MMR被害児を救援する会ニュース
第40号 2005・6・19
MMR被害児を救援する会事務局


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鑑定によりA君死亡の因果関係立証で前進
次の口頭弁論は7月22日

大阪高等裁判所口頭弁論の予定
1 日 時 7月22日(金)午後2時〜
2 場 所 大阪高等裁判所別館82号法廷
3 その他 報告集会を行います。会場は法廷でお知らせします。


◆2月25日と4月22日に口頭弁論が行われました。この間、第一審で敗訴したA君事件で死亡にMMRワクチンが影響を及ぼしたことの立証に力を入れてきました。病理学研究の第一人者である仙台大学教授名倉宏氏の組織標本鑑定結果と補充鑑定書により原告の立証は前進しています。

 国は、A君はMMRワクチンの副作用から一旦完治した後インフルエンザに罹り死亡したので死亡とMMRワクチン接種とは無関係と主張し、第一審判決も同じ考えに立ちました。原告はMMRワクチンがA君の免疫力を抑制し直接の死因である急性脳症に影響を及ぼしたと主張してきました。今回の名倉氏の鑑定では、標本の状態が悪くウィルスの特定はできなかったものの免疫機構の司令塔と言われる腸組織で免疫機構が破壊され、免疫不全または免疫機能低下状態にあったことが確認されました。国が死亡原因と主張しているインフルエンザのウィルスでは腸組織の免疫機構を破壊するデータがないのに比べ、MMRワクチンに含まれる麻しんウィルスでは破壊することが知られています。すなわち、MMRワクチンが腸組織の免疫機構を破壊し、正常な防御反応ができなかったために通常なら死に至らないような病気に罹っただけで死亡したという原告の主張を裏付けるものです。これは「MMRワクチンを打ってから体質が変わってしまったように次々と病気になった」「インフルエンザにかかったとしても、ふつうの元どおりの元気な体ならあんなに悲惨に血を吐いて死んでいってしまうようなことはなかった」という最も身近でA君と生活し看病してきた両親の訴えにも合致します。

 もう一つ原告が控訴審で重要な争点にしているのが、MMRワクチンで事故が多発したにもかかわらず接種を中止しなかった国の責任です。1989年10月厚生省がMMRの「慎重接種」を通知する前に多くの自治体が接種の見合わせをしていたことが確認されています。最近の日本脳炎予防接種の動きを見ても接種中止の責任と権限を持ちながら漫然と接種を続けた国の責任は重大です。現在、A君死亡にMMRワクチンが及ぼした影響と国の責任について立証を強化、整理し、結審に向かっています。


■初めての方に:被害の内容と訴訟の経過

A君: 1989年10月、当時1歳4か月の男児がMMRワクチンを接種。8日後に発熱し、無菌性髄膜炎にかかり、一旦退院したものの、再び発熱した後急性脳症により死亡。ワクチン接種から65日後のことだった。

大輔君:1991年6月、当時1歳9か月の男児がMMRワクチンを接種。2日後に発熱し、けいれんを発症。すぐに昏睡状態に陥り、重度の知能障害を残した状態で症状固定。その後も無気肺や肺炎を繰り返し、肺気腫、無気肺により死亡。ワクチン接種から約1年1月後のことだった。

−A君、大輔君共に、国は予防接種被害認定制度での予防接種と死亡との因果関係を否認。
 両親が、1993年12月24日国と阪大微研を被告に大阪地裁に提訴。
係争中、大阪府知事は、大輔君の両親が行った審査請求に対し、4年以上経過した1997年12月25日原処分を取り消し、死亡一時金等の支給を認めた。−

花さん:1991年4月、当時1歳10か月の女児がMMRワクチンを接種。2週間後に発熱し、けいれんを発症。すぐに昏睡状態に陥り、その後の処置の甲斐もなく重度の後遺症を残し今日に至る。

−国は予防接種被害認定制度では予防接種による障害と認定し、障害児養育手当1級を受給中。
 花さんと両親が、1996年4月23日同じく大阪地裁に提訴−

 2003年3月13日第一審大阪地裁判決が出た。大輔君、花さん事件は基本的に勝訴、A君事件に不当判決。阪大微研が被害を陳謝し、判決の損害賠償金とA君の両親に見舞金を支払い、訴訟から撤退した。A君の両親は国を控訴。国は大輔君、花さん事件で控訴し、大輔君の両親、花さんと両親もこれに対抗して第一審判決の不十分点を指摘して控訴(附帯控訴)した。大阪高裁での控訴審が国を相手に2003年7月25日から続いている。