大輔君の親から

516最終弁論に向けて

…今、思うこと…

19931224日に起こしたMMRワクチンの裁判が、近く大阪地裁での判決を迎えようとしています。

私達の息子、大輔は1991625日にMMRワクチンを接種し、2日後に意識不明となって小児科の集中治療室に入院する事態になり、11ヶ月後の199288日にこの世を去りました。

MMRワクチンは、1989年に市町村単位で導入され、その年の9月に息子は産まれました。1歳を過ぎた頃に接種したらいいんだなぁ、と思っていた矢先、副作用が沢山起こって翌年初め頃MMRワクチンは一旦中止になりました。

それから何ヶ月か経った時、MMRワクチンがまた再開されたことを市報で知りました。ワクチンや予防接種行政について何も知らない私は、「中止されていた何ヶ月かの間にきっとワクチンは改善されたんだろう」と思い、3種類の病気を1本のワクチンで防げるのであれば、そして予防接種を受けさせてあげるのが親としての務めだと思い、また当時読んでいた育児書の殆ど全てに「予防接種は受けさせてあげるのが親の愛情ですよ」なんて書かれていた事もあり、自分自身もそう思ってMMRワクチンを接種させたところ、突然「脳症」と言う病気にかかって1年後に亡くなりました。

また、一旦中止になったものを再開した時も別にワクチンが改良された訳でもなんでもなく、副作用を抱えたままのワクチンを打ってしまったわけで、国、メーカー、行政の姿勢の在り方に強い憤りを感じます。

息子の入院から死。そして一般の市民であった私達が、自分達の小さな力での行政サイドとのやりとりが始まりました…息子を失った中であらゆる交渉を成し遂げていかなければならない難しさ。私達はあらゆる意味で大きな渦の中に巻き込まれていくようでした。

息子が入院中から当時住んでいた高槻市を通じて大阪府・国に「予防接種によって起こった健康被害と認めて欲しい」と、健康被害である事の認定と補償を求めて申請をして来ました。これらの申請制度があるという事は、市役所や行政サイドに教えて貰ったのではありません。接種した病院の先生が「こんな制度があるので申請してみて下さい」と、言って下さったからこそ申請に漕ぎつけられたのでした。

お役所は何もしてくれなかった。それどころか、亡くなった翌年の1993625(奇しくも接種からちょうど2年の日です)に、「国からの通達がありますので」と、突然電話をかけて来て、「内容は?」と聞いても「今は答えられない」の一点張り、そして「両親が揃った前できちんと説明させていただこう」と言う姿勢のかけらもなく、平日、母親だけがいる時間に来て、書類だけ渡して帰ってやろうと言う姿勢がありありでした。市役所の職員が来て「不認定である」旨の通知と書類を見せられました。

21世紀を担って希望を持って生きていくはずだった人が一人亡くなったのです。

それに対してあまりにも簡単すぎる国の通知の書類と、ただの「子供のお使い」みたいなお粗末な対応しか出来ない、その書類を持ってきた職員達がそこにいました。

現在少子化が危惧されているこの国で、それに対応すべき厚生省(現・厚生労働省)の仕事は一人一人の子供たちを体も心も元気に、豊かに育てていく事であるはずです。私達の息子もその精神のもと、「怖い伝染病をワクチンで予防して、健やかに育っていく」はずでした。しかし実際に事故の被害者になってしまってから、厚生省の「副作用の事を何も教えてくれない」姿勢を知りました。もしも一旦中止となり、数ヶ月後の再開がなければ息子はMMRワクチンを接種する事はありませんでした。その事がとっても残念でなりません。また何度か市役所や大阪府庁などに掛け合いに行きましたが、その対応はとてもひどいもので、現在起こしている訴訟の経過を見ても誠意ある、私達が納得できる説明のかけらもなく、むしろこちらの主張にすこしでも隙間があろうものなら即そこに突っ込んでやろうと言う、「弱いものを切り捨てよう」と言う姿勢しか見る事が出来ません。

私達はそれからすぐ弁護士さんと話し合い、まず「審査請求」の手続きを取りましたが半年経ってもなんの回答もなく、その年の暮れ、大阪地裁にて訴訟を起こす事にしました。

弁護士の先生方や現在支援して下さっている皆様のお陰で、沢山の方々に「息子さんの死亡原因はMMRワクチンである」事を証言していただき、また前出の「審査請求」の結果、「不認定」が一転して「認定」になると言う出来事もありました。

でもこの裁判で息子の死亡とMMRワクチンの因果関係をきっちりと形にしなければ親としてとうてい納得できず、また「子供の立場に立った予防接種」の実現もあり得ません。

息子はMMRワクチンを接種して突然重い被害を背負わされ、1日数時間の面会のほかには、たった一人で病気と闘い続けました。他の人達よりずっと短く“させられた”人生であったけれども、私達両親や家族を決して悲しませまいとするように、一生懸命頑張ってくれました。私達も、それに応えられる両親でありたいと思い、これまで訴訟をはじめとして予防接種・薬害関係の集会で発言をさせて戴いたり、事故の経過を文章にさせて戴いたりしてこれまで約8年間、積み上げて参りました。

大阪地裁での裁判ももうすぐ結審・判決を迎えます。皆様のこれまでのお力添えを本当に有り難く思っております。これまでの積み重ねが一つも無駄にならないよう、行動を起こして行きたいと思っております。皆様のご支援をお願い致します。