個人的に好きなお寺です。その寺報『山報高幡不動尊』第60号 (平成19年9月1日)によると、平成20年4月より三ヵ年の計画で、大師堂・聖天堂・行堂の新築工事を行なうとの事です。聖天様は、江戸期に堂宇が火災に遭って以来、寺内でお祀りしていたものだそうです。この記事以降同寺を訪れていないので、進捗状況はわかりませんが、HPが充実しているそうですので、ご覧になって下さい。

とのことです。また色々とありがとうございました。


2月15日リスト更新

TATIBANAさんから、引き続き情報をもらった。正誤情報などのリスト更新はさせていただいたが、他にも参考文献など情報をもらっていて、それは間に合わないのでできるだけ早くに更新したい。ありがとうございます。

ところで、近々秋田と新潟と仙台と山形と名古屋に行く用ができたのですが、それらの場所で、何か歓喜天にかんする情報をお持ちの方、あつかましいですが、何か教えていただければ、時間が許す限り訪問したいと思いますので、よろしくお願いします。


2月14日リスト更新

TATIBANAさんから、情報をいただきました。メール四通にもわたる詳細なものです。さっそく更新させていただきました。
TATIBANAさんには感謝の言葉もありません。といいつつ、ありがとうございます。今後も是非、何かあればお知らせくださいね。


1月23日情報いただきました

全日本の歓喜天への信仰者及び興味を抱いている方々へ。
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
今年も皆さんに、思ってもみなかった幸福が訪れますように。
今、お祈りいたします。


さて、今年最初の更新は、いつも貴重で豊富な情報を寄せてくださっているよしださんからの久しぶりのメールです。
今回は京都の安楽寿院について。真言宗智山派のお寺だそうで、境内に大師堂があり、その扉に大根の模様があったとのこと。金色に輝くお厨子は確認できたものの、それ以上はさしものよしださんでも近づけなかったみたい、とっても気になるなあ。
写真もいただいたけれど、大師堂を見ようとした時に案内の方から拝観はだめです、と言われたらしいので、ここでは控えます。
よしださん、いつもありがとうございます。


12月14日リスト更新

石本さんからメールいただき、目黒区の金蔵院の情報を更新した。目黒区の情報が更新できるなんて意外でありがたかった。
近いので、いずれは行ってみたい。石本さん、ありがとうございます。


12月05日弥勒院と荒子観音

熱田神宮そばの弥勒院と、荒子観音に行った。
弥勒院の入り口。
弥勒院は、近くにたくさん寺院があるせいで、なかなかたどりつけなかったけど、ほとんどあきらめかけていた時にたまたま見つけられた。すぐ近くまで行きながら、探すのに困難だったのは、今までではたぶんここが一番。
小さなお寺で、時間もなかったのであまりじっくり見られなかったし、詳しい話を聞くこともかなわなかったけど、出かけてみてよかった。

荒子観音は、円空マニア垂涎の的だと思う
荒子観音は、すでに本にも書かれており、かなり期待していたのだが、第二土曜しか木彫りの円空像を拝見することはできないらしい。
とっても残念だったが、急に来たこっちが悪い。まあ、仕方がない。

毎度毎度のことなのだが、今回もすごい雨と風にお迎えいただいた。
やはり、篤い信仰がないまま、ただ学術的な研究で歓喜聖天を調査するのが問題なのかな。思い返すと、歓喜天を訪問するたびに雨や風に見舞われていて、もう偶然とは言えないほど頻繁に体験している。
もちろん、そういった洗礼があってもちゃんと目的の場所にたどりついて、それなりに感謝して御参りし、充実感を味わってきているわけで、全然不満はないけどね。
本当は名古屋市内の別のお寺も二件あって、そちらも丹念に回りたかったのだが、今回は時間と体力から断念。またいつか、再挑戦したい。
訪問日記も更新した。やはり自分の訪問で更新できるのはとてもうれしいな。いつもネットで寄せていただくみなさんのネタで更新してばかりなので。たまにはこういう更新がないとだめだと思う。来年は、もう少し実地調査ができそうなので、そういった更新ができればと思っている。


11月01日清浄歓喜団を食べた

知る人ぞ知る、歓喜天のお供えのお菓子です

清浄歓喜団を食べた。たまたま新宿で売っていたのを妻が買ってきてくれた。
外皮は堅い。まるでひとの心のように固い。硬い。 パリパリと食べていくと、中の餡にたどりつく。甘い。とても甘い。まるでひとの心のように 甘い。あまい。
価格からしても、お菓子としては勧められないけれど、いっぺん食べてみるのもいいかと思った。


10月01日リスト更新

坂本さんからメールで新しい情報をいただいたので、リストを更新した。神戸の弘聖寺というお寺だ。同じ長田区で、寺が分からないままになっている所と何か関係があるのだろうか。
坂本さん、ありがとうございました。


09月19日リスト更新

先日徳恩寺の正しい住所を教えてくれた新田さんが、別のお寺の情報を寄せて下さったのでリストを更新した。
名前だけ分かっていた鏡照院と小山田神社の住所も教えていただいた。これは非常に助かった。ありがとうございます。 徳恩寺は田舎の夏休みを感じさせるお寺だそうだ。どんな感じなんだろう。


09月11日リスト更新

新田さんより、神奈川県徳恩寺の住所が違う、と教えていただいたので、訂正した。ありがとうございます。


09月3日リスト更新

箕面の金谷さんよりメール。西江寺の聖天は非公開で、絶対に見せないそうだ。
実際はもうないらしいとか、そういう噂もあるらしく、民話では「村の若者が覗き見したので、聖天が怒って 身を隠してしまった」という言い伝えもあるらしい。
とりあえずリストは更新した。金谷さん、ありがとうございました。


08月21日雑誌『サライ』でリスト更新

8/21発売の雑誌『サライ』9/4号は仏像の見方特集で、この記事の中に歓喜天の写真があったので買った。
写真があるのは95ページ。小さい写真だが、確かに歓喜天。
なんでも鳥取のお寺の所蔵らしく、さっそくリストを更新した。
鳥取県は初なので、なんだか嬉しい。
ネットで探したところ、この聖天像を別アングルから撮った写真をいっぱい載せているサイトも見つかった。じゃあ一般に公開されているのかな。わからないけど。
詳細不明なのでアドレスは書かないけれど、検索エンジンなどで探してみると、たぶん見られると思う。とても参考になった。


07月14日リスト更新

久しぶりの更新。鎌倉のAndyさんより情報をいただき、リストを更新した。
青梅聖天という名前の由来も気になるところだが、何より、『全く手入れされていません』とのことだったので、詳しい情報が分からない。
Andyさんのお話だと、寂れている様子なので、今はもう、あまりきちんと管理されていないのかもしれない。
ともあれ、Andyさん、ありがとうございました。


01月06日リスト更新

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さっそくですが、「ごんたの爺」さんより更新情報をいただいたので、関西のリストを訂正いたしました。ありがとうございます。

今年もちょびちょびではあると思いますが、できるだけ多くの歓喜天寺社を訪問し、リストの調査を行っていきたいです。
時には一か月、数か月更新がない時もあるかもしれませんが、このページは私が生きている限りは続けていきたいと思っております。
歓喜天に興味のある方は、時々にでも、のぞいていただければと思います。もしかしたら、何か有用な情報を提供できるかも知れません。
また、新しい情報や、リストの間違いを指摘下さる方は、常に大歓迎です。どうかよろしくお願いします。


12月25日リスト更新

匿名の方から、広島の牛田山龍蔵院というお寺を紹介いただいた。
なんでもチベット仏教のお寺として活動しているらしい。
チベット仏教で歓喜天かあ。
ガネーシャと同じ神様だとか考えてるのかな。だとしたら、個人的には相いれない立場だが、情報として紹介するのにやぶさかではないので、リストに追加した。
匿名さん、ありがとうございます。


12月14日円空の歓喜天

雑誌『大人のウォーカー』の1月号の特集が仏教だったので買ってみた。
円空の遺作ともされる歓喜天像の写真が掲載されていた。造作は明瞭でないが、味わいのある彫りものだ。
この雑誌には、他にも浅草の大根祭の話も載っているので、歓喜天に興味のある方は、立ち読みでもしてみるといいと思う。


11月14日新庄聖天訪問

約束どおり、山形の聖天を訪問。新庄市の円満寺を訪ねることができた。
時間的な問題で、朝のかなり早い時間に訪問することになってしまった。それでも聖天のお寺を訪ねるいつもと同じく、静謐として趣のある佇まいの中、心の温まる、ささやかなひと時を過ごすことができた。



藁葺きの建物が多く、時間の流れを感じさせる。また、それぞれの建物や施設、道のひとつひとつについても手入れが行き届いていて、信仰の篤さを感じされられた。

ウェブページもあることだし、今回ばかりは、事前に連絡してから訪れたかった。
本来この調査日記では、あえて連絡せず、突然訪問する、というのがモットーになっている。
そうすることで、ふだんのお寺のありのままの姿を見たい、と思うのだ。それに、本来秘仏である歓喜天を、こんな風にホームページで取り上げて公開していることに、ただでさえ少なからず後ろめたさがあるのに、そのうえお寺に事前連絡をして特別扱いしてもらうのは気が引けるのだ。
調査のためとはいえ、あくまで等身大の、普通に訪れるひとと同じようなスタンスで接したい。それがこの日記のポリシー。だが、今回ばかりはそうではなかった。距離以外の問題で、ここまで足を伸ばすのは、今後難しいと思ったからだ。色々な条件をを考えたら、もしかしたらもう二度と訪問しないかもしれないお寺なだけに、そうしておけばよかった、と後からしきりに反省した。

でも「円満つぁんのお聖天様」は、地元に親しまれている存在でもあるし、きっとこれからも地元で愛され続けるのだろう。時に遠方からのお客も訪問するかもしれない。

行かれる方にアドバイスを少々。
駅から十五分ぐらいの距離で、十分歩いていける。ゆっくり散歩しながら、町並みを楽しんでの訪問をお勧めする。


11月07日リスト更新

kabu emonさんよりメール。

麹町の二七山不動さんなんですが、 火事で焼けまして、移転しています。
移転後は、女子高の隣に、ひっそりと 運営されてます。
お参りに行ったところ、聖天さまは いらっしゃいませんでした。
前の堂主さんがなくなり、火事もありましたから。
あと、高野山の浄菩提院ですが、 更地になっています。

とのこと。リスト更新します。ありがとうございました。

ところで来週、山形に行く用ができまして、時間があれば歓喜天のお寺を回りたいと思ってます。
急な話なのであれですが、もし何か情報を持っている方がいれば、お知らせいただけるとありがたいです。


07月20日リストを訂正

福生院のご住職からメールをいただいた。福生院と延命院を誤解した記述がある、とのご指摘、さっそくリストと該当の7/16分の記述を訂正した。
何でも信者さんからの問い合わせで、この間違いをお知りになったとのことで、わざわざメールを下さったらしい。
ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。


07月16日東福寺で聖天

以前東福寺についてメールいただいた長谷部さんから追加情報をいただいた。
東福寺では厨司を納めた戸だなの中が整理されて、双身歓喜天像が見られるようになったそうだ。
それも、

高さは20cm余り、木造でかなり精巧に彫られています(抱き合い、左の仏さまが右の仏さまの足を踏んでいる様もよく見えます)。

と、かなり貴重な情報だ。長谷部さん、ありがとうございます。行きたいなあ。前橋か、うーん。
まあ、行ったところで、堂内に入れないと話にならないわけで、それ以前に、まず問い合わせて、堂内に入れるかどうか確認しないとならないけども。


07月01日近代デジタルライブラリー

久しぶりに国会図書館の近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)を探していたら、歓喜天関連の書物が増えていたので、ここでご報告。

近代デジタルライブラリーでは、著作権の切れた書物をデジタル化して、パソコンで手軽に見られるような画像ファイルとして提供している。冊数は日々増えているようで、「歓喜天」または「聖天」で検索すると、以前の検索した時にあった葦原寂照等の著作以外に、下記のような書物が見つかった。

1.歓空著 大聖歓喜天尊敬崇伝 明24
2.祖風宣揚会編 弘法大師全集 明42-44
3.伊東洋二郎著 仏教和讃三百題 明26
4.大川民純(墨城)著 紀伊名所案内 明42
5.浅井広国著 尾張名所独案内 明26
6.黒眼児著 罪悪文明論 明35
7.大村徳次郎著 第五回内国勧業博覧会場全景図 明35
8.鳥居武平(蕪坪)編 法隆寺伽藍巡拝記 明44
9.土佐秀信 仏像図彙 〔明治初期?〕

以下、気になったものを紹介。詳しくはご自分であたってみてほしい。

1.まだ全部読んでいないけれど、中の「誤解撓正之事」には、歓喜天信仰にまつわる誤解を晴らそうとしている記述があり、聖天信仰は

「一旦の験益を蒙るといえども子孫長久せず、あるいは七世の福徳を取越しついに家系滅絶し困窮するに至るなどと評す。大いなる僻事なり」

などとあり、興味深い。

2.の[第8冊]巻7には「歓喜天次第」という章があり、漢文で儀礼の内容などが書かれている様子。

3.は「讃」。

4.5.7.は各地の歓喜天奉納寺を名勝案内の中で取り上げているもので、5.は袋町の聖天堂を取り上げていた。これは福生院延命院のことで、このページの歓喜天リストにも掲載してある。7.の大阪名勝案内には浦江の聖天、了徳院が載っていた。これもリストに掲載済み。
4.の 紀伊名所案内も同様で、吉田の聖天宮、法輪寺もすでにリストに掲載すみ。
ただ、この寺の由来として

「弘法大師入唐の際、恵果阿闍梨より歓喜天の像一躯を附与せらる、 今 洛南の東寺に安置す、法輪寺中興本明和上は京都御室の頼遍僧正より分身の 歓喜天を受け帰り、壷を営みて安置せり」

とあった。後半部分は法輪寺の由来を書いたウエブでの情報で確認できたのだが、東寺にあるという歓喜天の像については、東寺のデータを見ても確認できなかった。

6.は待乳山の信仰をいわゆる邪教として批判している。ただ築地の本願寺とか、浅草寺とか、他にも有名な寺をかなり汚い言葉で非難しており、ふーん、という感じで流して読んだ。歓喜天を悪く言われるのがいやな人は読むべきではない。
ただ、待乳山の祈祷として、油揚げを奉納して、そのお下がりを知人に分けて食べさせると功徳を積むことができる、という記述があり、大根祭りなどと類似しているのが興味深かった。

8.が、一番気になっている。法隆寺の勤学院に聖天堂があり、今は-といっても明治44年だが(笑)-閉鎖されているが、中にご本尊として金銅の双身歓喜天像一体と、銅製や木製の像が九体あるという。聞いたことない。あまりに有名な寺だから、簡単に情報が入手できるかと思ったんだが、どうもだめだ。あそこは国宝が多すぎるから、それらを紹介するだけで十分ってことになってしまうのかも知れない。 近くに住むひとにとっては、多分当たり前に分っていることなのかもしれないが。 もちろん、何らかの理由ですでになくなっていることだってありうる。

最後に9.について。上記の書物はみんな文字中心だが、これは仏神の姿を絵で示したもの。西洋占星術の獅子座とか双子座とか、そういう絵もあったのにはちょっと驚いた。絵が一杯で、見ていて楽しい。もちろん歓喜天の図もある。

「大聖天ヲ降伏スルニハ大威徳明王法ヲ誦ス 本地観音也 深秘故詳カニセズ」

だそうだ。ここにある書物は著作権が切れているものばかりだから、これも加工してウェブページの背景にでも使おうかと思ったが、加工使用には許可がいるみたいで、がっかり。

7/20間違いを指摘いただき、訂正しました。


04月16日リスト更新

九月に訪問した仙台の大聖寺について、情報をよせてくれたYUMIさんからメールをいただき、当日は拝見できなかった内部の様子などについて教えていただいた。
聖天は、公開はされておらず、簾で隠されているが、十一面観音、その他圧巻の仏像が多くあり、さらに歴代住職の像や不動明王を祀ってあるもう一つの お堂も含め、仏像マニアなら垂涎のハズ、とのこと。見られずに、ちょっと惜しいことをしたかも。
YUMIさんからは、ホームページURLも教えていただいたのだが、確認したら「無断リンク禁止」と書かれていたので、ここで紹介はしないことにした。


01月18日リスト更新

宮城の弘法寺の住職からメールをいただき、リストを更新した。

住職のお話では、三、四年前、NHKのディレクターが訪ねてきて、その際ネットで弘法寺のことを知ったとのこと。住職のご推測で、このページがその情報元ではないかと結論されたそうです。

ご自身のご存じないところで、申し訳なかったです(でも、そのNHKのディレクターって誰だろう。私には全然連絡ないけど)。
弘法寺では、旧暦で朔日にお勤めをし、正・五・九には「お団」 を作ってお供えしているとのこと。
ただ、公開はしていないそうです。

「それにしても、ネットワークなんですね・・・」とおっしゃってましたが、大変恐縮してます。失礼しました。


01月14日リスト更新

佐竹さんの情報により、大阪東成区の妙法寺をリストに更新した。

契沖さん縁のお寺で生駒・宝山寺の湛海律師とも交流があったのかも知れません。
とのこと。
情報ありがとうございました。

01月8日福田寺の追加情報

去年の8/14と9/4に書いた兵庫県福田寺の副住職より、追加情報のメールをいただいた。

毎月五日の護摩法要は午前十時半からおこなっている、ということと、二月の五日は聖天堂で旧正月法要を営む、とのこと。

情報ありがとうございました。


11月21日リスト更新

東泉寺に行かれた大上さんよりメール。詳しいことを報告していただいた。

厨子は、本尊阿弥陀様の隣にあります。
聖天壇が組まれています。
住職様ではないのですが、お寺の方に伺ったところによると、正月など時折修法がおこなわれるとのこと。
実は、もう一つ聖天様がいらしたのですが、神楽坂聖天様に返されたとのこと。
今の聖天像は、来歴不明だとのことです。

とのことです。ありがとうございます。


11月20日リスト更新

岡山常光院を含む上寺山餘慶寺の聖天堂のご住職よりメールをいただいた。ウェブページ(http://yokeiji.com/)の存在を知り、また住所区分に変更があったので訂正した。
また、詳しい行事についても教えていただいた。

正月9日から15日まで1週間、浴油祈祷
15日 11時から 結願法要 大般若転読法要を厳修
通常祈祷は、随時

とのこと。ありがとうございます。


11月10日リスト更新

大上さんという方からメールをいただいた。野田聖天にかんする情報を寄せてもらった。

住職様より詳細をお伺いしました。
「戦後、行者があがったことはなく、浴油は行われていません。
修法、正月などの縁日も、一般公開をしていない」 とのことです。
お伺いした折、特別に、あがらせていただきました。
左に薬師如来がいらっしゃるのですが、厨子はしまっています。
聖天様の堂は、全て厨子がしまっていますが、本尊と思われる厨子、 両脇に・おそらく毘沙門様、三宝荒神さまの厨子。
中央に、浴油仏安置と思われる厨子など、いわゆる聖天壇が 設けられています。
左方に、浴油のときの「たら」らしき、鍋のようなものがありました。 とても綺麗にはしてあるものの、ほんとに、修法はされてないようでした。
あと、東武野田線から、10分位です。
とのことだった。また、柏の布施聖天にかんする情報もいただいたので、リストに更新させてもらった。大上さん、ありがとうございます。
大上さんは、浅草の待乳山聖天に通っている信者の方で、毎年正月に浅草で催される「大根まつり」にも関わってらっしゃって、その時の模様をウエブで公開している。大変参考になった。 そのページはこちら。

10月22日リスト更新

さえき仏壇店様よりメールをいただき、広島の尾道にあるお寺をリストに追加した。


10月12日リスト更新

長谷部さんという方から、メールをいただいた。リストの不備を指摘してもらったのでさっそく更新した。
不備というのは前橋の東福寺で、長谷部さんが親しく通っている地元のお寺だそうだ。
長谷部さんは熱心に各地のお寺を回っているらしく、埼玉の観音寺と萬福寺を訪問されたとのこと。
その際、萬福寺の方と話しをされたそうだ。

同寺の歓喜天像は本堂の左側(西側)に厨司に入って秘仏とされており、ご開帳されることは無い。
十一面観音木像が御前立ちで安置されている。
とのこと。飯能は最近訪れたばかりだったので、こういう具体的な話を聞くと、その時の思い出が蘇ってきて懐かしいし、勉強になる。どうもありがとうございました。

09月20日仙台の大聖寺追加

先日、yumiさんという方から、仙台の歓喜天奉納寺について、情報をいただいた。青葉区ということで、わりと仙台市街から近いな、なんて思っていたんだけど、ひょんなことから仙台に行く用ができた。そこで、都合がつけば行ってみようかと思い、色々と画策した結果、何と訪問することができたのだった。
自分で行くことのできた北限だ。これだけ長いこと続けていて、いまさら恥ずかしいことだけど、とにかく久しぶりの更新だ。恥ずかしついでに、画像を載せようか。

いつものデジカメを持ち合わせていなかったので携帯の画像だ。

この大聖寺は、仙台から仙山線という単線の電車に乗って十分ぐらいの国見駅から、歩いて十五分ぐらいのところにある。個人的な事情で、この時すごく体調が悪くて、カンが全然働かなくなっていて、お寺にたどり着くまで駅から行ったり来たりして結局三十分ぐらい費やしてしまった。しかも大雨で、寺に着いたら目の前は長い石段。

でも、ここまでたどり着いたんだという喜びが体を押し動かすみたいで、何とか階段を登りつめ、やっとたどり着いた。
高いところにあるだけあって、雰囲気は見晴らしも含めて素晴らしかった。雨がなければもっとよかったんだけど・・・それにしても、どうして歓喜天を回るといつも雨に付きまとわれるんだろうね。

平日のお昼だからどうか分らないけれど、寺社は全部閉まっていて、中を拝見することはできなかった。yumiさんには大聖寺の電話番号も教えてもらっていたので、事前に連絡しておいたらよかったのかもしれないけれど、この日記の趣旨は、あくまで普通のひとと同じように出かけて行って、その時の様子を報告することにあるから、これでよかったんだと思う。

入り口の石碑には『昭和五十四年再建』と文言が彫ってあった。やはり、一時は廃れたりしていたんだろうか。それでもこれほどの規模のお寺に再編されたのはすばらしい。きっと篤信の方がたくさんいたんだろうと思う。

正直、仙台からも行くのは大変だと思う。一時間に数本しかない単線の電車を使って訪問するのはなかなか大変だろう。でも、歓喜天に興味のある方なら、出かけていって、決して損することはないと思う。大きいお寺だし、雰囲気は素敵だ。私も色々と障害を乗り越えて出かけていった甲斐はあると思っている。もう一度、yumiさんにはお礼を申し上げる。こんなタイミングで情報をいただいたことには、運命とか縁みたいなものを感じるし、めったにない体験をできたなあ、と満足している。
(言い忘れてましたが、もちろん、リストは更新しました)


09月4日福田寺について

8/14の日記に書いた福田寺について、『ごんたの爺い』さんが情報をよせてくれた。決して閉じてしまっているわけではないようだ。

吉田寺の栞には月例行事として 一日:聖天講。 五日:護摩法要。 十六日:聖天講。 三十日:仏名会。 毎日曜十時:読経会。 毎朝六 時:朝お勤め会。  など 年間行事は 正月修正会、節分会、旧正月法要、春大祭(五月五日)盆施餓鬼会、秋大祭(十月十六日)中風祈願(十二月二十二日)が有ります。 浴油供、華水供、護摩など常時受け付けとなっています。 これらの行事日が確実と思いますが 社務所は 大抵開いているのではないでしょうか

とのことだ。行事の予定にあわせて出かければ、たぶん間違いないだろう。さっそくメールをくれた方にもお知らせしておいた。『ごんたの爺い』さんからは、さらに別の寺の正誤情報までいただいた。どうもありがとうございました。

*追記:問い合わせしてくれた方から、お礼のメールが届いた。大変うれしいです、と言ってもらった。また、このページをずっと続けてくれ、という励ましの言葉もいただいた。有難いというか、本当に嬉しかった。『ごんたの爺い』さん、あなたのおかげで、メール主と私と、ふたりの人間が幸せになりました。ありがとうございました。


08月31日 妻沼の聖天の禁忌について

妻沼の聖天の禁忌について、その後よしださんからメールをいただき、その顛末が明らかになった。

何でも妻沼の歓喜天さんは、太田市の呑龍と争った時に松で目を怪我してしまってそのせいで松が嫌いになったとのこと。よしださんの教えてくれた資料には、複数にわたってその経緯を記す描写があった。

でも呑龍って?

そこで呑龍って何かと思い調べたら、群馬県太田市にある義重山新田寺大光院の初代住職の呑龍上人、通称「子育て呑龍」のことみたいだ。何か、地元ではずいぶん慕われている様子。

でも検索ついでに知ったのだが、この大光院のある金山町から5kmほどの細谷町の冠稲荷神社には聖天宮があるのだ。歓喜天といさかってたのに、どういうことだよと思ってたら

「聖天宮(しょうてんぐう)」は、伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)の夫婦神を祀る縁結び(えにしむすび)の基、夫婦和合、親子和合、災難・ストーカー除の社です。

だそうで、勘違いだった。でも夫婦和合というあたり、何か関連ありそうな気もする。

ところで、群馬と埼玉北部では、大光院と妻沼聖天が二大初詣スポットらしく、両方に詣でたらまずい、という言い伝えもあるみたいだった。でも、太田市のウェプページを見ていたら、松茸道中という行事が紹介されていた。

赤松で覆われている金山は、かつてマツタケの産地としても有名だった。江戸時代初期から昭和四十年ごろまでは、徳川幕府や宮内庁へ「献上松茸」が続けられた。老木化が進んで現在ではマツタケも採れなくなってしまったが、数年前(94年当時)か ら太田市青少年団体連絡協議会主催で「献上松茸道中」を再現するイベントが毎年秋に行われている。

これってどういうことかな? だいたい、幕府へ献上していた松茸を、よりによって「松」が禁忌であるはずの妻沼聖天に持ってくるってのは? 恩讐を止揚して、とりあえず新しい歴史を作ろうってことかな?

でも言い伝えにしろ何にしろ、今までの経緯をなかったことにして、これからは仲良くしましょうってのは、何だかご都合主義のような気もするが。

ただ、このいさかいが問題になっているのは、妻沼の側だけみたいだ。けっこうくわしく調べたんだけど、呑龍さんの側では、この戦いにかんする記述は、まず見られない。であれば、それほどこだわらなくてもいいような気もしてくる。
実際、目を怪我してそれが禁忌になる、というパターンは、実は妻沼以外にもすごくいっぱいある。何かのきっかけで禁忌ができてしまったとしても、それはその土地独自のもので、他の土地に住んでいる人間があんまり深刻に考える必要はないんじゃないかな。

とはいえ、「松」のつく名前すら避けられていた、というのはすごい。そういう風習は今でも続いているのかな。知っている人がいたら、教えてほしいと思う。


08月16日 更新情報と妻沼の禁忌について

よしださんの情報により、リストを更新した。

先日『植物怪異伝説新考』(中公文庫)という文庫の上巻を買った。
植物にかんする怪異、つまり普通とは違う生え方とか咲き方をしている植物についての研究書だ。
この本の中に、「栽植禁忌」という項があり、タブーとされている植物を取り上げている章があった。
何でも妻沼では、松が禁忌とされているらしい。

埼玉県大沼郡妻沼では松を忌み、山にも植えず、松薪を用いず、人名や屋号にも松の字を避け、一切の衣類調度にも松模様を用いない。それで正月の門松も松の代わりに榊を用いる。「妻沼聖天さま松まき嫌い、みんなかたぎで辛抱する」という俗謡がある。

これはたぶん、妻沼独特の慣習だろう。今まで参拝したお寺にも松は植わっていたように記憶しているし、だいいち「松」の字の入ったお寺だってあった。
でもこれはちょっと興味深い話だ。もしかしたら、妻沼以外にも「松」を忌んでいる寺社があるかも知れない。大根が好きなのが多くの歓喜天奉納寺社に共通しているように、その嫌いなものも、何かの類似性があるのかも知れない。
この件についても、何かご存知の方がいたら、是非教えていただきたいと思う。


08月14日 福田寺について

兵庫県の福田寺について、問い合わせのメールがあった。『いつ行っても閉まっており、参拝できない、時間を知っていたら教えて欲しい』と言う内容。

だが残念ながら私自身は行ったことがなかったので、お答えすることができなかった。

リストの元を提供してくれたlibidoさんは行ったことがあるのだが、残念ながら連絡がつかなかった。
そういうわけで、このお寺について、何かご存知の方がいたら、教えていただけると助かります。


05月03日 飯能で発見

所用で飯能に出向いたので、早めに家を出て歓喜天奉納寺を訪問した。
目的は万福寺。飯能駅からバスで10分程度。途中ですごく気になったものが あったので、帰りは歩きにすることにしたが、これが後でうれしい結果につながった。

万福寺は永田というバス停から歩いてすぐ。丘の中腹にあった。正面の入り口から「大聖歓喜天」の看板があり、何だかほっとした。情報をもとにたずねていって、結局どこにも歓喜天奉納の事実が確認できなかったことも多かったもので。
坂を登っていって、お寺に着いた。中の様子はよく分らない。厨子があるのは確認できたが、それが歓喜天のものかは分らないまま。歓喜地蔵菩薩の像を確認して、写真に収めた。

ただ、この丘の上から見下ろす下の景色はとても素晴らしかった。何というか、うまく説明できないんだけど、静謐な雰囲気の中、下界を見下ろしているという感触があった。いや、たいした高低差はないんだけど、本当に「下界」という感じがするぐらい、どこかしら聖別された雰囲気がたたずんでいて、今まで感じたことのない独特の雰囲気があったのだった。

訪れた時間が夕刻。ちょうど夕日を西から浴びる頃で、そのせいもあったのかもしれないし、場所柄からしてもう二度と来ないかもしれないと内心思っていたから、そのせいもあったのかもしれないけれど、この万福寺とその雰囲気は、かなり強い印象を残した。色々とお寺を回るひとには、是非ここも、と勧めてみたいと思った。

で、帰りは歩きと決めて、今まで来た道を歩いて戻った。その理由は、バスの中で見たあの光景だった。それを求めて十数分歩いた。
飯能は、あまり徒歩にはやさしい道作りをしていないが、車もそれを分っていて、ゆっくり、のろのろと走ってくる。右手に渓谷が見え、鯉のぼりがたくさんつるされているのが見えた。
川の両側からロープを吊るして、その間に鯉のぼりをたくさん吊るす。このシーンはニュースなどでよく見聞きしていたけれど、飯能でもこういうことをしているんだな、と思った。写真を撮ったけれど、どうもうまく撮れなかったみたい。

そうこうしているうちに、お目当ての場所にたどり着いた。そこは、白い象の場所。
いや、冗談じゃなく。
お寺の境内の鐘楼に、象が鎮座していたのだ。

白い象は、漆喰や粘土のような外観だった。けれど、行きのバスの中で見た時に、何だかとても引き付けられるものを感じたのだった。それで、帰りにわざわざ歩いてここまでたずねてきたのだったが、それは徒労ではなかった。

観音寺。ここは真言宗の寺で、如意輪観音を本尊としつつ、歓喜天も奉納しているお寺だったのだ。

久しぶりに自分に調査で歓喜天リストを更新できる。
とてもうれしかった。他にもこの寺は孔雀明王らしき石像が祀られていたりして、見所がいっぱいだ。

最初は正直期待してなかったけれど、飯能にはこれほどたくさんの見るべきものがあるんだなあ、と感嘆した。


04月09日白浜の歓喜神社

神戸の村上さんからメールをいただき、和歌山の白浜にある歓喜神社の情報を寄せていただいた。
ここでは聖天を祭ってはいないものの、資料館(有料)に聖天像が展示されているとのこと。『素晴らしく細密な御像』とのことなので、いっぺん拝見してみたいものだと思う。


01月25日リスト更新

吉田さんの情報を元に関西の情報を更新した。


12月27日夢の聖天訪問記

先日、夢の中で聖天奉納寺社を訪問した。
かなり立派な寺で、もちろん聖天以外にも、多くの仏を祀っている。
山がちのロケーションで、入り口が広場になっており、そこからおのおのの仏を祀った建物に通じる坂が延びている。見上げると、どれもかなり由緒正しい、風格のある建物ばかりだ。
入り口には、それぞれの仏の名前や由来が大きな文字で掲示されている。もちろん、「歓喜天」という大きな文字もある。見とれているうちに、ふと、社務所に、ちょっと雰囲気とはそぐわないものをみつけた。

ガシャポンがあった。硬貨を入れてダイアルを回るとカプセルに入った景品が出てくる、子供向けの遊具だ。
なんでこんなところに、と思ってのぞいて見ると、何と、歓喜天の景品が入っていた。

歓喜天の頭部、象が向き合っている姿をあしらったバッヂ、お守り用の小さい仏像みたいな歓喜天の像、他にも歓喜天のマントラの入ったワッペン(ちょっと記憶があやふやだが)とか、他の仏のグッズと合わせて、実にさまざまなものが入っていた。
もう、我を忘れて、硬貨をどんどん入れて。何度もダイヤルを回した。

そうか、ここでは歓喜天を秘仏にはせず、こうやってオープンにしてるんだなあ、とさらに感慨が深くなっているうちに、場面が変わり、家に帰っていて、そこで家族と色々話している間に目が醒めた。

残念ながら、歓喜天にお参りすることはできなかったのだが、どうもリアルな夢で、実際にこういうお寺があるような気がしてならない。夢の中で、所在に関するヒントはいくつかあったので、それを手がかりに、調査してみようと思っている。もしなかったとしても、たしえ夢の中でもいいから、いつかはこのお寺に行って、歓喜天をお参りできればと思っている。

長いこと聖天の研究をしているけれど、こういう夢を見たのは初めてで、夢から覚めた後も、しばらくは興奮していた。


11月20日リスト更新

香川県の鳳閣寺にかんする住所の間違いを指摘いただき、リストを訂正・更新しました。


9月17日リスト更新

渋谷の室泉寺様より間違いの指摘をいただき、リストを訂正・更新しました。


9月15日参仏尼さんのブログ

紹介し忘れていた。聖天からみでも親交があってお世話になっている方がブログを開設されている。

参仏尼の『おまかせ』人生の記

仏教全般についても、面白く興味深く読ませていただいた。感謝。
でもブログっていいなあ。簡単に、レス付けてもらえるような、そういうページの方がいいのかもしれないなあ。


9月14日鳥見神社の歓喜天

 千葉の西白井にある石造の聖天像。2001年、この調査日記の一番下あたりで書いていた。もうかなり前のことになるんだなあ。
 それが一昨日、その白井市の教育委員会の方からメールをもらった。今ではこの聖天像、ちゃんと覆い屋をつけてもらっているそうだ。しかも、市指定の文化財になっていると、ちゃんと白井市のホームページに記載が。

 これでいたずらされることもなくなるだろうし、うまくすれば、もっともっと色々な人が見にきてくれるようになるかもしれない。

 というのは、聖天はほとんどの場合秘仏になっていて、その造形を簡単に見ることはできないからだ。実際、象頭の双身像といっても、実物を見ないことには想像できないだろうし、そういう意味でも、ここ鳥見神社の歓喜天像は貴重だと思う。以前のように雨ざらしという状況でもなくなったらしいので、ここで宣伝しても、全然問題ないと思われる。

 歓喜天に興味のある方は、ぜひ現地で現物を確認してください。市のウエブページでは、残念ながらあんまり形がよく分かりませんが、私のページの写真を参考になさってください。実物を見ると、きっと感動も違うと思いますよ。

 ともかく、白井市の方には感謝します。来歴まで教示いただき、感謝の言葉もありません。こういう時は、・・・色々ありますけど、ウエブページをやっていて本当によかった、とつくづく思う瞬間です。


8月17日高幡不動訪問

高幡不動に行き、その金剛寺と、近隣の延命寺を訪問した。先日の日記では「目黒の」などとバカなことを書いていたけれど、高幡不動は日野市にあるんだった。というわけで、京王線その他を使って、片道二時間の小旅行。

残念ながら、どちらも歓喜天像の確認はできなかった。
ことに高幡不動の金剛寺は、お盆休みで奥殿の拝観ができなかった。これは残念。
そういうこともあろうかとわざとお盆明けに来たのだが、まだ休みが続いていたらしい。
でも掲示してある説明を読む限り、歓喜天像があるのは確かなようだし、柴山さんからのメールによれば、はっきりと分かる形で展示してあるという。また機会があれば来たいと思う。
金剛寺の境内は、平日のお昼、しかもかなり暑さが残っていることもあって、人通りは少なく、蝉の声を聴きながらベンチに腰掛け、ぼおっとしていると、しみじみとして気持ちがよかった。

延命寺は、高幡不動駅から徒歩で25分ぐらいの距離。川を渡って、市民プールの近くにある。
こちらも人が少なくていい雰囲気だったんだけど、やはり歓喜天の所在は確認できなかった。各所にある碑やお堂の説明文からも、それをうかがわせる記述はなかった。
まあいいや。
ある/ないには関係なく、いつもしていたように手を合わせてお辞儀してきた。

本当は三つ駅先にある天竜寺にも行きたかったのだけれど、暑さに負けた。まあ、仕方ない。


8月06日高幡不動

柴山さんよりメール。高幡不動にある聖天像は、拝見が可能らしい。関東圏内でもあるし、近いうちに調査に行こうと思う。
ここのところ更新がないのも問題だし、夏休みを利用して、じっくり見てこようと思っている。
と、ここまで書いてしまったら、出かけないわけにはいかないだろう、と自分をちょっと追い込んでみたり(笑)


2月17日訂正情報

畑さんのご指示により、横浜鶴見の寺社の名称を訂正しました。


2005年1月18日山形の円満寺

山形の円満寺のご住職からメールをいただき、ホームページがあると教えていただいた。
さっそくリストにも反映させた。円満寺のホームページはhttp://www.yenmanji.jp/だそうだ。


12月1日埼玉の金剛寺

bonbonsinsiさんが、埼玉の金剛寺に行った、とメールをくださった。
二体の聖天を確認されたもよう。情報ありがとうございました。


9月25日「歓喜天とガネーシャ神」

「歓喜天とガネーシャ神」(長谷川明著・青弓社)を読んだ。図書館で借りたのだが、資料性が高いので、いずれ買おうと思った。図版も多いし、引用されている文書も多い。聖天を研究するひとは、このぐらい当たり前なんだろうけど、すごいなあ、と思った。
この本は、ガネーシャと歓喜天を同類のものとして取り上げているようで、私の考えとはちょっと違う。
実際、著者の上げている類似性の論拠自体は、私にしてみれば、まだまだ承服しがたい部分もあるのだが、それでもネパールで双身の歓喜天像が作られていて、今も売られている、という記述には、動揺させられた。

とはいえ、それが日本向けのお土産として作られている可能性は否定できないし、別項では、著者もこう認めている。

この正面から抱き合った形の歓喜天の造像例は、そのままの姿ではインドにも中国にも見られないのである。

これを著者は、弾圧のせいだと推測しているが、正直言って、それは論拠が弱い。もっと弾圧されてしかるべきだったミトゥナ像などは現存しているわけだし。
まあ自分でも往生際が悪いと思わないでもないのだが、やはり双身の象頭抱擁像は、日本独自のものだと今でも思っているし、これをガネーシャと同定するのは、まだためらわれる気がする。

それから、先日メールでいたいだいた横田さんの聖天情報を元に、埼玉の秩父の情報をリストに追加した。実に更新に時間がかかってしまい、申し訳なかったです。
横田さんからは、秩父の三峯神社博物館に歓喜天が展示されている、との情報もいただいた。ありがとうございます。


7月26日雑誌「サライ」のお菓子特集

これも遅くなって大変申し訳ないのだが、雑誌「サライ」がお菓子の特集をやっていて、表紙が清浄歓喜団の写真を大きく載せている。
これは歓喜天へのお供え物として古くから使われていたお菓子で、今では普通に買うこともできるものなのだが、こういうのが雑誌の表紙になっていると、何だか迫力があって、とてもいい。この特集をきっかけに、歓喜天に興味をもってくれるひとが増えると、またおもしろくなりそうな気がする。


7月25日リスト更新

hibikiさんの情報により、聖天リストを更新。特に大分の両子寺の聖天が公開されている(ただし展示のみで、祀られてはいない様子)という情報は、とても貴重で、ありがたかった。いただいてから、やはり時間がちょっとかかってしまったことは反省。
実に個人的なことだけど、どうしても更新できない事情があったのだった。
まあ、仕方ない。
いつだったか、やはり情報を下さる吉田さんが言ってくださったように、『細く長く』を指標にして、更新が遅れることがあっても、決して投げ出さないで、とにかく続けていくことが一番大切だと、今は考えている。
それはそれとして、hibikiさんには、大変申し訳ありませんでした。


7月8日リスト更新

hibikiさんの情報により、九州の聖天リストを更新。宮崎県も初登場。すごい。ありがとうございます。おかげで、ますます充実してきました。


7月2日『歓喜天の謎』

図書館で佐賀純一『歓喜天の謎ー秘められた愛欲の系譜』(図書出版社)を借りて読んだ。

唐夫人の伝承から筑波山の「かがひ」、源氏物語から空海の密教へと展開する、刺激的な論考だった。
ただ一点、歓喜天をインドのガネーシャと同定しているのは、やはり個人的には納得できない。
論拠として『歓喜天信仰と俗信』を挙げ、またご自分で購われたインド産と称される歓喜天像についても触れておられるが、やはり、インドで実際に双身の歓喜天像が祀られている寺院の存在が確認されていない以上、ガネーシャ、つまり単体の象頭神と、双身の歓喜天を同一のものとするのは、いささか無理があるように思えてならない。(入手された歓喜天像の写真も掲載されており、確かに素晴らしいものだが、それが本当にインド伝承のものか分からないし、日本向けに売り出すために、意匠として製作されたものである可能性も否定できないから)

こんな風に書くと、まるでこの本を否定してばかりのように思われるかもしれないが、そんなことはなく、むしろ、とてもおもしろく読ませていただいたし、妻沼の探訪記は、かなり興味深く読ませていただいた。感謝。
それから、重要文化財に指定されている聖天堂が、全国で妻沼と「兵庫県の歓喜天聖天堂」のふたつしかない、という指摘は初めて知った。うーん、歓喜天聖天堂って、どこの寺のことだろうか。気になるなあ。

それから、佐賀氏の本ではチベット後期密教のヘールカという仏の存在について言及されていて、牛頭のヘールカが妃と交合する双身像として扱われている、との記述があるので、ここに歓喜天の何らかのルーツを見出すのも、全く不可能ではないように思われる。


6月19日リスト更新

先日図書館で借りてきた『京都隠れ寺百選』(冨永航平著・かまくら出版)に、歓喜天を祀っている寺が4つあった。
いずれもページに既掲載のものだったが、以前いただいた情報がうまく反映していなかったこともあって、細かい部分を少し修正した。


6月18日サイト引越し完了・リスト更新

ご覧の通り、サイトを引っ越しました。まだほとんど内容は変わっていませんが、今後は、このページで更新していきます。以前同様、よろしくお願いします。
それと、山梨のお寺の住職からメールをいただいたので、更新しました。
何でも平安時代の作と推定される歓喜天像をお持ちのようです。
毎日新聞にも取り上げられています。すごいなあ。できれば拝見したい。


6月15日サイト引越し

突然だが、歓喜天のページを引っ越すことにした。とはいっても、結局同じドメインなんだけど。
私のほかのページの直下に置いておくと、色々とさしさわりがある場合が多いみたいなので・・・。近日中に引越しします。とはいえ、こっちのページをお気に入りに入れてくれているひともいるみたいなので、しばらくはそのまま保存しておくし、完全に引っ越した後も、ちゃんとリンクは貼りますので、安心してください。

新しいページには、掲示板も作成する予定です。メール出すのは気が引ける、という方もいるかも知れませんので、そういう場合は、新設の掲示板で、気軽に情報をお寄せくださいませ。


6月10日リスト更新

福岡のhibikiさんからの情報で、九州の聖天情報を更新。誤字の修正と、「福岡大仏」で有名な東長密寺の情報を追加。(更新が遅れて申し訳ないです。)

それから匿名の方からの情報で、東京千代田区の二七山不動院を追加した。

こうした皆さんのおかげで、この聖天ページも、ますます充実したものになってきた。往年の、学生時代の語学力と時間があれば、これらの情報を海外へも発信すべく、英語のページも作りたいものだ。歓喜天はたぶん、世界的に見てもユニークな仏像だと思うので。
でも、そんなこと言う前に、もっともっとしなくちゃならないことがいっぱいあるんだろうなあ。うーん、時間がもっとほしい。一日が30時間ぐらいあればいいのに。(時間があればあったで、どうせ怠惰に過ごすんだろう、という突っ込みは、どうか勘弁)


5月29日リスト更新

福岡のhibikiさんからの情報で、九州の聖天情報を更新。
しかし、いつも情報寄せてもらってばかりなので、お詫び行脚で全国を回らなくちゃならないような気がしてきた(笑)。

冗談はともかく、全国のみなさん、本当にいつもありがとうございます。私が怠慢なせいで更新も滞ることが多く、色々とご不満やお怒りもあろうかと思いますが、先日、自分で思っていた以上にこのウェブページを見ている人が多いことを知りました。
確かに、聖天の全国情報を掲示しているサイトは、たぶんここ以外にはあまりないかと思います。
私はともかく、それなりにここの情報を参考にしている聖天信奉者はいらっしゃる様子です。
ですから、いったんは閉鎖も考えたのですが、やはり続けていこうと考えています。どうか、そういう全国のひとたちに免じて、今後も貴重な情報をお寄せくださいますよう、お願いします。

それから、学究的なスタンスについても、当面は継続するつもりです。聖天情報を求める方々に対しての情報提供は当然ですが、それが聖天信奉者だけしか受け入れられないタイプのものになってしまうのは、どうしても回避したいと思ってます。異論はあるでしょうが、何とぞご了承ください。


4月24日リスト更新

福岡のhibikiさんからの情報で、九州の聖天情報を更新。



4月20日リスト更新

福岡のhibikiさんからの情報で、九州の聖天情報を更新。氏の通う三明院では、ご本尊が拝見できるだけではなく、ウェブページからもその詳細が拝見できる。
それから吉田さんの聖天訪問記を反映して、広島の千愁庵の住職の情報も追加した。これでだいぶ西日本の情報が充実してきたと思う。

実は、これらの情報は、もう随分前にいただいていたもので、せっかくよせていただいた貴重な情報を、今まで何にも活用できなかったのは、まさに痛恨のきわみというか・・・弁解しようもない。ごめんなさい。

ただ、確かに自分が怠惰であることは認めるものの、ここまでページを更新できないのには、何かとりたてて、別の、非科学的な理由があったのではないか、などと・・・うーん、やっぱりやめよう。

別のところでも書いているように、この聖天の情報ページは、あくまで学術的な目的で作っている。たとえばどこかの聖天に帰依して、それで聖天情報を提供するのは、どうしても偏った考え方になってしまう。どこそこの聖天は、どこそこの聖天より霊験あらたかだ、などという主張はしたくないし、できない。それに、そういうスタンスだと、全国の聖天情報を求めているひとたちにとって、あまり有用にはならないのではないかと思うのだ。だから聖天のページの冒頭には、こう書いた。

このページは既成の宗教・宗派の宣伝ページではありません。

だが、自分が聖天を信仰しているかどうかを明確にしないままに、こういう情報を提供していくのはそろそろ限界のような気もしてきた。とはいえ、今のところ、そういうカミングアウトをするつもりは全くない。となれば、・・・。


2月27日リスト更新

広島の田村さんからの情報で、リストを一部更新した。


2月20日大法輪

ちょっと古い話だが、今出ている雑誌『大法輪』は、仏さまの特集で、歓喜天についても、少しページが割かれている。たった2ページだけど、歓喜天について、何も知らないひとが概略を知るにはちょうどいいいと思う。スケッチも掲載されていて、どういうお姿なのか、分かると思う。


1月29日双林寺の更新

以前、「民家?」と書いていた京都の双林寺について、おだんさんが情報をよせて下さった。おだんさんによると、ちゃんと寺として運営されていて、ウェブページもあるらしい。感謝して、さっそくページを更新した。
ちなみに、そのウェブページは下記のとおり。

http://www.sourinji.com/

ただし、以前吉田さんが訪問した双林寺は、どうもこのお寺とは別ものらしい。うーん、どういうことなんだろう。移転とか、とういうことではないようだし。


2004年1月4日初詣

初詣に待乳山観音と今戸神社、被官稲荷に行った。全部浅草。
待乳山には、ハトバスのツアーと、今年から始まったらしいツアーの人力車が来ていた。大盛況。それでも厳かな雰囲気があるのは、さすが。
大根を奉納して、恒例の干支の置物を買ってきた。

今年も、なかなか更新できず、まだいただいたままになっている情報もある。約束していて、まだ果たせない企画もある。そもそも、新しい聖天の調査には、なかなか出かけられていない。
振り返ると、心苦しいが、このサイトそのものがなくなってしまうよりはいいのではないか、と半ば開き直りのような思いがよぎることもある。
実際、信仰の対象としてではなく、あくまで学究的な意味でこういうサイトを運営していくのが、ちょっと面倒に思えてくる時もあるのだった。

とはいえ、時々情報や感想のメールをいただくこともあり、そういうメールはもれなく、感謝の念を抱かせてくれる。サイトを続けていこうという、気概の原動力になっている。

いいわけじみていて、とても新年の書き込みにはふさわしくない。失礼しました。


10月26日リスト更新

「ごんたの爺」さんから新しい情報を4つと訂正情報をひとついただき、リストを更新した。
それから、先日真鍋俊照著『邪教・立川流』(ちくま学芸文庫)を買った。歓喜天の図版や資料の写真が多数入っている。文庫にしては高価なのが難点。読んでみて、書くべきことがあれば、またここにも書く。


8月20日

たいした問題ではないのかもしれないが、ガネーシャと聖天の関係について、ちょっと考えている。私の学んだところでは、インデクスにも書いているとおり、ガネーシャはヒンドゥーの神であり、単体で信仰の対象になっていて、しかも宗教はヒンドゥー教。対して歓喜天は、双身であり、いちおうは日本仏教の中に位置付けられているところから、ルーツとしての影響は当然あるにしても、まったく別のものだと思っていたし、そう扱ってきた。
けれど、歓喜天を祀っていると称するお寺のウェブページを見ていると、ガネーシャすなわち聖天、と見なしているとしか思えないお寺もある様子だ。
これは、いわゆる「方便」としてガネーシャを借りているのかもしれないが、どうも気になる。いちいち目くじらをたてるほどのことではないのは確かだけど、・・・うーん。


8月11日リスト更新

高家寺というお寺の住職、遊歩さんからメール、いくつかのお寺にかんする情報をいただいたので、さっそくリストを更新した。
おかげで岐阜県は五つも新たにリストに更新できた。ありがたい。


8月10日追加

bobbobsinsiさんから、埼玉の金剛寺に行かれたときのことをメールしてもらった。昭和26年から祀っているらしい。菅原道真公も祀られているとのこと。


6月9日リスト更新

佐竹さんからいただいた情報をもとに、奈良の松尾寺をリストに追加。


5月29日追加と訂正

佐竹さんからいただいた情報をもとに、奈良の金峯山寺蔵王堂をリストに追加した。
また、佐賀のお寺から、聖天を祀っていないのにリストに名前がある、とご指摘をいただいたため、削除した(ご迷惑をおかけして、申し訳ないです)。何でも、私のページを見て、問い合わせがあり、びっくりした、とのこと。こういうリストを作っていると、当然こういうことも起こるだろうとは思ってたが、不注意だったのは猛省すべきで、ちょっとめげてます。


4月21日大慈光教会

大慈光教会のご住職から、リストに誤記があった点について指摘をいただいたので、訂正した。またここの聖天の形(秘仏だが牙が六本という珍しいお姿らしい)や、長野の金翅鳥院にかんする情報をいただいたので、ありがたくリストに反映させていただいた。


4月15日鑑定団でまた聖天が登場

以前、歓喜天が紹介されたテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」で、また歓喜天が出品されていた。
たまたま見ていて、突然出てきたものだから、録画もできなかった。日曜に再放送があるけれど、今日の分がいつやるのか分からないから、ちゃんと録画できるか分からないなあ。
とりあえず、その時の写真はこちら(http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/last_week/last_week0415/local2.html)。画像が小さくてわかりにくいけど、放送した時にはアップの写真もあった。なかなかいいお顔をしておられる。200万円だそうな。


2月16日

聖天リストを一部更新した。(吉田さん、今野さん、ありがとうございます。)
吉田さんからは、京都を訪ねたおりの探訪記を寄せていただいたのだが、リストに反映させるだけでは惜しいので、いずれ別のページを新設して、転載させてもらおうと思っている。
ご本人にはすでに了解をもらっているのだが、やっぱり更新が遅れていて、まだ手つかず・・・。本当、口先ばかりで申し訳ないです。


1月13日・盛岡永福寺

岩手の永福寺から、ホームページを作った、とのメールをもらったのだが、そのページの内容が、とても充実しているのだ。許可をもらったのでリストにもアドレスを書いておいた。
大掛かりなページではないけれど、余計なスクリプトがなくて快適だし、聖天信仰については、分かりやすく記されている。また、歓喜天の像と画の画像があって、見ていて興奮した。
ここには聖天像十四体もあるらしいし、すごい。
行きたいなあ。はやてに乗って行こうかなあ。


11月8日・情報更新

横浜の畑さんから、ご自分の運営されている鶴見聖天堂(横浜稲荷教会)にかんする情報をいただいたので、リストに追加した。畑さんからは、江ノ島聖天や、上野不忍池にある聖天堂にかんする情報もいただいた。感謝します。
また、畑さんには、平田篤胤の「仙境異聞」にも聖天にかんする言及があるとのことで、現代語で翻訳してあるサイトを教えていただいた。

http://members.tripod.co.jp/senkyow/12/s12019.htm

「仙境異聞」というと、昔、ほんのちょっとだけ関わったことがあったけれど、こんな言及があったなんて、全然覚えてない。まあその頃は、歓喜天のサイトを作るなんて、考えもしなかったから、無理もないけど。
ところで、近々、といっても年内だけど、このサイトを引越ししようと思っている。
というのは、他のページで書いていることと、この聖天のサイトで書いていることと、はっきり分けてしまった方がいいんじゃないかと思うようになったから。とはいえ、ここを継続してご覧いただいている方には迷惑がかからないような形で移行するつもり。


11月4日・「中世寺院の姿とくらし」展

今日、川村記念美術館でサム・フランシスという抽象画の展覧会を見たついでに、同じく佐倉にある国立民俗歴史博物館に行ってきた。
企画展の「中世寺院の姿とくらし」展が目当てだったのだが、それ自体はたいしたことがなく、むしろ常設展やミュージアムショップに面白いものがあった。
常設展では、絵馬の展示があった。ここでは、すばらしいことに、展覧の一部、というかかなり多くの部分が写真撮影できるようになっている。
表紙においた絵馬も、ここで撮影させてもらったものだ。
また、生駒にかんする話も、展示されていた。 何でも生駒は、「宗教的に、あの世とこの世の境としても意味付けがなされている場所であり、聖天のほかにも、さまざまな民間信仰が集中している場所であるらしい。ショップで購入した「ねがい・うらない・おまじない−欲望の造形」という、茨城県立美術館で2000年7月から催されていた企画展のパンフレットにも、同じようなことが書かれていた。

「聖天さん」は、じつにものわかりのいい庶民的なカミサマで、何か「断ち物」を約束すれば、どんな願い事でも叶えてくれる、商売繁盛のご利益を授けてくれる、そんな風評がたって、江戸時代から門前市をなす賑わいを見せるようになった。とりわけ大坂の「あきんど」たちの信仰が篤かった。今もそうである。

で、実際、この生駒を中心に、色々な現世ご利益をうたったさまざまな宗教が集まってきて、今も続いているらしい。たとえばお百度の石切神社とか、辻占の瓢箪山稲荷とか。あと、 歴博の展示では、民間信仰の「金の神・銀の神」なんてものも、生駒に集まってきた信仰のひとつとして取上げていた。 本来なら、聖天信仰について、もっと深く取上げてほしいところだが、こういう情報も、初めて耳にするものだったりするので、興味深い。(まあ、地元に住んでいれば、なんてことない話なんだろうけどね)


10月3日・明治期の資料発見!!

国立国会図書館付属の近代デジタルライブラリーが、収蔵の明治期刊行図書3万冊の、画像データでの提供を始めた。
何のきなしにここを見ていて、もしかしたらと思って「歓喜天」で検索したところ、大阪大融寺の 葦原寂照の著作が3点と、弘法大師全集の「歓喜天次第」がヒットした。
実際に読んでみると、どれも 儀式の進め方にかんする記録のようだ。漢文で読みにくいけれど、けっこう詳細に記してあるため、廃仏毀釈の嵐の中から立ち直り始めている歓喜天信仰の現場がうかがえるようで、わくわくした。
ここにある資料がどの程度貴重なものなのかは浅学にして分からないけれど、私はこういう書物の実物を見るのはほとんど初めてなので興奮した。特に、観想して梵字を歓喜天に変成する、という箇所では、「おおっ、そうなのか」と儀式の実際を初めて目の当たりにしたような気分になった。
興味のある方は、上記アドレスから「歓喜天」で検索して、是非実物を見て欲しい。葦原寂照という方の残した、儀典の詳細が明らかになると思う。


9月23日・また久々のリスト更新

備中浪人さんのメールで岡山を、西性海さんの情報で栃木・大阪・京都などの聖天情報を更新・追加した。 感謝します。
考えてみれば、今年になってから、まだ全然実地調査をしていないのだった。いかんな、こんなことでは。


6月30日・久々の聖天リスト更新

何通かメールもいただいていたし、自分でも情報がみつかったのだが、ここしばらく更新していなかったので、まとめてページを更新した。


5月9日・山王院よりメール

栃木の山王院というお寺の方からメールをいただき、聖天を奉納されているとうかがったので、さっそくページを更新した。
何でも修験道をしてらっしゃるらしい。いつでもお参りにどうぞ、とありがたい言葉をいただいた。ただ、所在が鹿沼。となると、気合がいるなあ。でも栃木のお寺はひとつもお参りしていないし、夏休みを利用してでかけてみようかな、とも思っている。

ここのところ、メール情報に頼ってばかりで、本当に申し訳ないというか、残念。うー、でも正直いって、六月が終わるまではどこにも行けそうにないや・・・。


3月4日・円密院ご住職よりメール

茨城の江戸崎にある円密院というお寺のご住職からメールをいただき、このお寺のウェブページを紹介していただいた。
なんでもここ円密院では、安産祈願として、聖天のお守りを貸し出ししているらしい。なかなか興味深い。
江戸崎というと、簡単に出かけていくのは難しそうだけど、何より、実際歓喜天を祀っているお寺の、それも住職からメールをいただけるなんて考えてもみなかったことで、ちょっとうれしい。先日、別の方から歓喜天の自宅での供養の仕方について聞かれたて、その時はうまく返事ができなかったのだけれど、実際に供養されているご住職から何か話をうかがえれば、そういう時に役立つアドバイスができるようになるかも知れない。まあ、本気で信仰したいのなら、お寺に通うのが一番ではあるだろうけれど、ひとそれぞれ事情もあるし、そういう情報が有用な場合もあるかもしれないし。
でも、勝手にお寺の情報を載せたページを作っていることで、ご住職が不愉快になってやしないかと、それもちょっと心配だ(^^;
許可が出れば、近いうちにリンクも貼りたいと思っている。

3月7日の追記:許可をもらったので、さっそくリンクさせていただきました。


1月2日・待乳山に新年のご挨拶

初詣は浅草に。

待乳山で新年のご挨拶をした後、今戸神社へ。
ここで干支の今戸焼の置物を買うのが恒例になっている。
その帰り、たまたま通りがかったお稲荷さんで狐の今戸焼にめぐり合い、さっそく購入。


ちょっと歓喜天と話題がずれてしまって申し訳ない。ただ、浅草に行かれる方には、いいおみやげになるのでは、と思ったもので・・・。


1月1日・荻窪の立教寺

昨年の末、杉並の立教寺に行くつもりだ、という方からメールをもらっていた。その時、実際どんな感じなのか教えてもらうよう、厚かましい返事を書いておいたのだが、その時の模様を記したメールを再度いただいた。荻窪の寺は立教寺、リストにもあるお寺なのだが、どうも外観はただの民家になっているらしい。
といっても、ちゃんと住職もいるのだが、信者たちはほとんど顔見知りで、無関係のひとがいきなり来てお参りできるという雰囲気ではないらしい。
それでも、実際にそこにお寺があると分かっただけでもありがたい。お参りできなくても、いずれは訪問してみようと思う。
情報を下さった美紀さんには感謝。


12月9日・湯島の心城院

湯島の心城院に行って、湯島聖天にお参りした。湯島というと、湯島天神が思い起こされるが、ここはその境内のすぐ近く。なんでも菅原道真は、聖天信仰に篤かったらしい。
ここは東京三十三観音の七番目だという。こじんまりしていたけれど、調度品などもきれいに整っていて、雰囲気も良かった。
ガラス越しに中の様子をうかがっていると、中から声をかけていただいて、あがってお参りすることができた。
先日吉田さんと回った時のように、ここにも奥の段にいくつもの厨子が安置してあった。これらもまた、民間からの寄進なんだろうなあ、と思った。
それにしても、今日は久しぶりに雨に降られずに済んでよかった。


11月27日・情報の取捨選択

昨日に引き続き、ネット検索で入手した情報をもとにページを更新した。今回はNaverを使用してみた。この検索エンジンはすでに数回使っているが、今回もまた、新しい情報がいくつか手に入った。
しばらく日を置いて検索すると、一度使った検索サイトでも、役に立つようだ。

それにしても、この調子だと全国の歓喜天情報を網羅するなんて、とてもとても、まったく、全然無理だという気になってくる。何といっても、実際に現地にいけないのは痛い。ちょっと前から気になってはいたが、矛盾する情報を得た場合、正誤を判断するには、どうしたって現地に行くしかないのだ。今日得た情報でも、以前聖天リストに加えたものとあきらかに矛盾するものが出てきている。たとえば有名な仏師が彫った像が、同じモチーフで日本全国に数多くあるわけはないし、日本最古の聖天だって、ひとつのはずなんだけど、あちこちにあるみたい(^^;
目くじら立てるような問題ではないけれど、たとえば極端な話、千葉県のすべての寺が、みな弘法大師の彫った、日本最古の聖天を奉納している、と主張していたとしたら、私のリストでも、すべての寺の備考にその旨記しておく必要があるんだろうか。あんまり意味がない。といって、まったく載せないのも変だし。どうしようかな。
「と伝えられている」とか書いて逃げるのも手、かな。


11月26日・ページ更新

千葉在住の今野さんという方から情報のメールをいただいたので、さっそく更新した。特に有用だったのは、大阪にあった大日寺の移動の件。引越しして、今は奈良にあるらしい。こういうのは、リストでは絶対分からないし、現地調査でも、かなり時間をかけないと分からないことだから、本当に助かる。
ついでに、最近ネットで検索して新たに判明した寺の情報も付け加えた。これはgoogleという検索エンジンが最近始めた「イメージ検索」を使って調べたものだ。普通の検索エンジンでは、キーワードを使って、その語句が使われているウェブサイトの検索をするのだが、このイメージ検索だと、そのキーワードが使われている「画像」を検索してくれる。この方法だと、本文には出てこないキーワードでも、画像の名前として検索エンジンにひっかかるようで、今まで知らなかった情報がいくつか入手できた。なかなか便利だと思う。
たとえば、歓喜天という名前のついたサボテンがあったなんて知らなかったし、歓喜天にお供えする清浄歓喜団の写真も見ることができたのは、大きな収穫。ただ歓喜天だけを調べるのではなく、その周辺や、かかわりのある色んなものごとについても調べていったら、このサイトで提供している情報にも深みが出てくるかもしれないし、いいことだと思う。


10月28日・下町の聖天訪問記

今日は吉田さんと一緒に江戸川・葛飾の聖天奉納寺院を一日に三件、いっぺんに回った。おかげで一挙に三つもの所在の確認がとれただけではなく、きちんとした信者である吉田さんとご一緒できたことで、随分勉強になった。一日で大きな収穫があったように思う。

吉田さんとは葛西駅で待ち合わせして、最初は東葛西の昇覚寺に赴いた。
だが、このお寺は法事の真っ最中で、聖天の所在などについてたずねることができなかった。そのため境内を色々と見て回ったのだが、それでも、それらしきものは何も発見できなかった。残念だが、次の予定もあるため、確認できないまま後にした。境内には個人の墓がいっぱいあったが、どれもずいぶん古い石仏や石碑が祀ってあり、由緒正しい寺なのだな、と思った。また機会があれば行ってみたいと思っている。

次に向かったのは平井聖天の燈明寺。妻沼・待乳山と並んで、関東三大聖天のひとつだ。さすがにそれだけのことはあって、境内のいたるところに巾着や大根といった聖天のシンボルが見受けられた。本堂の中は、金色のきらびやかな飾りがいっぱい並んでおり、しばしうっとりして見入った。
一番奥にあるお厨子は閉ざされていて、聖天そのものを拝見することはできなかったが、荘厳としたとても落ち着く雰囲気で、吉田さんがお祈りしている傍らで、妻と一緒にしばし瞑想にふけった。
奥の欄干に、動物と聖天のシンボルをあしらった飾り彫りがあった。牛や馬、それに蛇が大根と一緒に刻まれていたのだか、なかでも大根に蛇が巻きついているデザインは、エロティックでなかなかよかった。こういうと不謹慎かもしれないが、秘仏である聖天の意味するところを、本来の聖天像を見ずとも理解できるよう、わざとこういう造形にしたのではないかと思った。

祀られているのとは他に、七、八点の厨子が奥に置かれていたが、吉田さんの話によると、たぶんもともと個人蔵の聖天が、やはり持ちきれなくてここに奉納されたものではないか、とのこと。(この後訪問した立石の寺の方の話で、そのことが裏付けられた。)
とにかく、なかなか去りがたい雰囲気があって、いつまでもここでたたずんでいたいという気持ちが強かったのだが、そういうわけにもいかず、惜しみながらこの聖天を後にした。

それから昼食をはさんで出向いたのは、立石の西円寺。この寺の住職は平井聖天と同じ方で、お寺の雰囲気も何か似ている感じがする。
吉田さんがあらかじめ電話で訪問を告げていたこともあって、すんなりと本堂に通してもらえた。こちらは本尊の左手に聖天の厨子が置かれている。ほんの少しだけ厨子が開いていたのだが、そこから垣間見られるのは、やはり何かに覆われたもので、おそらくは厨子が二重になっている様子だった。それでもここまで厨子に接近できたのはきわめて珍しく、ありがたかった。
しばらくすると、案内してくれた女性が戻ってきて、吉田さんを中心に少し話をした。「何か研究にでもいらしたのですか」というその女性の問いに、吉田さんは「私は信者です」と応えていた。
ここでわれわれは自分たちがまさにその研究で来ているのだということを告げるべきだったのだけれど、なぜかそれが言えなかった。以前から、寺を回っている時に、「聖天に興味があって」という話に、胡散臭い目を向けられたことも何回かあったため、そう口にすることで、かえって真摯な吉田さんの邪魔をすることになってしまうのではないか、と余計な気を瞬間的にまわしてしまったからだ。

信者さんが相手ということで、その女性は色々と親切に話をしてくれたから、われわれは彼女をだまし、また吉田さんを利用してしまったのではないかな、などと考えて、私は少し後ろめたい気分になった。吉田さんも、さっきの平井聖天の厨子の話や、由来などについて積極的に質問している。ご自分の興味もあったのだろうが、もしかしたわれわれに気を使って、質問して下さっているような感じもうかがえた。ますます恐縮する私だった・・・。

もっとも、この西円寺の雰囲気は、そういう気分を全部どこかにやってしまうような静粛な佇まいで、平井同様に、私も妻も、この静かで厳かな雰囲気の中で、しばし日常と離れた空間・時間に浸る、貴重なひと時を過ごすことができた。

その後、京成立石駅にて吉田さんと別れ、家路についた。久しぶりに楽しい経験をさせていただいて、本当に吉田さんには感謝の言葉もないくらいだ。


10月10日・聖天リスト更新

またも吉田さんから聖天情報をいただいた。今度は石川県のお寺で、お稲荷さんも祀っている、珍しいところ。吉田さんはネットで探し出したという。だから当然ウェブページもある。ここではそのアドレスは書かないけれど、お寺の名前でウェブ検索をかければすぐに見つかると思う。
この他にも、聖天を奉納している寺のウェブページは、実はけっこうある。一部を除いて、私の聖天リストではそのアドレスを明記していない。以前は、そういう情報をわざと隠しておくつもりでいたけれど、最近は、あまりそういう風には考えなくなったなあ。けれど、リンクするなら、メールで事後報告ぐらいはしたいから、その手間を思うと・・・それから、せっかくメールを出すなら聖天について色々聞いてみたいとも思うから、その文面を考えるのがまた・・・。
しかし、この日記は読み返してみると、つくづく言い訳がましい話が多いなあ。これでは読んでてもうんざりするだけだろう。反省して、次回からはなるべく愚痴を減らそう(と思う)。


9月24日・聖天リスト更新

ちょっと前に、匿名の方から大阪中心の歓喜天奉納寺社の情報をいただいていて、忙しさにかまけてなかなか更新できずにいたのだが、それをやっとリストに追加することができた。地図ソフトによる所在の確認はまだしていないので、それはおいおい更新していくつもり。
それから白井市にある聖天石像の所在について、以前ここでも書いたとおり、場所をぼかして書いていたのを改めた。なぜかというと、白井市のウェブページでも明記されているし、北総公団線の沿線配布用の小冊子にも示されており、これだけ公的に場所がはっきり書かれている以上、ここであえて場所を隠しておく意味はないと思ったからだ。それに、北総の小冊子「ほくそう」01秋号に載っていた写真では、石像の周りにブロックの囲いらしきものが写っていた。たぶん、何かで覆いを作るんだろうと思う。であれば、以前ほど無防備にはならないだろうし。
最近、何かと悪い話題で有名になっている白井市だから、こういう名所で名誉挽回できればいいなあ、と思う。もっともここまで石像を見にくるひとも、そうそういないとは思うけれどね。


九月ももう終わってしまう。九月は兵庫県に取材に行こうと思っていたし、他にも先に進まないままになっている企画がある。
時間とか、お金とか、言い訳をする材料にも事欠かないけれど(笑)、せめて不義理にはならないよう、自分のペースでひとつひとつ片付けて行こう。


9月4日・吉田さんの助力で聖天リスト更新

聖天つながりのお友達のひとり、吉田さんが、実にもったいないことに、わざわざ「聖天信仰の手引き」の写しを送ってくださった。ここには、今までの聖天リストにはない、いくつかの情報が掲載されていて、とても有用だった。感謝して、表に反映させた。
実は、このリストを送っていただいたのは数日前のことになる。その時は、ざっと目を通しただけでお礼のメールを書いたのだが、実際よく読んでみると、未知の寺の情報がいっぱいのっており、とてもうれしかった。いや、これ本当に役に立ちそうだ。吉田さん、ありがとうございます。
その吉田さんの提案で、弘明寺のツアーをしてみたいなあ、と思っている。ここの聖天は秘仏で、五人以上人員がそろった場合のみ、料理付・有料で聖天が拝めるらしいのだが、五人集める、というのがなかなか難しい。こういう趣味はおおっぴらに言えるものではないらしく、同好の方を見つけるのが容易ではないのだった。聖天つながりの知り合いもちょっとは増えたが、全国に散らばっているから、たとえば東北の方を誘ったりするのもあんまり簡単ではないし。
こうなったら、今までと方針を変えて、このウェブページをもっともっと宣伝して知り合いを増やし、関東圏の聖天マニアを集めてみようか。多分おおっぴらに公言しないだけで、そういう興味のある方はけっこういるような気もするのだが。
どうだろうか。

ただ、今まであまり宣伝をせず、ひっそりとこのページを作っていた理由はというと、あんまり有名になると色々と面倒だ、というのもあるのだが(笑)、聖天の秘仏という性格上、それなりの意気込みをもってネットで検索したりして探したひとだけが見つけ出せるような、そんなページにしてみようかな、という動機があったからだった。
もちろん、検索キーワードもページに入れ込んであるから、探そうと思えばそれほど難しいことではないのだけれど、それでも色んな掲示板や他人のウェブページにこの聖天リストのアドレスを書き込んだりといった宣伝をあえてしなかったのは、秘仏にかんする情報を集めようとするからには、たまたま見た掲示板のアドレスで知ったとか、そういう偶然ではなく、それなりに探したいという意思があるひとだけに見つけ出してほしい、という気持ちがあった。
でも、そういうことを言っていたら、結局交友の幅を限定するだけなのかもしれない。それに、もしかしたらもっともっと聖天にかんする貴重な情報をもっているひとがいるのかもしれないし、そういうひととの交流の機会をみすみす逃しているのだとしたら、これは、かなりもったいない。
もっとも、そういう碩学の士には、そもそもこの程度のウェブページでは、鼻も引っ掛けてもらえないかもしれない。うーん、ひとりでそういうことを色々と考えていると、自分が馬鹿みたいな気にもなってくるなあ。


8月19日・「全国寺社・仏像ガイド」

先日買った「全国寺社・仏像ガイド」をやっと通読した。ざっとリストを斜め読みしただけなのだが、それでも全国の聖天にかんする情報がいくつもみつかり、さっそく表に反映させた。
中でも青森と熊本の二県にある聖天像が確認できたのはうれしい。
何しろ、どちらもいままで空白の県だったから。また、もう打ち止めかと思っていた京都・大阪に新たに複数の寺が加わった。どちらにしても、多い県には違いないから、今後も増えていくのかもしれない。聖天信仰は、やはり大阪とか京都・奈良に集中している感じだ。なぜなのかな。


8月18日岩戸聖天の再建に立ち会う

先日来、このメモでも書いていた岩戸の聖天だが、とうとう今日再建という運びになり、お手伝いにでかけた。場所は印旛の岩戸という場所で、交通手段のない私は、今回も大野さんに駅までわざわざ迎えに来ていただき、そこから大野さんの車で現地に着いた。
この大野さんは、今回の再建の主催者で、新しい祠の予算を出したり、本来の聖天宮の管轄寺との折衝もしたりと、おひとりで大活躍されており、まったく何もしなかった私としては、こういう行事の時だけしゃしゃり出て行くのはやや気が引けたのだが、まあ、それはそれとして(^^

現地近くに車を止めると、そこからは徒歩で、また道なき道を分け進んでいった(以前、初めてここを訪れた時の顛末は、別記bup.html#001217参照のこと)。祠の採寸などのため、大野さんはあれから何回か現地に足を運んでいる。そのため、初めてきた時よりは通りやすくなってはいたものの、新調の石造の祠は、小さいとはいえかなり重くて、坂や段差のある中を運んでいくのはちょっと大変だった。

元の祠のある場所にたどり着くと、大野さんの言うには「誰か来た形跡がある」とのこと。根元から折れている古い祠も接着して修繕しようと思い、折れた箇所を水洗いして上下さかさまにして干しておいたはずなのに、元通りにつなげた形にしてある、という。それにお賽銭も、以前はなかった百円硬貨が数枚増えているそうだ。たぶん近来のひとだろうか。ここにあることを知っていない限り、ここまでたどり着くことができるとはとても思えない。どこの誰かは分からないけれど、そのひとが今度ここに来て、新しい祠を見たら、きっとびっくりするだろう、などと話し合った。

新しい祠は今までのもののすぐ横に設置することに決めて、やや勾配のついた地面をけずって均し、祠を組み立てた。
全部終わるのには、小一時間ほどだったろうか、設置が終わるとやはり大野さんの用意していた塩とお米をまいて、あたりを清めた。大根を持って来ようかな、と思っていたのだが、あんまり頻繁に管理できる場所ではないため、今回は断念した。始末に困らないお供えを考えておこうと思う。

できあがった祠を写真に撮って、その場を後にした。今はまだ白っぽくて真新しい祠だけど、時間がたてば雨風に打たれて、もっと風格が出てくるだろう、などと同行の方が言っていた。それに、そのおかげでこの白い色が森の中でも目立って、今後しばらくは探しやすくなるだろう。とにかく祠がうまく再建できてよかった。聖天さんも喜んでいるだろう、きっとご利益があるんじゃないのか、などと歓談しながら帰宅した。

帰り道で大野さんが、手賀沼の南側に聖天を祀っているところがある、と人づてに聞いた話をしてくれた。北側にある大光寺には行ったことがあるが、どうもそことは別の場所らしい。家についてから調べたが、その鷲野谷という地名には数箇所寺と神社があり、にわかに判断できない。電車や自転車では行きづらい場所でもあり、どうやって調べようか、考えている。


7月25日・「続 仏像 心とかたち」「全国寺社・仏像ガイド」

今日は久しぶりに聖天の情報が掲載されている本を二冊買った。この手の本は、需要が少ないこともあるんだろうが、すぐに絶版になってしまったりするので、見たときに入手しておくのが第一。
とはいえ、最近の本の値段の高さには、なかなか財布が追いつかない。
今回買ったのはNHKブックスの「続 仏像 心とかたち」と、美術出版社の「全国寺社・仏像ガイド」。

まず前者には、神奈川の弘明寺の聖天像の写真が掲載されている。弘法大師作と伝えられるこの木像は、現在秘仏になっているらしいので、わりと貴重な写真かもしれない。
後者は、聖天にかぎらず、全国の主要な寺社の仏像その他について掲載されており、交通や、秘仏かどうか、秘仏の場合、公開されることがあるのかどうか、といった情報もあって、今後の聖天リストに反映させていくうえで、貴重な情報源になりそうだ。量が膨大なので、精読にはちょっと時間がかかりそうだが、こういう新しい情報源が入手できたのはありがたい。


7月16日・岩戸聖天再建

5月5日に書いた岩戸聖天の再建が、いよいよ始まりそうだ。といっても、私はほとんど聞いているだけ、というまことにだらしない状況にある。大野さんが、おそらくは私財を投じて祠の再建を進めているらしいのだ。私はといえば、その件について、いくつかアドバイスを求められただけ。それさえ、自分ではどうしようもなくて、メールで知り合った聖天の信仰者・研究者の方々にお知恵を乞う、というありさまだった。うーん、まあ私の怠慢をこれ以上書いてもしょうがないので、やめる。とにかく、これで岩戸の聖天が再建される、ということが重要なのだ、うん。
大野さんによると、作業は八月ごろになりそうだという。その時は、できればお手伝いにいって、ほんの少しでもお役に立ちたいと思う。また、その時の模様も、このウェブページで報告したいと思っている。


6月24日・「仏像が語る知られざるドラマ」

出た時から気になっていた「仏像が語る知られざるドラマ」という本を買った。この中で、名古屋の荒子観音寺の聖天にかんする記述がある。
実は、以前この本を立ち読みして、その情報でリストを更新していたのだが、うろ覚えで不正確だったし、やはり聖天の情報が少しでも掲載されている本は手に入れておいた方がよかろうと思い、しばらく書店に立ち寄るたびに探していた。
しかし、最近の本は、出版されてすぐにおさえておかないと、次から次へと新刊の波が押し寄せてきて、あっという間に店頭から消えてしまう。この本も、ちょっと大きな書店でたまたま見かけたからよかったけれど、運が悪かったら、もう見つけられなかったかも知れない。


6月16日・「見仏記」

みうらじゅんといとうせいこうの共著で、全国の仏像を観光した紀行本が出ている。「見仏記」というタイトルで、三冊出ているのだが、それを先日読んでいたところ、聖天の記述がその二冊目に二箇所登場していた。ひとつは佐渡の、すでにウェブページに記録している寺だったが、もう一方はまだ知らなかったものだったので、さっそく表に反映させた。また、記録にはなかったものの、なんだか聖天がありそうな雰囲気のする寺についての記述もあり、それがたまたま都内の寺だったので、近いうちに調査してみようと思っている。そんなこんなで、けっこう有益な本だった。著者の姿勢には賛否両論あろうが、情報源としては役に立ちそうなので、各地の仏像を回りたい方たちにはお勧めの本だ(角川文庫で出ている)。

もともと、この手の本はなんとなく避けていた。物見遊山な態度で仏像を見て回る、という著者の姿勢が気に入らなかったのだろうか。でも、私自身も彼らと何ら変わらないような気もする。聖天について情報を寄せてくださる方たちは、鈴木さんもlibidoさんも、みんな熱心な方ばかりだけど、私自身の態度は、もしかしたらかなりいいかげんなのかもしれない。毎月、決まった寺にいって拝んでいるわけでもないし、ぐうたらな面もかなりある。

だから、このページは自分のため、というより(まあ、自己満足が一番の動機かもしれないが)、聖天の所在を求めている真摯な方たちへの手がかりとして、の方が、その存在価値があるのかもしれない。ページの作成者である私がいいかげんなせいで、なかなか有用な情報源になっていないのは申し訳ないが、少しずつ充実させていきたい、というのは本心だ。このページをごらんになっている信心深い方たちも、あきれないで、できれば気長に、暖かい心で見守っていただければいいな、と思う今日この頃(^^;


5月23日・吉田さんの奈良探訪記に感謝

聖天つながりのお友達の吉田さんが、奈良に行ったときの聖天の情報を数回のメールに分けて寄せてくださった。西の方はなかなか調査がゆき届かないため、こういう情報は本当に助かる。さっそくウェブページに反映させようと思う。
それにしても、聖天に惹かれる方は、熱心な人が多い。私も、いまだに千葉と東京の聖天を極めていない・・・いや、極めるのは無理だろうけど(^^;、せめて自分でリストアップしているところぐらいは全部回っておくべきだと思うんだが、なかなか怠惰な性格のせいか、いっこうに「参拝済み」の寺社が増えていかない。反省。うーん、長期休暇でもとって、一日に五箇所ぐらい回ってみようかな。そのぐらいの気合がないと、なかなかクリアできないような気もしてきたぞ。


5月5日・聖天再建

岩戸聖天を再建しようという話が持ち上がっている。この聖天の存在を教えてくれて、わざわざ現地まで案内してくださった大野さんが中心になって、この祠を再建し、ちゃんとおまつりしようという計画を立てているらしい。
これはすばらしいことで、ぜひとも協力したいと思っているが、なにぶん、十数年も来訪者がなかったような祠で、損傷もあるため、本来の姿がどういうものだったのか、よく分からない部分もあるようだ。その件で大野さんから問い合わせのメールをもらったのだが、私にもよくわからず、結局このウェブページを通じてお知り合いになった方たちにもご助力をお願いしたのだが、それでもやはり、正確なところは分からなかった。
そもそも、個人で祀って作ったもののようだし、ながらく放置されていたせいで、由来などもあまりはっきりしないようだ。欠落した部分は、結局は推測で再現するしかないのかもしれない。


4月23日・西白井の聖天

岩戸聖天の情報をくださった方が、またまた千葉の聖天の情報を寄せてくれた。
そこで、さっそく教えていただいた場所の調査を始めた。
所在はやはり北総公団線の西白井駅近辺。この線は、直線距離だとたいしたことがないのだが、そこまで行くための交通手段がややこしく、今回も紆余曲折で、数時間かかって現地にようやくたどりつくような結果になってしまった。

しかし、苦労したかいあって、すばらしい石像にめぐり合えた。これだけ長いこと聖天のページを作っておきながら、実際にこの目で双身の造形を確認できたことが今まで一度もなかったのだ。それだけに感激もひとしお。

この聖天は、どういうわけだか神社の中にある。鳥居から続く沿道とは外れた場所にある(やや分かりにくい)が、それにしても、神社の中にあるのは確かで、こういうのはちょっと珍しいような気もする。


ただ、この石像は、あまりにも無造作に置かれている。垣根も祠もなし。しかも昼間から閑散としている。だから、その場所をにわかに詳述するのはためらわれる。すでにちょっといたずらされたような形跡もあるから、こういうオープンな場所(ウエブサイト)でその所在を明らかにしたところで、あまり有益ではないような気がするのだ。だから、今まではわりとはっきり書いてきたデータも、今回ばかりはちょっとぼかした形で記すことにした。それでも探す気になれば必要な情報は書いたつもりだし、メールをくだされば、お答えしようと思っている。

それにしても、聖天を訪問するたびに雨に降られるのはなぜだろうな。無意識に、そういう天候を選んでいるのかな。

*9/24、この神社の所在について、明記しました。


はじめに

東日本編で、千葉を中心に調査をしていくうちに、どんどん「注」が長くなってしまいそうになったので、そういう記述を別記しようと思ったのがひとつと、自分が訪問した時のメモを作っておいたほうが何かと便利ではないかという気がしたのが動機で、この聖天調査メモを書くことにした。