■1996年5月7日 国立予防衛生研究所村山分室 山田章雄氏


 前略

 お送りいただいた草稿拝見いたしました.

 相変わらず公務員であることを続けておりますので、自分自身では研究者であると云っても、世間的には官僚かその手先とでも思われているのだろうと思います.この国の優秀と云われてきた官僚機構が、この国の形成してきた,”独特の村社会”を維持するためには非常に貢献してきたことは誰しもが認めるところでしょうが、”独特の村社会”そのものが疑問視され始めた近ごろでは、当然それを支えてきた官僚機構の内包する矛盾・硬直性といった部分への反省・改革が望まれるのは明白だと思います.

 いわゆる薬害の根幹には日本の”独特の村社会”、それを支える硬直化した官僚機構が横たわっているであろう事は容易に想像できます.MMR”事件”も正に同列だと考えています.したがって、日本の薬事行政の持つ様々な問題点を質してゆくことを抜きにこの間題の本当の意味での解決はなかろうと思います.

 さて、本題に入ります.

1.MMRが人体実験であったか

 結論から云えば一種の人体実験であったと考えます.但し、この種の試験なしに、医薬品の開発、医学の進歩は望めないことも事実です.たとえば治験投階で数万人に接種することも人体実験であることには変りはありません.問題なのは、その事実を被接種者にきちんと説明してあるかどうかだと思います.
 MMR統一株を自社株導入後も接種を続けた事に関しては、当時の厚生省が、MMRの推進をやめ、保護者の希望があった場合のみに限るとした通達を出しており、判断が、現場の医師および保護者に委ねられていました.医師の中には統一株で行くと明言していた方も居たそうです(希薄になりつつある記憶に基づいていますが).判断を委ねられて困惑した保護者の方もあったと思います.恐らく医療現場は混乱していたに違いありませんが、MMRの接種を受けるかどうか、受けるとすれば自社株のどれかか、あるいは統一株かの選択は、接種医の適切な説明に基づいて保護者が決断することが求められていたのではないかと思います.

 統一株の回収を指示しなかったことですが、数千人に一人の頻度でもMMRの接種は有益であるという考えに固執し続け、接種を慎重に行うようにという指示を出していた当時の厚生省の立場ではある程度仕方のないものでしょう.ここで強調しておきたいのですが、私自身もMMRの接種方式自体は有益である
と考えています.従って、今回の”事件”でMMRという方式が葬り去られてしますことには大きな懸念を抱いています.問題の本質はMMRという形で提供されたおたふくかぜワクチンの株にあります.

 ワクチンの開発はとても難しいものであると思います.今年で200年になるジェンナーの種痘以来、ウイルスをどのようにしたら弱毒化できるかと云うことはいまだにはっきりと解明されていないからです.通常ワクチンの候補になる株は、異なる宿主を通過すると病原性が変化するという経験的な法則に基づいて弱毒化・選別が進められます.ムンブスウイルスのように、的確にその病原性を評価するシステムの確立されていないウイルスでは実際の評価はヒトに接種してみる以外にはないのが実情だと思います(サルを用いて病原性の評価が可能だと従来考えられていましたが、余り、精度の高いものではないようで、評価の分かれるところだと考えられます).小規模の野外接種で安全であるとされた場合でも、大規模接種された場合に如何なる副反応が浮上してくるかは必ずしも予測できるものではありません.かと云って、このステップ無しではワクチンの開発自体ができないことになります.従って、市販後の調査が極めて重要になってくるわけですが、このあたりのシステムが整備されていなかったことも今回の問題に影響していると思えます.

 何故、日本のおたふくかぜワクチンには使用に耐えるものがないのか?これが今回の“事件” の本質に迫りうる疑問のような気がします。

2.“関係者”からの強い要望

 私がこの表現を用いたのは、当時の小児科学会の予防接種委員会の答申に統一株以外の株も使用できるようにすることが望ましいとする意見があり、これに基づいた要望書が厚生大臣宛に提出された(1991.4月)ことによるものです.

 既述のごとく、生ワクチンは多くの人に接種をして初めて見いだされる欠陥を有している可能性を常に持っているわけで、市販後の調査がいったん市場に出た製品の評価をしてゆくうえで極めて重要です.的確な評価をするためには的確な方法の確立が必要であることは論を待たないと思います.比較試験であると云われればそうであると云わざるを得ませんが、先程の人体実験と同様、優れたワクチンが世に出るためには通らざるを得ない道のりだと考えられます.今回は皮肉なことに、自社株の中に実用に耐えうるものがあるかもしれないという期待が、見事に打ち砕かれたうえに更に、日本で承認されてたおたふくかぜワクチンの多くが、生ワクチンとしては完成度の低いものであったことが証明されたわけです.

 では、何故、日本のおたふくかぜワクチンの完成度が低いのか?ワクチン開発の原理が経験則である以上優れたワクチンが出来上がる事のほうが稀なのかもしれません.1981年におたふくかぜワクチンが承認されMMRに組み入れられたのが1989年.その間に十分なfollow upがされていれば問題は未然に防げたかもしれません.只、残念なことに副反応を確定する手段がなかったこと、ムンプスのワクチンは安全であるという“神話”が独り歩きしていたこと、副反応としての髄膜炎に対する関心が低かったことなどが、正確な評価を遅らせたと思われます.更に、僅かな期間に5種類ものワクチンが登場したことも、個々のワクチンの評価にとっては好ましいことではなかったことになるかと思います.これらの不運な状況が重なり、結局はMMRの失敗という事態に発展したわけですが、これらの状況を生み出した背景に目をむけてみると、きっと、最初に書いたようなことになるのではないかという気がします.

 連休で休んでいましたが、テレビのニュースでMMRに関る情報公開要求が菅厚生大臣宛にて出されたと聴きました.おたふくについても必要なのではないかと思います.

 栗原様

 山田章雄


*96年5月7日到着