■ 提訴の頃 月刊トリートメント96年5月号

 さいろ社 発行 人間と医療の相互理解誌「トリートメント」1996年5月号掲載

 

誰のための予防接種なのだろう     

MMR被害児の母親の立場から

上 野 裕 子(岩手県・主婦)

 

 特別に可愛らしい子どもだった

 

 最近、予防接種が義務から任意に切り替わった。これは長い間予防接種の問題に取り組んで来られた方々の熱意の賜物と思う。しかし私はといえば、最近の予防接種の周辺のことをよく知らない。5年前に娘がMMRワクチンのために急性脳症にかかり、重度心身障害児となってからこの方、予防接種に関わる記事やニュースをまともに見たことがないからだ。

 現在娘は6歳。この春就学を迎えた。しかし障害が重いため通学できる養護学校が地元になく、週2回の訪問教育を受けることとなった。ランドセルも教科書も机もそろえてあげることができない(必要がない)。思えば1歳10ヵ月の可愛い盛りに娘は突然ワクチン禍に倒れ、以来、健康なまま暮らしていれば手に入れることができたはずのもの一切を奪われて、親や家族の奮闘、友人や福祉行政の手助けにより何とかここまで成長してきた。

 不運な子どもだからと親馬鹿を承知で語らせていただければ、まず娘には何の落度もなかった。ケラケラとよく笑い、すり傷なんてものともせず、高い所から飛び降りたり鉄棒にぶらさがったり、好きなトマトやリンゴを頬張って、オムツがはずれる頃には得意顔でトイレに向かい、兄や姉ともやんちゃに遊び、それはもう明るい子どもだった。何も怖くない、全き信頼のかたまりのような子どもに見えた。およそ子どもは可愛いのが当たり前だが娘は特別に可愛らしい子どもだった。日本に生まれ、岩手県の小さな町で注意することと言えば交通事故、それから食べる時に物をひっかけないようにとかそのぐらいで、あとは風邪をひきやすいのでしょっちゅう病院通いをしていたが、まさか予防接種という落とし穴に足もとをすくわれるとは思ってもみなかった。

 

 「3回を1回で済ませられる」

 

 その時のいきさつについては、痛恨の事情がある。思い出すたびつらくなるので人に言ったこともないし、ましてこうして書くのは本心はとてもつらい。

 娘の場合、MMRワクチンという粗悪なものが出回っていた4年間の中に居合わせてしまったというのが1つの不運。そのワクチンさえなければ娘は健康だった。それから懇意にして通っていた医師がMMRワクチン推進派だったというのが1つ。そして母親である私が、仕事を持っていたというのが1つ。そのために育児は祖母(夫の母)に任せ、なおかつ嫁という立場で夫の両親にハッキリものが言えない日常だったという事情。これらが総合して歯車が狂い、娘をあんなつらい目にあわせてしまったと思うのだ。

 しかしどんな日常でも、素朴な家族が小さい子どもを中心に希望を持って暮らしていたのだから、一番許すことができないのはワクチンが作られ使われたということに尽きる。MMRというのは、はしか、おたふくかぜ・風疹を一緒にしたワクチンで、当時は、はしかの通知文書の中に、“親が申し出ればMMRを受けることができます”というただし書きがあった。申し出なければ打たないのだろうとその文章を素直に確認して、私は夫の母に頼んだ。

「鼻水は出ているが、もしできるようならはしかの予防注射をしてもらって

 しかし、思わぬ展開が待っていた。医師がMMRを勧めたのである。職場に電話を入れて私の意思を確認するという夫の母をさえ切って、医師はこう言ったそうだ。

「おばあちゃん、3回(病院に)来るのが1回で済むんだもの、こっち(MMR)を受けていきなさいよ」

 そして親の意思に介入してMMRを打ったのだった。その日から14日後の朝、娘は意識混濁・高熱・ケイレン発作・重体という事態に陥った。そしてもう二度と元気な娘に戻らなかった。

「3回を1回で済ませられる」とは、どういうことだろう。当時の私がそうだったように母親になっても働き続ける人が増えている。働くために子どもを祖父母に預けたり保育所に託したりする。自分自身が日頃世話ができないから、なるべく病気にならないでほしいと思う。また、仕事場は子どもの都合を言えるほどなまやさしくない。たびたびは休めない。そういう母親たちに“3回より1回のほうがいいでしょう”と勧める。“お母さんのかわりに連れてくるおばあちゃんも大変でしょう”となる。

 いったい誰のための予防接種なのだろう。MMRはもとより、従来のワクチンにしても、誰に、何のために打つのだろうか。当の子どものためであるはずだろう。それがいつのまにか、子ども自身のことより、周辺の事情のほうが先行し、その結果一番ひどい目にあうのが当の子どもなのである。

 

 娘を国に差し出したつもりはない

 

 ワクチンを打つと、子どもの身体の中にどんな変化が起り、どんな仕組みで免疫系が動くのかなどと、ふつうはあまり考えない。専門の勉強をした人や医師は莫大な知識を特っているが、一般のごくふつうの人は詳しく知らされない。知らないから、あまり深く考えずに、大人の都合で受けさせようとする。副作用のことが頭をよぎったとしても、“うちの子は大丈夫”と他人事にしてしまう。しかし本当に副作用の情報があれば、皆が真剣に考えるのではないだろうか。そして、被害にあった子どもの存在を知れば心が動き、皆の問題として考えるようになるのではないだろうか。

 ところが、この副作用による健康被害の実態は、あまり公表されないのが常のようだ。私たちは、再発を防ぐためにも娘の一件を広報等で公表するよう市に要望したが、厚生省がMMRの中止を決めるまで、それは叶わなかった。なぜ公表しないのだろう。接種率が下がるといけないからだろうか。接種率が下がると伝染病が蔓延して子どもが困るからだろうか。大勢の子どもが生きていくために、運の悪い子どもが何人かいても仕方ないという考え方なのだろうか。その考え方は、子どもの権利が叫ばれる昨今の社会情勢に逆行しているのではないか。

 厚生省から送られた見舞状というのがある。その中に娘の健康被害のことを「社会防衛の貴い犠牲となられた」とし「お気の毒にたえません」とある。しかし、私は社会防衛のために娘を国に差し出したつもりはない。誰も生活していくための事情を抱えながら、子どものために良かれと願って注射に連れて行く。そういう素朴な親心と、国の方針とでは、大きな隔たりがあるらしいと気付いた。その体質は、ずっと以前から一部の人たちが苦しみながら闘ってきた“薬害禍”にもよく表れている。その一連にMMRワクチンも連なり、私の娘も、私たち家族も巻き込まれたのである。

 

 前号掲載のアンケート結果を見て

 

 前号でアンケートに応えているお母さんたちは、幸いにも無事にワクチンを済ませた方々のようだ。皆さんうまく切り抜けられて、うらやましいと思った。

 働いている人たちの立場や発想は、理解はできるが、子どもの健康を守るという観点からすれば少し合理的すぎるような気がした。万が一、被害を受けてしまえば、職場を数日休むどころか、仕事を辞めざるを得ない事態になるのにその良い見本の私としては、大人の都合を優先させ、なおかつうまくワクチンをクリアできた人たちは、手の届かない別世界の人たちのように感じてしまう。

 また、保守的な地域の中で、新しい情報を取り込みながら子どもを育てていくことは、折り合いの面で確かに苦慮することが多い。祖父母の考え方や地域性も、受け容れられるものは素直に聞きながら、しかし譲れないことはきちんと話をするということが大切だと思う。田舎であればあるほど、嫁が物知り顔に言えない状況が多いが、子どもの将来まで責任を持つのは親なのだから、普段から率直に話をするようにしていなければならないと思う。

 1つ、どなたかがA3(予防接種を受けた人への「疑問はなかったのか」との質問)に対する回答の中で、「予防接種を受けさせて副作用が出たり死亡した場合」と「受けさせずにその病気に罹り、重い障害が残ったり、最悪亡くなるようなことがあった場合」とを比較して、受けさせないほうが親の責任を厳しく問われると思うと書いておられた。子どもが万一そういう事態に至ったとして、その時に及んで、一番悲しんでいる親に向かって厳しく責任を問う人がいるとすれば、その人は冷たい心の人だと思う。そのような人の評価を問題にするより、今、手元にいる可愛い子どものことのみを考えるべきではないだろうか。

 そして、もう1つ理解していただきたいのは、自然に罹ってしまった病気と、ワクチンの副作用によって罹ってしまった病気とを、同列に比較できるものではないということである。前者は病気であり、後者は被害である。そして被害というのは、加害の側が存在するということである。健康な身体で楽しく生きて行こうと願って打ったワクチンのために亡くなった子ども、重い障害を負った子どもの無念さを、そして親や家族の悔しさを、1人でも多くの人に想像してほしい。みんな祝福されて生まれ、いつかどこかで出会ったかもしれない。同世代の子どもが泣いた苦しみにどうか共感してほしいと思う。

 B(予防接種を受けない人)の、ある方は「どうやって小児科医から我が子を守ろうかと必死の毎日」と書いておられる。保守的な地域であればあるほど、予防接種にノーと言いにくく、悪戦苦闘しておられる様子を、小児科医への皮肉も込めて表現したようである。たしかに小児科の先生には普通の親のわずかな知識ではたちうちできないが、親の実感というものに自信を持って賢明に立ち回っていきたいものだ。

 ただし、ワクチンがすべて必要なしというわけでもないので、その辺の情報は得ておくことも大切かと思う。私は上の娘が生後12ヵ月ではしかに罹り、つらい思いをさせた経験があり、下の娘にははしかのワクチンを打たせたいと思った。結局その願いも、前述の事情で叶わなかったが、子どもの身になってともに考えてくれる小児科医と出会えれば、こんな心強いことはないと思う。

 私は、いろいろなことを書いてきたけれど、本当はそんな分ではない。私は、子どもを守れなかった。子どものことをもっと必死に守るべきだった。健康な我が子をみすみす病気にしてしまった私の晦しさを、もう誰も味わわないでほしい。