■ 超コンパクトなMMR概容

予防接種から身を
守らねばならない矛盾
 
予防接種情報センター京都
栗原 敦


 世間では昔のことになったMMR(新三種混合ワクチン。M=はしか、M=おたふくかぜ、R=風しん)は、1989年4月に導入されました。
 その年の5〜7月には死亡、難聴、小児片麻ひが続発、以後、無菌性髄膜炎が多発したにもかかわらず4年あまりも漫然と続けられた悪名高いワクチンでした(1993年4月に中止となりました)。
 国やワクチンメーカーは、事故発生後、すぐに中止してそれまでの「はしか」単独接種に戻すというあたりまえの判断をしませんでした。また、カナダでは阪大微研会製おたふくかぜワクチンをふくむMMRが中止となっていたのに、日本ではその後も強行され、犠牲者がでました。
 1993年12月、MMR被害者の木下大輔くん、上野花ちゃんたちのMMR大阪訴訟がはじまりました。国やメーカーは、十分に破綻したMMRなのにほかのワクチンも導入し、犠牲者をだしながら、4種類のMMRをくらべる実験までしました。そのうえ、阪大微研会は無断で製造方法をかえ、副作用を多発させていたのです。
 おまけに、1992〜1993年にかけ、わかっただけでも12都道府県で2,246人ほど、推定で全国の5千から1万人のこどもに「期限の切れた」ワクチンが接種されたのです。当時、そのことを知りうる立場にあった行政担当者(市区町村・都道府県・国)すべてがその事態を放置し、国は「期限の切れたワクチンは使われていません」とうそをついていたのです。
 それなのに国や阪大微研会は、裁判で責任を否定し続けました。2003年3月13日に被告の国とメーカー(阪大微研会)の責任を認める判決がおりましたが、国は控訴しました。
 こんな予防接種行政と業界からわが子の身を守らねばならない現実があることを私たちは、肝に銘じていかなければならいないでしょう。(03.6.15)